570.ダルドア領の戦い -私の前で-
「ほっほっほ! この世からとは……物騒な言い回しをするお嬢さんだ。この歳になると死ぬのが怖くて仕方なくての……。そんな言い方をされてしまうと、一層命と人肌が恋しくなる」
「へぇ……そんな真っ当な人格してるとは思わなかったわ」
エルミラはジュヌーンの一挙一動を見逃さないようにしながら身構える。
会話をしながらも警戒は怠らない。
魔力を巡らせて"充填"を終え、"変換"に備える。
「いやいや、本当じゃよ。だがそれにしても……」
「……?」
「舐められたもんだと思っての」
ジュヌーンはちらりと、屋根の上で兵士と交戦するサンベリーナとフラフィネに視線を向ける。
「まさかこの私を無視して……おめおめと逃げおおせると思っているとはなあ」
「!!」
そして――対峙しているエルミラの前から姿を消した。
「サンベリっち! 来てる!!」
「っ……!」
ジュヌーンはすでに唱えていた強化の身体能力で屋根の上へ。
八十九の老人とは思えないその速度で兵士と交戦しているサンベリーナとフラフィネの不意を突く。
向けられた手の平を見て、交戦している兵士ごと自分達を焼き尽くす気だと悟り、二人は兵士を避難させるべく蹴飛ばす。
「ちっ――!」
「はは……優しい女子達じゃなあ」
その一瞬がサンベリーナとフラフィネに"充填"すら間に合わせない。
強化だけの体でどこまで耐えられるか。
互いにかばい合う余裕すら無い二人が覚悟を決めたその瞬間――。
「『炎奏華』」
広場に残されたエルミラもまた、その場から姿を消した。
「舐められたものね?」
「ぬう!?」
炎が如き赤い魔力を纏ったエルミラは二人を襲おうとしたジュヌーンに追い付き、背後からその脇腹目掛けて渾身の力で蹴り抜く。
ジュヌーンはすんでのところで腕を入れて防御するが、みしみし、と骨が軋む鈍い音が鳴った。
「この私を無視して……他の奴を殺す暇があると思ってるなんて」
「おやおや、老体になんたる仕打ちだ」
エルミラの蹴りの威力を殺すためかジュヌーンは勢いのまま横に飛んでいく。
しかし、肩越しに見たにやけた笑みが見た目通りの老人の体ではないことをエルミラに思い知らせる。
その証拠と言わんばかりに、ジュヌーンは横に飛ばされながらも手の平をこちらに向ける執着を見せた。
(自分の部下ごと――!)
自分の身体能力なら避けられる。サンベリーナとフラフィネ、そしてイクラムも大丈夫だろう。
だが、強化が使えない敵の兵士達は恐らくかわせない。
ジュヌーンの性格上、自分の兵士がいるからと"変換"の精度は緩めないだろうとエルミラは舌打ちする。
「『炎境界』!」
「『灼熱の波濤』」
屋根の上で起こる炎の津波とそれを受け止める炎の壁。
ぶつかり合う攻撃魔法と防御魔法が共に熱風を呼び、辺りが冬とは思えない熱気に包まれる。
焦げ始めた屋根を見て、長くはもたないことをエルミラは悟る。
「三人共早く行って兵士達を引き離して!!」
「わかりましたわ!」
「ほらイクラっち! 行くし!!」
「い、イクラっちって俺のことかよぉ!?」
エルミラの出した炎の壁に隠れ、サンベリーナを先頭にして続くフラフィネとイクラムも屋根の上から町に紛れ込まれるように離脱する。
兵士ごとこの場から引き離すために逃げる三人だが……魔法がぶつかり合う衝撃と熱気の規模に取り囲んでいたはずの兵士達は唖然としてしまう。
「あんたらもこっちに武器向けてないで早く追っかけなさい! いつまでも庇えないわよ!!」
「は、はいい!」
「りょ、了解です!!」
何故か兵士達の敵であるはずのエルミラから指示が飛ばされ、その剣幕に押されて兵士達は少し遅れてサンベリーナ達を追いかけだす。
残ったのは二件隣の屋根の上からこちらを見るジュヌーンの側近、数字名の魔法使いイクのみだった。
(あいつは追っかけないのね……)
この場にはエルミラとジュヌーン、そして離れた場所にいるイクの三人のみ。
幸か不幸か町の住人達もいない。
他を気にすることなく、後は目の前の脅威を退けるだけとなった。
「つっても、それが一番ハードル高いわけだけど!」
衝突によって相殺される二つの魔法。
炎の波と壁は互いの"現実への影響力"を食らい合って消滅する。
焦げた匂いと白煙がたちこめ、その中に二人の魔法使いが立っていた。
「『火蜥蜴の剣』!」
「『爆閃』」
互いに攻撃魔法を唱えながら肉弾戦のように肉薄する。
ジュヌーンの拳から放たれる爆破による閃光をエルミラは屈んでかわし、そのまま右手に握る炎の剣を肩に振り下ろす。
炎の剣はジュヌーンの肩を切り裂く……かと思ったが、ジュヌーンは杖をエルミラの右手に叩きつけて軌道をずらした。
エルミラの握る炎の剣はジュヌーンの高価な服を切り裂くものの、ジュヌーンには傷一ついていない。
「『防護』」
「『抵抗』」
互いに短期での決着は不可能と判断したのか無属性の補助魔法を唱えてそのまま肉弾戦に。
エルミラは今向けられた魔法による光への対策として目を守る『防護』、ジュヌーンはエルミラの魔法の攻撃力を見るや否や体のダメージを最低限にするべく『抵抗』を自身にかける。
「あらなに!? 随分慎重じゃない!?」
「ほほほ、お嬢さんこそ」
共に歳など関係ないかのように、強化によって底上げされた身体能力で互いに一撃を狙う。
エルミラは目潰しを狙うもかわされてジュヌーンの顔の皮膚を爪で切る程度に収まり、ジュヌーンが首を手刀で突こうとするがエルミラは頭突きで手刀を返り討つ。
少女と老人とは思えない……一撃一撃が急所、又は急所を狙う隙を作るための動き。
足さばきを緩めれば足を狙われ、瞬き一つでもしようものなら次の瞬間には目の前に攻撃が迫っていそうな。
今戦っているのは少女と老人ではあるが、魔法使い。歳相応の動きなど互いにするはずもない。
「『火の矢』」
拳を振るいながら、ジュヌーンは下位の攻撃魔法を放つ。
下位とはいえこの近距離。当たれば無事ですむはずもないが……エルミラは冷ややかな目でその真意を見切った。
「そんな見せかけに引っかかると思ってんの?」
「!!」
エルミラは飛来する五本の火の矢を、防御する様子も無くその体で受け止める。
だがエルミラの体はその火の矢を全て受けても傷一つつくことはなく……ジュヌーンが足の甲目掛けて振り下ろす杖の一撃も悠々と足を引いてかわした。
「"充填"も"変換"もてきとうな相手の動きを誘導するためだけの魔法……そういう手も使うのね」
(見抜いたじゃと……!? こやつ……!)
魔力を最小限にし、"現実への影響力"もほぼ皆無の釣りの魔法を見抜かれ、ジュヌーンはようやくエルミラの認識を改める。
自分が普段食い物にしている少女達とエルミラが、別の生き物ほどに違う存在であることを。
「『火鳥の飛翔』!」
「む……?」
エルミラの魔法にジュヌーンは警戒して後ろに跳ぶ。
しかし、警戒とは裏腹に辺りに灰が舞うだけだった。
距離をとったジュヌーンを見下すように、エルミラは大きく胸を張って、
「さあ、おじいちゃん? あんたの前からでもあいつら普通に逃げたわけだけど……さっき何か言ったかしら?」
「ほっほっほ……。本当に、口が減らないガキじゃなあ……!」
二人の魔力量からすれば準備運動。
数手で互いの実力の一端を知り……油断も余裕も次の瞬間には小さく消えていく。
いつも読んでくださってありがとうございます。
今回の更新からダルドア領の戦い編となります。彼女達の活躍をどうぞ応援してあげてください。




