550.いい夜ですね
「マナリル西部パルセトマ領トルトネイア図書館……蔵書の七割が焼却。マナリル南部ダンロード領ディクト図書館……蔵書の五割が焼却。マナリル東部オルリック領ミオン図書館……蔵書の四割が焼却。マナリル王都アンブロシア図書館……蔵書の三割が焼却……。いずれも魔法書物の書架を中心とした工作だとすれば……」
情報共有を終えてアルム達が寝静まった夜。
マリツィアは一人コレクションルームの中に自分の蔵書を持ち込み、目を通していた。
普段はかけていない眼鏡の奥で桃色の瞳が真剣に文字をなぞっている。
半球体状の部屋の中、本に目を落とすその姿はさながら天文学者のよう。
しかし、壁に並べられた棺がそれを否定してしまう。
持ち込んだ本の内容は百年前に起きたダブラマによるマナリル強襲について。
すでにアブデラ王についてを調べる際に目を通しているが、先程のアルム達との話によって見方が変わってくる。
ぱっと見た際にはあたかもカエシウス家以外の四大貴族を狙った強襲のように見えるが、ダブラマが襲撃した場所は必ず図書館が被害にあっていることを知った。
「辻褄が合います……。この時から復活時の弱点を悟らせないように動いていたのだとすれば……この無謀といえる強襲の中に計画性が見えてくる」
百年前に起きたこの事件は痛ましくはあるものの、ダブラマの被害のほうが圧倒的に大きい。
マナリルは家屋や物資の被害は多かったものの、貴族や平民の人的被害は襲撃の規模に比べれば少数。対して、ダブラマはこの作戦に参加した魔法使いと兵の半数近くを失っている。
この強襲はマナリルでもダブラマ随一の失態とされており、この事件での大敗を機にダブラマは大人しくなったと評論する者もいるくらいだ。
「狙いはアルム様の持つ技術……そう考えればこの強襲は理に適っていますね……。友好関係だったマナリルをこけにした報復も当然の襲撃ですが、ラティファ様を呪法で掌握しているのならダブラマに侵攻されるリスクは考えなくてもよくなってしまう……当時はミスティ様やグレイシャ様ほどの逸材もカエシウス家には生まれていない……」
念のため北部を攻撃していないのも流石の采配というべきか。
実行する魔法使い達には無謀に見えて、その実アブデラ王の中では計画的。
万が一のカエシウスの介入を最低限まで下げている。
「それどころかこの状況では……」
北部だけ攻撃されていない異様さは恐らく当時のマナリル国内で懐疑心を生んだだろう。
カエシウス家がダブラマと内通していたのでは?
そう思われてもおかしくない状況が作られている。
そう思わなかったとしても、当時北部全土を支配していたカエシウス家の力を削ぎたい王族や他の貴族からからすれば絶好の機会だ。
敗走したダブラマよりも、国内で孤立するカエシウス家との対立のほうがさぞ重要に見えただろう。
「狡猾な……当時のダブラマの貴族を犠牲にして……!」
被害人数とその名が記されたページ数についマリツィアは唇を噛む。
名前を読んでいたらどれほどの時間がかかるだろうか。ダブラマの魔法使いが衰退したのがよくわかる。
目を背けるように眼鏡を外して、マリツィアは本を閉じた。
「しかし何故……」
アブデラ王は貴族が死ぬのを何とも思っていない。
だが平民が死ぬことに対しては何故か抵抗を持っている。
復活の為にはそれだけ生贄が必要ということだろうか?
だとしたら百年という長い期間は一体?
慈悲深いという線は消していい。アブデラ王にとってこの地に住まう人間は全て駒か生贄のどちらかでしかないのはわかりきっている。
「村の一つでも食い荒らせば"充填"の期間も少しは短くなったのでは……?」
それとも、百年の期間と平民の生贄は別の話なのか――?
「いけませんね……一人で考えてしまう癖が……」
もう味方がたった二人だけだった時とは違う。
シャーリーという親友は失ったが、その意思は間違いなく継いでいる。
そしてこんな自分に協力してくれる人達がいる。
ようやくここまで来ました、とマリツィアの眉間から皺が消えた。
「明日改めて相談すればいいだけの話ですよね」
マリツィアはここに来た本来の目的であるコレクションのメンテナンスのために、壁にかかっている棺の中から一つを選ぶ。
決戦は近い。ならば自身の戦力であるコレクションのメンテナンスはより一層重要となるのだ。
棺の中から自身のコレクション――遺体を慎重に持ち上げて、コレクションルームの中央にある人間大の台座に乗せる。
「こんばんは、いい夜ですね」
自らのコレクションに語り掛けるマリツィア。
これは会話しようとしているのではなくマリツィアなりの礼儀だった。
マリツィアがコレクションルームに来る際、必ず黒のドレスを身に着けるのと同じこと。
他の者にはわかるはずもないマリツィアが必ず行う自分の為の礼節。
もう肉体から離れてしまった魂が、恨む相手の声を忘れないように。恨む相手の姿を見つけられるように。
元々は墓守の一族だったリオネッタ家が、この血統魔法になった際に自分に課したものだった。
「……?」
マリツィアが遺体に触れた瞬間……微かな違和感が手に宿る。
コレクションのメンテナンスを欠かさず、そしてその血統魔法と化している体だからこその違和感。
目の前の遺体が、まるで目の前に無いかのような違和感にマリツィアは少し呆けた。
自身の不手際を疑い、血統魔法によって遺体を調べようとしたその瞬間――
「触れただけでお気付きになるとは……流石ですね……」
「!!」
ここに在るはずの無い声がマリツィアの耳に届く。
即座に、マリツィアは地上への階段がある出口のほうへと跳んだ。
相手の退路を塞ぐため、そして自身の退路を確保するため。
有り得ざることが起きても冷静に最善の動きを。
マリツィアは驚愕を露わにしながらも思考を回す。
だからこそ、その声の主にもすぐに気付くことができた。
台座に寝かせた遺体がゆっくりと起き上がる。マリツィアがコントロールしているわけではない。
マリツィアはその褐色の頬に冷や汗を流しながらその声の主の名を呼んだ。
「す、スピンクス……様……!」
「こんばんは……。いい夜ですねマリツィアさん?」
まるで蘇ったかのように、遺体はマリツィアに笑いかける。
この場はリオネッタ家の聖域。マリツィアの功績そのものであるコレクションルーム。
その全てを踏みにじるかのように――魔法生命スピンクスの声がここに現れた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。次の更新は一区切り恒例の幕間となります。




