566.砂塵解放戦線ダブラマ5
「何だ? 奴等止まったぞ!?」
矢をつがえていた一人の弓兵が標的のマリツィア軍の様子を見て異変に気付く。
人造人形を蹴散らした後、マリツィアが合図したかと思うと人造人形破壊の為に散っていたのが再び一塊となったのである。
城壁を防衛するシクスズ部隊の半数の魔力を犠牲にして召喚した人造人形の時間稼ぎのおかげで遅れた初動は取り戻した。
後ろで第二射を用意する第二陣まで配置につき、後は指揮官の号令を待つだけという段階になったというのに。
「まずい! ジャルスール殿!!」
人造人形や空堀を作ったシクスズ隊を纏める王家直属組織ネヴァンの一人ロロが叫ぶ。
こちらの準備が整ったというのに一体何がまずいのか? 配置についた兵士達にはわからない。
だが、このロロという数字名の魔法使いは知っていた。実力は遠く離れていても、同じ王家直属に所属するルトゥーラ・ペンドノートがどれだけ無茶苦茶な使い手なのかを。
「い、一体どうしたというのだ!?」
こちらの有利を信じて疑わない指揮官のジャルスールには、わかるはずもなかった。
堅牢な城壁と配置についた弓兵。さらには頼もしい魔法使い達。
動揺を退け、立て直したと思い込んでしまったがゆえに。
「おいベネッタの嬢ちゃん」
「は、はい!?」
「あんた信仰属性だろ? 一緒に戦場に立ってくれた礼に……特別授業を見せてやる。信仰属性の守るってことがどういうことなのかをよ」
弓矢の射程外で固まるマリツィア軍――その集団の先頭に立つルトゥーラは肩越しに背後のベネッタに視線を送った。
ベネッタは真剣な面持ちのルトゥーラに緊張してしまい生唾を飲み込む。
雰囲気が違う。
空気が違う。
そう、スノラで初めてマリツィアの存在を知った時のような――
「【禁足地は我が天球】」
たった一人の声が歴史を重ねて空に響く。
聞こえるは鈴のような清涼。
肌を撫でるは砂煙ではなく温かな空気。
変化は些細。世界を変えたわけでもなければ、敵を打倒したわけでもない。
目に見えた変化は信仰属性の魔力光を纏ったルトゥーラの存在だけ。
そして、ルトゥーラは歩き出す。
堂々と、障害など無いかのように、ただ散歩を楽しむ朝の一時であるかのように。
「来たぞ! 構えろ!!」
そんなルトゥーラを見て、城壁内で動きがあった。
指揮官のジャルスールが号令をかけ、弓兵は狙いを定める。
「やめろ! 無駄撃ちだ! 近接戦の用意をさせろ!!」
「……ロロ殿。いくら大きな働きをしようとも指揮官はこの私だ。指揮に不満があるのなら手順を踏みたまえ」
「そんな余裕があるか! 聞け! もうこちらの優位は無くなったんだ!!」
「――撃て!」
唯一ルトゥーラの戦法を知る魔法使いロロの意見は聞き入られず、ジャルスールの号令が城壁内に響き渡る。
弓兵は指揮官の号令につがえていた矢を一層引き絞り……射程距離に入ったマリツィア軍――先頭に立つルトゥーラ目掛けて一斉に矢を放った。
矢狭間から放たれる一斉掃射。こちらに歩いてい来るルトゥーラ目掛けて矢の雨が――
「は?」
「え?」
――降る事は無かった。
矢はルトゥーラ目掛けて放たれたと思うと空中で砕け散る。
矢の作りが甘かった? 迎撃された?
難しいことではない。決して未知でもない。
ただ単純にして当然の結果が起きただけなのだから。
「歓迎会の準備は出来たか? 第三位のお通りだ」
ルトゥーラはただ歩を進める。
一歩。また一歩。銀色の魔力光に包まれた人間が向けられた弓を気にせずただ進む。
矢は砕け、召喚された人造人形もルトゥーラに近付くことすらできずに破壊されていく。
再び訪れる混乱。いくら放っても砕けるだけの矢を見た兵士達の動揺。
さっきまで敵の進軍を押しとどめていたこちらの武器が一切が通用しなくなる絶望感。
城壁内部に籠っての籠城戦は変わっていないというのに、ただ一手で風向きは変わった。
「城壁上の魔法使い達に攻撃させろ!」
「も、もうやっています! ですが、上にすでに敵の魔法使いが張り付いており……火力を集中させることができません!」
「っぐ……! ど、どうすれば……! こ、こんなものどうすればいいのだ……!」
敵のほうを見れば砕かれる矢と弾かれる攻撃魔法。
誰かが血統魔法を使った気配もある。
それでも、止まらない。
ただの歩みが、その後ろに続く敵軍が悠々と城壁に向かってきている。
弾かれる矢と魔法が徐々に近くなってきているのを見て、指揮官のジャルスールは何が起きているのかを……ようやく理解した。
「ま、まさか……」
背筋に寒気が走り、何をされているのかを理解する。
この予想が正しいというのならこちらはただ……指を咥えて敵の進軍を見ていることしかできないことを知って。
「どうにもできねえよ」
城壁内部の会話に応えるかのように、降り注ぐ無駄な抵抗をルトゥーラは嘲笑う。
「俺の血統魔法には小狡い仕掛けもねえ。妙な概念もねえ。相性なんて糞くらえだ。
半人前共はすぐに派手なものに釣られやがる。魔法っていうのは技術であり学問だ。"充填"と"変換"、そして"放出"の三工程が生み出す魔法式の安定化。魔法がもたらす性質の現実化こそが根幹で、属性の特性を理解し、活かすのが魔法使いの本領なんだよ」
単純にして難解。
単純にして繊細。
信仰属性は防御に秀でた魔法属性。
ならば、それを突き詰めればいい。
他属性よりも硬い防御魔法。他属性よりも堅固な魔法式。
それこそが信仰属性の特性であり、強さそのものなのだから。
「ほうら、地味な血統魔法だろ? 破ってみろよ。俺はただ糞みてえにかてえ防御魔法で……お前らに突っ込んでるだけなんだぜ?」
自身の家族全てを守るという平凡な意思から生まれたペンドノート家の血統魔法。
その実態は使い手の中心から半径十五メートルに展開される半球状のただの防御魔法に過ぎない。
だが、ルトゥーラの誕生がその血統魔法を変える。
口の悪さに似合わぬ勤勉さと若さゆえの大胆な発想、そして突き動かされているかのような成長速度がペンドノート家の歴史の分岐点となる。
相手の攻撃魔法を防げるということは、相手の攻撃を破壊できるということ。
防御魔法による守護とは魔法の破壊であるという大胆な解釈が彼を飛躍させた。
血統魔法は使い手の"変換"によってその姿を変える。
ルトゥーラが敵を倒すために試みたのは血統魔法を攻撃魔法に変えることではなく……堅固な防御魔法を使いながら、使い手の移動を可能にすること。
ただそれだけの"変換"によって起きるのは敵の蹂躙。
敵の抵抗を嘲笑うかのように叩き伏せ、徹底的に心を折る。
敵が攻撃が無駄だと悟るまで続けさせ、防御魔法そのもので踏み潰す。
魔法も人造人形も、剣も矢も槍も、人も。
硬い。それだけで彼を止められない。
ゆえに第三位まで上り詰めたルトゥーラは――『侵略者』の二つ名を冠している。
「いいかお嬢ちゃん。信仰属性の強みは使い手の意思で作られる堅固な魔法だ。だから防御に徹する、って答えは半人前なんだよ。敵の攻撃を防いでも敵を倒しても、味方を守るって結果は一緒なんだぜ」
「は、はい!」
「たとえ自信が無くても自分が出来るって信じろ。自分の守りたいものがあるのなら。それが信仰属性の魔法使いがやらなきゃいけないことだ」
血統魔法の内部は進軍しているとは思えないほどに穏やかだった。
その束の間の穏やかさの中、ルトゥーラは同じ属性のベネッタに指導する。
気まぐれで行われたその短い授業をベネッタは噛み締めた。
「お、おい……結局城門の前まできてるぞ……」
「こ、このまま俺らも潰されるのか……?」
「落ち着け! 種はわかった! こちらの攻撃は届かぬが、あちらも防御魔法! 城壁を破壊する能力はない! 硬直を続ければ我らに分がある!!」
届かない攻撃に絶望する城壁内で指揮官らしくジャルスールは檄を飛ばす。
そう。ルトゥーラの血統魔法はあくまで防御魔法。魔法や人間などは制圧できても、城壁のような拠点の大質量を丸ごと突破できるほどの能力はない。
根拠こそ無かったものの、ジャルスールの檄は的を射ていた。
「なーんて……今頃言ってんじゃねえか? なあマリツィア?」
空堀を超え、城門の前まで歩みを終えるとルトゥーラは口元で笑う。
マリツィアは馬車から棺を運び出して背中に背負って戦闘準備を整えていた。
「確かにルトゥーラさんの魔法はあくまで盾……"現実への影響力"で魔法や人造人形を封殺できたとしても、城壁への攻撃能力まではありません。
であれば当然、それが出来る次があるに決まっていますでしょう? 城壁を破壊する"現実への影響力"を有する……最高峰の矛たる魔法が」
そう。ルトゥーラだけならばここで硬直状態。
しかし、ルトゥーラが城門前までやるべきだった盾という仕事はもう終わっている。
「言ったはずだぜ。俺は赤絨毯を敷いただけだ」
――ここまで来たのならもう、彼の距離。
「吹き飛ばせ――【雷光の巨人】」
この国にはない歴史の合唱が響き渡る。
雫のような黄色の魔力が天へと捧げられ、魔力の渦が異界の門となって現れた。
誰もがその渦から、巨大な何かが現れると悟っていた。
"オオ……ゴオオオオオオオオオオオオオオ!!!"
百人の怒号よりも響き渡る巨人の雄叫び。
雷鳴の如く大地は揺れ、城壁に空気の波が叩きつけられる。
走る雷は血肉のように。雄々しい甲冑姿が味方の士気を上げ、敵の戦意を削ぐ。
王都セルダールの城門前に現れるは城壁と肩を並べかける十メートルの巨人。ルクス・オルリックが唱える血統魔法。
六百年の歴史をその身に刻んだ雷の巨人が今、ダブラマに顕現する――!!
「やれ」
城壁内から悲鳴がこだまする。声を荒げた撤退の声も巨人が止まる理由にはならない。
巨人を動かすのは主人の意思とその命令。
砂煙を起こしながら、塔のような巨大すぎる右腕を振りかぶり――
"オオオオオオオオオオオオ!!"
――咆哮と共にその"現実への影響力"を城門に叩きつける。
たとえこの城門が防御魔法の魔法式を刻んだ魔石製であろうと関係ない。
振るわれた巨腕は轟音とともに城門を砕き、その余波は城壁を焦がしながら破壊した。
「はははっー! マナリルの矛とダブラマの盾のスーパータッグだ! 期間限定なのが惜しいなおい!」
「これから先、互いの魔法がぶつかり合わないことを祈りますよ」
共に二つの国が誇る至宝と呼ぶべき魔法使い。
ルクスとルトゥーラ――二人の血統魔法は見事、被害を最小限に抑えつつ王都セルダールを囲む城壁を突破した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
突破!




