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【書籍化】白の平民魔法使い【完結】   作者: らむなべ
第八部:翡翠色のエフティヒア -救国の聖女-

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530.答えてくれ(前)

「あの者達は一体何だったのだろうか……」


 ダルドア領・パヌーンの町。

 ジュヌーンの側近である王家直属ネヴァンの一人――イクは今日起きたイクラム処刑の妨害については考えながら帰路についていた。

 ダルドア領の中心であるパヌーンの町を衛兵と共に見回っていたのである。

 パヌーンの町は第二位が治めているが、大都市というわけではない。第二位であるジュヌーンがここを治めているのは、北に向かうと見えてくるミュール海からの侵攻を防ぐため。パヌーンの町が大都市にならないのも万が一陥落した際、敵国に拠点として大軍の駐屯を許さないためである。

 ……無論、ジュヌーンが統治してからダルドア領が落とされたことなどない。

 五十年程前に起きたガザス上陸作戦、そして二十三年前の戦争時においてマナリルの宮廷魔法使いによって実行された電撃作戦もジュヌーンと当時の北部の貴族達によって阻まれている。

 ダブラマが北部の侵攻を許したのはそれこそ、一年半前にジュヌーン北部を不在にしていた時に起きた魔法生命メドゥーサ侵攻の時だけである。その時もパヌーンは襲われることなく無事にやり過ごしている。


 そして今日の処刑の妨害事件があったとは思えないほどに、今もパヌーンの町は平和で穏やかである。

 北に向かえば海。東に向かえば砂漠。

 両極端な風景だが、どちらも地元の人間にとっては大切な故郷の景色だ。

 その両極端な風景だからこそ起きる砂漠の霧は、土地は乾燥しているのに空気は湿っているという摩訶不思議で北部以外から見た人間を驚かせる。

 北部の物流が交差する立地なのもあって、食べ物は魚介から野菜まで幅広い。

 人々は善良と言って差し支えない。今日も見回り時に話を聞いた人々から差し入れを大量に貰い……その差し入れだけで二日分の食事が賄えるのではないかというほどだ。頑張ってこの町を守ってくれている人には当然だと遠慮を許してくれないのである。


 そんなパヌーンの町が、イクは気に入っている。

 平均以下の才能。若い頃に両親が亡くなったことで血統魔法を継げなかった弱い貴族。

 普通なら廃棄(・・)されてもおかしくなかったが、ニサと共に剣術の才能はそれなりにあったらしく王家直属の数字名として選抜され、ジュヌーンに側近として指名されてこの町に住むことになった事にイクは感謝している。ジュヌーンが側近として指名しなければ今は無い。

 無論、女二人を側近にしているということはそういう意味もあり……夜伽(よとぎ)の時間もあるにはあるが、恩人への恩返しと思えば大して苦でも無かった。

 それに、子を宿せばそれはそれで歴史ある血筋を後世に残すこともできる。

 ジュヌーンは未だに現役の魔法使いとして君臨し、今日まで幾度もダブラマを守ってきた聞きしに勝る英雄の一人。その血筋を子に継げるのであれば受け入れない理由も特にない。廃棄寸前の貴族だった自分達にとってはもったいないくらいの好条件だ。


「ふう……」


 イクは自分の邸宅に着くと両手に抱えた差し入れをテーブルに置き、数字名の魔法使い用のローブを抜いで仮面をとる。

 仮面をとると、イクのガラス玉のような碧眼が夜闇に浮かぶ。アッシュの髪がため息とともに肩を流れて、イクはその流れた髪を手で払った。

 一休憩ついでに差し入れの中身を確認して、微笑む。

 子供がどさくさに入れたのだろうか。食べ物に混じって二枚の押し花の栞が出てきた。


「ふふふ……一枚はニサの分か……。困ったな、ニサはあまり本を読まないのに……」


 イクは思わずにやけながら、この栞を使うために本を買うニサの姿を想像する。

 同じくジュヌーンの側近であるニサは血の繋がった妹だ。

 任務中はいかにも堅物といった雰囲気だが、任務が一度解かれればぼーっとしたり、寝るのが好きだったりと猫のような妹だとイクは知っている。それがまた可愛らしく思えるのは姉だからだろうか。

 自分の妹の本を読む姿の似合わなさを笑いながら、差し入れを確認し終わるとイクは再びローブに身を包む。

 少し休憩したらジュヌーンに今日の報告をしにいかなければいけない。



「お疲れ様です。イク様」

「ええ、あなた達もご苦労様……今日は災難な日でした」


 ジュヌーン邸に着くと、同じく見回りに走っていた衛兵隊とすれ違う。

 ジュヌーンの配下は他とは違いパヌーンの町を守護するのが役目なので、大体が顔見知りである。

 とはいえ、立場は側近であるイクのほうが高いため衛兵は気軽な口調ではあるものの敬礼を欠かさなかった。


「本当ですよ……侵入者がいるから仕方ないとはいえパヌーンの町を隅々までというのは……」

「それでも半分くらいの家屋は捜索できたのは君達のおかげでしょう」

「そう言ってもらえると……イク様も付き合わせて申し訳ありません……」

「何言ってるの。相手はニサに怪我させた犯人なんだから私自ら捜索するのは当然。見つけたら一発ビンタくらいはしないとね」

「そうだ……ニサ様はご無事なんですか?」

「ええ、軽いやけどですんだから安心して。あなた達はしっかり休んで明日に備えなさい」

「はい、失礼します」


 衛兵隊と別れると、イクは使用人に通されてジュヌーン邸に入る。

 ジュヌーン邸もダブラマの文化に例外なく、パヌーンの町で最も大きい。敷地を目一杯使った広大さは一目で貴族の住居とわかるだろう。

 玄関ホールは華美な装飾と床一面のタイル画でいかにもな豪華さを醸し出し、照明用魔石のシャンデリアは夜闇には眩しいくらいだ。

 いつも通り使用人に挨拶をしてイクはジュヌーンの私室へと向かう。

 ベルベット調のカーペットが施された階段を上がっていく。使用人が一番行きかう一階とは違って、二階は流石にもう薄暗い。

 照明用魔石が並ぶ廊下を進んでいって突き当りがジュヌーンの私室である。


「……?」


 夜だからか。

 イクの背筋に寒気が走る。

 時期が時期だから冷えるのは当然だが、そこまで薄着のつもりはない。

 風邪でも引いたかと、自身の額に手を当てるがどうやら熱は無さそうだ。


「疲れが出たか……? ニサのお見舞いついでに薬でも貰っていくか……」


 ジュヌーンは年齢もあって、専属の医師もいる。

 医務室には今頃やけどをしたニサが寝ているはずだ。見舞いついでに風邪薬くらいなら貰う許可は出るだろう。その時にさっきの差し入れにあった押し花の栞を渡してやろうと。


「……なんだ?」


 かちかち。

 かちかちかち。


「ジュヌーン様が……お戯れになっている音か……?」


 音がする。秒針を刻むような音ではなく、不規則な音。

 道具を使った夜伽も時にはある。気にするようなことではないかと歩を進める。


 だが……その足が理由も無く、止まってしまった。

 まるで外気の気温が血管を駆け巡るような感覚。

 寒気が止まらない。

 窓から入ってくる月光がイクを照らす。

 照らされているというのに、暗闇しかここにない。

 碧眼が見つめるのは廊下の暗闇。アッシュの髪色は月光に照らされているはずなのに全く明るくない。

 月の光も照明用魔石の光も、夢のようなか弱さを孕んでいる。暗闇の残酷さを照らすには何て心細い。


「はぁ……! はぁ……!」


 息苦しいくらさは寒さのせいか。それとも暗闇によるものか。

 イクは重い足取りで廊下を歩く。

 使用人が一人、なんてことのない挨拶を交わしてくれたらどれだけ楽になるのだろうか。

 だが、廊下にはイク一人しかいない。


 かちかち。


 オトがなっている――。


 ぐじゅぐじゅ。


 部屋に近づくにつれて、音が増えていく――。


 かちかちかち。

 がじゅ。がじゅ。

 じゅるる。じゅるるるる。


 ジュヌーンの私室の前に立って、音の出処が部屋の中からだと気付いた。

 食事音のような音が廊下にまで響いている。

 イクの足取りはふらふらとして、いつの間にか汗だくになっていて。

 仕えて三年。初めて、扉を開けずに帰りたくなった。


「失礼……致します」


 三度ノックをして、イクは震える手でジュヌーンの私室の扉を開ける。

 ああ、開けなければもう少しだけ――か弱い夢の中でいられたのだろうか。


「ジュヌーン……さま……?」


 がじゅがじゅがじゅ。じゅるるるるる。

 扉を開けて、音が大きくなった。

 ジュヌーンはベッドのほうにいるようで、ベッドのほうに歩いていく。

 今日の夜伽の相手と一緒にいるようで、二人分の影が見える。

 この音は、食事でもしているだろうか。


「――っ!!」


 イクは目を剥き、声にならない悲鳴を上げる。

 ベッドのシーツは、赤く濡れていた。

 暗闇の中でも残酷なほど赤く、鼻をつく鉄臭い匂いは赤の正体を否が応でもわからせる。

 その赤の中心に二人の影があった。

 一人はジュヌーン、そしてもう一人は――


「ニ……サ……?」


 ぐったりと力を失い、生気を失った表情のまま首元から血を流すニサだった。

 トマトを啜るような奇妙な音は、体に口づけするように顔を近づけるジュヌーンの口元から聞こえてきており……イクはこの状況を理解するまで呆然と立ち尽くしてしまう。


「おお、イクか」


 気配に気づいたのか、ニサの体に夢中になっていたジュヌーンが振り返る。

 その声にびくっとイクは体を震わせた。

 振り返ったジュヌーンの口元は真っ赤に濡れており、どこが唇でどこが鼻なのかわからないほど染まっている。


「なに……を……?」


 イクはほんの一欠片だけ機能していた理性でジュヌーンに問う。

 ベッドに転がるニサは一目でもう生きていないということがわかるほど……食われていた(・・・・・・)

 首元は半分ほどしか残っておらず、胸も片方が無くなっていて、血のモザイクがかろうじて現実を手放させない。

 半開きの目に生気はとうに無く、頬には血に混じって最後まで流していたであろう涙の痕が残っていた。


「今日失態した者に罰を与えるのは当然じゃろう? それに……運も無かったな。今日はやけに昂ってしまってな。抱くついでに罰を与えただけじゃよ」

「罰……? これが、罰、なのですか……?」

「私の糧になれるのだから寛大な最後じゃろう? ただ廃棄されるよりよほど恵まれた最後だと思わぬか」


 イクは呆然と、動かないニサを見つめていた。

 この最後が恵まれている?

 これが? ……これが?

 ジュヌーンはこの国の第二位。ダブラマの英雄。強き貴族。

 強い者の言葉は正しい。ならば、妹のこの最後も正しいというのか?


「どうした」

「あ……ぁ……」


 ここに辿り着くまでにイクが感じていた寒気の正体――鬼胎属性の魔力がイクの体を縛り付ける。

 ベッドの上に広がっているのは次元の違う存在の欲求そのもの。

 ジュヌーン本人と奥底にいる怪物の欲求が入り混じった結果、ここ残酷な現実が生まれている。


「安心せい。こやつは私が演出した場で失敗したからこうなったまで……普段何かやらかしたからといってこうなるわけではないぞ」

「いえ……その……」


 イクは生唾を飲み、声を出す。


「なんじゃ? よいぞ」

「ニサは……その……私の、妹で……! ジュヌーン様にもいつか……お話したと、思うのですが……」

「なんじゃと? それは……」


 ジュヌーン一度、動かなくなったニサのほうを振り返る。

 そして――


「なるほどのう……道理で抱き心地が似ているわけじゃな」


 そんな、どうでもいいことを呟いた。


「それで? 何か報告があったのではないか?」

「あ……え……」


 それだけですか? そう返すこともできなかった。


「報告しろイク」

「は、はい……町を、捜索したところ……侵入者もイクラムも……見当たりませんでした……」

「そうかそうか。お前たちが捜索して見つからないということはすでに町を出たのだろう……後の事は私がアブデラ陛下に報告しよう。用件はそれだけか?」

「ぇ……」


 イクはニサのほうに目を向ける。

 恐怖と混乱で縛られた体はそれくらいしかできなかった。


「それだけか? イク?」

「っ……! は、はい……」

「そうか、ご苦労じゃったな。下がってよいぞ」


 ジュヌーンはベッドにあるカーテンを閉めると、また音が鳴り始める。

 ぐじゅぐじゅ。じゅるるる。

 何かを貪る音。

 かちかちかち。

 人間が出す音ではない奇妙な音。

 カーテン越しに、イクは呆然と動く影を見つめ続ける。

 静かに涙を流し続けて……カーテンを開けてもう一度現実と向き合う気力などあるはずがなかった。


「…………」


 無言で見つめ続けて、奥歯を噛み締める。

 お見舞いのついでに渡そうと思っていた押し花の栞が、鉛のように重かった。


 ――なんだ?

 これが、これが貴族か?

 これがダブラマか?

 私が弱いから、こんな疑問を抱くのか?

 弱いから、この怒りも間違っているのか?

 弱いから私はニサを……妹を、メルア(・・・)を守れなかったのか?

 私の妹の死体を貪るこの者は本当に……ダブラマの英雄なのか?


「――っ!!」


 私はダブラマに忠誠を誓っている。

 祖国に忠誠を誓っている。

 ここに住む民に自分の力を捧げている。


 誰か私に教えてくれ。

 誰か私に答えてくれ。

 私の目の前にいるこいつは――なんだ?

いつも読んでくださってありがとうございます。

誤字報告いつも助かってます……!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 想像以上におぞましい爺さんですね……(誉め言葉 魔法生命に毒されたっていうより、もともと独善的で嗜虐的なモノを抱えていそうに感じました。 [一言] ちなみにこういった描写自体は嫌いじゃない…
[一言] あらら……そうなってしまいましたか…合掌 登場して間も無い子達だったので強い悲しみはないけど、でも境遇とかを知ると少し可哀想…(´;ω;`) ダブラマに生まれた為に…とは言え、恐ろしい国だ…
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