569.砂塵解放戦線ダブラマ8
「何かおかしくありませんこと……?」
「なにがだし?」
ダルドア領の町パヌーン。
王都セルダールでの侵攻作戦が進んでいる頃、妨害用魔石の破壊工作を任されているエルミラ達はイクラムに道案内をされならが、パヌーンの町を進んでいた。
こちらにはセルダール侵攻組と違って兵士がいない。町の侵入時に兵士を蹴散らした後は隠れて町を進んでいた。
時にフラフィネの闇属性魔法で一般兵から身を隠し、時に建物の影に隠れて探しに来た兵士を昏倒させて町の半分くらいまでは来ている。
しかし、ここまで来てサンベリーナは違和感を感じたと言う。
「この町の住民をほとんど見かけません……通るのはこの町を守る衛兵くらいなもの……。無人の家屋もございました。おかしくありませんか?」
「うちらが正門であれだけ暴れたし……避難してる可能性?」
「普通に考えればそうなのでしょうが……この町には避難する場所はございますの?」
サンベリーナは答えを求めるようにイクラムに視線をやる。
「一応緊急時はジュヌーン様の屋敷の近くにある施設に避難することになってるけど……それだと俺達が正門の兵士を襲撃する前に避難を完了させてたってことになるから早すぎるような気がしなくもないな……」
「王都みたいに地下があったりはしないの?」
「パヌーンには作っちゃ駄目なんだ。万が一占拠されたら奪還が余計難しくなるからな。地下で敵に待ち伏せされるっていう最悪のパターンを想定してて……防衛が難しくなったらペンドノート領まで逃げる手筈になってる。前に生き物を石化させる怪物が攻め込んできた時はジュヌーン様がいなかったからそういう手段をとってた」
「ふーん……」
エルミラは改めて壁に隠れながら町の様子を覗く。
サンベリーナの言う通り、町は閑散としている。前に来た時とは比べ物にならないほどに静かだ。
カフェもレストランにも人気は無く、そもそも営業していないように見える。
「……最悪のパターンもあるかも」
「なんだよ最悪って……」
イクラムにその最悪を伝えるかを迷うエルミラ。
魔法生命が"現実への影響力"を上げる手段は三つ。
一つは人間の恐怖によって底上げされる鬼胎属性の特性によるもの。
二つは霊脈の接続による魔力量の増加によるもの。
そして三つ目……人間の捕食による人を害する存在としての伝承の補強。
エルミラの言う最悪は当然三つ目だ。住人が消えた町を見て、三つ目の凄惨な出来事がすでに町で起きているのではないかと予想してしまう。
「それはないでしょう……だとすれば、衛兵達があのように普通に仕事をできているはずがありません」
「そうだし。そんな大虐殺が起こってたら流石に萎えるし」
サンベリーナとフラフィネは察したのか、即座に否定する。
確かに、町人全てが捕食されていたとしたら……町を捜索している衛兵達の行動は異常に映る。
戦った衛兵達も恐怖で無理矢理従わされているようには見えなかったし、自分達を探している兵士達も怯えている様子はない。
「お、おい……なんだよ大虐殺って……」
「あんたは知らなくてもいいわ」
「ま、まさかジュヌーン様の中にいる化け物ってのはそういうことすんのか……?」
「ついでに言えばあんたが言ってた石化させる怪物とやらもね。力を増すために人を喰うのよ。魔法生命ってのはそういう生態だと思ったほうがいいわ。当然やらないやつもいるけどね」
イクラムの表情が青ざめる。
そんな恐ろしい怪物が存在する現実と、そんな怪物を宿す人間がこの地を平然と統治している現実に。
「お、王様も……か……?」
「そっちはもっと厄介ね。そこは向こうに任せるしかないわ」
「な、なんで……そんな平気でいられるんだ……」
「……」
今更、そんな敵と戦うのが恐くなったのか少し震えるイクラム。
しかしエルミラはそんなイクラムを慰めることもなく、ただ答えた。
「今ここでやらなきゃいけないことがあるからよ。恐がったっていいけれど、恐がって縮こまってるだけじゃ何も変わらない。できることのために動かないと……何も変えられないのよ」
エルミラはそれをよく知っている。
動けなかった日を、動けなかった自分に訪れるはずだった結末を。
最初に魔法生命と出会った闇より深い逢魔が時を。
助けられて、離れていく背中を見ることしかできなかった日を。
今日まで生きてきた……動かなければ得られなかったであろう日々を。
「自分の人生くらいは、ただの傍観者でいたくないでしょ」
自身が正しいと思った道を歩き続けるその背中にイクラムの震えが止まる。
自分より歳下の少女から感じる厚みのようなものが、言葉に説得力を持たせていた。
「ほら行くわよ。あんたが処刑されそうになった広場があるけど大丈夫?」
「そ、そんくらい平気だ! 舐めるな!」
「はいはい。フラフィネ。お願い」
「オッケーだし」
フラフィネに闇属性の感知魔法をかけてもらい、ゆっくりと進む。
姿を隠せるわけではないが音は消せるため慎重にしながらも結構な距離を動くことができるのだ。
捜索する兵士が駆け抜けた隙に次の路地へ、また次へ。
そうして細い道を進んでいくと……イクラムが処刑されそうになったパヌーンの町の大広場に到着した。
ジュヌーンの屋敷に行くためには密集している屋根の上を伝って大回りするか、この大広場を突っ切っていくしかない。
流石に音を消しても見つかってしまうルートなので、リスクが同じなら単純に広間を突っ切るほうが早い。
「っ――! 止まって!!」
「うえ!?」
「ちょ、そんな大声出したらばれる……し……」
「……どうやら、そんな事を言っている場合でもないようですわね」
広間を勢いよく突っ切るべく駆け出しかけた時、エルミラが右手を広げて後ろを制止させる。
四人が突っ切ろうとした大広場には……全てを無視してでも相手をしたくない人物が立っていたから。
「ほほほ……そんなに急いでどこに行くのかね? 私好みのお嬢さんが一人、二人……三人……。歓迎しようじゃないか、ようこそ私の町パヌーンへ」
「ジュヌーン・ダルドア……!」
ジュヌーンの合図で、大広場の近くの屋根の上から隠れていた複数の兵士達と仮面と黒いローブの魔法使い……ジュヌーンの側近であるイクが現れる。
「なるほど、待ち伏せとは……中々定番のシチュエーションですわね!」
「サンベリっち……何テンション上がってるし……」
「ベリナっちとお呼びなさいな」
「お、おい囲まれたってのに何でそんな余裕なんだ……!」
余裕などない。
サンベリーナとフラフィネは待ち伏せについてを口にしているが……その視線はジュヌーンから目を離していなかった。
屋根の上にいる十数人の兵士と黒いローブの魔法使いよりも、大広場に立つ全盛期の年齢を明らかに過ぎた老人一人の危険度のほうが遥かに高いと瞬時に理解していた。
(佇まいから禍々しさすら感じる……何という重圧……)
サンベリーナはお気に入りの扇を開き、臨戦態勢へ。
フラフィネは道案内ができるイクラムを引っ張って守れるように構えている。
イクラムも意図に気付いたのか、ジュヌーンに目が釘付けになりつつも……一歩後ずさった。
「三人とも屋根から行って。兵士だけ片付けてくれる?」
そんな三人を置いて、エルミラが前に出る。
屋根の上の兵士達が矢を番えているが……そんな雑兵を気にする様子も無い。
なにより、この重圧を前にして普通に対峙するべく歩いている。
「え、エルミラさん……! 確かに予定通りですがこれは流石に――」
「予定通りでしょ。早く行って」
「え、エルミラっち!」
サンベリーナとフラフィネに呼び止められても、エルミラは振り返らない。
「ここは私に任せなさい」
相手はダブラマの第二位。全盛期を過ぎて尚その地位に居座る魔法使い。
魔法生命抜きでも相手にしたくない怪物だが、
「ほほほ……! 勇ましい女子は好みじゃよ……」
「こいつは、私がやる」
これが、今の自分がやるべきこと。
全貌の掴めない魔法生命を相手できるのは、この四人の中でエルミラしかいない。
有無を言わせないその声に、サンベリーナは扇を勢いよく閉じた。
「こちらは私達に任せなさいな!」
「ぶっ壊してくるし!!」
サンベリーナとフラフィネは強化を唱え、イクラムを引っ張りながら屋根の上へ。
目指すは妨害用魔石の破壊。迅速に破壊を終えて、この戦いに参戦するのが最善と判断してエルミラ一人を残す選択を取る。
屋根の上の兵士は二人には相手にならない。三人は兵士達を片付けながら大広場を抜ける。
「先程……妙なことを言っていたのう?」
「なに?」
その様子を、ジュヌーンは楽し気に見つめる。
サンベリーナとフラフィネを見ながら下卑た笑みを浮かべており、兵士達がやられていることは気にしていないようだった。
「この私をやるとか……四大貴族でもないマナリルの小娘がこのジュヌーン・ダルドアに本気で勝てるとでも思っているのかね?」
ジュヌーンにとっては、屋根の上で起きている余興ついでのなんてことない質問だったのだろう。
意気のいい答えがエルミラから返ってくるかと思えば……エルミラは馬鹿にしたようにその問いかけを笑い捨てた。
「……何がおかしいのかな?」
「なーんだ……あんた、長生きしてる割にはちっさいやつね」
「ほう……?」
ジュヌーンの視線が屋根からエルミラへ移る。
エルミラは見下したような視線をジュヌーンに向けていた。
「四大貴族でもない小娘がって……四大貴族相手だったら白旗あげて命乞いでもする気だったわけ?」
「…………」
「そういえば……メドゥーサって魔法生命の時もあんた王都に逃げてたんだっけ? なるほどなるほど、格下相手とだけ戦ってたからその歳まで第二位のままだったんだ?」
ジュヌーンに三人を追いかけさせるわけにはいかない。
挑発するようにエルミラは鼻で笑う。
「笑えるわね」
恐れ知らずの挑発を仕掛けてくるエルミラに、ジュヌーンの口角も上がる。
女として見ていた愉悦の籠った笑みではない。民に見せる好々爺の皮は剥がれて、殺意の籠った邪悪な笑みに。
ジュヌーンの目にはエルミラだけが映し出され、その四肢を斬り落とし泣き叫ぶエルミラの未来を想像していた。
「……ますます気に入った。ベッドの上で殺すには惜しい女に出会ったのは……久方ぶりじゃなぁ。お前も嬉しいじゃろう? のう?」
この場にいない何者かにジュヌーンは問いかける。
かちかちかち。
どこからか音がする。極上の食糧に喜ぶ怪物の鳴らす音が――。
「体も精神も、助けを呼ぶ悲鳴すらも凌辱して……ゆっくりと、味わうことにしようじゃないか……。それが、お嬢さんにとっての罰となろう」
「やれるものならやってみなさい糞爺……私がこの世から引退させてやるわ」
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。次の更新からダルドア領の戦い編となります。
ようやく八部も終盤に入りました皆様応援よろしくお願いします!




