533.手助けの紳士
――ミスティ達がリオネッタ領に到着する数日前。
ゲルトラ渓谷に転移魔法で現れたハリル・ヤムシードに連れられて、アルム達はダブラマ東部のヤムシード領に到着していた。
ヤムシード領はリオネッタ領のすぐ下に位置する領地で、マリツィアが統治するリオネッタ領より領土も小さい。リオネッタ領が都市のような賑やかさであれば、ここは都心から少し離れた町といった雰囲気だろうか。
「私達は戦闘に参加しておりませんし、顔もまだ割れておりません。私達はこのまま王都付近で潜伏を続けていたほうがよろしいでしょう。通信用魔石が繋がらない不安要素こそありますが……こちらの戦力を誤認させるためにも別行動のほうがメリットが大きいかと」
「心配しなくてもいざという時は逃げるし」
と、冷静に状況を俯瞰してたサンベリーナとフラフィネはゲルトラ渓谷に残った。
二人とも貴族のお嬢様であり、本来なら長期の野営は辛いのだろうがそこはベラルタ魔法学院の生徒。日々の実地依頼をこなしているのもあって抵抗はないようだった。
ヤムシード家の邸宅は三階建ての屋敷だった。
ダブラマの貴族としては小さめだが、そこここに古めかしさと厳かな意匠を感じる屋敷であり……恐らくは無名の家名だった時代から大切に使い続けているのだろうと容易に想像できる屋敷だった。
使用人にも過度な堅さはなくどこか落ち着く屋敷であり、昏睡状態のアルムを連れて気を張っていたルクス達にはありがたい空間でもある。
アルム達を転移魔法で連れてきたハリルは屋敷に到着するなり、アルムの様子を見て医者を呼んだ。
ハリルと医師のどちらも監視するが、怪しい動きは特になく……医者はアルムの怪我に驚いてこそいたものの、できる限りの処置を終えて、治癒魔法を続ければ数日のうちには目覚めるでしょう、と診断して帰っていった。
その後は地下遺跡に閉じ込められていたルクスとベネッタに湯浴みもさせてくれた。
九日間地下遺跡に閉じ込められていた二人には何よりもありがたく、使用人の手伝いもあって、湯殿でゆっくりとくつろげる時間は至福の一言に尽きる。
湯上りには香油も塗ってくれるという至れり尽くせりの時間を過ごし、二人は地下遺跡から続く死地を超えた精神的疲労を少し癒すことができた。
「マリツィア様にはすでに書簡を飛ばしておりますのでご安心ください。この場にいる間は責任をもってこのハリル・ヤムシードが皆様をもてなさせて頂きますぞ!」
ハリルはアルムを寝かした客室でルクス、ベネッタ、ヴァン、ヴァルフトに向かってそう言い放った。
お任せくださいと言わんばかりに自分の胸を張るハリルに対して、流石に警戒心も少しは薄れる。なにより口髭にモノクルと紳士めいた印象を抱く見た目とのギャップが余計に空気を緩くさせた。
ルクスはそんなハリルに申し訳なさそうにしながらも、自分達がどう思っているかを伝えた。
「アルムの処置に湯浴み、そして拠点の提供までと感謝こそしていますが、こちらにとっては素性のわからぬダブラマの貴族。警戒を解けない無礼はどうかお許しいただけると嬉しいのですが……」
「ええ! ええ! それは勿論! あなた方にとって私は敵国の貴族! むしろ当然のスタンスかと思います。ですが、そんな警戒心を超えてあなた方をもてなすのが今の私の役目! 警戒するも自由ですが、こちらも存分に甘やかさせて頂きますよ!」
「……」
警戒すると言われてなおそう言えるハリルに、黙って聞いていたヴァンは感心すら覚えた。これが演技だとすれば大したものだと思うくらいの清々しさだ。
ここにいる五人をマナリルの貴族だとわかっているのもマリツィアの協力者であれば納得いくが、それはアブデラ王側であっても同じこと。感心したからといって完全に警戒心が解けるわけでもなかった。
「まずは食事でもどうでしょう。事情を聞けばルクス殿とベネッタ殿は特に必要かと。食事しながらまずは私のこともお話させて頂きます」
そうして、ルクス達は食堂に案内された。
医師に診てもらったとはいえ満身創痍のアルムを一人寝室に残すわけにもいかず、ヴァンだけを部屋に残してルクス、ベネッタ、ヴァルフトの三人は食堂へと移動する。
出てきた料理は豪華でこそ無かったが、ルクスとベネッタの体調に合わせて作られたのか優しい味付けのものばかりだった。
きのこの入ったオムレツ、刻んだきゅうりと玉ねぎ、トマトのサラダ、そして米のように細かい粒状のクスクスというパスタが並べられ、スパイスも少量で料理の量も控えめだった。
「お二人の胃腸に合わせて作らせたのですが……やはり若い方には足りませんかな?」
「いえ、お気遣い感謝します」
「本当にありがとうございますー!」
ハリルにお礼を言って、ルクスはスプーンに手を伸ばす。
そんなルクスの横腹を隣のヴァルフトが小突いた。
「ヴァルフト?」
「いいのかよ。何か盛られてたらどうする」
「それを確かめるために僕が毒見するんだよ」
小声で忠告するヴァルフトが止める間もなく、ルクスがまずオムレツを食べる。
……血統魔法に反応はない。
少なくとも、命に関わる類のものは入っていないということだ。
「おいしいですね……まともな食事をとったのは久しぶりなのでありがたいです」
「おお! それはよかった! かのオルリック家の次期当主にそう言って頂けるとは、我が家の料理長最大の誉れでしょう」
「おいっしいー!」
「ふっふっふ。これぞダブラマの味というやつです。マナリル料理とはまた違うったよさがあるでしょう?」
「はいー!」
「ったく……油断しやがって……」
普通に料理を口にするルクスとベネッタを見てヴァルフトもスプーンを手に取ってクスクスというパスタを口にする。
魚介とトマトを煮込んだスープを粒状のパスタがたっぷり吸い込み、噛む度に心地よい食感と蟹とイカの味が前面に出るスープのうま味が口に広がっていく。ほのかに香るサフランの風味もまた相性がいい。
「う、うめえ……!」
当然、血統魔法には何の反応も無い。目の前にあるのはただダブラマの特産物を生かした料理が並べられているだけだった。
料理の後には氷菓のデザートもあり、それもまた美味だった。
出てきた氷菓は白くて丸っこいポピュラーな形をしており、その味はいくつかの果物を調和させた雪のようで疲れた体に暴力的にまでに染み渡る。
湯浴みと食事で少し火照ったところにひんやりとした甘味がまず口を喜ばせ、喉を滑り落ちる喜びは満足のため息をつかせる。まさに料理の締めに相応しいデザートであり、この時にはヴァルフトも一息ついた表情を浮かべていた。
「さて……食事も終えたところで、まず私めが何者かをお教えすべきでしょうね」
食事を終え、使用人が全員分の皿を下げ終わるとハリルは咳払いをして神妙な空気を醸し出す。
食後のミントティーを一口飲むと、ハリルは自身が何者なのかを改めて名乗った。
「改めまして私はハリル・ヤムシード。マリツィア様とルトゥーラ様と同じく昨今のダブラマを憂う者。家名から察しているとは思いますが、あの"シャーリー・ヤムシード"の父親です」
決まった、とでも言いたげな笑みを見せるハリル。
その姿はミステリアスな紳士のようだったが――。
「誰ですかー?」
「誰だそいつ」
「あれえええ!?」
ベネッタとヴァルフトが無情にもその自己紹介を不発にする。
ミステリアスな紳士っぽい姿は数秒で消え去り、場の空気は元に戻った。
ハリルに至っては予想外の反応だったのか動揺が激しく、屋敷の主らしい威厳も霞みとなって消えていく。
「そ、そんな馬鹿な……まさかまだお話されてないのか!? あ、あれ? お、おかしいですな……ええ! おかしいですとも! ここで皆さんが、何だって!? みたいなリアクションを私が大人らしく静める予定だったというのに……!」
「な、なんかごめんなさい……」
「ご、ごほん……い、いえ謝られるようなことでは……。少し意外だったもので……そうですか……」
ベネッタの謝罪に落ち着きを取り戻したのか、ハリルはずれたモノクルと襟を直して座りなおす。それでも困惑はしているようで、首を傾げていた。
「シャーリー……マリツィア殿の執事が名前を言っていたような……」
「あー!」
マリツィアの屋敷に招待された時のことをルクスが思い出す。
ベネッタも言われてその名前を思い出したが、名前を思い出したところでどんな人物なのかはわからない。
「で、結局誰なんよ?」
ルクスとベネッタを代弁するかのように、ヴァルフトが尋ねる。
ハリルは改めて、誇らしげな表情でその問いに答えた。
「シャーリー・ヤムシードはヤムシード家に生まれた才女。私の自慢の娘にしてダブラマでは知らぬ者はいない王家直属の一人。……一年半前に現れた魔法生命メドゥーサとの戦いにて国を守って戦死した――第五位【夜翼】の名を持つ魔法使いです」
いつも読んでくださってありがとうございます。
実は久々の湯浴みがめっちゃ嬉しかった二人。




