542.反撃までのカウントダウン
歩けば沈みそうな赤い絨毯と部屋に置かれた無数の調度品とアンティーク調の香炉。部屋には上質な木材に精巧に彫られた細かな彫刻が彫られた長机と椅子が並べられている。
そんな豪奢と文化を調和させた部屋の中、一人悩む少女がいた。
部屋にあるどの一品よりも目を引く眩しいほど美しいダークブラウンの髪。まだ幼さを残しながら、気品の漂う整った顔立ちは可憐と言う他無い。水色の瞳は透き通っていて、欠点の無い容姿はまさに彼女の地位に相応しい。
彼女の名はラーニャ・シャファク・リヴェルペラ。
十八という若さにして国内の権力抗争を勝ち抜き、先の大嶽丸侵攻による被害を順調に復興させているガザスの女王その人である。
部屋にはもう一人、深みのある茶髪を持つ片腕の無い女性が一人。ガザス王家直属護衛魔法使いエリン・ハルスターが直立不動の姿勢のまま、ラーニャの声を待っていた。
ガザスの軍服を着て待機するエリンの姿は凛々しく、そして美しく。性別を問わずに見惚れてしまうほどである。
「つまり……通信用魔石が使用できないのですね?」
「はい、例外なく使用できない状況にあります」
報告書に目を落としたまま、ラーニャの声にエリンは即座に口を開いた。
ここガザスは現在何の脅威にもさらされていないのだが、少し問題が起きている。
ダブラマに送り込んでいる密偵からの連絡が二週間ほど前から途絶えているのだ。加えて、密かに契約を交わしているマリツィアからの連絡も無い。
「南部に送った人達はどう?」
その問いはエリンへの問いではなかった。
まるで家族に問うかのような声色で、ラーニャは空を見つめる。
視線の先にいるのはラーニャを見守る未知の生命。
魔法生命に似て非なる存在にして、この世界にいながら理の内にいない異界の秩序。
魔力によって構成されるがゆえに普通の人間には見ることもできない妖精という生き物である。
光の塊のようなその生き物がこくこくと頷く。
「そう……北部に送った人達は?」
次の問いに、ふるふると首を横に振った。
それが意味するところは誰でもわかるだろう。密偵につけていた妖精を通じての情報なのでほぼ間違いがない、
「勘付かれている……? なら何で南部の密偵は何もされていないのかしら……? それに生きているのなら報告があってもいいはず……」
「ラーニャ様……やはり通信用魔石のほうに何かされているのでは?」
「そう考えるのが自然ですね……ダブラマはこの大陸で最も魔石に長けている国……通信用魔石を妨害する方法があるのでしょう。どうやらマナリルでも同じ現象が起きているようですから」
「カルセシス様には通じたということは……やはりダブラマで何かが?」
「アルムさん達がダブラマに入国した時期と通信用魔石が機能しなくなった時期が一致していますからね。関係ないほうがおかしいでしょう」
ラーニャはそのまま空を……正確には妖精達を見つめながら思案する。
何故その技術があって今まで妨害が起きていなかったのか。
理由はいくつか想像できる。
一番有り得そうなのは最近できた技術だったか、この時期になるまで妨害できるという事を悟られたくなかったから。
恐らくは後者だろう。そんな技術がダブラマにあるとわかれば別の連絡手段を確立させるか感知魔法による解析が進んだはずである。ダブラマはそれを恐れて今までこの状況を作ってこなかったに違いない。
加えて、こんな技術がダブラマが独占しているとわかればマナリルと休戦状態になったかも怪しい。
「技術を秘匿する必要が無くなった……? もうマナリルと休戦する意味は無くなったということ……?」
最悪は、その技術すら必要としないほど他国を圧倒できる段階に至ったか。
ダブラマが魔法生命の戦力を有していることはマリツィアから聞いている。
「そうなったらガザスも危うくなりますね……」
「ラーニャ様……質問をお許し頂いても?」
ラーニャが思案する合間をぬって、エリンが静かに手を上げる。
ラーニャは頷いて、エリンに続きを促した。
「北部の密偵は殺され、南部の密偵が生き残っているのはどういうことでしょうか?」
「ああ、北部にはダブラマの第二位の魔法使いがいるんです。以前から密偵から報告を貰っていて……非常に高齢らしくダブラマの英雄などと呼ばれていますが、中身は好色家で屋敷にいる人材は全て女性という極まっている人が」
「……つまり?」
「北部に送っていた密偵は女性だったでしょう? つまりはそういうことです」
「好色家であれば……むしろ女性を生かすのでは?」
エリンの腑に落ちない様子にラーニャは目をぱちぱちさせる。
そして呆れるようなため息をついた。
「私より年上で純粋であるというのはあなたの美点かもしれませんが……好色家が女性を殺す理由など一つに決まっているでしょう?」
「も、申し訳ありません……勉強不足で……」
「飽きたんですよ。ダブラマはただでえさえ使えない貴族を廃棄するのが当たり前の貴族社会です。そんな社会のトップに君臨している第二位なら飽きた女性を殺すくらいするでしょう」
「そ、そんな理由で……?」
「我が国の密偵の方々も第二位から情報を引き出せると思って飛び込んだのかもしれません……その結果、密偵だとばれたかどうかに限らず殺されてしまったのでしょう」
あくまでラーニャの予想ではあるが、恐らくは真実に近いだろうとエリンは祈りを捧げる。
実際の密偵の末路は……二人の言う第二位のジュヌーンが魔法生命の宿主であり、魔法生命の糧とするために食われたというラーニャの想像よりも悲惨なものだった。
「そんな国に潜入して……アルムくん達は大丈夫なのでしょうか。いくらマリツィア・リオネッタの手引きがあるとはいえ……」
「……大丈夫であってほしいと、願うしかないでしょう」
ラーニャは期待を込めて妖精達を見る。
妖精は頷くことも首を振る事もしてくれない。
白魚のような指を伸ばして、妖精たちを指に止まらせるが……アルムって何? と言わんばかりに何の反応も示さなかった。
遠い地で戦っているであろう国の恩人のことを思って、ラーニャの眉が下がる。その表情は一国の女王から少女に戻りかける。
「私が行く、だなんて仰らないでくださいね?」
「言いません。私だって弁えています」
そんなラーニャに先んじて忠告するエリン。
そんなに顔に出ていたかしら、とラーニャは顔を引き締めなおした。
「今私達がやるべきことは動きを見せないカンパトーレと常世ノ国を支配する最後の四柱の動向に備えること……そして、万が一に備えてアルムさんの代わりにカレッラの霊脈を守護することです」
「はい、我々は我々の役目で応えなければ……彼等もダブラマで奮闘していることでしょう」
「ええ……」
ラーニャは遠い目で、アルム達の顔を思い出す。
ガザスを救ってくれた恩人達に思いを馳せて、
「それでも、歯痒さは残るでしょう……何もできないというのは辛いことです」
そんなラーニャの心情に応えるように妖精達が乱舞する。
何もできないことへの不甲斐無さ。それは身分や地位に限らず心に到来する。
「ふむ……これみよがしに刻まれた検閲を避けられる王家の紋章……怪しいの極みですね?」
「しかもこんな夜間にだし」
「ええ、そこですフラフィネさん……住民が寝静まった時間にわざわざ? しかも廃れているはずの教会に?」
同刻。ガザスから遠く離れたダブラマ王都セルダール。
アルム達と別れ、王都での情報収集を続けていたサンベリーナとフラフィネは不審な動向を捉えた。
フラフィネの闇属性魔法によって夜間での観察を可能にした二人の目が、王城の裏手に建っている教会に到着した馬車をじっと見つめる。
馬車から降りてくるのは黒いローブに仮面を被ったダブラマの魔法使い達。
――何故二人は気付いたのか?
答えは簡単。二人がこの廃れた教会を今夜の隠れ家にしていたからである。
窓から外を覗くと、馬車に乗っていた魔法使い達は教会の中へと入ってくる。
「この教会……町の方々の話によれば使われていないと仰っていましたわよねぇ?」
「そのはずだし」
「国が買い取って管理しているから誰も立ち入らないと……なるほどなるほど」
「サンベリっち」
「ベリナっちとお呼びなさいな。どうしました?」
「なんかでっかいの運び出してるし」
暗がりに隠れながら魔法使い達の動向を見ると、人間二人分ほどのサイズはある布に包まれた球体状の荷物をダブラマの魔法使い達が運んでいた。
ダブラマの魔法使い達は強化をかけて運んでいるようで重さもかなりのものだろう。
「匂いますわね」
「安心するし。サンベリっちいい匂いだし」
「そんなのは当然です。そういうことではなく……このサンベリーナの勘とでもいいましょうか。非常に金の匂いが致しますわ」
「あのでっかいの?」
「ええ、ダブラマといえば魔石事業……そしてこの時期にこんな場所に運び込まれる球体状の荷物……これはもう正体は一つでしょう」
サンベリーナの目がきらんと光る。
ダブラマの魔法使い達が荷物と一緒から出ていったのを見て、二人は立ち上がる
窓の外を見ると、荷物を運ぶ数人はゆっくりと最善の注意を払いながら慎重に馬車の荷台にその荷物を乗せた。
「あらあら、随分大切なもののようですが……もし壊れたらどうなってしまうんでしょう? ねぇ、フラフィネさん?」
「気が合うしサンベリっち……うちも同じこと思ってた」
「ベリナっちとお呼びなさいな」
「それはいやだし」
潜伏して一週間以上……ついに弱みを見つけたかもと、二人は暗がりに潜みながら普段見せない笑みを浮かべた。




