520.一矢の脱出
「ごぶっ……」
ダブラマ王都・セルダール王城にて……それは突然起こった。
ダブラマの誇る調度品や工芸品が並べられる絢爛豪華な部屋。
外に控える一般の使用人から、特別につけられた護衛など、他国の客人を迎えう客室などよりも特別な待遇下にいる部屋主――第一位『女王陛下』の称号を冠するラティファ・セルダール・パルミュラが突如、血を吐き出した。
白いベッドと枕に鮮血がポタポタと滴り落ちる。穢れの無い歴史に傷をつけられたかのように。
「ラティファさん……?」
あまりにも突然。唐突。予兆など一切無い。
ラティファの護衛として部屋に滞在していたスピンクスですら一瞬戸惑いを隠せなかった。
普通の人間ならば、毒や病を疑うだろうが……血を吐いたのはダブラマの砂漠と同化しているダブラマの第一位。
その千年の歴史を誇る血統魔法は当然毒など許さない。砂漠そのものといえるラティファが人の体を脅かす病で吐血するなど有り得ない。
「これ……は……。私が……血……?」
ラティファは信じられないというような表情で手にも吐いた血を見つめる。
「砂漠の神秘を有する……私への、"対星攻撃"……? いえ、もっと単純な"現実への影響力"……?」
ラティファの動揺がまるで大地に伝わったかのように部屋が、城が揺れる。
どこからか響く振動で窓がびりびりと震え、次の瞬間――
「あれは……」
轟音と共に窓の外――王都セルダールの郊外で、光の塔が天へと昇った。
雲を突き抜け、空を裂かんとするその光を見て、スピンクスはピアス仕立ての通信用魔石を起動させる。
通信相手は当然ダブラマ国王アブデラ・セルダール・タンティラだった。
「アブデラさん。地下遺跡からの魔法砲撃を確認致しました。間違いありません……あの方が出てきます」
『報告ご苦労スピンクス。こちらでも確認しているとも』
「それと……治癒魔導士と医師を四階の女王の間へ手配してください。ラティファさんが負傷しております」
『ラティファが? 馬鹿な……』
通信用魔石を通じても、アブデラの声がほんの少し揺れたことにスピンクスは気付く。
ダブラマの人間にとって、第一位『女王陛下』とはそれほど特別な存在。
この百年、砂塵防国と呼ばれるダブラマを体現する魔法使いが負傷するという未曾有の事態を前に動揺するなというほうが無理がある。
「まさかと言いたいお気持ちはお察し致しますが……思えば、あの方は地属性創始者の自立した魔法【原初の巨神】を破壊しています……。大地に対する攻撃はできて当然と言えるでしょう」
『……そうか。流石は"神殺し"というわけだな』
だが、アブデラの声に微かにあった動揺は一瞬で消えていく。
予想外ではあったものの、慌てる必要はどこにもない。
『ラティファの負傷は予想外だったが……計画の範疇だ。やはり、あれ相手には念を入れておいて正解だったよスピンクス』
「ええ……。素晴らしいかと思いますアブデラさん……」
たとえ予想外の出来事が起ころうとも掌の上。
そして予想外の出来事が起きた今だからこそ、自分達がアルムに対してとった対処が正しいのだと……アブデラ達にさらなる確信を持たせた。
「う……ぐ……」
地下遺跡から地上に向けて放たれたのはアルムの持つ最強の魔法にして文句無しの最大火力。
対魔法として創り上げた【天星魔砲】の反動がアルムの全身を襲う。
制服の至る所は真っ赤に染まり、アルムの全身から力が抜ける、
高密度の魔力の奔流にアルムの全身は焼かれ、耐えられなかった体には内側から引き裂かれたかのような傷ばかり。
無論、そんな状態でアルムが立っていられるはずもなかった。
「アルム!!」
そんなふらつくアルムをルクスが支える。
砂の檻を貫き、地上から降り注ぐ何日かぶりの日差しがアルムの偉業を祝福しているかのようだった。
「ベネッタ! 【雷光の巨人】で脱出する!」
「う、うん! メドゥーサさん! メドゥーサさんも!!」
二人に駆け寄ろうとして、ベネッタは後ろを向く。
そこには久しぶりであるはずの日差しの中に、入ろうともしないメドゥーサがいた。
信じられないといった様子でアルムのほうに顔と髪を向けている。
『正直……驚いたわね……。まさか本当にやるとは思わなかったわ……』
「メドゥーサさん!」
『何言っているの。少し前に言ったでしょう? 私は呪法で縛られてるの。たとえ出口があったとしても、ここからは出られない』
「そんな……」
『早く行きなさい。あんた、あの契約をしておいてよく私にそんな顔できるわね』
ベネッタとメドゥーサだけが知る秘密の契約。
アルム達の脱出を手助けすることで、二人の間で結ばれた決して喋ることの出来ない呪いは完成した。
正直、それだけでもメドゥーサからすれば僥倖。
ルクスが【雷光の巨人】の血統魔法を唱える声を聞きながら、メドゥーサは元いた広間に戻ろうとする。
「メドゥーサさん!」
『なによ? まだ何か――』
そんなメドゥーサにベネッタは駆け寄って、
「『治癒の加護』」
『……は?』
傷だらけのメドゥーサに、銀色の光が優しく触れた。
一番痛々しく残っていた首の傷穴……核を破壊された時にできたであろう傷を治癒魔法が塞いでいく。
『何やってるのあなた……。こんな事をしても魔法生命の核は戻らない』
「わかってます。でも、ずっとずっと治したかったんです……魔力を温存しろって言われてたので今までできなかったですけどー……自己満足かもしれないですけど、ほんの少しの恩返しです」
『恩返しって……』
「ありがとうメドゥーサさん! ボク達を助けてくれてー!」
呪った相手の笑顔と礼の言葉にメドゥーサは呆気にとられる。
ベネッタが日差しの中に駆けていく中、メドゥーサは痛みの消えた首に触れる。
治したところで宿主の体が治るだけで意味はない。魔法生命の核は治せない。
本人が言っていた通りの、自己満足の治癒の感触が傷痕のように残っていた。
『……二度と来るんじゃないわよ』
複雑そうにそう言い放つと、メドゥーサはアルム達を見送ることなく地下遺跡のほうに体をひきずって消えていった。
「防御魔法を使って掴まれベネッタ!」
「うん! 『守護の加護』!」
「一気に行く!」
ベネッタがルクスに掴まり、三人に防御魔法をかけるとルクスの【雷光の巨人】が日差しの先に向けて一気に跳躍する。
地下に迸る黄色の魔力色。巨人のカタチをした雷が、アルムの開けた空洞を迸る。
【雷光の巨人】は数度地下の壁を蹴って跳躍を繰り返し……アルム達三人は何日かぶりの地上へと躍り出た。
「地上だ! よっし!!」
「やったー! 二人とも流石ー!」
暗闇か晴れ、押しつぶすような閉塞感から解放されたルクスとベネッタはにやけが止まらないとばかりに表情が明るく変わる。
日の光の眩しさに目を細め、清々しい空気を肺一杯に吸う。当たり前だと思っていたものを久しぶりに堪能する。
しかし、地上に出れた喜びにいつまでも浸っているわけにはいかない。
どうやら周りに人はいないようだが、普通に王都セルダールが近い距離。アルムの魔法の轟音と合わせて間違いなく三人の脱出は気付かれている。
それに……アルムは自身の魔法の反動で戦える体ではない。規格外の魔力も今は常人並みに枯れている。
「今すぐここを離れよう! この状態で『女王陛下』に見つかったら終わりだ! ベネッタはアルムの治療を!」
「うん! まっかせてー!」
三人は【雷光の巨人】に乗ったまま、急いで王都セルダールとは反対側に逃げる。
アルムは久々の地上を味わう前に気絶しているようで、ルクスの抱えられたまま体をぐったりとさせていた。
「ひどい傷……。全身ずたずただよー……」
ベネッタはアルムの制服を脱がして、治癒魔法をかけ始める。アルムを治すのはもう慣れたものだ。
それでも……アルムの怪我を見るのに慣れるわけではない。友人が傷だらけになっているのは何度見てもいい気分ではないが、とりあえず傷のひどい部分から治していく。
「いつ見てもひどいな……どれだけの魔力を使ったらこうなるんだまったく……!」
「でも、そのおかげで出れたんだもん……ありがとうだよー……」
「しまった……メドゥーサさんにお礼を言えないまま出てきてしまったな……」
「へへ、ボクが言っておいたから大丈夫だよー」
「そうか……よかった。そういえばちらっと聞こえてきた契約って何のことだい?」
「……!」
ルクスに聞かれ、ベネッタはどきっと体が一瞬固まる。
だが……聞かれたところで話せるはずもない。ベネッタは何事もないかのように自然体で振舞うしかなかった。
「なんのことー?」
「いや、なんかメドゥーサ殿と話してなかったかい?」
「あ、うん……。出し方を教えて貰う代わりに残ってた食料全部あげちゃう話だよー」
「ああ、なるほど……。まだ数日分くらいは残ってたからね。僕達には不要になるから是非貰ってもらおう」
何とか誤魔化せた、とほっとするベネッタ。
そして話せないもどかしさを感じながら、心の中でルクスに謝罪していた。
地下遺跡からの脱出と引き換えに得た契約が、ベネッタをほんの少し縛る。
「ベネッタ! 何か来る!」
「!!」
王都セルダールから離れるべく【雷光の巨人】で移動するのも束の間、こちらに向かって何か巨大なものが飛来してくる。
郊外に出たとはいえ王都セルダールから大した距離は無い。追っ手が来るのも当然かとルクスは身構えるが、その飛来するものにはどういうわけか見覚えがあった。
「おいおいおいてめえら! 散々探させといてやばすぎる現れ方してんじゃねえよ!」
こちらに飛来してくる何かの背中から、粗暴な言葉遣いが聞こえてくる。
その粗暴さとは裏腹に、ルクスとベネッタはその声に笑顔を浮かべた。
飛来してくる物体は白く巨大な鳥を形作った魔法。その背中には自分達と同じ制服の使い手が乗っている――!
「ヴァルフト!?」
「ヴァルフトくんだー! なんでー!?」
「くははははは! こまけえことは後だ! このヴァルフト様に感謝しながら乗りな!!」
飛来してきた巨大な鳥の正体はランドレイト家の血統魔法【千夜翔ける猛禽】。
その背中に乗る使い手はベラルタ魔法学院の生徒であり、アルム達と同じくガザスの留学メンバーに選ばれていたヴァルフト・ランドレイト。
大嶽丸の襲撃時に共に立ち向かった同期生の一人が、国境を越えてアルム達を助けに来た。
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日の更新で一区切りとなります。