531.押し寄せる現実
いつもありがとうございます。
前回の更新でわかりにくいところがあったので、前書きにて補足を……。
メルアという名前が出てきましたが、あれはニサの本当の名前です。数字名のメンバーは血統魔法を継げない者であり、極力情報が流出しないように名前を変えさせられます。
誤字と思われないよう念のためここに補足を。紛らわしかったら申し訳ないです。
それでは本編のほうをどうぞ……!
「これ食うか」
「い、いえ……結構です」
「……そうか。これは食うか?」
「い、いえ食欲がありませんので……」
乾燥し切った肌を裂く剃刀のような冷気。
外に出て広がるのは砂と岩、そして闇だけの世界。
連なる高い砂丘は山脈のようにも見えて、広がる砂は海のようにも見える。
そう思うのは、砂漠もまた特別な自然の一つだからかもしれない。
そんな過酷な自然の中、ぽつんと旅の一行が休んでいた。
岩場を目印にラクダを休ませ、魔石を使った焚火で暖と料理を作り、簡易のテントを建てて夜をしのぐ準備をしていた。
焚火の周りでは案内人のラクダ使いが次々に差し出す料理を、先日処刑されかかったイクラム・トルテオーンというダブラマの貴族は断り続けている。それを見ながらミスティ、エルミラ、ルトゥーラの三人も食事をとっていた。
あれから数日……予定通り、ミスティ達は数時間の休憩を終えた後リオネッタ領に向かっている。ジュヌーンからの追っ手を警戒して砂漠を迂回しているため時間はかかっているが、町の検問などを無視して行けるためそこまでの差はない。
とはいえそれも、魔法使いと魔法使い候補という砂漠の魔獣を恐れないメンバーで構成されているからである。平民だけではこうはいかない。
「イクラムさん……余計なお世話かもしれませんが、今日までの経験上一つ頂かない限りずっとオススメし続けるかと……」
イクラムと案内人のやり取りを見かねて、ミスティがアドバイスを送る。
実はというと、差し出される料理はもう二周目に入っていた。つまりこれは食べておかないと体がもたないから食えという強制イベントなのである。
ミスティのアドバイスに確かに、と頷き……イクラムはトマト入りオムレツを手に取った。ダブラマではポピュラーな郷土料理だ。
「そうそう素直に食っとけ。このルトゥーラ様が買ってきてやったありがたい食材だぞ」
「食材って……普通作った案内人さんが言うとこじゃないのそれ……」
「こまけえこと言うなエルミラ。蜥蜴の魔獣に刺されるぞ」
「……それはダブラマのしつけ文句ですか?」
「お、よくわかったなミスティ。まぁ、でも……蜥蜴の魔獣はまじで砂漠に出るから気を付けな。毒貰ってもすぐ死なねえが、体が痺れて三週間後くらいにぽっくり逝くっつう厄介な毒を持ってる」
「……? 何か聞いたことあるような……?」
ミスティ達がルトゥーラと話している様子を、イクラムはじっと見る。
休戦中とはいえ、何故敵国の貴族がここにいて、第三位のルトゥーラと行動を共にしているのか。
本当に自分は少し前まで変わらぬ生活をしていた自分なのか。
ここは自分が暮らしていたダブラマなのか。
あの処刑から、世界が変わってしまったような感覚にイクラムは陥るも、
「うまい……」
ほろりとした玉子の柔らかさとトマトの酸味が合わさる祖国の料理はしっかりと、ここが自分の住む国だと思い出させてくれた。
食事を終えて、明日に備えて眠る時間になる頃、イクラムは岩場の上で真っ暗な砂漠を見つめていた。
見える全てが暗闇で、見えたとしても果てまで砂しか見えないダブラマの砂漠。
マナリルでは人喰い砂漠などと呼ばれるが、ダブラマにおける名前は無い。
"守り神"とありがたみを表したり、"東部の砂漠"と単純に砂漠の広がる場所を指したり、時に"女王の玉座"と詩的に呼ぶ者もいる。
特定の名前で呼ばないのは古来より続くダブラマの風習である。
曰く、この国を守り続けてくれている素晴らしい砂漠に生まれた時につけられた名前があり、その名前以外で呼んではいけないという一種の自然崇拝。
魔法研究者の中には、砂漠の神秘を王家の家名以外と結び付けさせないような施策だったのではとも言われている。
どちらにせよ、ダブラマにとって砂漠とは国の象徴そのものである。
そんなダブラマにとって大切な砂漠をイクラムは見つめている。
紺色の瞳に映るのは当然暗闇だけだった。
現実を信じたくない人間には時折こういう時間も必要なのかもしれない。
「……何も聞かないのか」
「あら、気付いてた?」
そんなイクラムの後ろに、エルミラがそっと立っていた。
気付かれたからか、遠慮なくイクラムの隣に座る。
「そんで? 何か聞いてほしいの?」
「……俺から話すことはないぞ」
「私からすると、話したくて仕方ないって顔してるけど?」
笑いかけるエルミラに図星を突かれ、イクラムは眉にしわを寄せる。
バツが悪くなったのかイクラムはエルミラから視線を逸らした。逃げるように砂漠のほうを見る。
「助けてもらったことは感謝している……けど、あなたはマナリルの貴族だ。ならたとえ恩人でも祖国を裏切る真似はできない」
「別に裏切れなんて言ってないじゃない。それに、ルトゥーラのことはどう折り合いつけるわけ?」
「る、ルトゥーラ様は……う、ううん……」
「もうわかってるんでしょ? 国同士の単純な対立構造になってないって」
エルミラの言う通り、イクラムは詳細を何も話してもらってはいないものの……自分の国で何かが起きていることは嫌でもわかる。
権力の下、地図を作っただけで処刑される理不尽。
マナリルの貴族とダブラマの第三位が行動を共にしている異常事態。
少なくとも、第三位のルトゥーラがこのような行動をしている時点でダブラマは今一枚岩ではないのだと。
「ルトゥーラ様は……クーデターを起こそうとしてるのか……?」
「クーデターか救国かは終わった後に決まるんじゃない?」
「ははは……罪人みたいな言い分だ……」
「そうね。でも……ルトゥーラは少なくともこの国を人間の国のままにしようと動いてる」
まるで相手が人間ではないという物言いに、イクラムはエルミラの顔を見た。
その表情は冗談を言っているようには見えない。
「まるで、ジュヌーン様が怪物みたいに言うんだな……」
「そうよ。正確には、あいつの中に怪物がいる。信じなくてもいいけど、私達はその怪物と戦ってきた……だからこの国もその怪物と戦いに来たの」
嘘のような話。だが、イクラムには嘘と断じることもできなかった。
エルミラの瞳があまりにも真っ直ぐで、真実を語っているようだったから。
「は、はは……なら、ジュヌーン様も……その怪物のせいでおかしくなったのか」
そうだとしたら、エルミラの話も信じてみたいと思った。
イクラムにとって、ジュヌーンは実の父親。
たとえ自分がその才能を継ぐためにという経緯で産まれただけの子だったとしても、処刑の日まで一度も会ったことがない父親だったとしても、そう思えたのなら気が楽になる。
全部その怪物のせいなんだ。
俺が処刑されそうになったのはジュヌーン様の、父のせいじゃなくて怪物がおかしくしたんだ。
それなら――
「違うわ」
「……え?」
「悪いけど、それは違う。あんたにとっては残念な話かもしれないけど……あの糞爺はおかしくなんかなってない。あれが本性よ」
「……嘘だ」
「あんたがショックを受けるのはわかるわ。けど、私達が知っている怪物は……宿主っていう人間の体を借りることはできても人を操ったりすることできない。だからあれは紛れも無い本人の意思よ。あいつは、あいつの意思であんたを殺そうとした」
嘘だと言いつつ、イクラムはエルミラの言葉を嘘だと思うことすらできなかった。
真っ直ぐで正直なことが、人にとってはなんと残酷なことだろうか。
現実から目を背けたくて暗闇を見つめていたのに、隣にいる少女が現実を突きつける。
暗闇すら見つめたくなくなって、イクラムは目を閉じて顔を伏せた。
しばらくそのままの時間が続いて……夜の砂漠に一人きりみたいな感覚がイクラムを包んだ。
「俺の母親がさ……子供の頃から言うんだよ……」
「うん」
ぽつりとイクラムが口を開く。
顔を俯いたままのイクラムの横でエルミラはただ相槌を打つだけだった。
「あんたの父親はダブラマの英雄なんだ……あんたは父親に恥じないように生きるんだぞ……ってさ……」
「うん」
「俺は領主なんて大役できないけど……。それだけは、頑張ってきた……民を大切に、民のために、自分より弱い人々を守るためにって生きてきた……。地図を作ったのだってそうさ……もっともっと住みやすくして、地図の読み方とか覚えて貰ったら……色々な場所にいけるだろ……?」
「うん」
「才能は無いけど、せめて生き方だけはって……生き方だけはダブラマの貴族らしく……生きようって……。ダブラマの英雄の血が俺のなかにある……だから、この血に相応しい振る舞いをしようってよ……」
「うん」
イクラムの声が段々と震えていく。
乾いた空気が満たす砂の海に、俯いた顔の先にだけ大粒の涙が零れていく。
エルミラはそんな涙に気付いても多くを語らず、ただ話を聞くだけだった。
「あれが……あれが、俺が誇ってた人間なのかよ……! ひでえよ……! あの野郎……息子ってわかってて……俺を、俺を……! おれをごろそうどしやがった……!」
「うん……」
「なにが、なにがダブラマの英雄だちくしょう……! おれは、おれはあんなやつと血が繋がってることを誇りに生きてきたのかよ……! 俺の母親は、あんなやつの血に夢を見てたのかよ……!!」
「……うん」
「子供に……いや、こどもじゃなくったって……! 人に価値が無いって平然と言えるやつを、俺はぞんげい……してたのかよ!!」
顔を俯かせながら、イクラムは心の中で溜めていた思いを涙とともに爆発させる。
尊敬していた父親。誇り高いダブラマの貴族。恥じないようにして生きてきた自分の人生。
残酷な現実を味わって、がらがらと崩れ落ちていく価値観がイクラムに叫ばせる。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔は成人間近の青年というより、よすがを失った小さな子供のよう。
心の中にある綺麗だった憧れを吐き出して、残酷な現実を受け入れるために叫び続ける。
「そんなのって……ねえよ……!」
「全部言っちゃいなさい。最後まで、私が聞いてあげるから」
あんたの気持ち私は少しわかるから、そう呟いて、エルミラはただただ顔を俯かせながら叫ぶイクラムの声を聞き続けた。
元々、エルミラに尋問などする気はない。
ただ……ただほんの少し、子供の頃の自分と重なったイクラムの心を軽くしてあげたいと思っただけ。
相手がいなければ吐き出せない事もある。吐き出さなければ決着をつけられない思いもある。
自分もそうやって心を軽くさせてくれた友人がいたから、今度は自分がやってあげる番。本当にただそれだけのお節介だった。
暗闇に満ちた砂漠。ぽつんと立つ砂漠の岩場の上。
過酷な現実がカタチになったかのような場所だが、空を見上げれば遮るものが何もない満天の星空が広がっている。
そんなこの国に住んでいる人間なら当たり前のことに気付くまで……エルミラはただイクラムの隣に寄り添い続けた。
現実は残酷だが、現実だからこそ幻想よりも美しいものがある。
……ここに流れる一つの時間のように。
それから数日の旅路を経て、一行は最後に滞在するムシャクアという小さな町に到着した。
素朴でゆったりとした空気が流れるこの町はリオネッタ領に属しており、ここまで来れば追っ手の心配もほとんど無い。マリツィアの家があるレーヴンの町までも後一日という場所まで来ていた。
町に到着すると、ラクダから降りながらルトゥーラが一つの宿屋を指差す。
「あそこで休憩して夜に出発する」
「水浴びしたいわ……」
「私もです……エルミラ、一緒にお風呂に入りませんか?」
「いいわね、背中流してあげる」
ミスティとエルミラ、そしてイクラムもラクダから降りて宿屋に入ろうとすると……町の人々の話し声が聞こえてきた。
「先日ヤムシード家が空を飛ぶ怪物に襲われたとか何とか……」
「魔獣が出たんですかねぇ……マリツィア様が何とかしてくれるといいが……」
「マリツィア様ならすぐに対応してくれるでしょう、我らの女神ですからな」
女神と呼ばれるマリツィアにエルミラは隠す気もない苦い表情を浮かべる。
「あいつが……めがみ……?」
「マリツィアさんは領民の方々に慕われていらっしゃるんです……ルトゥーラさん?」
そんな二人の横を乱暴に通り過ぎ、ルトゥーラが雑談に興じていた三人の領民に歩み寄る。
そしてその中の一人の肩を掴んで、自分のほうに無理矢理向かせた。
「おい!! それは本当か!?」
「え? な、なんだあんた?」
「本当かって聞いてるんだ!! ヤムシード家が襲われたのか!?」
ルトゥーラのこのまま絞め殺すかのような勢いに圧されたのか、肩を掴まれた領民はこくこくと無言で頷いた。
有無を言わせないルトゥーラの様子を恐がったのか、ルトゥーラが肩から手を離すとその領民はその場から逃げていく。
「イクラム、ヤムシード家って何?」
「知らないのか!? いや、あなた達はマナリルの貴族だからそんな事もあるのか……」
イムラクの言い方から、どうやらダブラマでは有名な家であるらしい。
しかし、ミスティもエルミラも聞いたことのない家名だった。
「ヤムシード家っていうのは……」
「休憩は無しだ! 急いでマリツィアのところに向かう!!」
ルトゥーラはずかずかと戻ってくると、ラクダに飛び乗った。
普段の気楽な口調や雰囲気が消え失せており、緊急事態だということは聞かずとも理解できた。
「ルトゥーラさん、説明を……」
「ヤムシード家は俺達の協力者の家だ! しかも、万が一の事態が起こった際の拠点になる場所……つまり、お前らのお仲間がいたかもしれない場所が襲われたっつうことなんだよ!」
ルトゥーラの言う通り……ヤムシード家は王都から逃げ切ったアルム達をマリツィアの命令で渓谷まで迎えに来たダブラマの貴族。
満身創痍のアルムが滞在したその場所にはすでに……アブデラ王の手が伸びている。
読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。明日は恒例の閑話の更新です。




