559.ここは楽園だった
「で、私とアルムってわけね」
「申し訳ありませんがお付き合いください」
「エルミラ! ボクもいるよー!」
「いや、わかってるわよ……」
夜も更け、スピンクスとの交渉の為にアルム達はマリツィアのコレクションルームへと向かっていた。
マリツィアにとっての聖域ということもあって、例のごとく全員が黒い礼服を纏っている。
最初は何でと思うものも、そういうものだと思うと慣れたものだ。
「何かやっぱり黒いドレスって変な感じだー……」
「似合っておりますよベネッタ様」
「あんた重い色あんま着ないもんね。ちゃんと化粧とか変えれば似合うのにさ」
「ほ、ほんとー? えへへ……そうかなぁ……」
二人に褒められ、目に見て浮かれるベネッタ。
にまにまと頬を緩ませ、嬉しさからかつい足が跳ねる。月光の下で喜ぶその姿は小さな兎のようだった。
「……」
その横を歩きながら、アルムは自分の胸を押さえていた。
マリツィアはそんなアルムの様子を見て少し不安になる。
「アルム様も申し訳ありません。体は痛みませんか?」
「ああ、毎日ベネッタの治癒魔法をしてもらってるからな。体はもうほとんど大丈夫なんだ。問題は魔力だな……やっぱり当日までに全快は無理だ」
「そうですか……」
マリツィアはアルムの回復にいまだ期待してしまっている自分を恥じる。
どれほどの負担をこの少年に押し付ける気なのかと首を振った。
そんなマリツィアを見て、エルミラは話題を変える。
「そんで? 私はともかくこの二人は連れてくる必要あったの?」
「万全を期すならこのメンバーが一番かと思いまして……エルミラ様は万が一に私のコレクションを焼いてもらうために、ベネッタ様は信仰属性なのもあって精神干渉の影響を受けにくいですし、防御魔法で出口を封じて頂く役目もあります」
「信仰属性ってそうなの?」
「受けにくいといっても、"精神汚染"による支配を受けにくいだけですが……それでも他の方よりは耐性があります。本当ならルトゥーラさんを連れてきたかったのですが、屋敷のほうを手薄にするわけにもいかな――」
そこまで言って、エルミラとベネッタの足が止まる。
その表情は信じられないと言いたげだ。
「どうされました?」
「あ、あいつ……ルトゥーラって信仰属性なの?」
「はい、そうですよ」
「い、意外だー……攻めるの大好きみたいなイメージあった……」
「その通りですよ。ルトゥーラさんは昔からそういうのを好みます。ボードゲームでも攻撃大好きです」
「え……? で、でも信仰属性って……?」
「うふふ、戦う時になればわかりますよ。さ、着きました」
ベネッタが混乱したまま、コレクションルームの入り口に到着する。
これから会いに行くのは魔法生命。一旦、疑問を何もかもを置いておいて気を引き締める。
「そういえばアルムを連れてきたのは?」
入る前に、最後に聞きそびれたことをエルミラが問う。
「目的のものが目の前にあったら……手に入れたくてたまらなくなるでしょう?」
答えて、マリツィアはコレクションルームの鍵を開ける。
それってあんたの経験から? エルミラはそう聞きかけたが口を紡ぎ……そのまま階段を下りていった。
「お待ちしていました……。おや、今日は一人ではありませんね……」
コレクションルームに下りると、すでにスピンクスの意思が入った遺体が中心の台座の上に座っていた。
マリツィアはそれを見てぴりっと、後ろのアルム達に伝わるほどの不快感を露わにしたが……戦う意思がないことはわかっている。
「私の提案を受けて頂ける気になりましたか……? マリツィアさん……?」
スピンクスはマリツィアの名前を呼びつつも、その視線は背後にいるアルムにいっている。
どれだけ落ち着いた喋り方をしていても魔法生命ということだろうか。マリツィアの言う通り、目的のものにくぎ付けのようだ。
だがアルムとは喋らせない。マリツィアはその視線を遮るように前に出る。
「いえ、あなたの提案を受けに来たわけではありません」
「……では何故ここにアルムを?」
「私から、あなたに提案をするためですよ」
話の主導権を無理矢理に握り、マリツィアは簡潔に提示し始める。
「あなたの希望はのんでいいとアルム様は仰っています。しかし条件は不服だと仰っています。私のコレクションの支配権の返還も、アブデラ王へ私達が反乱分子と隠すこともいりません」
「では……望みは……?」
「アブデラ王に憑く魔法生命復活の儀式の全貌……そしてその時間的猶予について。私達が求めるのはそれだけです」
「…………」
突き付けるのは明確にアブデラ王側が不利となる条件。
スピンクスが本当にアブデラ王と目的が違うならばそれもよし。呪法によって答えられないと言うのであればそれもまたアルムが罠にかかる可能性を潰せてよし。
主導権を握ったのはこちらだ。後はスピンクスの出方次第。マリツィアはこれから始まるであろう交渉に身構える。
「ああ、そんなことでよいのですか……構いませんよ」
「なに……!?」
「っ……!」
「……!」
「どうされました……? これでアルムと戦わせてくれるのでしょう……?」
そんなマリツィアの心構えとは裏腹に、スピンクスはあっさりと突き付けられた条件を受け入れた。
無理難題にも思える条件をにこっと笑って受け入れるスピンクスと、受け入れられたことに驚き戦慄するマリツィア達。
交渉を優位にしたはずなのに、まるで立場は逆になっているかのよう。
……これもまた価値観の違いだった。
魔法生命は自身の目的を最優先にする生命体。だからこそ目的に沿っていなければ裏切りなど当然なのだ。
それはアルムが今まで出会った魔法生命達も証明している。白龍も酒呑童子も、師匠であるサルガタナスも……言うなれば、自身の目的のために仲間を裏切った魔法生命。
スピンクスがアブデラ王側についているのも味方だからではなく、自身の目的の達成のためについているに過ぎない。
「っ……!」
だが、その潔すぎる態度がマリツィアを迷わせる。
このままアルムをスピンクスにあてていいのか。話がまとまってしまえば呪法によって行動が縛られるだろう。
アブデラ王の行う魔法生命復活の儀式については相手の最大の弱みのはず。それを簡単に差し出すということは裏があるのか?
ついそんな事を考えてしまう。
「ああ、そうだスピンクス」
そんな迷いを、背後から断ち切る声がした。
「お前の希望通り……俺が相手する。それでいいんだろ?」
「はい、サルガタナスの子……あなたの答えはもう決まってるようですね?」
交差する視線は迷うマリツィアや動揺していたエルミラ達を置いてけぼりにする。
条件。交渉。主導権。
そんな些いな物事全てを取っ払って、二者の間にはもう互いがぶつかる未来が見えていた。
「それでは……話も決まりましたし……。約束通り情報をお渡しします。まず気になるのは時間でしょうが……あなた方のタイムリミットは九日後の正午です」
「!?」
「ちょ、そんなあっさり……」
「情報が欲しいのでしょう……? それに……王都にいるほうの私がグリフォンに見つかったら……大事な情報を聞き逃すことになってしまいますよ……?」
「うっ……」
スピンクスの意思に入った遺体がくすっ、と笑う。
その遺体はスピンクスとは似ても似つかないが、本当に本人が目の前にいるかのような仕草を見せてくる。
「正午……」
「それまでに発見できなければ……まぁ、間違いなくあの御方は復活するでしょうね……。当日は日食が起きるのでわかりやすいと思いますよ……」
「日食……?」
「はい……日が完全に閉じた時、瞳が開き……あの御方はこの世界に再び降臨なされます……。その後どうされるかまでは聞き及んでいませんし、"答え"も見えませんのでわかりませんが……もしかすれば、私達ごとこの世界を塗り潰す気かもしれませんし、ただこの世界を見つめる神として居続けるだけという可能性も……万が一くらいはあるのではないでしょうか……?」
そんな神様の気まぐれに任せる道を選べるわけもない。
その神の魔法生命が万が一無害だったとして、その力を手に入れるアブデラ王が平和的な道を選ぶとは思えないのだ。
なにより……ダブラマの真の王位継承者ラティファを解放することができない。
「後は……儀式の全貌でしたか。そんなに難しいことはありません。十分な月日が立ち、溜め込んだ魔力を日食に合わせて……百年かけて創り上げた復活の魔法式を描くだけのこと……言ってしまえば、ただの魔法ですよ……」
「ただの魔法で……平民を生贄にするのですか?」
そこで初めて、スピンクスは呆気にとられたように目を見開いた。
次の瞬間、マリツィアを見て感心したように目をぱちぱちさせる。
「まぁ……それも知っていたんですね……」
「私達は全貌をと言ったはずですが?」
「ああ、勘違いなさらないでください……隠す気は無かったのですよ……。ただ、私達にとっては当たり前のことなので……」
「当たり……前……?」
その言葉を聞いて、マリツィアは怒りで拳をぎゅっと握りしめる。
それは領主だからこその怒り。日々を暮らす平民を見てきているからこその感情だった。
「私達の世界では神の復活といえば生贄は珍しくありませんから……。なので、ただそういう魔法だというだけの話です……」
「復活のために……平民の命が必要ってこと?」
「ふむ……当たらずも遠からず……。必要といえば必要ですが、不要といえば不要……。この国の平民の命はあの御方からすれば、ついでのようなものです」
改めて、マリツィアが幼少の頃に聞いた話が真実だったとアルム達は思い知らされる。
幼少の時には重すぎる事実なのだが……当の実行しようとしている側はまるで大したことではないように語っていることに寒気が走った。
いや、わかっていたはずだ。
大百足の時も、大嶽丸の時も、奴らは……人間の命を気まぐれに奪い、気まぐれに残していた。
今回は気まぐれに……全てを奪う気というだけのこと。
「正確には、あの御方の目的とアブデラさんとの契約のため……平民の生贄が必要なだけです……復活のための生贄はこの国の平民の一割ほどで賄えますから……」
「目的って……」
「そちらは流石の私でも口にできませんね……」
「なら、アブデラ王との契約については話せるんだな?」
アルムが問うとスピンクスは嬉しそうに、
「はい、そんな事でよろしければ勿論」
すれ違った知り合いに挨拶でもするかのような笑顔を見せた。
「アブデラさんの復活させようとしているあの御方は……混沌と復活を司る御方……。命の理を操ることのできる我らの故郷最大の悪神……。その理を復活時に使うことで……理想の王として君臨すること……。それが彼の目的です……」
「理想のというのはどういう事ですか? 今もダブラマの王として君臨している……これ以上何を……?」
「ダブラマは強きこそ正しき国。敵の侵略を許さない強きを重んじる国その理想……そしてその理想の国の王……。つまり彼の目的は……弱者と強者の交換です」
一瞬、理解が及ばなかった。
だが、すぐに繋がる。
行われていた貴族の不当な処刑、徹底的な平民の庇護。
貴族は誇り高く、民を活かすために。
一見この国の理念を病的に守っているかのようなアブデラの体制そのものが――その最終目的に繋がるのだとしたら。
「復活するのはアブデラさんに憑くあの御方だけではないということです。貴族と平民……才能によって分かれる命の交換……。今を生きる平民を生贄に捧げ、建国以来、ダブラマの貴族として死した貴族達を復活させ、それら全てを従え、全てを手に入れて……マナリルをも超える魔法大国として君臨するダブラマの王……それが彼の求める理想の王……」
この世界には、概念がある。
平民と貴族。
いくら意識が変わっても、諍いが少なくとも、才能によって分け隔てられた明確な線引き。
それは生まれた時から存在をラベリングする証。
両者が違う存在であることそ示し、天秤の片側と片側を担う――絶対の"存在証明"。
生贄となる弱者の選別は、異界の神にとってあまりにも簡単すぎた。
「続く平穏は弱きが暮らせる偽りの理想……。今こそは幸福で塗り固められた地獄の土台……。
この国は守られていたのではなく……閉じ込められていたんですよ……。大切な生贄を、一人でも逃さないために」
それが、砂塵要塞ダブラマ。
民にとっての理想の国の正体。弱者を庇護し続けた理由。
民の為にと動くダブラマの貴族達は、たった一人の支配者のために利用される都合のいい駒の集合体。
アブデラの百年の統治は全て、貴族達の誇りも歴史も踏みにじる道のりにすぎない。
「神様と歴史上に散っていった貴族達の盛大な復活……。そして今を生きる平民達の一斉の死……。彼らにとってはそれはもう……楽園の誕生に等しいでしょうね……」
――さあ、ようこそダブラマへ。
ここは誰も真実を知らされぬ呪われた地。
いつからか狂い始めた誰かにとって都合のいい場所。
何も知らない民の暮らす誰かにとっての楽園。
たった一人の欲望のための――楽園の土台。




