546.反撃までのカウントダウン5
これは元々、私達三人の決意でした。
私マリツィア・リオネッタとルトゥーラさん、そして……アルム様達が滞在していたヤムシード領の跡継ぎだったシャーリー・ヤムシードという同い年の女の子の三人です。
私達は同年代であったこと、そして領地が近いこともあってすぐに仲良くなりました。
なにせ領地は別でも馬車で一日ほどの距離しかない場所に、同年代の子供がいるのです。
初等教育を家庭教師を招いて終わらせることが普通である貴族にとっては特に得難い環境と言えるでしょう。
子供らしく調子に乗るルトゥーラさんに、私の家の魔法を知っても気持ち悪がらない優しいシャーリー。
気付けば、六歳の頃から三人で魔法に触れ始めていました。
私達は学び、遊び、何より自由でした。
私達の家系はダブラマの中では平凡で、領地を守る以上の責任を負うには歴史も浅かった。
領主としても、マナリルとダブラマを隔てる砂漠に守られ、隣国からの侵入の心配も無いダブラマでは比較的気楽な気持ちでいられます。
子供らしく日々を過ごし、大人になってから守っていく民を見つめながら暮らしていたのです。
「あ、あ、安心しろって。こんなやつら俺が何とかしてやるからよ!!」
「る、ルトゥーラぁ……!」
「元はといえばルトゥーラさんのせいですけどね……遊び半分で……」
「ボソボソ言ってんなマリツィア!」
そんな順風満帆な生活を送っていると、危機意識なんてものはありません。
当時九歳だった私達は砂漠に繰り出しました。
ちょっと行くだけだからと、当時はルトゥーラさんのせいにしていましたが私も興味があったのです。
止めたのはシャーリーだけでした。しかし、シャーリーは優しい子だったのもあって強く止められず、子供らしい好奇心もしっかり持っていた彼女もまた着いてきてしまったのです。
結果……自然の洗礼を受けたのは言うまでもありません。
砂漠に埋もれている瓦礫を辿っていくうちに、私達はダブラマの砂漠に生息する魔獣アロソスに囲まれてしまいました。
アロソスはトカゲ型の魔獣で一メートルほどと大した大きさはありませんが、遅効性の毒を持っていて、その毒で獲物を弱らせてから捕食します。ダブラマのことわざにも出てくるその魔獣が何かを私達はよく知っており、だからこそ恐怖していました。
当時すでに魔法が使えるようになっているとはいえ、平凡な血筋である私達が魔獣に通用するような"変換"を行えるわけもありません。
「グギュリュリュ!」
「ググッギュリヤアア!」
トカゲとは思えない威嚇に並ぶ牙、鋭い爪が砂に少し沈ませながら歩いてくるその姿は当時の私達には死神にしか見えません。
このまま毒を浴びせられ、ゆっくり砂漠を彷徨って、最後には餌になって死ぬのだと縁起でもない想像をすることしかできませんでした。
ルトゥーラさんやシャーリーも同じように震えていて、もう駄目だと思った時にそれは起きました。
「うえあああ!?」
「きゃっ!」
「うひゃあああああ!」
突如足元が崩れ、私達は砂漠に呑み込まれたのです。
砂漠に住むアロソスですら行くことの出来ない深い穴の底。
流砂によって流された私達が辿り着いたのは……砂漠の地下に眠る遺跡でした。
古い。とても古い遺跡でした。
子供ながらにもこの遺跡には歴史的価値があるとわかるようなそんな遺跡でした。
「なんだよ……ここ……?」
「遺跡、でしょうか……?」
「ま、マリツィア……ルトゥーラ……何か凄いとこ来ちゃったよ……?」
遺跡があること自体には驚きませんでした。子供とはいえダブラマの貴族に生まれた者。
ダブラマの地下にはこのような場所がいくつもあって、魔石の採掘時に頻繁に見つかることを知っていたからです。
恐怖もありませんでした。おかしな話なのですが、私達を励ますように砂が寄り添ってくれるのです。
ここで待ってと言うかのように砂が私達の周りを舞っていて、自分達が落ちた穴の上からきらきらと輝き降ってくる砂の粒は雪の結晶のようで。
砂漠の下に落ちたはずなのに、コミカルな動きを見せる砂の塊を見ていると恐怖はとっくになくなっていました。
「なんだこの砂……? 生きてるのか?」
「まさか……魔法でしょう」
「じゃ、じゃあ私達を助けてくれたのもこの砂の人?」
シャーリーの疑問に私は頷いて答えました。
「恐らく……『女王陛下』様が助けてくれたんじゃないでしょうか? ダブラマのこの砂漠は"女王の玉座"と呼ばれると……本に書いてありました……。『女王陛下』様が私達が危ないと見てここに避難させてくれたとすれば……目の前で寝起きのルトゥーラさんみたいな面白い動きをしている砂の理由も説明がつきます……」
「おいおいまじかよ! 『女王陛下』ってダブラマのトップじゃないか! 俺達みたいな下級貴族が会えるなんてチャンスだぜ!」
「確かに……一生お見掛けすることのない御方でしょうね……」
「えー!? 会えるの!?」
「会えるかもしれないぞシャーリー! だってこんな遺跡に連れてこられたんだぜ!?」
『女王陛下』のラティファ様といえばダブラマの貴族界隈では常識です。
ダブラマを何年も守り続ける守護神。全ての貴族の手本。
砂漠におられ、ダブラマを守るために日々奮闘する英雄です。
先程まで恐がっていたことなど忘れて、私達は興奮していました。
しかし、砂は動くなと言いたげにぶんぶんと首のように動くのです。
「おい、もしかしたらこの先にいるんじゃねえのか!?」
「会いたい! 私会いたい!」
「まったくお二人は……貴族としてもう少し冷静になったらどうですか?」
「んなこといってお前が一番期待してんじゃねえのか?」
「そ、そんなことは……むぅ……」
「へっへっへ。ほら見ろ」
満面の笑みを浮かべるルトゥーラさんに飛び跳ねるシャーリー。
そして内心うきうきの私……もう探す以外の選択肢がありませんでした。
隠し切れない子供心に足を弾ませながら、『女王陛下』という生きる伝説に子供っぽく扱われないように大人の貴族らしく静かに私達は遺跡を歩きました。
砂の塊が私達の進路を阻もうとするのを無視して、私達は先に進みました。
その選択が、私達の人生を変えたのです。
助けられたことを、招かれたと勘違いした愚かな三人の子供の人生を。
「あ……さ……!」
「…………」
歩いていると、遺跡の奥から声が聞こえてきたのです。
今思えば、砂漠の地下にある遺跡で言い争う声など聞こえるほうがおかしかったのですが……『女王陛下』に会えると興奮していた私達はそこまで考えることはありませんでした。
私達は子供ながら身なりを整えて、砂を払って礼儀正しく、習ったマナーといつも見ている親がやるような静かな足取りで声のするほうに歩いていきました。
そして、声がする部屋を覗くと――
「あ……っぎ……ぶ……あああああああああ!」
そこには、苦しんでいる女の人とその傍らで佇む見覚えのある男がいたのです。
女の人の苦しむ姿は今でも忘れません。
痩せこけた頬、口の端から溢れ出す唾の泡、頭皮に爪を喰い込ませるように髪を掻き毟り、血走った眼はぐるぐると回っていて、目の下には刻まれたような隈があり、体は苦痛から逃れるように何度も何度も、苦悶の声と一緒に身を捩らせていました。
そんな明らかに苦しんでいる女の人を、傍らの男は薄い笑みを零しながら見つめていたのです。
「っ――!?」
「……!」
咄嗟に、悲鳴をあげそうになったシャーリーが自分の口と一緒に私の口を塞いでくれました。
ルトゥーラさんも自分の口を塞いでいました。
何も知らない、世間知らずの子供でも本能が感じ取ったのです。
ここで声を上げたら、ここにいることがばれたら殺されると。
それほどに、苦しむ女の人の傍らでた佇むその男が恐かったのです。
アロソスに囲まれた時よりも、この遺跡に落ちてきた時よりも。
ただその男がそこにあることが、恐かったのです。
「おぶっ……。うおええええ! う、ぎっ……ごぼっ! げぼ!」
「…………」
何もしない。
目の前の女の人が、汚物を吐き散らしながら苦しんでいるのに。
「ひっ……! ひっ……! ぎゃ、ぎ……! あ、ああ……!」
「…………」
何もしない。
目の前の女の人が、かちかちと歯を鳴らしながら耐えているのに。
「う、ぐ……ずず……! ぐぎゅ……! ぎひ、っあああああああ!」
「…………」
何もしない。
その光景が、私が生きてきた中で最も恐怖した光景です。
貴族なら、魔法使いなら、いや、真っ当に生きた人間ならばただ見つめるなどという選択をとるはずがないと子供ながらに思ったのです。
助けようとするでしょう。そうでなくても声をかけたりするでしょう。
助ける義理がないと無視するとしても、その場から離れるくらいはするでしょう。
暴力を好む悪しき人間であったとすれば、殴るでしょう。蹴るでしょう。
そのどれもを選ばない。
ただ苦しんでいるのを見つめるだけ。善行も悪行もそこには無い。
見るという関心があるにも関わらず、その苦しみに一片も触れようとしない。
薄笑いを浮かべながら、ただただ女の人が苦しんでいるのを見るその姿が何よりもおぞましく見えました。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
「今日も美しいな、ラティファ」
女の人が苦しみ終わると、男は女の人の名前を呼びました。
そして苦しんだ姿を、美しいと評したのです。
「アブデラ……! 貴様……!」
そこで私達は自分の目を疑いました。
苦しんでいるラティファ様を見つめていたおぞましい男は……あろう事かこの国の王だったのですから。
「いい加減諦めたらどうだ。君は本来そんな苦しみを味わう必要はない。ただ我を受け入れればそれだけでいい。君がどれだけ苦しんでも……それはただの引き延ばしに過ぎないのだよ? 無意味な苦痛を味わうのは勿体ないだろう? 我の物になればそれで君の苦しみは終わりを迎える」
「黙れ。悪心に魂を売った……ゴミクズめ……! 貴様と同じ空気を吸っているだけで、吐き気がする……! 諦めてなるものか、私は最後の時まで抗い続ける……! 貴様がかけた呪いがどれほどの苦痛であったとしても!」
どれだけ苦しみ、疲弊した体でもラティファ様はアブデラ王を睨み続けました。
生涯の怨敵を睨み殺さんと、その意思だけで抵抗を続けていた。
「強情だな。九十年前と変わらないその姿勢は見事……だが、精神は限界だろう? 頭の中で描かれる恐怖を刻む地獄絵図。体中に走る呪法の線が肌と内臓を焼く痛み。決して治らぬ傷口をやすりで削られ続けられるように、九十年与え続けられた苦痛の海に精神もボロボロなはずだ。
その状態で砂漠そのものである血統魔法を操っているその事実には拍手を送ろう。敵意や害意に反応し、罪無き民を自動で守る領域にまで昇華させた君は天才だとも。だがラティファ……そんな君も元は人間だ」
私達は絶句して、より信じられないようなものを見る目をしながらその話を聞き続けていました。
そして、たとえ所々のワードの意味が分からなくとも……子供でもわかる現実に辿り着くのです。
この国の王が、悪い人間であると。
この国を守り続けてくださっている『女王陛下』を、ラティファ様を苦しめ続ける諸悪の根源そのものなのだと。
「それが、どうした」
その諸悪の根源に向かって、ラティファ様は言い放ちました。
「ここは私が治める国だ! ここは私の愛するダブラマだ! 少しでも可能性があるなら耐え忍ぼう! いずれ誰かが、誰かが気付くまで耐え抜こう! 見かけだけの平和の下に、地獄があるこの国の現実に気付く日を!!」
「ふっ……! くくく……! ふはははははははははは!! 誰が気付く? 誰が気付ける!? ラティファ……我は契約を守っているぞ? ダブラマは我の統治の下、豊かな国であり続けている。元気に駆ける子供! 国の為に働く大人! 仮初めの平和を維持するために奮闘する貴族達! 誰が疑う!? 君という砂漠に守られ、平和を体現した理想郷とも言えるこの国がその実――我の悲願を叶えるための牧場であるということに!」
「!?」
「!!」
「っ!?」
この時は流石に、声が出そうになりました。
シャーリーに押さえられた手の上から自分でも手を押さえました。
それでも混乱して頭がぐちゃぐちゃになったのを覚えています。
まだ十歳だった頭で必死に考えて、考えて、頭を整理していました。
「呪法とは契約だ。百年の間、君を縛り続ける代わりにこの国を統治し続けるという約束は九十年経っても破られていない。当然だ。なにせ我にとってもこの国が平和で在り続けることは都合がいい。貴族はどうでもいいが……平民は大切な生贄だ。我が真にダブラマを統治する日のために。我が信仰する御方の復活のために!」
その時に、私達はこの国の真実を知りました。
順風満帆な生活。何一つ不自由のない豊かな日々。生活を侵されない平和な国。
私達が何も考えずに笑って過ごしたその日々は――全てラティファ様が九十年味わい続ける地獄の上で成り立っているのだと。
「まだ……まだ十年近くある!! その間に誰かが、誰かが貴様を討てば――!!」
「それこそ、誰が? 国を衰退させる暗君ならばともかく、平和にし続ける明君を誰が殺したいと思う? いないとも。他国からの侵略は何を隠そう君が全部止めてくれる! これで誰が我を討つ!? 君が敵は来させない! 君しか真実を知らない! ふはははははは!! 誰が我を討てるというのだね!?」
アブデラ王は愉快そうに、そして醜悪な笑みを浮かべていました。
ラティファ様の決意や希望を嘲笑うように。
「っ……! っぐ……! 死ね……! 死ね……! 死ね――! 貴様さえ、貴様さえいなければこの国は……!」
遠目から見ても、ラティファ様が悔しさで歯噛みしているのがわかりました。
アブデラに向けられた憎悪とその憎悪に至るまでの愛国心がいかほどのものか……想像もできません。
「君が屈するのが先か、精神が壊れるのが先か、それとも百年の時が過ぎるか……どちらにせよ君は我の物になるしかないのだよ。なあに、安心したまえ……君が壊れてもちゃんと飼ってやるとも。我は君を愛しているからな」
「反吐が出る――!」
「ああ、そんな所も愛しいぞラティファ……十年後の君の姿が我には見える。我と復活したかの御方、そしてその横に座る虚ろな王妃となった君の姿がな」
そうしてアブデラ王はその場を去っていきました。
最後に――
「本当に楽しみだ。想像するだけで胸が躍る。我が在位して百年目の日……この国の民の命がただの燃料にされるのを見ることしかできない、哀れな君の姿がな」
そう言い残して、遺跡の奥に消えていったのです。
私達は放心状態のまま、出て行ってもいいかわからずに一人残されたラティファ様を見続けることしかできませんでした。
「……けて――」
そして、見てしまった。
「助けて……! 誰か! 誰か助けて……!」
空の見えない天井を仰いで、涙するラティファ様の姿を。
「誰か……誰か助けて……誰か……助けてよぅ……!」
少女のようにうずくまって、助けを求める『女王陛下』の姿を。
私達は見ながら、一緒に涙を流す事しかできなかったのです。




