535.目覚める男
「おはよう二人とも」
「ぶっ……!」
「……っ!」
ベネッタの治癒魔法の甲斐もあって、翌日にはアルムも意識を取り戻した。
起きた時の第一声があまりに予想通りでルクスもベネッタも笑いをこらえきれない。
そんな笑いが出てくるのも無事に目覚めた安心感からではあるのだが。
「状況は……?」
アルムは起き上がろうとするも、痛みに顔を歪めてそのままベッドに倒れ込む。
一見いつも通りのアルムに見えるが、服の下は包帯塗れで傷だらけなのは変わらない。
「マリツィア殿の協力者であるハリル殿という方の家を拠点にして休息をとってる。マリツィア殿にはすでに書簡を送ったとの事だけど……まだ返事はないみたいだね」
「そうか、誰か欠けたりは? ヴァン先生や、ヴァルフトは……?」
目覚めたばかりで即座に生存者を確認する現実的な視点がまたアルムらしい。
魔力切れに近い状態でまだ呼吸が荒かった。
そんなアルムを安心させるように、ベネッタがアルムの頭を撫でる。
「大丈夫だよー。全員無事に切り抜けたから安心してー」
「そうか……よかった……」
その言葉にようやく安堵したのか、アルムは目を閉じる。
「すまん……。もう少し足手纏いだ……」
「何言ってるんだ、アルムのおかげで切り抜けられたんだから謝る必要なんかない」
「そうそうー! ここの人達優しいし、ボクもアルムくんが動けるようになるまでお世話するよー!」
「ありがとう……。俺は魔力がある分、魔力切れになるとそこらの平民より弱くなるから……しばらく世話になる」
魔法を使えるほど魔力を保有できない平民には当然、魔力切れなどという症状は起きない。
本来、魔力切れで体調に異変をきたすのは魔法を使えるまでに魔力を保有する貴族だけに起きる症状である。
しかし、規格外の魔力を保有しているアルムは例外だ。
その魔力量ゆえに、魔力切れを起こした時の反動も大きい。ルクスですら一日休めば歩けるようになるというのに、三日間休んでいるはずのアルムはまだ喋るのすら辛そうだった。
(アルムの食事には毒見も必要だな……)
加えて、血統魔法を保有していないという弱点がある。
血統魔法を持つ貴族なら恐れる必要のない毒物に対する耐性すらない。
ここまで弱っていれば単純な抵抗力も弱まっているだろう。
ある意味、今のアルムは一番か弱い存在といっても過言ではなかった。
「気が付かれたようですな!」
しばらくして、アルムが目覚めたことに気付いた使用人の一人がハリルを呼びに行くと、ハリルはすぐに駆け付けた。
貴族らしからぬ……それ以前に明らかに男性用ではない可愛いらしいエプロンをつけたまま来たところをみると何かを作っていたのだろう。ほのかに甘い香りも漂ってくる。
「初めまして、アル――」
「ええ! ええ! 丁度よかった! 私特製のケーキが焼きあがる……いや待てよ……? 怪我人にケーキは少し重たいような……こうしてはいられません! 粥だ! すぐに粥を用意しなければ!!」
「あ、あの、ありが……行ってしまった……」
アルムがお礼を言う間もなく、ハリルはぶつぶつと呟いて出て行ってしまう。
まるで北風のように忙しないハリルにアルムもぽかんと呆気に取られているようだった。
遠くから、米とインゲンはどこだ、と使用人と一緒に騒ぐハリルの声が聞こえてくる。
「恐らく、悪い人ではないと思うんだが……一応警戒はしている。ダブラマの貴族である以上アブデラ王の手の人間である可能性は否めないからね」
「そうか……なんというか……いい意味で貴族らしくない人だな……見た目は堅苦しそうな人なのに……」
アルムは現状に安堵したのか、長く息を吐く。
そんな行動ですら痛むのか、顔は強張ってしまっているが。
「君が眠っている時に接触してきたんだ。マリツィア殿からの命令だって……とはいえ、謁見の間でのこともあってマリツィア殿も実際に会うまでは信用しないほうが……」
「ん? 何でだ?」
アルムは心底不思議そうな声で問う。
問われて、ルクスとベネッタの表情は少し曇った。
「そりゃあ……謁見の間であったことを考えればね……」
「うん……マリツィアさん……ボク達が落とされるのをただ見てただけだし、それにアブデラ王に最初からボク達を差し出すつもりだったみたいなことも言ってたし……」
二人……特にベネッタはマリツィアがあの場で言った言葉へのショックが大きかった。
国境を越えた友人とすら思い始めた所に、謁見の間で聞かされた切り捨てられるような発言……もう信頼も何もあったものじゃない。
ここに自分達を連れてきたのもアブデラ王の言った通り、魔法生命に対抗できるアルム達を始末するためなのではと思うのも無理はなかった。
「マリツィアはそういう人間じゃない」
そんな二人の疑念を一蹴するように、アルムは断言する。
何の疑念も含まれていないその声に一瞬、ルクスとベネッタは言葉が出なかった。
「アルム、僕もそう言いたいが……」
「安心していい。マリツィアは俺達を裏切っていない。少なくとも、アブデラ王の味方じゃない」
「で、でも……」
「そんな手を使ってくる奴じゃないってのはよくわかってるだろ」
二人が疑念の根拠を喋ろうとしても、アルムは有無を言わせない。
もっとも……遮られるままに言葉を途絶えさせている二人のほうが弱いのだ。
遮られるままアルムに押されているということは、どこかでマリツィアを信じたい気持ちがあるからこそ。
マリツィアに対してどう思えばいいか二人は揺れている。アルムは揺れていない。
声の強さに差があるのはそんな小さいようでいて大きな違いだった。
「謁見の間であいつは言った。自分はダブラマの忠臣だって。常に祖国のために動くと」
自信の根拠を示すように、アルムは謁見の間で捕まった際、マリツィアが言っていた言葉を語る。
当然ルクスとベネッタも覚えている。そもそも、その言葉を聞いてマリツィアを疑わざるを得なくなったのだから。
「思い出せ。マリツィアはずっとそうだっただろう。あいつはずっと祖国のために動く魔法使いだった。誰の敵でもない。ずっと祖国の味方なんだ。いついかなる時もあいつはあいつのまま現れると言っていた」
二人はミノタウロスの事件が終わった後、マリツィアとベラルタで別れた時の事を思い出す。
そう。確かにマリツィアは言っていた。
自分は他国の敵ではなく、祖国の味方だと。自分は自分のまま現れると告げてあの時別れたのだ。
「あいつは変わってない。何も変わっちゃいない。ダブラマの――故郷を守るために動く魔法使いだ。時に俺達の敵になることもあると言っていたが……少なくとも今は違う。魔法生命の力を使って国をどうこうしようとしているアブデラ王の味方じゃない」
傷だらけで弱弱しくベッドに横たわっていながら、その声はそびえたつ山を思わせる。
一切の揺らぎの無い力強い声はルクスとベネッタが抱いていた疑念をねじ伏せた。
「信じていい」
締めの言葉であるかのように、アルムは短く二人に告げる。
少しの沈黙の後、ルクスが考え込むように顎に手を当てた。
「確かに……そう言われてみるとアブデラ王の手前、言葉を濁してる可能性のほうが高いね……」
「マリツィアの事だから俺達に伝えようとしたのかもしれないな。マリツィア一人であの場をどうにかできるとも思えないから後で救出に来る気だったのかもしれないぞ」
二人が会話する傍らで、ベネッタはアルムを見つめながら胸に手を当てていた。
地下遺跡に落とされてから今日まで……どうしても拭えなかった不安がこんなにも簡単に消えている。
信じたくても信じられなかったマリツィアへの思いが、いつの間にか信じたいと思うようになっている。
ただアルムの言葉を聞いただけで、まるで子守歌でも聞いたかのように穏やかだ。
――目覚めただけでこうも自分の不安をどうにかしてしまうのかこの人は。
いつの間にか心に住まう安心感を確かに感じながら、ベネッタは俯く。
「……敵わないなぁ」
そして二人に聞こえないように……小さな声で呟いていた。
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