586.流れ星のように3
(まずい……。魔法化されたら私の呪法が通じなくなってしまう……)
スピンクスの呪法がアルムを苦しめたのは相性による強さ。
"答え"という知を相手の頭に流し込む情報攻撃は、あくまで血統魔法が無いアルムだから通用しただけに過ぎない。
そもスピンクスの呪法は知り得ない情報を得るだけの呪法であり、戦闘向きではない。他の魔法生命のような殺傷力は無く、攻撃に転用できたのはスピンクスの使い方によるもの。
そんなアルムに通用した攻撃も、この世界に敷かれた理……"言語の統一"によって阻まれた。
そしてアルムが唱えた魔法によって、理とは関係無く通用しなくなる。
「ああ、消えた……。頭が痛くないってのは素晴らしいな」
天から降ってくる鏡の剣がアルムの前に突き刺さる。
【一振りの鏡】。
自分を魔法に変え、鏡の剣によって"現実への影響力"を増幅させる世界改変魔法。
本来なら敵の世界改変魔法に対して自分という世界を残し続けるカウンターだが、自身を魔法化する特性ゆえ精神干渉も"現実への影響力"によって弾くことができる。
鏡の剣を手に取ったその瞬間、アルムの脳内に流し込まれていたスピンクスの呪法は完全に阻まれた。
『え……?』
だが、スピンクスの本当に驚かせたのは呪法が阻まれたことではない。
降ってきた鏡の剣。
アルムが手に取るその武器の形状を見た瞬間、スピンクスに衝撃が走った。
現状の殆どを"答え"によって把握しているスピンクスが、自身が全く知らない現実を前に一瞬呆けてしまう。
『小通連!? 何故あなたが――』
アルムの持つ鏡の剣の形状は、スピンクスの知っている武器とあまりに酷似していた。
大嶽丸。アルムが倒した魔法生命の一体であり、最初の四柱の一角。
その大嶽丸の力の結晶にして彼の呪法。その一振りである真っ白な刀である小通連に。
その澄んだ刀身に映った動揺する自分自身の姿を見て、スピンクスは皮肉にも冷静さを取り戻す。
「悪いが俺にもわからないんでな……話をしている余裕もない」
『!!』
まずい、とスピンクスは口を開く。
冷静さを取り戻していなければそれすらもできなかっただろう。
『っ!?』
だが、アルムの速度はスピンクスが息を吸い込むその瞬間すら遅く見えさせる。
まだ唱えて間も無いにも関わらず、アルムの速力は先程の比ではない。
スピンクスの警戒など無かったかのよう、滑るように懐に潜り込む。
『"重き空間"!!』
鏡の剣を振ろうとする間際、スピンクスの声がアルムの動きを止める。
接近は許したが、決着までは許さない。
アルムの動きが止まる隙に獅子の脚に力を込め、アルムとの距離を引き離すべく後方へと跳んだ。
(まだ【権能代行・神代詠唱】は通用する……! 何とか――)
呪法は封じられたが、スピンクスの発する声は神から賜った権能。
この世界の理においても通用することにスピンクスは勝機を見出す。
だが、通じるだけで勝てるのならば……そもこの少年は今日まで生きていない。
「流石にこれで終わりとはいかないか」
『なっ――!』
事も無げに、スピンクスの中に芽生えた勝機をアルムは踏み潰す。
拘束していたその場だけ重くなる空間を、アルムは鏡の剣で切り裂くまでも無く無理矢理動いて振りほどく。
"現実への影響力"による力業にスピンクスが作り出した空間はひしゃげるように風景ごと歪み、元の空間の景色が返ってくる。
その無理矢理な突破方法に脅威こそ覚えたが、距離はとった。
先程とは違い隙を突かれる状況でもない。アルムが接近する前に勝負を決めるとスピンクスはその権能で言葉を紡ぐ。
『"敵を討つ者"!』
「……人造人形…………?」
スピンクスの声に反応し、渓谷の岩盤がカタチを変える。
まるで液体かのように岩肌から丸い塊が次々と現れ、人型となった。
まるでスピンクスが率いる軍隊。岩壁の兵は完成した者からアルムへと突っ込んでいく。
『"停滞"! "拘束"!』
「……!? 体が……!?」
『私の権能をあまく見ましたね……? ただ突っ込むだけの侵略者に……守護者たる私が敗北するなど……!』
次々と唱えられるスピンクスの詠唱。
それは焦りからではなく、こうでもしなければアルムを止められないという確信から。
一つ目でアルムの動きを緩慢にし、二つ目で周りの空気が手足のようにアルムの体中を締め付ける。
その隙に、岩肌から作られた十数の兵がアルムへと突っ込んだ。
静かだった渓谷に、岩壁の兵達の雄叫びがこだまする。
「――邪魔だ」
しかし、その一切が無駄だという事をスピンクスは次の瞬間知った。
その瞳はありありと自分の攻撃全てが無駄だったことを見てしまう。
まず最初に、拘束が引きちぎられた。空気の手足は霧散してただの大気に戻り、緩慢にしたはずの動きはアルムが力を入れたかと思うと元に戻り、突っ込んだ岩壁の兵隊は薙ぎ払われていく。
鏡の剣で切り裂かれ、その拳で頭を割られ、掴みかかった兵を逆に掴んで地面に叩きつけらて全ての兵がいなくなると作られた時のような状態になって……元の岩肌へと戻っていく。
全てが終わってようやく、鏡の剣を持つアルムの右腕から血が噴き出した。
濃すぎる魔力の流れる白い光の宿った血が。
スピンクスの攻撃によって出来た傷など一つも無い。あるのはアルム自身が自分の魔力で焼かれている傷だけだった。
「どうした。終わりか?」
『あ……そん、な……』
アルムが一歩歩み寄る。
スピンクスも一歩後ずさった。
「本当にそんな攻撃で俺をどうにかできると思ってたのか?」
『こんな……これほど差が……』
「"答え"を見てみろスピンクス。あんたが俺に勝てる未来は見えるのか?」
アルムは残酷なほどに厳しい言葉を突き付けながら鏡の剣を一振りする。
それが、最後の警告だというのは誰の目から見ても明らかだった。
「スピンクスやはりお前は……」
『私を……憐れむのですか……? サルガタナスの子……?』
「そういうわけじゃない。だが――」
『舐めないで頂きたいですね……アルム……』
アルムの言葉を遮り、スピンクスは息を大きく吸う。
自身の目的は■■■■■■事。
ああ、こんな時でさえ"答え"となって浮かばない。
けれど譲れない。魔法生命とはそういうもの。そういう生き物。己の欲望のために動く生命。
妖艶な肢体には似合わないほど、意思に満ちた双眸がアルムを睨む。
視線が交差する。輝きを増した魔力光を見てもアルムは泰然自若としたまま。
自身から一切の恐怖を感じていないその様子に、少し残念そうにスピンクスは俯いてから唱えた。
全身を走る鬼胎属性の魔力を込めて。
『守護者の大彫像』
スピンクスの背後に現れるは二十メートルほどの巨大な獣の彫像。
先程の岩壁の兵と同じように大地から生まれたが、その大きさは先程の比ではない。あまりの巨大さにアルムにまで影が落ちる。その体躯で渓谷から見える小さな空さえ遮っていた。
人の顔と獅子の体が象られたそれはスピンクスの写し身。
ここより遠い異界にて、今なおその威光を示す――かつての自身の彫像だった。
『私はスピンクス。ここより遠い故郷……古代王国にて冥府を守護する者として選ばれた神獣……。人間に憐れまれるなどという屈辱……どうして許せましょうか……』
「スピンクス……」
『私は音に聞こえし伝承の怪物……。何を勝ち誇っているのですか人間よ。この身を語れるのは故郷の神々と、私を超えた英傑のみ……。対峙しただけの人間が私を語るのは許しませんよ……?』
「そうか……悪かった」
スピンクスの本体を跨いで、巨大な獣の彫像がアルムに襲い掛かる。
単純な質量による圧力。渓谷の岩肌を削りながら向かうその様は逃げ出すべき脅威だった。
しかし、対峙する少年は背を向けることはない。
流れる魔力が白い軌跡を描きながら、アルムは巨大な彫像の顔目掛けて跳躍した。
『勝てる未来が見えるのか、でしたか……』
その姿を眺めながら、スピンクスは諦めたように微笑んだ。
『さっきまでは……少し、見えていたのですけどね……』
先程からわかっていた。自分の頭の中に勝利に繋がる"答え"が浮かばないことが。
望まずとも見えていたはずの"答え"が、未来が……自身の勝利が今は全く思い浮かばない。
見えるのはただの闇。敗北の答え。自身の意識が途絶える映像。
即ち、自身の敗北。
『ああ、やはり……私には無理なのですね……』
自分の伝承に現れる英傑の名を口にして、スピンクスは自分の写し身が破壊されるのを見届ける。
回復しきっていないはずなのに止まらない魔力。魔法化したアルムはすでに"現実への影響力"の塊。
自滅を待つくらいしか勝ち目はないが、そんな未来は訪れない。
スピンクスは見える敗北の瞬間をただ引き延ばすように抵抗を続けて……意識が途絶えるまで戦いをやめなかった。
全ては、自分の欲望の為に。




