561.光よ閉じよ
我の前位には常に先を行く者がいた。
同じ年に生まれ、同じ父を持ち、同じ教育を受け、それでいて圧倒的に違う者。
隣にいたのは生まれた時だけだった。
ダブラマに生まれた奇跡――ラティファ・セルダール・パルミュラは愛されていた。
圧倒的な才、万人が見惚れる美貌、幼少から見せるカリスマ性。
間の抜けた顔で寝る六歳の頃に暗殺者を制圧するほどの血統魔法の庇護、食事に毒を盛られても平然と平らげることができるほどの寵愛。
生まれにも、才能にも、血統魔法にも……周囲の人間全てに愛されていた。
誰しもが、彼女の統治する国の未来を夢見ていた。
彼女の統治するダブラマを見てみたいと願っていた。
マナリルのカエシウスすら凌駕する超越者――今代に生まれた"砂漠の女王"を祝福した。
ただ一人、我を除いてはの話だ。
奴だけが父のパルミュラの名を与えられ、我には母のタンティラの名が与えられた。
その意味は言うまでもない。生まれた時から作られた境界線。
そしてその境界線の正しさを証明する才能の差。
どれだけ手を伸ばしても辿り着けない領域に立つ者と比較される日々を想像し、五歳の時に血を吐いた。
六歳の誕生日の祝いとして、暗殺者を求めた。
使用人を買収し、子供には到底耐えきれない量のナツメグを盛り続けた。
誕生を呪った。生存を呪った。才能を呪った。在り方を呪った。
足を引っ張り、その間に追い付こうとした時もあったが無駄だった。
せめて戦いの舞台にくらいは上がれるようにと研鑽した。
「アブデラだけね。私と競ってくれるのは」
そんな研鑽の日々の中、穏やかな表情で奴は笑いかけてくる。
太陽のような金色の髪を揺らしながら、我を見つめてくる。
家臣の手前、にこやかな表情が出来ているのかいつも自信が無かった。
奴と過ごさなければいけない日々は苦痛でしかない。
唯一、同じ視線にいる者が超越者であるという事実は嫉妬で身を焦がす。
同じ視線にいる者が一足飛びで進むのをただ見させられながら日々を生きる。
走っても走っても、背中だけが離れていく。
どれだけ足を引っ張っろうとも離れていく。
殺そうとしても死なない、超えることの無謀さだけを奴は突き付ける。
そしてたまに我のほうを振り返って、あなたがいてよかったと笑うのだ。
――――ここが地獄でないというのならば何だというのだ?
生きながらに殺され続ける日々。
走っても走っても届かない毎日。
どれだけ亀が急いでも、兎が走るのをやめないのであれば優劣は覆らない。
奴は驕らない。完璧であるがゆえに。
奴は堕落しない。高潔であるがゆえに。
ならば追い付けない。追い付けるはずがない。
だが、諦めることもできない。
焼かれるような嫉妬が、精神を蝕む苦痛が、どんな手を使っても追い付けと体を動かす。
自身を上げながら、奴を引きずり下ろさんと策を練る。
奴を殺せと悲鳴を上げる。奴の手足を切り落としてでも追い付けと憎悪が叫ぶ。
たった一人の人間が生み出す怨嗟などでは足りない差を感じながらも、我はあがく者の人生を送り続けた。荊棘に身を裂かれるように生き続けた。
……皮肉にも、醜く諦めない我の生き方は奴を喜ばせていた。
ああ、我は擦り切れるまで……奴を追いかけ続けるのか。
――頼む。
誰か、誰か助けてくれ。
頼むから奴を殺してくれ。頼むから死んでくれ。
あの笑顔を陰らせてくれ。あの美貌を奪ってくれ。
あの才を踏みにじってくれ。あの精神を穢してくれ。
誰か、誰か。
私の前に居続けるあの女の――ラティファから光を奪ってくれ――!
……我の瞳が、その光で灼き切れる前に。
『よかろう。その願い、我が叶えようではないか』
その声を聞いたのは絶望を孕み、呪いを祈る日々が二十年続いた後の事だった。
背筋に走った根源的な恐怖に身構えた。
闇よりも深い闇の奥から聞こえてくる重苦しい声。
死という絶対的な結末を本能で悟り、迫ってくる闇に凍り付いた。
私はその瞬間。
その、瞬間……笑っていた。
初めて、ラティファの光を忘れられた時間だった。
死を悟ったはずだというに、初めて心に訪れた安寧に打ち震えていた。
『初めて出会う。生きながら地獄を彷徨う者。太陽を憎む者。魂から光を呪う者。ああ、我々の在り方は似ているよ』
人間ではなかった。
我に策謀を持ちかける矮小な人間とは比肩できないほどの重圧。
人間が抱く善悪の概念とは違う場所に存在する者。
ラティファの光を陰らせるほどの超越者はその闇の中にいた。
『君のような者を千年以上待っていた。我が契約者に相応しい人間を。我が残滓を宿すに相応しい生命を。我との契約で君の願いは悉く叶うだろう』
最も甘美な誘惑だった。
だがその言葉には真実が宿っている。
我の呪いは、ついに届いた。
あの女を引きずり下ろすことができる――人ならざる者に。
『我を復活させるためにその人生を、故郷を、全ての命を捧げるがいい。その過程で君は望む全てを手に入れるだろう。そして我の復活と共にその先を――真なる理想を手に入れるだろう。
君の瞳に映る光を我が閉ざそう。君の欲望を叶えよう。我ならばそれが出来る。異界において太陽の敵だった我ならばこそ』
「できるのか……? 本当にか……?」
『ああ、できるとも。我は君らの知り得ぬ真なる神。太陽を閉ざす瞳を持つ者。この世界に空く天の玉座に座るべく生き続ける残滓。地上の玉座には契約者――君を据えて、我々の世界を手に入れよう。
我はアポピス。全ての生命を掌握し、秩序たる混沌を君の世界にもたらそう』
その言葉を聞いて、我はその存在と契約を結んだ。
圧倒的な重圧の中、壮大な理想を語るその言葉に虚言が無いと信じられた。
『太陽に唾を吐くなど、我々にとっては容易いことだ』
我の呪いは届いたのだ。
あの女の光を閉ざす――本物の神の下に。
そしてたった数年でその契約は真実だったと我は知る。
陰ることの無かったあの女は、たった数年で我々の手に堕ちた。
祈る事しかできなかった我の呪いとは違う……本物の呪いを全身に帯びて。
地獄だと思っていた我の現実は、あの御方の力によって理想を叶える楽園に変わっていた。
「どうされました? アブデラさん?」
いつの間にか、玉座でうたた寝をしていたのだろうか。
スピンクスに名前を呼ばれて、我は目を覚ましていた。
「スピンクスか」
「ええ、願いが叶う日だというのに……随分と余裕なご様子ですね……」
「ああ、気が緩むのも当然だろう。我を止める手段はもう無いのだから」
最も簡単に我々が負ける未来があった。
それはあの平民が全ての犠牲を厭わず、かの【原初の巨神】と大百足を破壊した魔法――【天星魔砲】をこの王城に打ち込むこと。
魔法生命の天敵という存在によって放たれる"現実への影響力"こそが最大の懸念。
あの御方を復活させるための"星の魔力運用"を平時から使う怪物。
我々が恐れるのはあの男だけだった。
カエシウスですら、我は殺せてもあの御方は止められない。
「嬉しそうですね……」
「ああ、百年……百年待った……。まぁ、その百年もあの御方のお陰で退屈せず、そして心地の良い時間だったが……この現実よりさらなる理想の未来が待っているのだ。嬉しくないわけがなかろう?」
「ええ……人の欲望が叶う瞬間というのは……そういうものでしょう……」
「貴様らもそうだろう?」
「ええ、欲望を叶えるために第二の生を生きる生命……。それが私達ですから……」
だが、その可能性も潰した。
リスクを冒してあの男を幽閉し、あの魔法を撃つための膨大な魔力を使わせた。
後はあの男が我のところに辿り着かなければそれだけで我々は勝利する。
「スピンクス……お前の見ている"答え"はいくつだ?」
「あなたの行く末であれば……残りは二つにまでなりましたね……。様々な叶わない未来は消え去って……。後は二つの"答え"を残すのみです……」
「今日まで……様々な手をとってきた甲斐があった……ついに、叶う……。スピンクス、あの男をここに近付けない手筈はついているのだろ?」
「はい……。私の望み通り……アルムは私と呪法を結び……私の所に訪れます……」
「そうかそうか……! くく……! ふははははははははは!!」
油断してはいけない。まだ見ぬ反乱分子は今日攻め込んでくるだろう。
だが勝利を確信するなというのが無茶な話だ。
あの御方を破壊できる男が、我の理想を叶えるのとも無関係のスピンクスと戦ってくれるというのだから。
たとえあの男が我の下に辿り着いたとしても、スピンクスと戦った後の魔力であの御方を破壊できるとは思えない。
「あなたの行く末は二つ……。あなたの欲望が叶う未来と叶わない未来……誰かがあなたを挫くとすればそれは特別な者ではなく、普通の人間だと……最後の答えが見えています……」
「そうだろうな。あの男以外ではどうしようもできぬだろうさ。では行くがいいスピンクス……貴様の欲望を叶えるためにも、あの男は命の限りまで足止めしろ」
「ええ、言われずともそれが私の目的……それでは失礼します……」
ぶつける手札は用意してある。
今出て行ったスピンクスこそその手札。
回復しきっていないあの男では全霊をかけても手こずるだろう。
日食の時に間に合ったとしても、何もできぬ無力さを呪うがいい。
「我の勝ちだアルム。このダブラマに、我の国に……光の塔はもう建たない」
……そうだ。
もう、光輝く者が我の前に立つことはない。
あの御方、のアポピス様の力をもって――奴等の光は完全に閉ざされる。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここからは砂塵解放戦線ダブラマ編となります。応援よろしくお願いします。




