547.反撃までのカウントダウン6
その後、私達は砂の塊に運ばれて地上に戻されました。
ダブラマの英雄。呪いで身を焼かれながらこの国を守り続けたラティファ様の魔法は砂漠内であれば自動で民を守る域に達しており……地上で私達を囲んでいた魔獣アロソスがいなくなったため戻されたようでした。
戻された場所は町からも近い瓦礫混じりの岩場で……私達三人は一時間もいなかった地下遺跡での光景と会話をしっかり記憶に焼き付けられており、互いに会話も無く、無言でその場所に立ち尽くしておりました。
「……助けなきゃ」
日も傾き始めた頃、静謐を破ったのは……私達の中で一番大人しいシャーリーでした。
私達の中で一番弱弱しくアロソスに囲まれた時には私達の後ろに隠れていた彼女は、黄金に輝く瞳の中に決意を込めて私達に訴えたのを覚えています。
「助けないと……! だって、助けてって言ってたよ……! それに、あの話が本当ならダブラマが滅茶苦茶になっちゃう……! そんなの嫌だよ……! 私、好きだもん! 使用人のみんなも好きだし、町の人だって好きだもん! それに……あの人泣いてたよ!!」
ボロボロと涙を流しながら、シャーリーは砂漠で叫んでいました。
きっと、その時に彼女は魔法使いになる決意をしたのでしょう。
ただ漠然と家を継ぐだけの人生ではなく、自分で選んで突き進む道を。
「パパにも知らせてみる……! そうすれば――」
「駄目だ!!」
橙色の空に響く怒鳴り声をルトゥーラさんがあげました。
お恥ずかしながら……私もシャーリーもその怒声に怯えて体を震わせました。
彼は言葉遣いこそ乱暴ですが、そのように怒鳴ったことは一度もありませんでしたから。
「知らせてどうなる!? 相手は王様だぞ!? 大した力も無い俺達の家なんて歯向かった瞬間に終わりだ! それに俺達はガキだ! 信じてくれるかも怪しい! 言いふらして王様の耳に入ったら俺達も殺されて本当のこと知るやつがいなくなる!!」
「じゃ、じゃあ……どうすれば……!」
「んなこと……一つしかねえだろ……!」
彼の自信無さげな表情は忘れられません。
それでも、方法が一つしかないというのを子供ながらにわかっていたのです。
「のし上がるしかない……。俺達が『女王陛下』と同じくらいに、王家直属の魔法使いになるくらい強く……! そうすれば王様にも『女王陛下』にも近付ける。もしかしたら俺達を信じるやつだって出てくるかもしれねえ……! ガキの言葉じゃなくて、ダブラマの魔法使いとしてみんなを信じさせるしかねえだろうが……!」
「そ、そんな……」
「できなきゃ終わりだ……! 弱い貴族の言葉なんてこの国じゃ誰も信じない……そのくらいもうお前らもわかるだろ!!」
ルトゥーラさんの言っている事があまりにその通りで、私達は別案を出すことすらできませんでした。
ここはダブラマ。弱き平民を庇護し、弱き貴族を許さぬ国。
より強い貴族が正しく、弱い貴族には発言権もない。
だから、彼の言う通りそれしか道が無かった。
シャーリーは袖で乱暴に涙を拭いたかと思うと、別人のような顔つきになっていました。
そして私達もそんなシャーリーに続くように決意したのです。
浅い歴史も血筋も関係ない。
必ずや頂点にまで届くダブラマの魔法使いになることを。
この国を守り続けてくれているラティファ様に届くような魔法使いになると――!
「これが、私達がアブデラ王と敵対するに至ったきっかけです……。アブデラ王には明確な悪意がある。この国に住む者を自らの欲望の食い物にしようとする意思がある。
私達は十年近く前に……それをすでに知っていたのです。三人だけの秘密を胸に、変わった様子を周囲に悟らせることなく、同年代の子供より遥かに多く鍛錬を積み重ね……そして天才と呼ばれるほどにまで上り詰めました。ですが……私達にとって最速で上り詰めても、間に合わなかった」
目を逸らして、マリツィアは悔しさを拳に込めて握りしめる。
そんなマリツィアをアルム達は初めて見た。
「私達が前任の第三位、第四位、第五位を打倒して王家直属に成り上がり、ようやくラティファ様に再会した時にはすでに……ラティファ様の精神は限界を迎えておりました。
苦痛を受け続けたその精神は擦り切れ、気高かった心はボロボロにされ、瞳の中にあった希望の光はどこかへ消えて……呪法によってアブデラ王に恭順する操り人形になってしまっていた。
真実を誰かが気付いてくれる保証も無く、アブデラ王を倒す勢力すら自分で退けなければならない現実、そして自分はただただ死にたくなるような苦痛に耐えるだけ、耐え抜いたところで待っているのは救いではなく時間切れという結末。そんな希望の見えない空虚な時間を過ごすには……九十年は長すぎたのです。
魔法的な意味で言うならば……生きながら鬼胎属性の魔力によって"精神汚染"が完了してしまった」
「……あんたの魔法を教えてもらう時にも聞いたわねそれ。そうすることで死体を支配するみたいな」
エルミラの声にマリツィアは頷く。
"汚染"とは鬼胎属性の魔力の特性であり、他者の精神や肉体をその魔力によって蝕むことである。
魔法によってその意味は異なるが、マリツィアの血統魔法であれば"精神汚染"とは死体の記録の解析を指し、"肉体汚染"は死体を自分の支配下に置くことを指す。魔法生命における宿主の人格浸食もこの特性の"精神汚染"に該当する。
つまり……マリツィア達が味方になるために歩んできた茨の道はその時点で無駄になってしまった。
何故なら、味方になろうとしていたラティファがすでに敵の手に落ちてしまったのだから。
「それでも、諦められなかった」
俯くマリツィアに代わって、ルトゥーラが続ける。
「たとえラティファ様が敵になろうとも……ダブラマを救うためにと生きてきた俺達はもうダブラマを捨てる選択肢はとれなかった。王家直属の魔法使いになって自然と魔法生命という存在を知り、マリツィアはその調査のために常世ノ国の組織との接触を、俺とシャーリーはいつマリツィアが殺されてもいいようにマリツィアからの情報を常に受け取りながら国内で機会を待った。もっともそんな機会は訪れず……シャーリーが一番最初に死んじまったがな……」
「ハリルさんの……娘さん……」
ベネッタはハリルから話してもらったシャーリーの話を思い出す。
娘の面影を守るためと、ハリルがアルム達を助けたことはベネッタだけが知る事実だった。
出会ったこともない。見たこともない。
それでも、国を想っていた魔法使いであることは疑う余地も無い。
でなければ、マリツィアもルトゥーラも今のような悲しそうな表情を浮かべてはいないだろう。
ハリルは、アルム達を救ってくれなかっただろう。
「そんな時に現れたのがお前らだった。マナリルで起きる魔法生命絡みの事件を次々と解決していくとある学生達。そしてその中心にいる異質な平民。アブデラ王の悲願が成就する目前で現れた無視できない存在があいつらにとって最後の障害で、俺達にとっては最後の希望だった」
「まぁ、僕達というよりは……」
「私達というよりはアルムですわね……」
苦笑いを浮かべるミスティとルクス。
事実、今日にいたるまでにアブデラ王がやっているのはアルムの封殺。
その事が同じ道を歩む者として悔しくもあり、友人として誇らしくもある。
「いや、それは違う。アブデラ王にとってはアルム一人かもしれないが……俺達はあんたら全員を引き入れたかった。なんたって貴重すぎる魔法生命との交戦経験者だ……どんなに強くても鬼胎属性の前では無力になっちまう魔法使いが多い中、何体もの魔法生命と遭遇して生き残ってる奴らがいる。しかもラティファ様と戦えるかもしれないカエシウスまでな。そんな奴らがいれば作戦の成功率はぐんと伸びる。シャーリーを失ってより不可能になった現実を可能に変えられる。だから……確実に、協力させたかった。だから、この話はずっと伏せてたってわけだ……」
途中まで熱く語っていたルトゥーラは諦めたように肩を落とす。
マリツィアとルトゥーラには自分達の過去を伏せなければいけない理由があった。
この話を聞いて、ミスティ達がどんな結論を出すかは想像に難くない。
「……アルムを、戦線から外されるのを避けるためですね?」
「ああ……そうだよ……」
「当然だね。その話が本当なのだとずればアルムをダブラマに残すにはリスクが大きすぎる」
そう、アブデラ王の真の目的こそ判明していないが……マリツィアが語る過去の話が真実だとすれば、アブデラ王はその目的のために平民の命を燃料にする。
ならば……アルムをダブラマ国内に滞在し続けるのは危険という他無い。
マナリルという国にとっても、ミスティ達にとってもアルムを失うことの大きさは言うまでもない。
マナリルにとっては唯一明確な魔法生命による対抗手段、国王であるカルセシスがこの話を耳にすれば即座に撤退を命じるだろう。
ミスティ達にとっては大切な友人。アブデラ王の手によってアルムがむざむざその命を散らすことを是とするはずもない。
さらに言えばつい先日……トヨヒメによる遠隔の呪詛でルクスが死にかけたという事件も記憶に新しい。もしあの一件のような事がアルムに起き、なすすべなくアルムの命が奪われでもしたら一生後悔するだろう。
「なら、俺様の魔法でとっとと帰すか?」
「そうだね。ヴァルフトの魔法なら数日でマナリルに戻れるだろう。それどころかガザスにまで避難させるのも無理じゃなさそうだ」
ここにはヴァルフトもいるため、人喰い砂漠を超えるのも難しくない。
いくら魔法生命の力といえど、霊脈の無い場所に届くことはないだろう。
霊脈の少ないガザスまで避難させて回復に専念させれば、アルムは万全の状態で敵と戦うことだってできる。
だが、それはつまり――ダブラマの人々を見捨てるという事となる。
「で、でもそれだとダブラマの人達が……」
「だからそれはダブラマの問題なのよ。ダブラマにとってアブデラ王の魔法生命の復活は止めなきゃいけない事態だけど、マナリルにとっては後から対応しても問題ないわけ。アルムを帰国させて回復しきるまで温存、そんでみんなで復活したアブデラ王の魔法生命を倒す方向で動いたほうがいいもの」
「エルミラの言う通りだな。ベネッタ、思考がマリツィア達に寄りすぎだ。お前はマナリルの人間だぞ」
これこそがマリツィアとルトゥーラが最も恐れていたことだった。
アルムは魔法生命の対抗手段。だが戦闘とは違う所でアルムに危害が及ぶ可能性があれば話は別。
マナリル側は当然アルムを失わないようにと動く。今は消耗もしているのもあってその選択は当然のこと。
アルムだけならばまだましだ。アルムが撤退すれば他の者も万が一に備えてダブラマから撤退する可能性だってある。
そうなれば本当にダブラマは詰む。
二人ではどうやってもアブデラ王どころかアブデラ王の取り巻きすら倒せない。
「で、でも……そうですけどー……」
冷静にダブラマの問題とマナリルの問題を分けて考える事の出来るエルミラとヴァン。
ベネッタは言い淀みながら、アルムとマリツィア達を交互に見て何も言えなくなる。
アルムに、残って戦おう、と言うこともできない。
貴族であり比較的安全な立場から、命を賭けろと軽々に言う口をベネッタは持ち合わせていない。
マリツィア達に、ごめんなさい、と言うこともできない。
ベネッタは知ってしまっている。自分達を助けてくれたハリルのシャーリーという娘に対する思いも、そしてそのシャーリーの親友であるマリツィアとルトゥーラがどれだけ苦悩してこの話を隠していたのかもわかってしまう。
自分には力が無い。
アルムに代わる力も無ければ、マリツィア達を見捨てる覚悟も無い。
無い。
ない。
あるのはどれも救いたいという願望だけで、実現する才が無い。
思いが板挟みになって、誰も声を発さない部屋の中ベネッタは泣き出しそうになるが――
「いや、帰らないが……?」
ベネッタが泣き出す前に、その静謐をアルムが破る。
みんな何を言っているんだ? とでも言いたげな微妙な表情でアルムは首を傾げていた。
「何か勝手に俺を帰す話になってるが……帰らないぞ? というか、帰るわけないだろ?」
「ま……そうだろうと思った」
エルミラはアルムがそう言うとわかっていたのか、呆れたように呟く。
「あ、アルム……ですがあなたの命の問題なんです」
「そうだ。先日の僕みたいな事例もある。戦いになるならともかく、妙な能力でそんな事になったら……」
ミスティとルクスが説得してみるが、アルムはピンと来ない様子だった。
「同じだろ……? あいつらと戦うのはいつだって命懸けだった。いつもと変わらない。それに……マリツィア」
「は、はい?」
「そのアブデラ王がいう百年ってのはいつのことだ? そんなに前から敵対してたってことはそれくらいは計算出来てるんだろ?」
「え、あ……今日からですと後二週間ほど、正確には十二日後です……」
「なら、俺も戦えるくらいにはなる。体の調子も戻ってきたから魔力量も六割くらいには回復するはずだ。【天星魔砲】は撃てないが魔法生命と戦えるくらいにはなる。魔法生命と戦える人間は一人でも多いほうがいいだろ?」
「そ、それは勿論そうなのですが……」
本当によろしいのですか? と聞きかけて、声が出なかった。
アルムの人となりは十分に知っていたと思っていたが、それでもマリツィアは驚いていた。
どうなるかもわからない、どんな手段かもわからない、けれど確実に来るであろう命の危機があると知ってアルムのスタンスは一切変わらない。
「なら残る。俺がいる分、他が楽になるなら勝率も上がるだろ」
「アルム、ここはダブラマだ。お前が無理して助ける理由は……」
「――俺が目指したのは」
頭に記録が思い浮かぶ。
記憶が蘇る。
鮮明に、再生させる。
白く輝く花園の中、自分の流す涙の冷たさも、肌を撫でる温い風も、瞳に映った真っ白な人のことも。
"君だよ少年。全ては君がどうしたいかなんだ"
始まりで原点。道を示してくれたその声も。
揺るがない。揺らぐはずがない。
「俺が目指したのは見知らぬ誰かのための魔法使いです。マナリルのための魔法使いじゃない」
少年が、ここに在る自分がどうしたいかを――自分が目指すものを違えることは絶対に無い。
「はっはー! てめえアホだな! よく言った!」
嬉しそうに指を鳴らして、ヴァルフトは笑う。
そしてアルムの座る隣に飛び込み、無理矢理に肩を組んだ。
「ヴァ、ヴァルフト……いたいぞ……。まだ傷がだな……」
「決めたぜ! 俺もてめえを帰すのに血統魔法は使わねえ! 帰んのは全部終わってからってことだよなぁ!?」
「まぁ、そういうことだな」
「はっはー! やっぱ馬鹿だぜこいつ! はははは!」
ヴァルフトが腹を抱えて笑う中、ミスティ達も顔を見合わせる。
「非常に反対したいところですが、まぁ、アルムはそうおっしゃいますよね……」
「一応説得しようと思ったけど、僕達が説得したところでね」
「そうそう、こういうやつこういうやつ。諦めましょ」
ミスティ達は不服そうではあるものの、アルムの意思を変えられないのはわかっているので諦めて覚悟を決める。
「あー……怒られる……どやされるぞこれは……何でアルムを守るように動かないのかって小言言われるぞ……」
「ほら、ヴァン先生も諦めなさい」
「報告書を改竄してこの部分は報告しないことにするか……」
ヴァンもそれをわかっているのか、さらりと不正を決意する。
そんな様子のアルム達を見て、マリツィアとルトゥーラの表情も明るくなった。
「み、皆様……!」
「安心しろ。少なくとも終わるまでは俺は帰らない」
「……っ! ありがとう、ございます!!」
マリツィアはアルムに向かって深く頭を下げる。
その横で床に座っているルトゥーラも、静かに額を床につけた。
「このご恩は一生忘れません……!」
「いや、まだ終わってないから頭を上げてくれ……そういうのは終わってからにしよう。こっちが不利なのは変わらないわけだし……現状は役立たずだし……」
二人に頭を下げられても特に変わらぬ様子のアルム。
「…………」
そんなアルムをただ見つめるしかない少女がいた。
ただ一言で、泣き出しそうだった自分の涙を止めた。
変わらぬ意思で、絶望しかけていた二人を救った。
重苦しかったこの部屋は、いつもと変わらない様子のアルムによって一変している。
ああ、遠いな。
そんな友人がいることが誇らしくて
ああ、遠いな。
何もできない自分を恥じて。
――ああ……遠いなぁ。
そう言えてしまうあなたに、泣きたくなるくらい憧れた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日の更新で今年の「白の平民魔法使い」の更新は終了となります。年末という事でお忙しい方もいらっしゃるとは思いますが、今年の最後まで付き合ってやってください。
『ちょっとした小ネタ』
マリツィアの一人称はラティファに影響されています。
ラティファのことを忘れないようにと、子供の頃にわたくしに直しました。




