573.ダルドア領の戦い4 -天罰-
「ギニュアアアアアアア!!」
「お……おおおおおおおお!?」
獣化によって大幅に身体能力が上がったエルミラがジュヌーンを民家の壁に叩きつける。
『不可侵無き炎猫』によって逆立つ赤い魔力を纏い、鉄を引き裂く炎爪が着地した家の壁や大広場の床を砕きながら翻弄する。
エルミラの唱えた上位の獣化魔法にジュヌーンもまた対抗するように強化を二つ重ねた。
あらかじめ唱えていた強化を含めて、ジュヌーンは三つの強化を自分に施している。強化を三つ重ね掛けして反動がこない魔法のコントールとエルミラの猛攻をしのぎ切っている腕は流石といえよう。
だが、逆を言えば――強化三つを重ねてもエルミラが止まらない。
今の二人は共に人間の形をした鉄の塊。体の強度も振るう破壊力も人間を逸脱している。
その上で、エルミラは今ジュヌーンの身体能力を上回っていた。
「ジャアアアアアアアア!!」
「こ、の――! どちらが獣かわかったものではないのう……!」
ジュヌーンに向かっていくのは町という巨大な檻でも閉じ込めることはできない炎の猫。
細く変質した瞳は目の前の命を容赦なく刈り取る野性を有し、威嚇を思わせる鳴き声はもはや人間のものではない。
手足にそれぞれある爪はそのどれもが壁も床もバターのように引き裂く武器。
獣化の"現実への影響力"よって精神が侵され、すでにエルミラは言語を放棄している状態だが……それでいて魔法のコントロールを失っておらず、理性を放棄していない。
獣化のパフォーマンスを損なわない獣の本能と魔法の理性のバランスが均衡した、獣化においてもっとも強力な状態をエルミラは維持していた。
「その歳でどれほどの血を見てきた!? ええ!? 小娘!」
「グルルウアア!!」
「ガキの遊びでここまでに至ることはなかろうよ!!」
長年、第二位の座についているその目は決して節穴ではない。
若さにそぐわない実力。それを支えるのは才能だけではない、これまでの人生の中で積み上げた基礎と本来遭遇し得ない修羅場での経験値。
目の前の少女は戦争は知らないが、戦闘を知っている。
自身に刻まれた傷痕、守れなかった悲痛、生き残っても敗北の事実が消えない挫折、成し遂げられなかった悔恨――そして勝利によってもたらされる存在証明。
目の前にいるのは、敗北と幾多の死線を潜り、そして立ち上がった者。
ジュヌーンはエルミラから歴戦の魔法使いの気配を感じ取る。
(獣化によるなりふり構わない接近戦……やはり狙いは私の魔力と体力を削ることか――!)
ゆえに、女相手の欲望はあっても油断は無い。
遭遇から三十分……距離を取り、決定打にかける魔法戦から突如の接近戦。
ジュヌーンは先程の自分の推測がエルミラの狙いそのものであることを確信する。
「だが体力はともかく……魔力の負担はそちらのほうが上じゃろうて! このペースでもたせられるか!?」
跳躍を繰り返すエルミラを揺るがすべくジュヌーン。
それがどうしたといわんばかりにエルミラは赤い軌跡を作りながら突っ込んでくる。
衝撃に備えてジュヌーンは杖を構えて体勢を低くする。
獣化によって攻撃力と速度はエルミラが上。強化によって頑強さはジュヌーンが上。
ならば、エルミラの魔力を削るためにも耐えるのが最善と判断した。
「ジャア!」
「むう!?」
その判断を正しい。だが獣化状態で人語を発せなくなってもエルミラは冷静なまま。
衝撃に備えるジュヌーンに突っ込むかと思えたその直前、しなやかに体を捻って小さく跳び、ジュヌーンの頭上を飛び越える。
「甘い!」
ジュヌーンはエルミラを追いかけるように、頭上を守りながら体を反転させる。
老人であっても反応速度は健在。背後に回るのを阻止したかと思えたが……エルミラは頭上を飛び越えながら、小指から伸びた炎爪をジュヌーンの貴族然とした服の端に引っ掛けた。
服に引っかけた爪を伝い、獣化の力によって強引にジュヌーンの体が浮かせられる。
当然、衝撃に備えた体勢は崩れてほぼ無防備に。
入れ替わるようにジュヌーンは宙に一瞬浮き、エルミラは一足先に着地する。
ジュヌーンは空中で無理矢理体勢を立て直すも、地面が無い今強化の"現実への影響力"に耐えるしかない。
「『爆炎の炎虎』!」
ジュヌーンは宙で急速に攻撃魔法を唱える。
宙に浮かされたその一瞬で魔法を唱えられるその精神はやはり魔法使い。
エルミラより遥かに大きい炎の虎がエルミラに襲い掛かるが――。
「ギニャアアアア!!」
「ぬ……ぐぁおあああ……!」
今のエルミラがそんなもので止まるはずもない。
迷わず爆風の中を一直前に突っ切り、炎を裂いてエルミラの右腕はジュヌーン本体へと届く。
獣化によって増幅された身体能力と炎の爪の一撃がジュヌーンの右肩をえぐった。
苦悶の声が唾液とともに虚空に吐かれ、肩から鮮血が噴き出す。
(通ッダ――!)
戦闘が始まってから初めての、まともなジュヌーンへのダメージ。
すなわちこの一撃は、エルミラの力がトップクラスの魔法使いにも届くという証明だった。
獣化による浸食をある程度受け入れ、かつ絶妙なバランスで理性を保っている思考の中、エルミラはついに手応えを感じる。
届く。
自分の力は何にだって届く。
もう時間稼ぎしかできない自分はどこにもいない。
自信は今この手の中に。
魔法生命だけにでも、魔法使いだけにでもない。そして無論、血統魔法頼りでもない。
走り続けた道は確実に"魔法使い"への道を拓いている――!
「あ、ああ……! まだ私は……甘く見ていたようだ――!」
その姿が、怪物の火を付ける。
余力を残したままの勝利など、この少女には不可能だと悟らせる。
「女だと、油断したのじゃろう……。私が第二位だというプライドが、貴様を侮らせたのじゃろうよ。でなければこのような醜態を晒すわけがない」
吹っ飛ばされた先でジュヌーンが立ち上がる。右腕はうまく動かないのか、杖を左手で拾っていた。
「いや……貴様の力が本物だからこそ、私は今この様じゃ……。よくも私に、この私に……!!」
歯を噛む音がエルミラのいる所まで聞こえる。
もう片腕も奪わんとエルミラが地を蹴ったその瞬間――!
「その身で味うとよいわ……! この私の高貴な血を、女如きが流させるとはなあああああああああ!!」
支離滅裂な叫びが大広場に響き渡る。
ジュヌーンの感情の爆発と共に――その体から魔力が噴き出した。
「【冥黎より至れり、天燎の裁き】」
時間が一瞬止まったかのように、響き渡る歴史の声。
熱せられた空気全てが吹き飛ばされたかのように、変わっていく。
乾いたまま、それでいて濃密に。
「……?」
そんな異常を唱えただけで引き起こしているというのに――変化が起きない。
巨大な魔法の顕現も、世界の改変も起きない。
……ただ、少し、明るくなったような――?
「……!?」
エルミラの疑問は危機を察知する悪寒へ変わった。
その悪寒が空を見上げさせる。そこには――!
「知っておるかマナリルの小娘……? ダブラマの砂漠には時折、天罰が落ちるということを」
青空と白い雲、そして世界を日の光で照らす天体……それだけしかないはずの大空に現れた無数の異物。
エルミラの瞳は炎を纏いながら降り注ぐ大小無数の飛来物――"隕石"がこの場に落ちる寸前の空を見た。
大広場を焼き払うには十分すぎる数。ジュヌーンによる裁きが、頭上に落ちてくる。
「い、【暴走舞踏灰姫】!!」
エルミラは即座に獣化を解除し、唯一の防御手段であろう自身の血統魔法を唱えた。
降り注ぐは人智で止めることの敵わぬ災害。
大広場に立つはその災害を魔法に昇華した者。
第二位ジュヌーン・ダルドア。その二つ名は『天罰』。
ダブラマの砂漠に時折降る"隕石"――天災の名を冠する魔法使い。
空より降り注ぐその天災によって、大広場は無数の爆発に包まれる。
大広場だけではなく周囲の家屋もただの瓦礫へ。保っていた町の形は瞬く間に戦禍の跡へと変わっていく。
その気になれば百人以上を同時に屠ることができるであろう"現実への影響力"が……エルミラ一人に向けられた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
『ちょっとした小ネタ』
予定通りルトゥーラがジュヌーンの相手をしていればこの血統魔法は問題無かったりします。
ですが、魔法生命の力があるのでルトゥーラだと負けます。相性って大事ですね。




