590.流れ星のように7
『ん……』
衝撃で途絶えていた意識が覚醒する。
まぶたの下に再生されたのは走馬灯というものでしょうか。
周囲に散らばるは破砕された私の彫像だったもの。
私の持つ最強の手札はいとも簡単に鏡の剣に切り裂かれ、半分ほど破壊されたところで"現実への影響力"を保てずに崩壊した。
(これがアルム……。元より……私が勝てるチャンスがあったのは呪法による情報攻撃だけ……。それが出来ないとなれば敗北は必然でしたか……)
勝たなければいけなかった。
呪法による情報攻撃によってアルムの意識を奪い、神獣形態となってダブラマを最速で離脱する。
それが思い描いていた、アルムを守る為の策だった。
可能性の低い"答え"ではありましたが、賭ける価値はあったのです。
アブデラ王の『アポピスの瞳』が成功しても失敗してもアルムを守れる最善だったのに。
『私のような者では……助けることすらできませんか……』
これから訪れる滅びに対抗できる者の一人。分岐点に立てる者。
同胞であるサルガタナスが育み、人生を懸けて救ったあの可能性の子を私の手で守りたかった。
つい表情に苦笑が滲む。
こんな些細な欲望すら貫けない自分が不甲斐無い。
ごめんなさいオイディプス。
あなたの友に恥じないようにと頑張ってみたけれど、私はやっぱり何もできない愚かな女のようです。
あなたが辛かった時に何もできなかった、生前と同じ結末。
"答え"を見ても、何も変えられない。
ダブラマを見捨て、アルムだけでもと決意しても……何も、変わらない。
『ああ……。来ましたね、サルガタナスの子……』
力不足を痛感しながら寝転がる私の下に、私達にとっての死神が訪れる。
アルムは無表情のまま。傷は"星の魔力運用"による右腕の自傷のみ。
魔力が万全ではないはずですが……アルムにはまだ余裕があるらしい。
アルムは私の近くまで歩み寄ってきて、私を見下ろすように傍に立った。
『お見事です……。私では到底敵いませんね……』
「スピンクス……お前、人間を殺してないな」
『そこまで……わかるのですか……?』
「魔法生命にしてはいくらなんでも弱すぎる……。呪法にほとんどの"現実への影響力"を使ってるんじゃないのか」
『恐ろしい方ですね……』
私の呪法を見抜いた事といい、とても聡い子だ。
魔法生命との経験からでしょうか。経験と知識を吸収して成長するその真っ白な在り方が羨ましい。
そんな風に育てて、生きた証を残したサルガタナスが羨ましい。
何もできなかった自分とは違う……彼女が羨ましい。
「宿主も人格浸食で消えたわけじゃないな。師匠みたいに元から宿主の人格が無い」
『はい……ですので、安心して止めを刺して構いませんよ……。私の核は頭です。どうぞその鏡の剣で突き刺してください』
「未練は無いのか」
『どちらにせよ、しばらく体が動きそうにありませんから……。それに、あなたに立ち塞がった時から覚悟はできています……』
そう言って、私は二度目の死を待つべく目を閉じた。
未練は無いのかという問いを、私は無意識に誤魔化している。
二度目の生を貰っても、私は結局この程度なのです。
……私にできることはもう何も無い。
これから起こるであろう"答え"について助言しようにも、頭の中に浮かぶ"答え"はゆらめいていてもう見えない。アルムを制することができればアポピスの魔の手から救う事もできたのに……それも叶わなかった。
このままただのアルムの敵として死にゆくのが、私の二度目の生の結末なのでしょう。
結局私はただの怪物。
旅人の前に立ち塞がるだけの――
「何でお前がアブデラ王側についたのか……考えてた」
『……え?』
白刃を待っていた私に降りてきたのは、ただの声だった。
鏡の剣は振り下ろされることなく、彼の右腕に握られたまま。
「妙だと思ってたんだ。地下遺跡から脱出した時……お前はあの飛行する魔法生命を退却させた。でもお前は、俺がもう死に体だったっていう"答え"が見えているはずなのに、あの魔法生命を撤退させた。お前ら全員の狙いが俺を再起不能にする事なら、絶対に追撃させるはずだ」
『買いかぶりすぎですよ……。"答え"は無数に見えますから……』
「この状況を作ったやり方もそうだ。お前はマリツィアのコレクションルームっていう監視や盗聴がされにくい場所でわざわざこの話を持ち出してきた。俺の足止めのような名目で言っていたが、むしろ魔法生命を足止めしたいのは俺達のほうだ。こっちにメリットがありすぎる」
『あなたと私の戦力を天秤にかけた結果ですよ……。私はこの通り非力ですから……』
まるで私の術を破壊した時よりも、追い詰められているようだった。
目を開けて……こちらを見つめるアルムの真っ直ぐな瞳を何故か見ることができず、私は目を逸らした。
この子は何が言いたいのだろう。
もう私の第二の生は終わっているのです。
後は核にその剣を突き立てればいいはずなのに。
何故……そんな表情をするのですか?
『さっきから何を……都合のいい解釈をしたいのは結構ですが……甘いのではありませんか?』
「ああ、正直な所……そこら辺はどうでもいいんだ。俺が言いたいのは別のことだから」
『……? 一体どういう……?』
疑問を抱く私をよそに、アルムは私の傍らで膝をつく。
からんからん、とアルムが右手に握っていた鏡の剣は音を立てて地面に落ちた。
そして動かない私の右手を両手でとった。
「ずっと、言えなかった事がある」
『なに……を……?』
「お前のおかげで、俺達は助かった」
『……? 何の、話を……?』
何を言っているのだろうこの子は。
助かった? 助けられていない。まだ何も終わっていない。
私はこの子を助けようとこの場の戦いに賭けて、そして敗北したのですから。
「水属性創始者のネレイアの血統魔法がマナリルを襲おうとした事件……お前が俺達に教えてくれなかったら俺は、自分の故郷を失うところだった」
『あ……』
言われて、アルムが何を言っているのかに気付いた。
「あの規模の津波だ……いくらカレッラが山だからって、限界があるからな……、少なくとも、帰れるかどうかは怪しくなってたはずだ」
『あれは……かえしうすのお陰でしょう……?』
「ああ、ミスティのお陰だ。けど、そうさせてくれたのはお前だスピンクス」
握られている右手から伝わる熱が、アルムの感情を伝えてくる。
何故だか、覚えがある感触だった。
そう。そうだ……私の友人が、私と別れる際にしてくれた、右腕への抱擁と同じ。
「カレッラには……故郷には俺を育ててくれた大切な人がいる。そして何よりも忘れたくない大切な人との記憶がある。お前はそれを人に守らせてくれた」
なんて、ことだろう。
右手を通じて伝わってくる。
「俺の大切な人を……何かに苦しんでいたミスティを解放するきっかけをくれた」
この子は私を殺そうとなんかしていない。
伝わってくる体温に、殺意など欠片も無い。
「お前のおかげで俺は……大切な人達と出会ったマナリルを失わずにすんだ」
そうだ……私と戦っている間も、アルムに戦意はあっても殺意は無かった。
「だから、これだけは言いたかったんだ。遅れてすまない。戦って落ち着いてからでないと馬鹿にされてると思われそうだったから」
優しい声に涙が溢れそうになる。
ああ、なんてことでしょう。
私は、私は――!
「ありがとうスピンクス。俺達を助けてくれて」
――私はもう、あなたを助けることができていたのか。
「やっと言えてよかった」
『ど、どこに……!』
アルムは私にお礼を言い終わると、魔法を解除して鏡の剣を消した。
そして手を離して立ち上がったかと思うと踵を返す。
「なんだ?」
『と、とどめを……刺さないのですか?』
「そりゃあ……刺す理由が無い」
『私は、魔法生命ですよ……?』
私が言うと、アルムは何故か年相応の笑顔を見せた。
「奇遇だな。俺の師匠もそうだ」
そして、誇らしそうにそう言った。
「俺は師匠にしてもらったことを忘れないし、お前に助けられた事も忘れない。他の魔法生命がした事だって忘れない」
『あなたは……』
「だから、俺にはお前にとどめを刺す理由が無いんだよ」
ようやくわかった気がする。
アルムは私達の、魔法生命の事をその心に記録している。
魔法生命の弱さも、強さも、悪辣さも、欲望も、意志も、そして優しさも。
人との出会いのように魔法生命の痕跡を記録する。まるで魔法を記録するこの星のよう。
だから、こんなにも自由で。こんなにも強く在れるようになれたのか。
『あなたの敵は……幸せ者ですね』
「……ん? そうか?」
『はい……。どれだけ孤独でも、あなたに覚えて貰えるのですから……』
「ああ、忘れないよ。たとえお前らが全員この世界からいなくなったとしても」
アルムは同行していたハハという魔法使いを馬に乗せ、自分もまた軽やかに馬に乗った。
本当に、私に止めを刺すことなく。この渓谷から去ろうとしている。
「しばらくしたら動けるだろ? 互いに足止め成功で痛み分けってことで……さよならだ」
『ええ……さようなら、アルム……』
「次会えるとしたら全部終わったらだな。その時には敵じゃない事を祈ってる」
そう言い残して、アルムを乗せた馬は走り始めた。
私は動かぬ体で顔だけを動かして、その背中を見送る。
アルムはこちらに手を振りながら、この場を去っていった。
『また……見送る側になりましたね……』
私は呟いて空を仰ぐ。
この国の危機は去っていないはずなのに、何故か清々しい気持ちになっていた。
『あなたの道行きに、幸運があらんことを』
願わくば永遠に。
その旅路に幸あれと見なくなった背中に、私は祈りを捧げた。
あの日別れた友の分まで。
いつも読んでくださってありがとうございます。
スピンクス編終了です。ここで一区切りとなります。感想など頂けたら嬉しいです。
第八部も残り三十話くらいでしょうか。相変わらず長いですが、終わりまで頑張ります!




