551.不可解な提案
「……!」
驚愕でいっぱいになった心中をマリツィアは瞬きの間に抑え、表情も元に戻る。
夜の静けさすら感じられるマリツィアはスピンクスの意思を持っている遺体をただ睨んだ。
スピンクスの入っている遺体の瞳が黒く輝く。
一瞬で平常心を取り戻したマリツィアを見て、スピンクスは感心するように薄く笑う。
「流石ですね……。私なりに恐怖心を煽る演出をしたつもりですが……すぐに平静を取り戻されてしまいました……」
マリツィアとスピンクスは同じ鬼胎属性同士。
恐怖を糧に"現実への影響力"が増す鬼胎属性同士の戦いにおいて、相手に恐怖心を抱くという事は白旗に等しい。
相手に恐怖心を抱き続ければ、その分相手を強化することになってしまう。
ただでさえ魔法生命と人間。生命としての性能が違う上に恐怖で相手の魔力を底上げでもすれば本格的に勝ち目が無くなる。
自身の属性、そして魔法生命の組織コノエとダブラマとのパイプ役だったマリツィアはその事を誰よりもよくわかっていた。
(いや、それよりも……!)
完全に自分達が反乱分子だとばれている。
アルム達がリオネッタ邸に集まったこのタイミングでのスピンクスの出現。
今までは警戒だけですんでいたものが、完全に敵と認定されたからと見ていい。
ハリルの一件からか。それともここの監視がまだあったからか。
どちらにせよ、いいニュースではない。
「流石はダブラマに生まれた三人の天才の一人……。同じ鬼胎属性でも……カンパトーレのリツィーレとは格が違うといったところでしょうか……」
「私を褒めて頂けるのは光栄ですが……私のコレクションに無断で入る無礼は許せません。いえ、そもそもどうやって……」
「……? なにか、おかしなことがありますか……?」
「まさか……私の知らないうちに無断で侵入でもされたのですか……?」
マリツィアが問うとスピンクスの意思が入った遺体は首を傾げる。
「何故そのような事をする必要が……? 死者の支配……この世界で言うと"肉体汚染"ですか……。その場にいようといなくとも……その程度、古代王国の神獣たる私にとっては造作もありませんが……?」
「――っ」
マリツィアの喉が干上がるように締まり、声を無くさせる。
自身の誇りであり、芯でもあるリオネッタ家の血統魔法。
それを完成させたマリツィアの魔法使いとしてのプライド。
どちらもずたずたにするようなスピンクスの発言は決戦を前にするマリツィアにとってあまりに重い。
しかも、スピンクスは挑発しているわけではない。
本当にそれが当たり前といった風に語っている。
「私達は同じ鬼胎属性……。ネレイアの事件の際にあれだけ一緒に同行していれば……あなたの体に宿る血統魔法を通じて……遺体の汚染をするくらいはできますよ……」
「ば、馬鹿な……!」
「もっとも……あなたのように魔法を使わせるのは無理ですが……。こうして乗っ取れば……それだけであなたを封じられたようなものでしょう……?」
笑いかけるスピンクスを前に、マリツィアは自身の浅はかさを恥じる。
ミスティが解決した水属性創始者ネレイアの事件の際……マナリルに情報を与えると言い出したのはスピンクス本人だった。
マリツィア自身、一切の詳細がわからないスピンクスの情報を少しでも集められればと同行を許可したものの……まさかこんな事態になるとは想定していなかったのである。
コレクション――遺体を敵であるスピンクスに乗っ取られてしまうなら……なるほど、確かに自分は封じられたようなものだろう。
「それが……それが狙いで同行していたのですか……?」
「いえ、ついでですよ……。ネレイアの脅威をマナリルに伝える……あの時の目的に嘘はありませんでした……」
「ついで、ですか……」
そんな軽く自身の魔法は封じられたのかと、マリツィアの戦意が一瞬揺らぐ。
だが、こんな事で戦意が消えるほどやわでもない。
マリツィアは持ち前の精神力で目の前の現実を無理矢理に叩き伏せる。
「なるほど、ではここのコレクションに私を殺させますか……?」
「…………」
「本体も無しに私を殺せると思っているのなら……甘く見られたものですねスピンクス様?」
マリツィアの桃色の瞳に黒い魔力が宿る。
血統魔法を使った制圧力を失ってもなお自身の実力に疑いはない。
この国を守る魔法使いとしての自負。
数多の魔法生命相手に立ち回り、情報を収集してきた精神力はこの程度で揺らがない。
そんなマリツィアを見て、スピンクスはくすっと嬉しそうに笑った。
「まさか……『蒐集家』を殺すのに……"蒐集品"を使うなんて無謀なことはしませんよ……。それに、支配力の綱引きでは分の悪い遺体もありますし……」
「……? では何を……?」
「勿論、交渉するためです……。人間は交渉する際、こうして自分の手札を晒したり隠したりして……有利に進めていくのでしょう……? そちらの主戦力であるマリツィアさんの手札を奪った状態……交渉のテーブルのつかせ方としては妥当では?」
「交……渉……?」
つい、わかりやすく疑問の乗った声色になる。
こちら側から交渉するならともかく、あちらから交渉するメリットがわからない。
ここにスピンクスが現れた時点で、自分達がアルムを匿っているのが反乱分子だという事は完全にばれている。
どれだけ思考を巡らせても、アブデラ王側がこちら側と交渉する理由が思いつかない。
反乱分子だとばれているのなら後は全面戦争しか有り得ない。後は警戒と探り合い、そして衝突に至るまでにどれだけの時間をかけるかだ。
「聞くだけ……聞きましょう」
「安心してください……あなた方にとっても……悪い話ではないはずですから……」
スピンクスの真意を探るべく、マリツィアはその声に耳を傾ける。
悪魔の囁きのような美麗な声でスピンクスは要求を突き付けた。
「アルムと戦わせろ!?」
「はい……それが深夜、スピンクスが私に要求してきたことです。代わりに私達のことをアブデラ王には報告せず、私のコレクションにはこれ以上手を出さないと……」
次の朝、食堂にアルム達を集めたマリツィアは昨夜に起きた出来事を伝えた。
ヴァンとヴァルフトは念のためにグリフォンの襲撃を警戒して外へ。ルトゥーラは未だに部屋に閉じ込めているイクラムと話をつけるために席を外している。
アルムのことはアルムを含めたこの五人に委ねるべきだと考え、マリツィアはこの場にアルム達五人だけを残していた。
「ベネッタがよだれ垂らして寝ている間にそんな事があったなんて……」
「ベネッタがアホ面で、そのケーキ食べていい? とか寝言言ってた間にそんな事あったのね……」
「や、やめてよ二人ともー! は、恥ずかしいー!! てか、なんで起きてるのさー!?」
真っ赤になった顔を手で覆って隠すベネッタはさておき、ルクスは顎に手を当てて呟いた。
「……こちらに都合がよすぎる」
「はい……奇妙な要求だと私も思います」
「意味が分からないレベルだ。あっちのメリットが全くない。こっちとしてはむしろアルムが魔法生命一体と戦うことは望むところですからね……」
ルクスはアルムのほうをちらっと見る。
そもそも、アルムは対魔法生命としての戦力。むしろ相手の魔法使いと戦わせずに、いかに魔法生命とぶつけるかをこちらが考えなければいけないくらいだ。
それを相手がわざわざアルムと戦う約束をし、なおかつアブデラ王に報告されずマリツィアの力を削がれないというメリットまでついてくる。
こんなおいしい話があっていいのかと思うレベルだ。
「罠でしょ罠。こんなの乗る必要無いわよアルム」
「罠だとしてどんな罠なのかもよくわからないね……ここまでアルムの魔力を削いでまだアブデラ王とぶつけたくないってことなのかな……?」
「それにしては妙ですわね……ぶつけるとしたら空中戦で有利に戦えるであろうスピンクスさんではないほうの魔法生命をぶつけるのでは……?」
「スピンクスさんがすんごい強いとかー……?」
「アルム様はどう思われますか?」
考えても答えの出ない疑問を前に、マリツィアは指名されたアルム本人に問う。
アルムは少し考えるように空中を見て、無表情のまま答えた。
「俺は乗るべきだと思う」
「ちょっ!? 本気!?」
「ああ、悪くないだろ。戦闘方法もよくわかってない魔法生命が俺とわざわざ戦ってくれるっていうんだから」
「け、けど、それが罠だったら――」
「多分、違うと思う」
アルムは腕を組んで、記憶を探るように俯きながら続ける。
「スピンクスは……ネレイアの時も情報は正確だったし、話していないことはあっても俺達を騙してはいなかった。だから信じるってわけじゃないが、あいつは俺達を襲ったこともない」
「アルム……そんな風に相手を信じられる所はあなたの美徳かもしれませんが……」
「いや、それだけじゃないんだ。俺達が見てきた魔法生命は今まで自分の欲望のために動いていただろ……? 今まで結構魔法生命と戦ってきたが、本当の意味で共闘している魔法生命はいなかった」
過去に出会った魔法生命達を想起して、アルムは言う。
「もしかしたら……スピンクスとアブデラ王の目的は違うのかもしれない」
いつも読んでくださってありがとうございます。
着々と進んでいきます。




