番外 -とある冬の見送り-
いつも読んでくださってありがとうございます。
この番外はダブラマ渡航前の時系列、第七部と第八部の間にあったお話となります。
今年も最後の月がやってきた。
この時期は決まって「もうすぐハエルシスですね」とか「ハエルシスはどう過ごします?」とか定番の話題に埋め尽くされる。
ハエルシスとは家族や友人、はたまた恋人が集まってこの一年の出会いや幸福を祝い、そして残り一月も変わらない幸福も信念には更なる出会いと幸福を祈る行事である。
まぁ、ぶっちゃけただ今年ももうすぐ終わるし皆でわいわいやろうというパーティだ。
つまり、この私……グレース・エルトロイには全く関係のない行事である。
「はぁ……」
私の名誉のために言っておくが、これはハエルシスのパーティに行けないことを嘆くため息ではない。
いつも通り図書館に籠り、勉強した結果の疲労がため息となって零れただけである。
…………まぁ、友人が少ないのは事実だけども。
ため息は白く、冬になったことを実感させる。
曇る眼鏡は夜の闇を薄っすら明るくしてくれるようで、何だか嫌いじゃない。
図書館から出た瞬間、夜の冷気は私に容赦なく襲い掛かってきた。
頬を撫でる風に春のような優しさは無い。
寒がりの私にとっては辛い時期だが……相も変わらず私の防寒は万全だ。
今年買ったブラウンのマフラーに白いコートと黒い手袋、そしてお気に入りの兎毛の白い耳当てを装着したこの隙の無さは北部の雪も逃げ出すだろう。
……いや、それは言い過ぎたか。
とにかく全身お気に入りの防寒具で武装した今の私に恐いものなど無いのである。
「ん?」
「げ」
前言撤回。
恐いの来た。
図書館から出た私と鉢合わせるように来たのは一人の男子生徒。
私みたいな地味の女とは正反対の有名人。
入学早々ベラルタを救い(本当かどうか知らないけど)、カエシウス家の内部分裂の解決の決め手となり、そしてガザス留学時にはガザスをも救った嘘のような経歴を持つ私の同期。
我らがベラルタ魔法学院が誇る平民アルムだった。
「でたわね」
「こんばんはグレース。まるで人を怪物みたいに言わないでくれ」
「はいこんばんは。自分が怪物だって自覚が無いのね」
「ちゃんと人間だぞ?」
「はいはい」
私とアルムは知り合いとも友人とも言いにくい微妙な関係だ。
しかし、出くわしてしまった上に帰る方向が同じとあれば必然横に並んで門に向かうしかなく……何というかついていない。
あと数秒出るのが早ければ出くわすことも無かったのに……。
アルム単体で見ればうるさくないし、必要以上の話はしないしで嫌いではないのだが……この男の交友関係もあって私はあまりこの男に近づきたくないのである。
「……あなた一人?」
「ああ、そうだ」
……まずい。非常にまずい。
こんな所をカエシウス家のお嬢様に見られたら妙な誤解を招きかねない。
普通ならこんな地味な女が隣にいたところで何の誤解も招かないだろうが……あのお嬢様なら誤解しかねない。
なにせここ最近のミスティ・トランス・カエシウスと来たらあまりにもわかりやすいのだ。
吹っ切れたような。取り繕わなくなったというか。とにかく凄いわかりやすく、自分の思うままにこの男との関係を育んでいるように見える。
その様子はカエシウス家との交友を狙う他の男子生徒が近づけないほどの甘ったるさであり……アルムを狙うマニアックな女子生徒もアルムには近づけない。
そんなアルムが、私という女子生徒と一緒にいる。二人で。横に並んでいる。
この状況は罰ゲームだろうか。
こんな所をミスティ・トランス・カエシウスに見られ、万が一にでも誤解されたらエルトロイ家なんて下級貴族は一瞬で滅亡する……!
「さ、さーて……私は少し友達を待つから先に行っていいわよ」
門に着いて、私は今思いついた天才的な言い訳でこの男から離れようとする。
ハエルシスも目前の今の時期、パーティの予定を話し合ったり準備の為の買い物だったりと、普段一人で学院生活を送っている私でも友人を待って不思議じゃない。
これもいずれ継ぐエルトロイ家を守るため。恐ろしい嫉妬爆弾がもれなくついてくるかもしれないこの男と二人きりの状況など一秒でも早く回避しなければいけない。
「奇遇だな。俺もなんだ」
そんな私の胸中を嘲笑うかのように、アルムは私の隣で立ち止まった。
「え゛」
「ん?」
「あ、あなた……も?」
「ああ、友達が中で魔法儀式をしてるからな。それを待つことにしてる」
ふ……ふ……ふ、ふざけんな!
何で今日に限って誰かを待つ予定があるのよ!?
大人しく帰っておきなさいよこの馬鹿!
「誰を待ってるんだ?」
「え、ええと……あなたは多分知らないわ」
誰も待ってないのよ!
あなたから離れるための口実に決まってるじゃないの!
「確かに……俺は人の顔を覚えるのが苦手だからな……」
……ああ、でも言えない。
言ったら言ったで面倒くさいことになりかねないし……何より、この男は厄介なだけで底抜けの善人なのだ。
あくまで私の都合による怒りをぶつけるなどあってはならないし、騙そうとしたと悟られるわけにはいかない。
私とこの男は少なからず交友関係があるわけで、そこにわざわざ亀裂を入れにいくのは愚行だろう。それに何より……私が嫌だ。
「……」
「今日も寒いな。北部よりはましだが、だからって大丈夫なわけじゃないのが困る」
「……ええ、そうね」
私は門の前で友人を待っているように振舞いながら、アルムに気付かれないようにちらっと見る。
自分で買ったであろう安物のコートを羽織り、首には去年ミスティ・トランス・カエシウスに貰ったと言っていた黒いマフラー……そして手には見覚えがありすぎるミトン型の白い手袋。
見覚えがあって当然だ。その手袋は私が去年の冬にあげたもの。
せめて私があげた手袋をこんな大切に使っていなければ、この場をてきとうにあしらって第二寮に先に帰ることもできただろうに。
「そんなの見たら……無理じゃない」
「何がだ?」
「いいえ、なにも。その手袋まだ使っているのね」
「当然だ。グレースがくれたものだろう」
この男は本当に……。
私に対して気を遣っているとかじゃなくて、この男は心底から大切にしようと思っている。
そんな正直さが声から伝わってくるのが眩しい。
ああ思えば……こいつと会う日は決まって、いつも寒い日な気がする。
「グレースはハエルシスの予定とかあるのか?」
「何でそんなことを聞くの?」
「最近はこんな話題ばかりだから珍しく話を振ってみた」
「あなた……成長したのね」
「そうだろう」
「珍しいって自覚があるところが」
「そこか……」
「そこでしょ」
落ち着く声色と短い言葉を交わすだけの何の意味も無い会話。
まるで久しく出会った者達の近況報告のようだ。寮で見かける機会はいくらでもあるというのに。
この寒空の下で私は一体何をやっているんだか。
今すぐここを離れなければ誤解を生むような状況だというのに、不思議と会話を終えられない。
「あなたこの前どこに行ってたわけ? 帰郷期間の後にすぐいなくなってなかった?」
「王都に行ってたんだ。何をしてたか詳細は言えないが……」
「別にいいわ。面倒くさいトラブルに巻き込まれたくないもの」
「まるで俺がトラブルを起こしているみたいな……」
「あら? トラブルじゃなかったっていうの?」
「……むむ」
「ふふ。ほら見なさい」
気付けば、思わず笑みが零れていた。
嘘が空ぶった結果とはいえ、これでは私がアルムとの時間を楽しんでいるみたいではないか。
こんな中身の無い雑談を楽しんでないで考えるのよグレース・エルトロイ。
待ち合わせに来るはずもない架空の友人の待ち合わせをほっぽりだしてここを離れる理由を――。
「お待たせしましたアルム」
「ああ、ミスティ」
「ひ――!!」
雑談をしている間に現れたアルムの待ち人の登場に私はびくっ、と体を震わせた。
ずれたメガネを直しながら平静を装うものの、もう悲鳴を上げたに近い。
アルムの待ち人はよりにもよってミスティ・トランス・カエシウス。
カエシウスが生んだ天才。そして恐らくアルムの事が好きな人。
そのミスティ様に二人でいるこんな所を見られた私の明日はどうなるのか……恐くて想像もできなかった。
雑談の間に誰と待ち合わせしているのかを聞き出さなかった自分の迂闊さが恨めしい。
やばい。
こんなにも寒いはずなのに汗が止まらない。
それでいて氷漬けにされたかのように私の体は恐怖で動かなくなっていた。
「エルトロイ家のグレースさんですよね?」
「は、はひ……」
終わった。覚えられている。
そりゃあ四大貴族ともなれば下級貴族の家名も把握しているのだろうけど……この口ぶりはグレース・エルトロイとして完全に認知されている。
申し訳ありませんエルトロイ家の先祖の皆々様……私の代でエルトロイ家は終わりです。
「わたしのこと……。しってらっしゃるんでふね……」
「ガザスの留学メンバーにも選ばれている優秀な方ですし、同期の生徒を覚えているのは当然ですわ」
にこっと花が咲いたようにミスティ様が笑う。
絵画から出てきたのかってくらいの美貌、さりげなくアルムの隣に立つ強かさ、そして四大貴族であることを感じさせない親しみやすさを兼ね備えた相変わらずの完璧さだ。しかもなんかいい匂いもする。
しかし、その全てが今の私には恐い。
誤解です。アルムと一緒にいたのは全くの偶然で他意があったわけではありませんと経緯から今に至るまでを説明したいが、そんな冷静さは今の私には無かった。
「なにより、アルムのお友達とお聞きましたから。忘れるわけありませんわ」
「!!」
私は転がり込んできた機会を見逃さなかった。
目の前に伸びてきた蜘蛛の糸を掴むようにしてその言葉に乗っかる。
「そう。そうなんです。あ、アルムとは同じ寮のオトモダチでして……それ以上でもそれ以下でもない一切何も起こりませんし発展もしない関係です」
「え、ええ……そこまで厳格に線引きする必要もないと思いますが……どうか私とも仲良くしてくださいませ」
「も、もちろんです……」
何とかただの友達ということをアピールできただろうか?
そう信じるしかない。恋は盲目と言うが……私がミスティ様と敵対する気が無いことくらいは伝わってほしい。
「ミスティ、ベネッタは?」
「ルクスとエルミラと実技棟にいますよ。まだ少しやっていくそうです」
「そうか……じゃあ先に帰るか?」
「はい……アルム」
ミスティ様の横顔を見て、嬉しそうに笑うなと思う。
頬は桜色に染まっていて、明らかに寒いからではない。名前を呼ぶ時なんて花が咲いたかのようだ。
「じゃあグレース。またな。待ち合わせがあるんだろ?」
「あら、そうなのですね……ではグレースさんまた明日」
「え、ええ……また明日……」
私に別れを告げて、アルムとミスティ様はベラルタの街へと歩いていく。
……何とか乗り切った。少なくともアルムを狙う泥棒猫だとは思われなかったはず。
エルトロイ家はもう少しだけ長生きできそうである。
「……!」
私が安堵のため息をついて再び顔を上げると、二人の背中が目に入る。
そこにはあれだけ恐がっていた私の不安が杞憂だったなと思えるほどの光景があった。
アルムとミスティ様が並んで帰る後ろ姿。ただの友人というには近い距離。
そんな近い距離の中、ミスティ様は顔を真っ赤にさせながらアルムのコートの端をぎゅっと握っていた。
手を繋ぐには恥ずかしく、袖に手を伸ばすには勇気が足りなかった精一杯の恋心をその手に見て、私はあれだけ恐がっていたミスティ様が愛おしくて仕方なくなる。
「うわぁ……。すっご……」
何だか甘えたがりの兎みたい。
気付けばそんな失礼な感想を抱きながら、私は二人の背中を応援しながら見送っている。
そんな甘酸っぱい光景に、自分の頬も寒さとは関係なく桜色に染まっていて。
二人の背中を見送る間、私は冬の寒さなんて忘れていた。
読んでくださりありがとうございました。
次の更新はいつも通り本編となります。




