572.ダルドア領の戦い3 -怒り-
「『昨日の幻闇烏』」
驚愕で反応が遅れたサンベリーナとイクラムとは違い、感知魔法で魔力の動きを察知できていたフラフィネだけは魔法を唱える。
翼を羽ばたかせる音とともに黒い烏の大群がフラフィネの背後から現れ、襲い掛かってくる住民達に立ち塞がって勢いを落とした。
「ふ、フラフィネさん……申し訳――」
「……!? どうなってるし!?」
「え?」
フラフィネが放ったのは中位の防御魔法。
闇属性は魔法同士の"現実への影響力"という点では他の属性に劣るが、それでも中位の防御魔法であり生身の人間相手が突破するのは難しい。
だが、魔法から伝わってくる手応えが明らかに平民のそれではない。
襲い掛かってくる住民達を止めている烏の大軍が一匹、また一匹と破壊されていく。
「操られてるにしても変だし! こいつら『強化』を使ったのと同じくらいの状態になってるし!」
「まさか……! 支配下に置いた方々全てに……!?」
「……っ! ガザスにいた魔法生命みたいな力があるって思ったほうがよさそうだし!」
思い出すはガザスの味方をしていた酒呑童子。
二人が直接見たわけではないが、後の話から酒呑童子は配下とみなした者全てを強化する力を持っていたと言う。その力は人間は勿論、無生物の人造人形までに及んでいたと。
今襲い掛かってくる住民達も同じような状態だとすれば、その身体能力は自分達に迫る可能性が高い。
平民だからとあしらえていた今までとは違う。
互いに強化状態の身体能力ならば当然……ただ殴るだけでもダメージになりうるということ――!
「イクラムさん! 離れないでください!!」
「俺だって自衛くらいできる!」
「サンベリっち!」
「わかっています! 全員は相手できません! 迂回しながら妨害用魔石を目指しますわ!!」
サンベリーナは扇をばっと開く。
それを合図に、三人は強化を唱えた。
「『雷閃の跳躍』!」
「『見えぬ踊り手』!」
「『大地の走駆』!」
住民達が烏の大軍を突破すると同時に三人は屋根の上に跳躍し、妨害用魔石を目指して走る。
流石に屋根の上にまで住民は配置されていない。兵士に見つかるというリスクはあるが、正直なところ強化を受けていない兵士よりも強化によって身体能力が上がっている住民達のほうが脅威に見えた。
なにより、兵士とは違って自分の意思で戦っていないのがあまりに戦いにくい。
「俺の時と同じだ……! 体の自由が効かなくなって……でも、俺は動けなかっただけなのに……」
「恐らくは、動かす必要が無かったのでしょう! やろうと思えばあなたもこの人達のように……!」
出会ったことはなくとも尊敬し、憧れていた父ジュヌーンの所業にイクラムは顔を青ざめながらも走る。
何を尊敬していたのか。
何に憧れていたのか。
それすらもうわからない。
処刑されかけた日から今日まで、まるで別の世界の出来事のよう。
イクラムはアブデラ王がやろうとしている平民全てを生贄にするという話には半信半疑だったのだが……自由を奪われ、自分達を襲わされている住人達を見て本当だと信じざるを得なかった。
「これが……! これが……!」
――これが、ダブラマの貴族なのか。
失望を通り越して悲しみに変わり、涙腺が緩む。
自分達が守るべき民は、こんな奴等に好き勝手にされているのか。
目の前を走る二人を見て、ジュヌーンを足止めしているエルミラを思って恥ずかしくなる。
道案内をすることしかできない無力な自分に代わって、他国の人間がこの国を救おうとしていくれていることが情けなくて。
余計な考えを振り切るように、髪をがしがしと掻いた。
「住民達はエルミラさんが勝てば解放されるはずです! 信じるしかありません! 私達は私達の役目を果たしましょう!」
「泣くなイクラっち!!」
「ないでねえ!!」
イクラムは二人に慰められて袖で目を拭う。
そして前を向いたその瞬間――
「お……い――!!」
大通りから人間の跳躍の仕方とは外れた態勢でこちらに向かってくる住民達の姿を見た。
「いぎっ……! いだい!」
「止めて……とめでぐれえ!!」
勝手に体が動く恐怖と人間の動きからかけ離れた体の使われ方に、住民達の表情が更に歪む。
止まることの無い涙と、恐怖でひきつる表情。
そんな感情と意思を嘲笑うように、体が三人を殺そうと動く。
老人も女性も、男性も子供も関係なく……ただの駒のように。
「『雷鳴の――」
「たずげて! だれかぁ!!」
「っ……!」
迎撃の魔法を唱えるその瞬間、悲痛な声にサンベリーナが躊躇う。
"充填"した魔力は消え、"変換"で思い描いたイメージは目の前に迫る泣き顔にかき消された。
「ごめ……! いやああ!」
「う……ぐっ!!」
防御のために咄嗟に差し出した左腕に刺さるフォーク。
本来なら強化した状態のサンベリーナにそんなものが刺さるはずもないが……住民達の力もまた強化によって上がっている。
動揺からか、サンベリーナの動きもどこか鈍くなっていたのが決定打となった。
「ごめんなざい! ごめんなざい!!」
「あなたのせいでは……ありませんわ……!」
刺した側は罪悪感で顔から血色が消え、刺された側もまた痛みで顔を歪ませる。
せめて、操られている住民達から意識が無くなればよかったのに。
自身の痛みよりも、自分を刺したこの住民にこの記憶が残ってしまうことを案じて、サンベリーナは無理に笑って見せた。
「サンベリっち!!」
「おいやべえ!」
サンベリーナの動きが鈍いと見たか住民達はフラフィネとイクラムよりも優先的に襲い掛かる。
フラフィネとイクラムが自分達に襲い掛かってきた住民達の相手をしている内に……大通りから跳んできた三人の住人がサンベリーナに襲い掛かっていた。
「ぐっ……! あ、つ……が………!」
肩を包丁で斬りつけられ、白を基調とした制服に血が滲む。
次に木材と椅子で頭を殴られて、サンベリーナの視界が揺れた。
金色の髪の下から、どろっとした赤い液体はサンベリーナの顔を濡らす。
「――――」
その光景を見たフラフィネの額にピキッ、と音が聞こえるかのように青筋が立つ。
普段、気怠さとやる気の無さが混じったようなフラフィネの表情が、燃えるような怒りに染まった。
「『悪狼の咆哮』!!」
「きゃああああ!」
「ああああああああ!」
怒りのまま魔法を唱え、フラフィネは屋根に拳を叩きつける。
けたたましい音とともに黒い魔力が屋根を走り、サンベリーナの周りの屋根を砕くと……足場を失った操られている住民達は家の中へと落ちていった。
「ふ、フラフィネさん何を……! 彼等は……!」
「うっさいし! うちに守られてるくらい弱くなってる癖に文句言うなし!!」
フラフィネが怒っている所を初めて見たのか、サンベリーナは驚きのあまり頭を押さえながら口をぱくぱくとさせている。
「イクラっち! うちが殿を務める! サンベリっち連れて早く行くし!」
「お、お前は……」
「殿っつってるんだから後ろにいるし! 早くする! 早く!!」
「お、おう!!」
フラフィネの剣幕に逆らえず、イクラムはサンベリーナに肩を貸す。
サンベリーナはそこまでされてようやく頭の中で整理がついたのか、フラフィネの行動を咎めるように声を荒げた。
「ふ、フラフィネさん彼等は罪の無い人々ですよ!? こんな風に傷つけるなど正気ですか!!」
「こっちの台詞だしこの馬鹿!! いつもより馬鹿さ加減が増してるし!!」
「こ、この私をば、ばかと……?」
フラフィネに言われたのがショックだったのかサンベリーナはわなわなと震える。
しかし、フラフィネは言葉を緩めない。
「今のサンベリっちなんて馬鹿で十分だし! さっき自分達の役目を果たしましょうって言った癖にそんな情けない姿しやがって! うちらがやる事思い出すし! エルミラっちが今何のためにあの化け物と戦ってるかも!」
「……!」
「操られてる人達のためにも自分のことは自分で守るし! サンベリっちが倒れたら魔石の破壊は難しくなる! そんな事もわかんない馬鹿は馬鹿で十分だし!! 自分の役目を間違えるな!!」
フラフィネに言われて、サンベリーナはぎゅっと唇を噛む。
そして大きな息を一つ吐いたと思うと、
「仰る通りですわ。申し訳ありません」
「うん。うちが蹴散らすし。サンベリっちは最低限の自衛だけするし」
謝罪の言葉を伝えて、フラフィネもそれを短く受け止める。
「イクラムさん、先導お願いします」
「ま、任せろ!」
態勢を整えて、再び妨害用魔石の破壊を目指す。先にイクラムとサンベリーナを行かせて、フラフィネは後方で食い止めながら援護する形。
屋根の上に跳んできた住人達は相変わらず、恐怖に怯えて涙を流しているが……フラフィネは無表情のまま口を開く。
「先に言っておくけど……うちはあんたらよりもサンベリっちのほうが大事だしサンベリっちみたいに優しくもないし。手加減を期待してるなら、早めに諦めることをオススメするし」
不本意に武器を向けてしまう住民達にフラフィネは忠告する。
静かな怒りを言葉に込めながら。目の前の人々が悪くないとわかっていても、湧き上がった怒りを抑えることはできなかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
この子はなんだかんだサンベリーナの事好きです。




