545.反撃までのカウントダウン4
「……ずっと違和感があったのです」
視線を空に向けて、ミスティはこの場に至るまでに聞かされた話の一部を思い返す。
「アブデラ王が百年近く在位していらっしゃるのはわかりました。魔法生命が複数存在しているのもわかりました。『女王陛下』が呪法によって縛られているのもわかりました。……けれど、言ってしまえばダブラマはそれだけなのです」
「それだけって……十分やべえんじゃねえのか? あのおーたけまる? みたいなのが何体もいるんだからよ」
ヴァルフトはガザスで大嶽丸と交戦した時の記憶を思い出す。
忘れるはずがない。一生忘れはしないだろう。
存在そのものが悪。恐怖。死。いずれかもしくはいずれもの象徴。
交戦から数秒で勝つと口にすることすらできないほどに思い知らされた怪物。
あんな生物が複数体いると改めて想像して、ヴァルフトは生唾を飲んだ。
「ええ、ですが……いるだけなのです」
「あん? どういうことだよ?」
「魔法生命は確かに一体で大都市を蹂躙できる力を持つ生命体ですが……必ずしも人間の敵になるわけではありません。大百足と敵対していた白龍さん、アルムのためにその生涯をかけたアルムの師匠サルガタナスさん……そしてガザスのために大嶽丸と戦った女王の側近である酒呑童子さん。被害の大きさから悪い印象を抱いてしまいがちですが、魔法生命は自分の望みを叶えるために動くのであって人間を殺戮するのが目的ではないんです」
様々な魔法生命と出会ってきたからこその確かな理解。
鬼女紅葉に心を殺されかけた経験もアルムの師匠にアルムを助けてくれと懇願された経験も、ミスティの中にはしっかりと残っている。
ミスティはアルムのほうをちらっと見て、アルムもそれに気付いて頷いた。
人間と同じだ。良い悪いを決めるのは種族ではなく、個人の話だ。
「今のダブラマは状況だけ見ればガザスが酒呑童子さんを護国の手段として迎え入れたのとそう違いはありません。魔法生命という存在がいるならば国の味方につける……リスクはありますが、他国からの侵攻に備えられる合理的な手段だと言えましょう」
「つまり……ミスティ的にはダブラマは問題ない国の形だって言いたいわけ?」
「あくまで偏見を無くした上での話になりますが、そうなります」
「で、でも……『女王陛下』って人を呪法で縛ってるって悪いことじゃないのー?」
「それも視点の問題ですよベネッタ。ベネッタはマリツィアさんやルトゥーラさんの視点で見ているから悪いことのように見えるのかもしれませんが……政敵を閑職に回す、僻地に飛ばす、牢獄に幽閉する、処刑する。このような事例は歴史的にも珍しくありません。自身の地位を脅かす可能性がある力を持つ方であれば、牙を抜く手段をとるのは当然と言えます。王という国の頂点に座するならなおさらそれくらいの危機意識は持ちませんと」
ミスティは今は無き古い王国ラフマーヌの王族カエシウス家の末裔が一人。
政敵に対する当たり前の手段を述べるにしても他の人間より重みが違う。
その視点は一方にただ立つのではなく全体を俯瞰しており……マリツィア達があえて語っていなかった部分に近付いていく。
「最初はダブラマは魔法生命の圧倒的な力による民の弾圧や殺戮を受けているのかと思いましたが……滞在して違うことがわかりました。マリツィアさんが統治するリオネッタ領は勿論、敵であるはずのジュヌーン・ダルドアの統治するダルドア領も、そして通ってきた村々も……民はみんな普通の生活を送っている。
いえ、むしろ砂漠という土地があるにも関わらず豊かなくらいでした。流石はマナリルと並べられる大国ダブラマと感心するくらいに。
……であれば、マリツィアさん達がアブデラ王と敵対する理由は一体何なのか?」
「そ、それは……『女王陛下』さんを助けたいからじゃ……?」
「それもあるのかもしれませんが……それだけが理由であるとすればマリツィアさんの人間像と合致しません」
ベネッタが挙げた理由を肯定しつつも、ミスティはそれだけではないと断言する。
ミスティの視線がマリツィアに向けられるが、マリツィアはまるで人形のように静かだった。
それは話を遮る気はないという意思表示なのか、桃色の瞳は揺れることもなかった。
「ルトゥーラさんはわかりませんが……アルム達はご存じの通り、マリツィアさんはダブラマの魔法使いなのです。それも一流の」
「……そうだね。ミスティ殿の言う通りだと思う」
ルクスは静かに頷く。
ミスティはそのまま続けた。
「この方はダブラマのために生き、ダブラマのために死に、持って生まれた才を国や民に捧げる。それが敵としても味方としてもお付き合いさせて頂いたからこそ思う私のマリツィアさんの人間像です。そんなマリツィアさんが『女王陛下』のためだけに国の象徴である王族と敵対を選ぶのは不自然と言う他ありません。マリツィアさんは国のためなら邪も受け入れる寛容さも持った……私の弟アスタを攫おうとする手段だってとる御方です」
「そうね。魔法からしてそうだもんこいつは」
「だからこそ、違和感が残ります。何故マリツィアさんはアブデラ王と敵対を決意したのか……?」
「魔法生命を抱え込むリスクからってのは?」
エルミラが聞くと、ミスティは首を横に振る。
「それならば私達への協力を要請するのが早すぎます。現状、魔法生命がダブラマにとっての薬となるか毒となるかのはまだ判断がつかない状態です。もしかすれば魔法生命がマナリルに対する切り札になる可能性だってある段階……それこそ大嶽丸に対する酒呑童子さんのように」
そう、このダブラマでアブデラ王勢力の魔法生命は何もしていない。
大百足のように人を喰らってもおらず、大嶽丸のような無差別の暴虐も行っていない。
鬼女紅葉のような国の転覆を目論んでいなければ、ミノタウロスのような霊脈の支配すらしていない。
スピンクスもグリフォンも……ダブラマにとってマイナスの事態を起こしていない。民は豊かに暮らし、命を脅かされることなく生きている。
マナリルが危険視するならともかく、ダブラマという国にとって表面上の問題が存在しない。
「ダブラマの現状のどれもが反旗を翻す理由に直結しません。貴族の処刑が多いという点に関しても国の問題の域を出ていないのです。魔法生命の被害が多いマナリルにからすれば魔法生命は危険な生命体……討伐のために協力するのはおかしな話ではありませんが、ダブラマは最初魔法生命と協力すらしていた国。様子見をしていてもおかしくありません。アブデラ王が魔法生命の力を持っているならなおさらです。
だからこそ……私達に話していない、アブデラ王と敵対する道をマリツィアさん達が選んだ理由があるのではないでしょうか? そしてそれが、アブデラ王のやろうとしている事とも関係がある……違いますか?」
そこで、ミスティの推測は終わった。
しん、と十人ほどもいる部屋が静まり返る。
視線のほとんどは立っているマリツィアと床に座らされているルトゥーラの二人に向けられた。
ルトゥーラは諦めたように、大きなため息をつきながら足を崩す。
「実際の当事者と紙の上で被害だけを知っている奴との視点の違いってやつだな……こいつらは魔法生命が国を脅かす危険な生命ってのがただの一側面でしかないって知ってるわけだ」
「はい……カルセシス様ですらその点には言及しなかったのですが……やはり経験は何事にも勝るということでしょうか。
……いえ、魔法生命の師匠がいたアルム様と仲の深いミスティ様だからこそ私の違和感に気付いたという所でしょうか」
ふう、とマリツィアも小さく息を吐く。
強張った表情は無くなって、代わりに浮かべたばつが悪そうな表情で視線を斜めに逸らす。
「ほとんど……ミスティ様の仰ったとおりです。私達は私達が何故アルム様達に協力を要請したのか、その本当の理由ときっかけをお伝えしておりません。ただ魔法生命は危険という説得しやすく、もっともらしい理由を盾にし、あなた方を騙してダブラマに連れてきたということになるでしょう」
「そうか……八つ裂きになる覚悟はできたか?」
隠し切れない怒りを言葉に込めながら、ヴァンが前に出る。
「待ってくださいヴァン先生」
それを、ベッドに座っているアルムが制止した。
「なんだアルム。人が好いのは魔法使い向きの性格だが……騙した相手を庇うのは感心しないぞ」
「そうじゃありません」
「なにがだ?」
「……ミスティも言っていたでしょう。マリツィアはダブラマの魔法使いだと」
「それで? それがどうし――」
ヴァンはさっきミスティが言っていた事を思い出す。
マリツィアはダブラマの魔法使い。この国のためならば邪とされる手段すらとる。
全ての行動は国の為。だからこそこれは裏切りなのではなく――
「騙したんじゃない。隠さなきゃいけない理由があった。俺達をこの国に来させるために。この国を助けてもらうために」
あくまで合理的な判断だったのだとアルムは断言する。根拠ではなく、ただマリツィアという人物の人柄を見て。
それにもかかわらず、発する言葉は力強くまるで知らぬ真実を語っているかのよう。
「限界だマリツィア。話すしかねえ」
ルトゥーラがマリツィアを諭す。
だが、マリツィアは苦い表情のまま。
「しかし……」
「これでこいつらがダブラマから出て行っても仕方ない。元から、これはそういう賭けだったろ」
「……」
「お前が話さねえなら俺が話すぞ。シャーリーとのことも含めて」
「……っ…………」
「この国はもう詰んでる。もう一度賭ける時が来たんだよ。俺達にとっての魔法使いが……こいつらであることに賭ける時が」
マリツィアは大きく息を吐いて、小さくゆっくりと息を吐く。
全てを受け入れる覚悟を決めたルトゥーラを一瞥し、こちらをじっと見るアルムと視線が合ったかと思うと……唇を噛みながら目を伏せた。
「これからするお話は……少し、長くなるかもしれません。爺や、皆様にお茶のご用意を」
「……かしこまりました」
控えていた執事が部屋を出る。
それを確認すると、マリツィアは瞳を揺らしながらアルムのほうに視線をやった。
「先にお伝えさせて頂きます。アルム様……このお話が終わった後にたとえあなたがダブラマから出て行っても私はあなたを恨まないと先祖とこの血筋に誓います」
「……俺達じゃなく、俺が?」
疑問を抱くアルムにマリツィアは頷いて、
「私達が子供の頃……十年ほど前のお話になります」
重い口を開き始めた。




