518.呪いの選択
「時間の感覚がわからないからどうとはいえないが……もうかなり経つんじゃないか」
「ああ、外の状況が一切わからないのがまずいな」
この地下遺跡に落とされてから何日経っただろうか。
ここにいると時間の流れは緩慢に感じるが、当然錯覚だ。
人間が後付けした時間の刻み方など、自然からすれば無駄に等分されただけの間隔に過ぎない。
暗闇と水音だけの世界は、アルム達から時間の意識を奪っていく。
いくら原始的な世界で生きてきたアルムでも、昼夜の差がわからないというのは地上に生きる生き物には辛い現実だ。
日の光が届かないこの場所は、徐々に不安と恐怖を生んでいく。
「アルムそれもだが……」
「わかってる……ベネッタがそろそろまずい」
そしてそれは他の者ならなおのことだった。
広間の歩廊で会話していたアルムとルクスは広間にいるベネッタのほうをちらっと見る。
ベネッタは二人と一緒にいる時はいつもと変わらぬ明るい様子を見せているが、精神的な疲労が顔に色濃く出てきている。話している途中で急にぼーっとする時も増えてきており、その疲労からか睡眠時間も徐々に伸び始めている。
「むしろ頑張ってるほうだ。いくら移動させたとはいえ骸骨がそこらに転がってる暗闇で寝起きして、まだ正気のままいてくれている。魔法もまだ唱えられるのは流石だ。メドゥーサを警戒しながら話し相手にもなってくれてるおかげでここの探索も捗った……。だが、もうそろそろ崩れるのはわかる」
「女の子にこの環境は辛いだろうに……」
「ルクスもだろ。我慢しなくていい」
人間の骸だらけの広間、ネズミは隅を走り、水浴びはできるが風呂は無い、日の光など当然無く、不衛生なのは言わずもがな。
人間社会から急に放り出されるにしてはあまりにも辛い環境だ。
「アルムはまだ大丈夫そうじゃないか」
「そりゃそうだ。故郷と景色が違うだけだと思えばそれなりに耐えられる。それでも、耐えている自覚はある」
「アルムでもか……」
「今のところ出れる希望が全くないのがな……このまま死ぬかもしれないっていう無意識の恐怖が俺達の精神を想像以上に削ってる。出れる希望さえあればこんな環境でもここまで一気に疲弊したりしないはずだが……」
「賭けに出るのはどうだろう? 君の魔法で一気に地表まで……」
「気持ちはわかるが、岩盤が崩れない所をピンポイントで破壊しないと生き埋めになる。上には王都もあるんだ……王城にいる敵は倒したいが、人を巻き込んだらそいつらと一緒になる」
「いや、うん、頭ではわかってるつもりなんだ……無理を言ってるな僕は……」
「出口が無いから俺もそれが唯一の方法ではあると思うんだ……。せめて外と連絡をとって位置だけでもわかれば……」
頭を抱えるルクスに手詰まりで難しい顔を浮かべるアルム。
思考に闇が落ち、焦りと恐怖が加速していく。
『…………』
そんな二人の会話は人の耳では聞き取れなかったが、魔法生命は違う。
メドゥーサは広間にいながら、二人の歩廊での会話をしっかり耳にしていた。
メドゥーサとはこの世界と違う異界においてギリシャにその名を残す怪物である。
不死の存在である姉のステンノー、エウリュアレと合わせてゴルゴン三姉妹と呼ばれる絶世の美を持つ姉妹だった。
しかし、末妹であるメドゥーサが神々の怒りを買ったことで怪物の姿に変えられ、その仕打ちに抗議した二人の姉も怪物の姿へと変えられた。
髪は蛇に、歯は牙に、手は青銅に変えられ、黄金の翼が生えたとされる。
魔法生命となったメドゥーサにはその姿特有の能力が存在し、蛇の髪は獲物を逃がさない感知魔法のような能力がある。
蛇の髪は生命を察知するセンサーであり、鼓動から呼気、発せられる感情までを拾い上げる捕食者としてこれ以上無い力だ。壁を挟んだだけの会話など当然筒抜けであり、それどころか地下遺跡のどこで会話していようともメドゥーサは察知できるだろう。
アルム達に魚がまとまって暮らす場所を教えられたのも、目を潰されていながらアルム達が見えているかのように会話できているのもこの力によるものだった。
人間の形態をしていようとも、生命としての性能は人間を遥かに上回る。
『ふうん……』
メドゥーサは隣に座るベネッタのほうに顔を向ける。
まぶたが重いのか、半目のまま焚火を見つめて……顔が時折かくんかくんと動いていた。
『ねぇ、女……私のことが恐くないの?』
焚火のゆらゆらと揺れる火を見ていたベネッタは、メドゥーサからの突然の問いにびっくりして眠気が覚める。
驚くのも無理はない。メドゥーサからされる話といえば食料と水のこと、そして大半はメドゥーサの言う御姉様達の話しかなかった。
話すというよりも一方的に話を聞くような時間が続いていただけに、こちらに興味を持つような質問をしてくるとは思っていなかったのである。
「え? え?」
『ここにいる骨は全部私が食べた人間なわけだけど、そんな無防備でいいわけ?』
にやりと嫌な笑みを浮かべるメドゥーサ。
舌なめずりする姿は、その気になればここで生存者を一人減らすこともできると言っているかのようだった。
この広間に転がる骨の一体にすることもできるのだと。
ベネッタはそんなメドゥーサの問いに驚いたようだが、隣にいたまま弱弱しく笑う。
「はい、一応警戒していますし……それに……話し相手が欲しかったってメドゥーサさんの言葉は本当だと思いますからー」
『それでも今気が変わったら? 私は人間じゃないのよ?』
「えへへ、これでも魔法生命とは何度か遭遇してますからー……その気じゃないことくらいはちょっとわかるんです」
ベネッタはそのほんわかとした雰囲気に反して、案外肝が据わっている。
それは今日までに積んできた経験によるものだ。勝つには遠く及ばなかったとはいえ、ミノタウロスや大嶽丸といった鬼胎属性の魔法生命と真正面から対峙した経験からか、殺意の有無くらいはわかる。
隣にいるメドゥーサは、少なくとも臨戦態勢とは程遠い。最初に会った時くらいにしかそのような殺意は感じていないのだ。
『へぇ、意外に修羅場は潜ってきてるってわけ』
「それに、アルムくんがいますから」
『ああ、一人だけ空気が違うあいつね』
「わかるんですかー?」
『やばいやつかどうかは判断できるって言ったことあるでしょう? 少なくとも、私達にとってやばい人間だってことくらいはわかるのよ』
その評価はアルムに対しての誉め言葉のようで、ベネッタは無意識に笑顔を浮かべていた。
「アルムくんがいてくれるなら、大丈夫なんだって思えるんです」
メドゥーサの髪がぴくっとべネッタの声に反応する。
目の下の隈が目立ち、出会った時より憔悴した顔にも関わらず……声に覇気が戻ったのを察知した。陰が落ち始めていた翡翠の瞳にも輝きが戻っている。
『でも、このままだとあなた達は全員死ぬわね』
その輝きに闇を翳すように、メドゥーサは言う。
「そ、そんなこと……」
『あなただってわかっているんでしょう? 日々あの二人が苦心していることを』
「そ、それは……」
『毅然とした態度ももうすぐ崩れるでしょう。暗闇の中には恐怖がある。恐怖は精神を蝕み続ける。尊厳なんてあっという間に穢して、抱き続けていた希望を徐々に闇に落としていく。死を目前にした生き物はそうなるのが本能なの。誰だって死にたくないって思ってる。けれど、どうしようもない時があるのだと思い知らされる。不本意な死を受け入れるっていう糞みたいな思考の受け皿を自分で作ってしまう……。怪物の私でさえ、死にたくない一心で生き続けているけれど……ふと頭によぎる時があるくらいだもの』
メドゥーサの声にはいつの間にか魔力が乗っているかのようだった。
ここでの生活で疲弊したベネッタの心を気付かぬ間にゆっくり、ゆっくりと蝕んでいく。
慣れてきたと思った冷たい空気が肌を撫でる。不規則な水音が不安を煽る。
満身創痍の体とはいえその身に宿っているのは紛れも無く鬼胎属性。たとえ弱弱しくとも心を蝕むことにおいて、右に出る属性は無い。
『安心して頂戴。あなた達が死んだら、私がちゃあんと内臓の中まで愛してあげる』
「っ!」
『あなた達と過ごした楽しい日々を思い出しながら、血の一滴から臓器の隅々まで舐めとって生きてあげる』
「め、メドゥーサさん……」
『やめてほしいなら、生きないといけないわね? でも、どうやって? いずれ限界が来ることくらい、わかるでしょう?』
「ボク、は……」
言われるまでもなく、そんなことはわかっている。
このままここでの生活を続けられるかと言われれば、絶対に不可能だ。
いずれは魚もいなくなり食料は途絶え、水だけで過ごす日々が来る。
水だけでは飢えに耐えきれず、転がっている骨に噛り付くような日が来るかもしれない。
何も答えられない。どうやって生きていくのか。
今こうして生き永らえているのですら、自分以外の助けによるものだとベネッタは理解している。
最初に溺れた時は勿論、火を起こすことも、食料を狩ることも、自分の分の食料が少し多いことだってある。
メドゥーサの話し相手になってはいるが、これは別にアルムかルクスでもできるだろう。
自分がこの場において、一番の足手纏いであることはベネッタにもわかっていた。
自分だから。ベネッタ・ニードロスだからできることが……ここには無い。
『ここから出れる方法があるとしたら、どうする?』
「え……!?」
弱るベネッタの心に蜂蜜よりも甘い誘惑が目の前で垂らされる。
そんな事が本当に可能なのか。可能なら、すぐにでも出たい。
ここを出てミスティやエルミラに大丈夫だよと伝えたい。顔が見たい。会いたい。
あの二人はきっと自分達がこうしている間にもダブラマの霊脈を回って手掛かりを掴んでいるだろう。
『出口は無いって言ったけれど、脱出する方法が無いとは言っていないわ』
「ほ、本当に……?」
『ずいぶん話し相手になってもらって退屈は紛れたし、そろそろご褒美をあげてもいい頃だと思ってね』
「お、教えてください……! ボク達やらないといけないことがあるんです……!」
『ええ、教えてあげてもいいわよ』
ベネッタの表情がぱあと明るくなる。
すぐにアルムとルクスを呼びに行こうと立ち上がろうとした時、
『あなたが私の呪法を受けるならね』
メドゥーサの声が、ベネッタを引き留める。
「……え………?」
『あなたが私の呪法を受けるなら、脱出する方法を教えてあげる』
「呪……法……」
呪法。それは鬼胎属性による呪詛。
定められた条件を破った瞬間、命に降りかかる魔法形態。
人間が使っても精々行動の制約くらいにしかならないが、名前すら呪いとなる魔法生命が使えばそれは……一生を縛る枷となる。
一度だけ、大百足の呪法を破ったマキビという魔法使いの姿をベネッタは見たことがある。
頭から水をバケツで被ったかのような全身から血が噴き出した姿は、治癒魔法を施している中、どうしたらこんな状態になるのかと思うほどだった。
『呪法の本質はね、"契約"なの。この場合はあなたと私の間に結ばれる契約になるってわけ。
あなたが私の呪法を受け入れれば、今御姉様達の力が支えてくださっている私の"存在証明"をほんの少し補強できる。私はね、私の願いのために生きたいの。こんな姿になっても可能性に縋り続ける。そのためだったらこんな条件だって出してみるわ』
「けい、やく……」
『そう。だから私のほうに虚偽が無いことは約束するわ。私のほうが契約違反になるわけだから呪法も無効になっちゃうもの』
「め、メドゥーサさんの呪法で……ボクは、どうなるんです……?」
ベネッタの反応を楽しむようにメドゥーサはくすりと上品な笑みを見せる。
『そんなに物騒な呪法じゃないわよ? ただ……あなたが一番の幸福を感じた時に石になるってだけ』
「……っ!」
『私の呪法は"石化"なの。本当は私と目を合わせた相手にこの呪法が発動するんだけど……見ての通り、あの砂女に目を潰されてるからこんな風に遠回しにしか使えなくなってるのよ。どう? 素敵じゃなあい?』
ベネッタの心臓の鼓動が徐々に早くなっていく。
石化する。石になるというのはつまり――
『私は百足や大嶽丸みたいに悪趣味じゃないから呪法が発動しても痛みなんて無いわ……ただ発動したらゆっくり、ゆーっくり意識が無くなって、消えていくだけ』
「死ぬ……んですよね……?」
ベネッタの問いに、メドゥーサはきょとんとしたような表情を浮かべる。
そんなの当たり前でしょ? と言いたげのような。
『ええ、でも走馬灯を見るくらいの時間はあるかしら? それに……ここで野垂れ死ぬよりはよっぽど上等な死に方でしょう?』
メドゥーサの話を聞きながら、ベネッタはアルムとルクスが出ていった通路のほうを見た。
今ここで自分がこの提案を受けいれれば、ここから出れるかもしれない。
けれど、これからの自分の人生に常に呪法の恐怖が付き纏う。
いつか夢を叶えた時? 愛する人と結婚した時? それとも友達五人で再会できた時?
自分が今思う一番の幸福とは一体何になるのだろう?
この提案を受けれ入れたら、自分でもわからない一番の幸福を味わった瞬間が自分の最後になる。
その代わりに、三人で救われる方法を教えて貰える。
徐々に早くなっていく鼓動がベネッタに選択を迫っているようだった。
極度の緊張からか、自分の頬から垂れる冷や汗にびくっと体を震わせる。
『さぁ……どうするの? ベネッタ・ニードロス』
メドゥーサは初めてベネッタの名前を呼んだ。
自身がどれだけ重要な決断を迫られているのかを思い知るには、それだけで十分だった。
「ボクは――」
逸る鼓動とは裏腹に、ベネッタは驚くほどすんなりと答えを告げる。
どうするかを自分がとっくに決めていたことに、そこでようやく気付いた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
明日は更新お休みとなります。




