583.セルダールに落ちる5 -やれること-
『【平伏せよ、地獄に堕ちる者】!』
グリフォンの頭上に渦巻く黒雲がその声に呼応するようにうねり狂う。
その巨翼を広げた姿はまさに空を戴く王。猛き声はどこまでも届く。
王権の代行を許された神獣は、自らの敵を落とすべく詠唱をカタチにする。
「いくぜえええええ!!」
『【この身は王権を代行せし者。降り注ぐ威光の下、愚者への罰を今開帳する】!』
グリフォンにとっての敗者が白い巨鳥の上で覚悟を決める。
見下してはいるが、侮ってはいない。
詠唱の隙を狙ってか、白い巨鳥はこちらに突っ込んでくる。
到達まで五秒ほどか。やけくそ? 否。
あれには間違いなく策がある。
接近しなければ行えない何らかの一撃。後ろで力を温存しているルクスの手札を再び切る気だろう。
恐らくは先程唱えていた『鳴神ノ爪』。申し分ない一撃だ。常世ノ国に伝わる対神の魔法。神獣たる自身の核はその一撃には耐えられない。
だが、逆もしかり。
あの白い巨鳥はこの王権の代行たる一撃に耐えられまい。
その速度で突っ込み、その隙にルクスの魔法を当てたいのだろうが……その間合いは先程見切っている。
『遅い!』
間合いに入れさえしなければ、あの魔法はただの光る爪に過ぎない――!
「おらあ!」
『【権能代行――なに!?』
勝利を確信した束の間、グリフォンに届く前に白い巨鳥は勢いのまま更に上空へと飛びあがった。
一直線に向かえばグリフォンに直撃したであろう機会を犠牲に、ただ上に。
グリフォンにではなく、グリフォンが出した黒雲のさらに上へと向かう。
『!!』
そして視線で追ってようやく気付く。
いつの間にかいない。ヴァルフトの後ろにいたはずのルクス・オルリックが。
逃げ場のないはずの空で一体どこに!?
「【雷光の巨人】!!」
『!!』
ルクスがいたのは白い巨鳥の背中ではなく黒雲の上空だった。
白い巨鳥が勢いよく上昇したのに合わせて、ルクスはさらに上へと跳んでいたのだ。
飛行手段を持たないルクスにとっては自殺行為。自由に動けない空の上でルクスは歴史の声を響き渡らせる。
そしてルクスの手の平にある黄色の魔力の雫は、グリフォンの展開した黒雲の中目掛けて投げられた。
『なにを!?』
突如、黒雲の異変にグリフォンも気付く。
ゴロゴロゴロ、と黒雲の中で雷が発光しながら雷鳴をとどろかせた。
グリフォンの力は空の事象を再現すること。先程も雷鳴は鳴っていたし、なんらおかしなことではない。
だが、術者であるグリフォンには確かな異変だった。
代行したはずの権能が自分の手から零れ落ちるような、不確かな力が黒雲の中にある。
「君達は魔法そのもので、生前の自分が圧倒的だからこそ生前の自分をイメージするのが最強の一手になる。けど、だからこそこの世界の理から思考がどうしても離れてしまう。"現実への影響力"というこの世界における魔法の絶対の理に!」
『自殺でもしに来たかルクス・オルリック! そのまま雷で焼き殺してくれる!!』
「いいや逆だよ天空の魔法生命。勝負は決した」
『!?』
落下しながらルクスは宣言する。
グリフォンは黒雲を見上げた。
"オオオオオオオオオオオオオオオ!!"
黒雲から響き渡るのは雷鳴だけではなく巨人の声。
その瞬間、グリフォンはルクスが何をしたのか悟る。
グリフォンの持つ最強の力。その行使を誘導されたのだと。
ルクスの狙いは――!!
『まさか――!!』
「忘れたかい? 僕の属性は雷で……【雷光の巨人】は雷だ」
グリフォンは核のある首を翼で庇う。
だがもう遅い。
刹那――セルダールの空に閃光が迸った。
『あが――! ぐぎゃああああああああああああ!』
黒雲からグリフォン目掛けて落ちる雷――その正体はルクスの血統魔法【雷光の巨人】そのもの。
巨翼に走る意思を持つ雷。主の敵を打倒する雷光がグリフォンの体を駆け巡り、鬼胎属性の魔力を隅々まで破壊していく。
"現実への影響力"は魔法が現実の事象たり得るほど高まる。
グリフォンがその力によって出現させたのは雷雲。であれば、雷雲から雷が落ちるのは必然。
ただその雷が、【雷光の巨人】という雷そのものを形作る血統魔法にされただけのこと。
ルクスの狙いはこの瞬間だった。
一度目の戦いで自分達を倒しかけたこの術を必ず使ってくる。その瞬間こそが自分の血統魔法を直撃させるチャンスなのだと。
(二度目は通じない! 核まで届かせろ【雷光の巨人】!)
魔力を総動員し、全霊をかけた血統魔法。
血統魔法だからこそ可能な膨大な"充填"と雷そのものをイメージした"変換"による【雷光の巨人】の攻撃力。
いつの間にか黒雲は霧散していた。
グリフォンの体中を駆け巡る【雷光の巨人】の雷撃は稲妻を散らしながら容赦なくその体を破壊し続ける。
グリフォンの体は肉体にひびが入ったかのような傷を帯び、黒い血を撒き知らす。
ミノタウロスの外皮すら焼き切る一撃を全身に受けたとあらばいかにグリフォンといえども――。
『な……めるなあああああああああ!!』
「ぐっ……!」
虚ろになりかけたグリフォンの瞳に光が戻る。
血反吐を吐きながらその叫びは空に轟き、憎悪の嘶きは獅子の咆哮の如く空気を震わせた。
その体はどう見ても戦える体ではない。
かろうじて原型を保ってはいるものの、繕うことすらできないほどに致命的。
ひびが入ったような全身の傷からは魔力と血が絶えず噴き出し、空の王を謳う巨翼は麻痺して片方が動いていない。
しかし、その状態でもなお【雷光の巨人】に耐え切り、そして振り払った。
生前に誇っていた空を支配する者としての矜持が、"現実への影響力"を補いグリフォンをこの世界に踏みとどまらせる。
まだだ。
まだ終わっていない。
グリフォンはギロッ、と血に染まった瞳をルクスに向ける。
この傷は確かに致命的だろう。空にいることがこんなに不自由になった記憶は生前を遡っても思い当たらない。雷を自身で受けるのは初めての経験だ。
だが、かの敵もまたこの空において不自由。
ルクスにとって最大の機会は終わり、ルクスにとって最大の危機が訪れる。
『ぢょうど……いい……! ルグス・オルリッグ……! その魂をこの身の血肉にしてやろう!!』
「くそっ……! やるしかない!!」
『無駄な足掻きだ! 貴様とてその状態では為す術が無かろうよ!!』
空に放り投げられた人間など、たとえ死にかけであっても容易いとグリフォンは吠えた。
対して、ルクスも相討ち覚悟でグリフォンが向かってくる瞬間を待つ。
その時だった。
「――――だ――!」
どこからか声がした。
人間の聴力には聞こえない。
グリフォンだけがその声に気付き、空を仰ぐ。
声の主はあろうことか何よりも眩い太陽を背に。
そうだ。忘れたか伝承の勝利者。
この空にはもう一人、貴様の敵がいたことを――!
「まだ俺様が残ってんぜえええええええええ!!」
『ぁ!? ぐ……なにいいいい!?』
「ヴァルフト!!」
太陽を背に、ヴァルフトの駆る白い巨鳥がグリフォンを捉える。
グリフォンの身を貫かんとするのは白い巨鳥の最大速度での急降下。
巨大な槍と化した白い巨鳥がグリフォンの首目掛けて突き刺さる。
そう……ヴァルフトはルクスを所定の位置まで連れて行った後、勢いをそのままにさらに上空へと飛び上がっていた。全てはこの一撃をぶつけるために。
「信じてたぜ! 俺様みたいなのとは違ってお前らみたいな本物はここぞって所を耐えてくるってなあ!」
『ご、の……! こんな、幻獣にも劣る……!!』
「見てたぜてめえ! 首を庇ってたよなあああ! そこが核だろ!? おい!!」
安全を捨てた最大速度に白い巨鳥は"現実への影響力"に耐え切れず崩れ始める。
それでもなおヴァルフトはその速度を緩めない。
いかにグリフォンといえど、【雷光の巨人】によってダメージを負った今の状態ではこの速度から脱出できない。
グリフォンは抵抗とばかりに傷だらけの前足を動かし、右の鉤爪を白い巨鳥の体を容赦なく突き立てた。
『貴様だけで死ぬがいい……! この敗北者がああ!!』
「確かに俺はてめえの言う通り負けっぱなしの情けねえ人間だ……だがよ!! 情けねえ人間が……なにもできねえと思うなよごらあああああ!!」
恐怖を押し殺して立ち向かう主の声に血統魔法が呼応する。
歌のような嘶きを空に響かせ、さらに速度を上げた。
突き立てられた鉤爪など知った事か。
向かうは地上。天空の支配者を叩き落とすその瞬間まで――!
「負けっぱなしの敗者だってなあ! 立ち上がる事くらいはできんだぜええ!!」
自分は本物になれない情けない人間かもしれない。
だがそれでも。
負ける事よりも、立ち上がらないほうがださいとヴァルフトは空に吠えた。
『ごの……! にん、げん……ごときがああああああああああああ!!』
「落ぢろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
直後、セルダールの城壁に空から落ちてきた二つの翼が直撃した。
地鳴りのような轟音とともに城壁は崩れ落ち、凄まじい衝撃波が風となって砂塵を巻き上げ、そして吹き飛ばす。
白い巨鳥の背にいたヴァルフトの体はその衝撃で投げ出され、放棄されている町の屋台を壊しながら気絶した。
『う……ぐ……』
パキン。
『あ……か……』
グリフォンは自身の落下で崩れ落ちる城壁の中で、自身にとっての致命的な音を聞く。
あらぬ速度で城壁に直撃した瞬間、白い巨鳥の嘴がグリフォンの首を貫いたようで、グリフォンの首からは血が流れ出ていた。
城壁で動けないのはグリフォンだけであり、グリフォンをこの城壁に叩き落した白い巨鳥は衝撃に耐えきれず、すでに消滅したらしい。
あの速度なら当然か、とグリフォンは何故か冷静に納得していた。
『……ここまで、か』
その冷静さは完膚なきまでに打ち砕かれたこの結末を受け入れてか。
敗北者と蔑んだはずの男と共に空から落ちる。なんという結末だと嘆きたくなる。
肉体は勿論、空の王としての誇りまで粉々に破壊され……まさに完敗という他無い。
空を舞う巨翼が、空を蹴る獅子の足が、核を失ったことでただの魔力となって霧散していく。
体ももうどこも動かせない。崩れ落ちる城壁にただ身を任せてグリフォンは時を待った。
『地に落ちてこの身もまた敗北者となったか。細やかな願いのつもりだったが……故郷の名を新たに刻むというのが、そも無茶な話だったということか』
帰りたかった。
故郷に。古代王国に。信仰の途絶えた神話に再び。
帰れないのならせめて、故郷の名をこの場所に刻みたかった。ただそれだけが何と遠い。
当然か、とグリフォンは自嘲する。
そもそもこの世界は、この世界に住む生命にとって……明日を待つ故郷なのだから。
二度目の生の終着がすぐそこに待っている。
恐怖は無いが、心残りは一つあった。
『さらばだスピンクス……せめて、貴様の願いが叶う事くらいは祈ってやる……』
天空の支配者は地に落ちた。最後に同郷の者に向けて祈りを声に乗せる。
そして心の中で自分を打ち負かした二人に賞賛を送りながら……グリフォンは消えていった。
アポピスの瞳が開くまで後一時間半。
セルダール上空の戦い。勝者――ルクス・オルリック。ヴァルフト・ランドレイト。
いつも読んでくださってありがとうございます。
グリフォン戦決着となります。普段なら一区切りの閑話になりますが、今回は閑話無しでスピンクス戦に移ります。
皆様どうかお付き合いください。




