593.有り得ぬ再会2
「シャーリー……本当に……?」
『待ってたよ……さあ、一緒、に、来て』
二人に向かって手を伸ばすシャーリー。
柔らかな微笑みはマリツィアが見た事のある親友の顔。
シャーリーの訃報を聞いても表情を動かさなかったマリツィアの表情が、親友の笑顔を前にして緩んでいく。
マリツィアの桃色の瞳に映るシャーリーはまるでひだまりのようで、促されるまま手を伸ばそうとした。
「ちげえ!」
目を覚ませと叫ぶルトゥーラ。
そのまま庇うようにマリツィアの前に出る。
『【堕落の真実】』
「【禁足地は我が天球】!!」
魔石の光に灯される玉座の間に、二つの歴史が響き渡る。
流麗な声、現象に至るまでの淀みない美技。
シャーリーの背中からは黒い翼が現れ、影のように伸びるその翼はルトゥーラとマリツィアを囲む銀の防壁に叩きつけられた。
「ぐっ……お……!」
「ルトゥーラさん!」
ルトゥーラの血統魔法はその一撃でひび割れる。
否。斬り傷をつけられる。その攻撃の直線状にある床や壁は斬り傷どころではなく完全に斬られている。
先程受けた十五人からの魔法の一斉掃射、そして血統魔法でも傷一つ付かなかったルトゥーラの完全防御はただの一手で揺らされた。
水滴石穿など生温いと言わんばかりの圧倒的な一撃。
使い手であるシャーリーはただ微笑んで、二人に手を伸ばしたままだった。
『ルトゥーラ……凄い、よ……でも、なんで、止める、の?』
「胸糞わりい……! 何で止めただ? 敵の攻撃を止めない馬鹿がどこにいるんだよ!」
『敵……? 私、は、二人、の敵じゃない、よ……?』
ルトゥーラは背後のマリツィアを肩越しにちらっと見る。
マリツィアの表情からはさっきまでの険しさが消えていた。
こういった状態も目を奪われてると言うのだろうか。
マリツィアの目はシャーリーの一挙一動を、耳は言葉の一つ一つを正直に受け止めすぎている。
考えればわかるはずだ。
アブデラ王の統治下において、玉座の間にいる人物が味方であるはずがないと。
たとえそれが親友の姿をしていたとしても。
『私は、寂しい、の。だから、二人に、会えて、嬉しい』
「シャーリー……」
「聞くなマリツィア!」
『また一緒に、ケーキ、食べよう。また一緒に、お出掛けしよう、また一緒に、練習、しよう。私は、ダブラマの、為に戦うから』
魔的な声が精神を揺らす。
親友の言葉が惑わせる。
殺意も敵意も存在しないその瞳が、戦意を奪う。
『だから、私と、同じになって』
「『処刑の轍』!!」
シャーリーの声をかき消すように攻撃魔法を唱えた。
刃のついた銀色の車輪がシャーリー目掛けて空を走る。
『ひどい、よ、ルトゥーラ……私は……またみんなと、一緒に、いたいだけ、なのに』
シャーリーはその攻撃魔法を翼の一撫でで両断する。
向かってくる銀色の車輪など最初から無かったかのように、その視線は二人から離れない。
「いくら血統魔法だからって俺の魔法を一瞬で……!」
『私、のこと、もう忘れちゃったの……?』
「ちっ! 相変わらず闇属性の癖に馬鹿げた"現実への影響力"しやがって……!」
シャーリー・ヤムシードはマリツィアとルトゥーラの幼馴染であり……歴史の浅い家であるヤムシード家に生まれた女性である。
その実力はマリツィア、ルトゥーラと共にダブラマの三人の天才と呼ばれ、魔法使いとしての才能を開花させた彼女もまた早々に王家直属へと上り詰めた。
魔法使いとしての大成が難しいとされる闇属性で頂点まで駆け上がった稀有な存在であり、ダブラマで最も多いとされる闇属性の使い手全ての憧れ。
それが彼女シャーリー・ヤムシード。その属性の解釈はルトゥーラ同様、教科書からは遠く外れる。
『私、も、二人みたいに、強く、なりたかったから』
闇属性という攻撃に向かないとされた属性。
よくわかんないや、と彼女は八歳の時に基礎属性論の本を暖炉の燃料へと変えた。
属性の傾向。主な特性。それは確かに駆けだしの魔法使いにとっては属性の"変換"をイメージさせやすくなる教導材料だが……彼女にとってはただ邪魔なだけ。
彼女の扱う闇とは"境界"。
子供の頃から起きるのが早かった彼女は窓の外を眺めるのが好きだった。
寝起きで眺める夜と朝の狭間。空間を区切る絶対。
日の下であってもその存在を損なうことなく、光と共に空を飾る芸術。
幼少から続く無垢な思い出が、彼女のイメージを絶対の強さへと変える。
闇は空という雄大の領域、光と調和する絶対なる自然の一つ。
ゆえに、彼女に付けられた名は『夜翼』。
与えられたのは闇属性の解釈を昇華させ、闇属性のステージを一つ進めた彼女の才覚を象徴する名。朝も昼も、夜を想起させる闇の翼を羽ばたかせる者。
その血統魔法は闇という翼を背に使い手を空に運び、闇という空間をもって敵を切断する。
ヤムシード家に伝わる血統魔法を十七歳で覚醒させた魔法使いであり、闇属性でありながらその攻撃力はマリツィアとルトゥーラを遥かに凌駕する。
『強い、けど、寂しい、から、二人も、一緒に、きて』
シャーリーの背の黒い翼が膨らむように伸びていく。
刃のように、影のように……自由に。
翼の形は解釈の一つに過ぎない。闇に形などあるはずがないのだから。
『心細いの……マリツィア……ルトゥーラ……。一人で……戦う、のは、もう、嫌だよ』
「しゃ、シャーリー……私……!」
か細い声がマリツィアの精神に針となって突き刺さる。
シャーリーが死んだ時、国外にいたマリツィアには特に。
『なんで、来て、くれなかった、の。私、一人で、戦った、よ』
「あ……っ……!」
シャーリーが死んだ時、マリツィアはマナリルにいた。
訃報にも涙を流さなかった。反応を示さなかった。
隙を作ってはいけないと張り詰めていた日々に感情を殺していた。
『だから、今日、くらい、一緒に、いて。私と、一緒の、所に来て』
「シャーリー!!」
『石の中は、暗くて、何も、見えなくて、死ぬまで、ずっと、苦しかった! だから、一緒に、死んで、よ! マリツィア! ルトゥーラ! 私と一緒に!!』
膨れ上がった黒い翼が炸裂する。
降り注ぐ黒い針。闇属性魔法では有り得ない"現実への影響力"が部屋中にばらまかれる。
魔石で作られた壁を破壊し、カーテンは引き裂かれ窓が割れる音が響き渡る。
その中心でルトゥーラは血統魔法を維持し続け、背後のマリツィアを守り続けていた。
「お……おおおおおおおおおおおお!!」
「る、ルトゥーラさん……」
「目覚ませ馬鹿マリツィア! あいつの実力は知ってるだろ! 俺だけじゃ防戦一方になる!!」
「ですが……シャーリーと戦うなど……」
できない。
そう言いかけた瞬間、ルトゥーラは腕を振り回して背後のマリツィアを殴った。
「違うだろボケ! お前ならわかるだろマリツィア! あれは鬼胎属性で"汚染"されて動かされてるただの死体だ!」
「う、ぅ……」
「言葉もそうだ! 繋ぎ合わせてるみてえに不自然な間があるし、鬼胎属性の魔力がこもってる! シャーリーの記録から引っ張り出して俺達が揺れそうな言葉を選んでんだ!!」
冷静になりさえすればマリツィアならすぐにわかる。
だが、死んでいるはずの親友の姿がマリツィアの思考を停滞させていた。
「目を覚ませマリツィア・リオネッタ! 死体はただの肉で生きた足跡が人そのもの! それがてめえの矜持だろうが!!」
「私は……!」
「それにだ。魔法生命と最後まで戦ったあいつが……一緒に死んでくれなんて腑抜けた言葉言うかよ」
「!!」
目を覚まさせたのはその言葉だった。
そう。この国を救うと言っていた親友が、寂しいから同じように死んでくれなどと……言うはずがない。
感情に任せて自分達を襲うはずがない。
思い出のなかにいる親友はもっと、もっと………。
「ご迷惑をおかけしました……ルトゥーラさん」
「いいってことよ。貸しに……」
「にはなりません。私のほうが普段あなたの言動に迷惑していますから」
「じゃあチャラにしとけ」
「まったく……仕方ありませんね」
マリツィアは背中に背負っていた二つの棺の内一つを開ける。
そしてシャーリーを見つめる視線には、さっきまでには無かった冷たい戦意が宿っていた。
友人を失った一人の女性としてではなく、国の為に戦う魔法使いとしての顔が戻ってくる。
「披露の時間です……お母様。お父様」
棺の中から出てきたのは黒の衣服を纏った二つの骸骨。
片やドレス。片や燕尾服。
マリツィアが持ち出した虎の子の三つの遺体。その内の二つがマリツィアの隣に並んでいた。




