584.流れ星のように
「【異界伝承】……」
王都セルダールから西に二十キロ程離れたゲルトラ渓谷。
見えるは岩肌、聞こえるは川のせせらぎ。自然に囲まれたこの地で対峙する二人――アルムとスピンクスの魔力に、木々に止まる小鳥達が逃げるように飛び立った。
先に唱えたのはスピンクス。
スピンクスの双眸に宿るは黒い光。文言は異界の伝承をここに降ろす。
白いヴェールの下に、恐怖を撫でる鬼胎属性が輝き始めた。
「【旅人よ永遠を往け】」
スピンクスの全身に迸る鬼胎属性の魔力。
白いヴェールは弾け飛び、その美しい顔が露わになる。その美しさを映えさせるかのように、目の周りには宝石のような輝きを見せた黒いアイシャドウのようなものが浮き出る。
風で流れる紺色の髪はより美しく艶を見せ、背中からは黒を映えさせる白い翼。金で作られたヴェールのような薄布が女性らしさを強調した豊満な上半身を覆い、下半身は大地を踏みしめる獅子に。
その姿は女性でありながら怪物。美と異形。異なる存在感を見事に両立させる。
見つめられれば魅了され、一挙一動に虜になる。そんな傾国の美が今、怪物としてアルムの前に立った。
「人型……」
アルムはその姿を見て、グリフォンとは違う変化に一瞬違和感を覚える。
(グリフォンとは違う……形態変化できるのか……?)
数多の魔法生命と戦ってきたからこその、微妙な違和感。
同郷の神獣と言っている割に、スピンクスの本体は獣というよりは人に近い。
その気になればグリフォンのようなサイズになれる可能性も踏まえて警戒する。
「『強化』『抵抗』」
アルムは補助魔法を施し、スピンクスと視線を交える。
スピンクスの所作の一つ一つがゆっくりとしていて、何らかの予備動作かどうかも判断つかない。
殺意を上書きするかのような艶めかしさが感覚を鈍らせる。
「『魔剣』」
先に仕掛けたのはアルムだった。
魔力で作られた剣は宙に現れ、投げるようにアルムが手を振るとスピンクスの首目掛けて放たれる。
『――"帰りなさい"』
アルムの放った魔力の剣はスピンクスの声が発せられると、スピンクスの目前で停止する。
そして小刻みに震えたかと思うと、ぐるんと反転して今度はアルム目掛けて向かってきた。
「……!」
アルムは向かってくる剣を横から殴って叩き落す。
元が自分の魔法であることに加えて、強化された身体能力ならば無属性の魔法を落とすことなど造作も無い。
しかし、問題はそこではない。
『ふふふ……。面白いでしょう……?』
(跳ね返した? それとも魔法のコントロールを奪われた……? それに言葉も理解できない……ガザスのラーニャ様が使っていた妖精の言葉のようなやつか)
信仰属性創始者であるマルタ・ハエルシスの遺した自立した魔法による"言語の統一"があっても理解できないスピンクスの声。本来なら混乱するだろうが、ラーニャという前例があったゆえにアルムは平静のままだった。
無論、元よりそんな事で動揺する少年ではないというのもあるが。
『それにしても……少し、勿体ないですね……』
「……? 勿体ない……?」
『ええ……』
妖しく輝くスピンクスの瞳。
黒い光は鬼胎属性の魔力光だが、吸い込まれそうな深みがある。
『分岐点に立つはずだったあなたを……こんな所で足止めしなければいけないなんて……』
「呪法まで結んどいてよく言う」
『あなたはもう"答え"を変える立場にいることができません……。残念ですか……?』
スピンクスは首を傾げて、アルムに問う。その仕草は一々目を引く。
問い掛けの意図はアルムにはわからない。煽りだったのか純粋な興味だったのか。
「……これは勝手な推測だが」
そんなスピンクスの意図など気にする事なく、アルムは短く語る。
「お前の目的は、最初から俺だろう?」
『どうして……そうお思いに……? 私がただアブデラ王を信奉し、時間稼ぎをしに来たとは思わないのですか……?』
「水属性創始者……ネレイアの事件を知らせに来た時、お前が情報の代わりにマナリルに出した条件は魔法生命の事件に関わっている俺達五人を見る事だった。
ミスティ達を眺めて……お前は最後に俺を見てからネレイアについての情報を喋り始めたな」
『はい……それが……?』
「理由はわからないが……俺を見に来たんだろう? 少なくとも、お前の目には俺しか映っていなかった」
アルムの声に、スピンクスはくすりと笑う。
『ずいぶんと、自惚れがお強いようですね……? 確かに、幾多の魔法生命を打倒したあなたに興味はありましたし、今こうしてその実力を確かめたく戦ってはいますが……』
「自惚れているわけじゃない。恐らく……それがお前の呪法の条件だろう」
言動の端々に常に余裕を持っていたスピンクスが初めて、ぴくっ、と反応を示す。
心なしか、谷底を流れる川の音が大きくなった気がした。
「魔法生命の呪法は理不尽ではあるが常に条件だけはある。名前を呼んだら、声を聞いたら、迷宮にいたら、見られたら、武器として出している間……条件とすらいえない緩さだが、それでも問答無用で起きるものじゃない。
お前の"答え"を見る力……呪法の条件がそうなんだろう? 見た相手、もしくは出会った相手の"答え"しか見れないって所か。見たことのない奴の"答え"を見れたとしても、恐らく他人の"答え"を通じて誰が関係してるのかが多少見えるって程度だろう。
"答え"なんて言っているがお前の力はほぼ未来予知に近い。無条件でこれから起こる事が何でもわかる、なんて馬鹿げた力があるはずないからな」
『……』
「お前の目的はアブデラ王とは違う。アブデラ王は自分の目的のために俺が邪魔なだけだが……お前の目的は俺個人に関係している。だから情報を渡すついでに、俺と直接対面しておこうと思った。こうして邪魔の無い状況を作れるようにする"答え"を見るのに都合がよかったから。違うか?」
スピンクスはアルムが喋り終わるまで静かに佇んでいる。
風で揺れる髪と翼を除けば、空想を具現化した美しい彫像のようだった。
「まぁ、そんな事わかったとはいえ、こうしてお前の思い通りになっているんだけどな」
最後にそう一言添えて、アルムは語り終える。
確かにアルムの推理通りなら、まんまとスピンクスに誘導されているという事だ。
しかしそれを恥じているわけではなく、どう転んでも最終的にこういう構図になっただろうという一種の諦めに見える。
なにより、アルムが魔法生命を一体止めるというのはマリツィア達にとっても願っても無い状況なので必然と言えよう。
『ああ……素晴らしい……。鈍そうに見えて……やはり賢しい方のようですね……?』
スピンクスの表情に影が落ちる。
平静を装っているが、アルムに自身の呪法を暴かれたからか表情が少し強張っている。
淡々としながらも艶のあったその声にも冷たさが垣間見える。
スピンクスの脳内に"答え"がいくつか浮かび始める。
改めてアルムという人間を警戒し魔力の温存を放棄した。
「そりゃどうも」
『ですが、女の秘密を暴くなどという野暮……女心のほうは勉強していないようですね……?』
「ああ、そういうのは正直わからん! だが女性が怒ると恐いことは知っている。なにせ……母親が二人いたもんでね」
いつもよんでくださってありがとうございます。
ここからは対スピンクス戦となります。久しぶりアルム!




