526.この国は止まれない
「さ、三週間……」
「くそ……これを見越して僕達を落としたのか……? 九日で出れたというべきなのか九日もかかったというべきなのか……」
フラフィネの三週間というリミットを聞いてルクスは顔をしかめ、ベネッタの顔色は青くなる。
二人がそんな表情になった理由がわかるのは【原初の巨神】の事件の事を知っているヴァンだけだった。
「どうされましたの? ヴァルフトさんがいらっしゃいますからダブラマ国内の移動に大した時間はかかりません。マリツィアさんに会いに行くにしろ、他の皆様と合流するにしろまだ猶予はあると思いますが……」
「……間に合わない」
「え?」
「アルムの回復が間に合わない……!」
ルクスの言葉にサンベリーナは疑問を抱く。
「どういうことですの? 怪我がひどいのはわかりますが……病院を頼ることができれば治癒魔導士がいますでしょうし、なによりベネッタさんの治癒魔法をかけ続ければ動けるくらいにはなるのでは……?」
「その……サンベリーナさん……傷のほうじゃなくて魔力が戻り切らないんです……アルムくんは魔力量が他の人の何十倍もあるから……」
ベネッタに言われて、サンベリーナ、フラフィネ、ヴァルフトの三人もようやく気付き、その重大さに目を見開く。
「ま、まさか……! 魔力量が多くても魔力の回復速度は私達と変わらないということですの!?」
「か、勝手にそっちも凄いんだと思ってたし……」
「俺達は二日あれば大体……霊脈にいれば下手すりゃ一日で回復するだろ……? 滅茶苦茶魔力が多いやつでも精々四日くらいだろうが……こいつはどんくらいかかるんだよ?」
ヴァルフトが問いかけると、ルクスとベネッタは顔を見合わせる。
アルムが【天星魔砲】を撃った後の経過に一番詳しいベネッタがおずおずと口を開く。
「【原初の巨神】の時とミレルの時は……全快するのに一か月以上かかったって……」
「全然間に合わないじゃないですの!?」
「けど、少なく見積もっても半分くらいは回復するわけだし……。そんな深刻になることだし?」
「その【原初の巨神】の時とミレルの時に使っていた……アルムの切り札が使えない。アルムの使う魔法の中でも別格の、状況を一変させる最強の一手が」
ルクスは横たわるアルムを見つめながら、影が落ちたかのような暗い声色で話す。
アブデラ王達が先手として打ってきたのは徹底したアルム封じ。
歴史ある地下遺跡、アブデラ王の権力による使者の指名、魔法生命二体を同じ場に置くことによる存在感、そしてミスティと並び立つであろうダブラマの頂点『女王陛下』という第一位の力などを総動員して行われた……魔法生命に対する切り札の封殺。
地下遺跡で野垂れ死ねばそれもよし。出てきた所を殺せばそれもよし。……たとえ殺せなくとも、全てを台無しにしかねないあの砲撃さえ封じられればそれでよし。
何重の保険をかけた安全策。今までの敵とは違い、アブデラ王達は手にした情報からアルムの事を最も警戒すべき敵だと認識している。
「戦う前から手札を一枚切った……。いや、切らされた……! マナリルからの使者である僕達を陥れて入るだろうマナリルとの亀裂よりも、アルム一人を封じることを優先したんだ……! 対魔法生命に関して、周辺国家が慎重になっていることを見越して……!」
「となると、フラフィネが聞いた三週間後とやらも現実味が出てくるな……」
ヴァンは難しい顔で呟く。
何らかの催しというふわっとした情報ではあるものの、アルムの魔力回復時間を把握してたとすれば三週間というのは絶妙な時間帯だ。
前線に向かわせるには躊躇い、安全圏に逃がす戦力としては勿体ない微妙なライン。指揮官がいたとすればどう動かすべきか苦悩することは間違いない。
(上手いな……アルムの功績の大きさを逆手にとられている……。使者を陥れるなんざ最初は愚策かと思えば、アブデラ王の視点からなら逃がしても殺せても利になる策だ……)
しかし、それだけアルムを恐れており他の戦力を侮っている証左でもある。
なりふり構わずにアルムだけを狙い撃ちしているこの策は、フラフィネの言う三週間というタイムリミットを実質裏付けしているようなものだった。
「けっ……何か他は眼中にないって作戦だなおい」
「だからこそ、僕達の動き次第で状況を一変させられる可能性が高いということだと思わないかい?」
ルクスも同じ結論に辿り着いているのか、気に食わない口ぶりのヴァルフトを諭すかのように問う。
「あいつらが警戒しているのは恐らく……アルムとミスティの二人くらいなんだ。今思い返せば、謁見の間では僕とベネッタは多分視界にすら入れられてなかった」
「あ、それはボクも思ったよー」
「だからこそ、僕達の動きは勿論、追加戦力としてきたヴァルフトやサンベリーナ殿、フラフィネくん、そしてヴァン先生の存在は予想外だったはずだ。それに比べて、相手は最後の魔法生命の力も見せてきている……真っ向からの衝突になればむしろ分があるのはこっちのはずだ」
ルクスはそう言って燃え盛る火から視線を外し、顔を上げた。
そしてグリフォンの姿を思い出し――
「……あの魔法生命は――僕がやる」
静かにそう宣言した。
金色の瞳が異論を許さないと語っている。
夜闇を射抜く金の視線が熱を湛えている。
この場にいる中で、アルム以外に唯一魔法生命を打倒している少年の声はその宣言を全員に呑み込ませた。
「ふん……私はその魔法生命を見ていないので何とも言えませんが……もたもたしているようであれば私が手柄をとってしまいましてよ? ルクス・オルリック?」
「ああ、僕がノロノロしているようだったら遠慮なく貰っていってくれサンベリーナ殿」
ルクスとサンベリーナは互いに目を合わせて冗談っぽく微笑む。
ようやく張り合いのある状態に戻りましたわね、とサンベリーナは嬉しそうに扇をばっと勢いよく広げた。そして寒かったのを思い出して閉じた。
「何がしたいんだし?」
「愛される者としてこの感情を表現するのは当然でしょうフラフィネさん」
「いや、意味わかんないし」
「ふふふ、まだまだですわね」
敗走の雰囲気が漂っていた場に一先ず活気が戻ってくる。
士気の上がりようをヴァンも肌で感じ取っていた時、ベネッタがぴくんと治癒魔法の手を止めて何かに反応した。
「ベネッタ?」
「ヴァン先生後ろ!!」
「!!」
ベネッタの叫びに反応し、ヴァンは即座に前に飛び込みながら反転する。
ヴァンの背後の空間にはいつの間にか、夜闇に紛れて黒い穴のようなものができていた。
「"転移魔法"――!? 追っ手か!!」
「アルムを狙わせるな!!」
黒穴の出現でアルムを庇うようにサンベリーナとフラフィネが周囲を警戒する。
ヴァンの背後に出来た黒穴から誰かが出てきたその瞬間――
「【魔眼の銀瞳】!!」
「うぐ……!」
唯一、転移魔法との戦闘経験があるベネッタが先手をとって血統魔法を唱える。転移魔法によってこちらに現れようとしていた人物の声が少し聞こえてきた。
ベネッタの右手に巻かれた十字架が揺れ、渓谷に響き渡るは歴史の声。
転移魔法の弱点は使い手が出現するその瞬間。転移の為に作られた黒穴を閉じさせないように中途半端な状態で使い手をとどめること。後続の戦力が出現することの妨害も兼ねた回答。
銀色の魔力で染まった瞳が転移魔法による奇襲を許さない――!
「も、申し訳ありません……! こちらに敵意はございませんのでどうかこの拘束を解いてくださると嬉しいのですが……!」
「なら名乗って貰おう。魔法を唱えた瞬間、その首を獲る」
声は壮年の男性のものだった。外見は四十代といったところだろうか。整った口ひげとモノクルに紳士めいた印象を受ける。
転移魔法から中途半端に体が飛び出ているその男にヴァンが忠告する。
狙いは首。魔法を唱えようとすればその喉元を裂くべく、中位魔法の"変換"をすでに終えていた。
転移魔法ということは闇属性。速度で風属性のほうが遥かに上。この男が人間であれば、ヴァンにはどんな魔法よりも先に命を断てる自信があった。
しかし、男に敵意は無く、ヴァンの言葉に慌てるように――
「そ、そ、それはご勘弁を! 首が無いのは非常に困ります! ええ! 困りますとも!!」
「なら早く名乗ったほうがいい。後は"放出"だけだぞ」
「いくらでも名乗りましょう! 私は"ハリル・ヤムシード"! マリツィア様の命であなた達を迎えに来た勇敢で善良でそれでいて無害なただの使者です!!」
ダブラマ北部・ダルドア領。
アルム達が地下遺跡から脱出した頃――調査を進めていたミスティ、エルミラ、ルトゥーラの三人は依然としてダルドア領の町パヌーンに滞在していた。
第二位が治めている町というだけあって活気があり、物資が豊かなせいか人々の雰囲気もよく情報収集にも困らない場所だったが……町の中央広場に現れた人物たちにそんな印象は一気に覆る。
「どういう事よ……!」
「……どういう事もなにも、あれが第二位だ」
普段は露店が並び、民衆の憩いの場でもある中央広場に建設されていたのは……簡易な処刑台だった。
広場に集まる人々に見やすいようにだけ作られた木製の大きな足場の台。その上に跪かされているのは、北部の小さい領地を治めていたダブラマの貴族らしい。
その貴族の傍らには、腰を曲げて杖を突いた老人が立っている。処刑という場には明らかに場違いに見えるその老人を見てミスティとエルミラは驚愕を露わにする。
「そんな馬鹿な……! 何年……いえ、何十年魔法使いを……!」
魔法使いの全盛期は確かに長い。魔法という技術は年齢がほとんど関係のない技術だからだ。
だが……強化による身体能力が求められる魔法使いの全盛期は長いといっても限界がある。
五十に入れば自身の強化にすら体がついていかなくなり、引退する魔法使いが大半であり、たとえ才能があっても体の老化には逆らえない。
絵本の中に出てくるような老人の魔法使いはただのわかりやすい導く者としてのイメージだ。貴族の間ではフィクションであることなど常識であり当たり前なのである。
しかし、あの処刑台に立つ老人はどうだ。
どれだけ若く見積もっても七十代後半は間違いない。もしかしたら九十歳はいっているのではないか?
そんな年齢で一国の……ましてやダブラマという大国の第二位など務まるはずがない。
いくら才能があったとしても、強化の魔法による近接戦闘がある以上、老化は致命的な限界であり、全盛期を迎えた魔法使い達がつけ込める隙になる。
「ああ、そうだ。今年で八十九。魔法使いの全盛期なんて何世代も前に終わってる。アブデラみたいな小細工無し……正真正銘、生命力と実力だけ。あの年齢で第二に居座ってるダブラマの二人目の化け物……それが第二位ジュヌーン・ダルドアだ」
しかし、そんなハンデをものともせずに君臨する魔法使いが目の前にいる。
三十年以上前に引退していていいはずの年齢の老人がダブラマの第二位。
ある意味、魔法生命の力を借りているアブデラよりも怪物に近かった。
「そこじゃないでしょ……!」
「え?」
「あん?」
冷や汗を流しながら、処刑台に立つジュヌーンを睨むように見つめ続けるエルミラ。
そこじゃないとはどういう事か。魔法使いとしての全盛期を過ぎてなお君臨すること以上に異常なことがあるというのか。
ミスティとルトゥーラにはエルミラがその目に何を見ているのかがわからない。
「あんたら言ったじゃない……! 魔法生命はスピンクスともう一体だけだって……!」
「あ、ああ……王都にいる二体だ。アブデラは魔力残滓があるってだけで本体があるわけじゃあ……」
「じゃああいつは何だってのよ……!」
「……は?」
ルトゥーラは信じられないといった表情で、ゆっくりと処刑台のほうを見る。
「お、おい……そんなたちのわりい冗談は……! 有り得ねえだろうよ! どうやって……!」
「冗談でも何でもない……! あそこに……三体目がいるじゃないのよ!」
怪物のような老人の中にいる、本物の怪物。
自らの居場所であるかのように伝承の怪物達は跋扈する。
この国に巣食う異界の伝承は一体いくつ存在するのか。
少なくともここにいる。広間に集まる民衆の中心に、三体目がそこにいる。
いつも読んでくださってありがとうございます。
視点分割が多くて読みにくかったら申し訳ないです。こうしないと書ききれないものでして……。




