513.遺跡の歩み
十分に火に当たり、体を温め終えると三人は即座に行動を開始した。
自分達が今どこにいるのか。脱出路が存在するのか。水路に流れるのは飲める水か。食料となる生物が存在しているのか。
確認しなければいけないことは色々ある。出るまでも、そして出られた後もだ。
休憩していた場所を一先ずの拠点と定めて、三人は慎重に歩を進める。見通しの立たない今、精神力を削る魔力の消費は抑えたい。
光源となる魔法を使えるルクスを先頭に、三人は探索を始めた。
三人の足音こそがここにとっては異端だと主張するように、ぴちょん、と降ってきた雫が水路の水に絶えず跳ねる。
歩いているだけで体温を奪われそうな冷たい空気が肌を撫でており、無音の空間は自分達が生きてきた場所と隔絶されているかのようで、油断すれば恐怖を抱きそうになる。それでいてどこか厳かな雰囲気も感じる不思議な場所だった。
「やっぱり……属性の便利さは羨ましいな……」
頼りの光源の一つであるルクスの魔法と自分の持つ松明を見比べながら、アルムがふと呟く。
「魔力光は目立ちはするが、闇を暴くのには向かないからな……この状況で光の特性を持ってる属性はありがたい」
「このくらいは任せてくれよ。さっきまでアルムに助けてもらいっぱなしだったからね、雷属性の使い手として本領を発揮させてくれ」
「ああ、頼りにしてる。正直、この環境だと松明はいつまでもたせられるかわからないからな……探索がルクス頼りになる可能性が高い」
「ああ、魔力はしっかり温存しておくよ」
アルムに言われ、どこか奮起したかのような横顔のルクス。
先頭のルクスと最後尾のアルムに挟まれるような形で歩くベネッタには、そんなルクスの顔がよく見えた。
「ふふ。ルクスくん、うれしそー」
「おっと、顔に出てたかい? 貴族失格かなこれは」
先程までの危機を乗り切れたからか、普段のような会話も戻ってくる。
状況は悪いが、ルクスもベネッタも今は落ち着いているようだった。
「……二人ともリスは食べたことあるか?」
ルクスが曲がり角の先を照らして安全を確認していると、アルムが歩廊の隅っこを見ながら唐突に質問を投げかけてきた。
アルムが場と無関係な雑談の話題を投げかけてくることに物珍しさを感じながら、二人はその問いに答える。
「リス? いや……食べたことないな……というか、食べる発想が無いよ……」
「り、リス食べるの……?」
少し、話題の内容に引いてはいたが。
「結構おいしいんだ。脂も程よく乗ってて……木の実しか食べないせいかもな」
「へぇ、それは知らなかったな……まぁ、ガザス名物のカエル料理とかも見た目はともかく味はよかったし、普段食べないだけでおいしいものはいっぱいあるのかもしれないね」
「あ……ルクスくん……。カエル料理ってガザスでもマイナーなんだってー……一部の田舎でしか食べないってセーバさんが教えてくれた……」
「え!? そうなのかい!? こっちの王都に店まで構えてるのに!?」
ベネッタがガザス留学の際に教えてもらった事実を伝えると、よほどの衝撃だったのかルクスはつい声量を大きくする。
驚愕を示すその声は遺跡内に、水音と一緒に響き渡っていた。
幸い、その声に引き付けられて向かってくるような未知の気配はない。
「……ごめん」
短く謝りながら、ルクスは曲がり角の先の安全を確認し終わる。
そういえばガザスに行った時に一回も食事に出なかったな、と留学時のことを思い出しながら先へと進み始めた。
歩廊に沿って水路は続き、絶えず鳴る水音は三人の歩に合わせてついてきているかのよう。
「ちなみにアルム……何で急にリスのことなんか……?」
「いや、俺達には今食料が必要だろ?」
「うん、そうだねー」
「まぁ、その……似てるから……」
「似てる? なに……と……」
アルムがじっと見ている歩廊の隅のほうにベネッタも目をやる。
そこにはアルム達とすれ違うように小走りで駆け抜ける小さな影……いわゆるネズミと呼ばれる小動物がいた。ぢぢ、と鳴き声を上げて走り去るその影をアルムは見送る。
「……そういう可能性も考えておかないとと思ったからな」
「ひいいいいいい!」
アルムが言わんとしている事がわかってしまい、ベネッタの全身に鳥肌が立つ。
それが生き残るための判断だとわかっていても拭いきれない忌避感がベネッタを襲った。
死ぬよりましではあるが、本当にましなだけで本当ならば避けたい事態である。
「いやだー……それはいやだー……」
「ベネッタ、確かにネズミは雑食だからリスよりおいしくないと思うが……」
「そこじゃない! アルムくんの馬鹿ー!」
アルムのずれた心配に肩をぺしっと叩くベネッタ。
ぞわぞわと下から這い上がってきたかのような鳥肌はしばらく引くことはなかった。
「まぁ、だが……それでも長期になると難しいかもしれない」
「え?」
「人が踏み込んでこない環境なら捕獲するのも楽かと思ったが……思ったよりもネズミが少ない……。ここまで歩いてきて見かけたのは一匹だ。捕食者から隠れて生活している可能性が高い」
「や、やっぱ魔獣がいるのかな……?」
「かもな……」
「アルム?」
アルムは立ち止まり、歩廊の壁向けて松明を掲げる。
「壁画……。やっぱり遺跡みたいだな……」
「大事な場所だったのかなー?」
「いや、煤の後があるから当時は大して重要じゃなかったんじゃないかな……今の価値は凄まじいだろうけど」
まじまじと壁を観察する三人。
生存と脱出を優先するのは勿論なのだが、いつまでいるかわからないこの場所が何なのかを紐解くのも重要だ。ただ朽ちていった遺跡ならともかく、かつての王墓ならばこの先に起動していない無数の罠がまだ残っている可能性もある。
「平民だから当たり前だが、俺には審美眼ってやつが一切ない。二人は?」
「いや、ボクのとこも貧乏貴族だしー……」
「僕も詳しくは……ミスティ殿がいれば何かわかったかもしれないね。なにせラフマーヌ王国がマナリルに吸収された後も北部でラフマーヌの文化を保護し続けた一族だからね……芸術面にも長けてる」
「なら印象で判断するしかないな……」
壁画に描かれていたのは対峙している人間と怪物のようだった。
だが人間対怪物という構図ではなく、対峙している互いの集団の中に人間も怪物も一緒くたになっていて単純な生存競争の絵のようには見えない。
なにより、人も怪物も武装していて怪物のほうにも知性が宿っているのがわかる。
「戦争か……。この怪物みたいなのは魔獣かな……?」
「魔獣を戦争に駆り出してた時代ってー……何百年も前だねー」
「うん、八百年くらい前だね……確かにその時代はダブラマもマナリルと対立していたけど、そんな大きな戦争は無かったはずだし……それにマナリルは早々に見切りをつけたはずだけど……」
魔獣の軍事利用が盛んだった時代もある。大体は失敗に終わり、現在の魔法史では研究は十数年で打ち切られたとされている。
本当は大軍に組み込まれるほど成功していたのだろうか。ネロエラのタンズーク家みたいな家系がいれば可能かもしれないが、だとすれば獣化への偏見が根強い理由もわからなくなってくる。
ルクスは目を細め、劣化している壁画を崩さないようにしながら、学んだ知識と照らし合わせる。
「魔法生命……」
ルクスが壁画から読み取ろうとしている横で、ぽつりとアルムが呟いた。
その呟きを聞いてルクスははっと顔を上げた。
「そうか……! それならどっちにも怪物の絵があることにも説明がつく……」
「スピンクスの話によれば千五百年前は魔法生命も一枚岩じゃなかったみたいだからな……今もそうだが」
「じゃあこれは千五百年前の絵ってことー!?」
「いや、後世に伝わってたお話を当時の人が描いただけかもしれない。どちらにしても年代物なのは間違いないけどね」
「アブデラが魔法生命について知っていたっていう話も説明がつく……魔法生命の記録を事前に見ていたのなら、現代の事態を早めに把握できてもおかしくない」
アルムは壁画の書かれた歩廊の先へと目を向け、次に清水の流れる水路を見回す。
大理石の使われた歩廊。下水とは思えない洞窟を利用した水路。雰囲気と壁画の推測からこの遺跡がどんな場所なのかを予想する。
「祭祀の場か。教会みたいな神がいた時代の名残なんだ……」
アルムが住んでいた場所も朽ちた教会だったからか、自然とそんな結論に辿り着いた。
神話が如き当時の戦いの記録を知り、神を信じて祈った人々が作り上げた信仰の場。
描かれた壁画は信仰のために書き記された神話と伝承の絵なのかもしれない。
「それが今や……都合の悪い誰かを処理するための廃棄場か……。ままならないものだね」
祈る義理はないが、同情はしてしまう。
今やここは祭祀の場ではなく遺跡であり、王にとっての処刑場。
ここで信仰を捧げた人達は少なくとも、そのような場になることは望んでいなかっただろう。
「残っているだけましなの……かも……?」
歩廊の先を見つめていたアルムの目に、ふわりと浮かぶ何かが映った。
アルムは警戒の色を強め、険しい表情で身構える。
「なあルクス、ベネッタ……あれはなんだ?」
アルムの声色からルクスとベネッタも異常事態なのだと察して、歩廊の先を見つめる。
何かが、歩廊の先にいる。いや、あれはいると言っていいのか?
そうあれは――浮かんでいる。
「あ、あれは!?」
「な、なにあれ――!?」
アルムもベネッタも初めて見る。
アルム達の進行方向から来るのは黒いモヤ。霧のような煙のようにゆらゆらよ揺れ、それでいてどちらとも違うと一目でわかる半透明の黒い何か。
だが、ルクスだけはその黒いモヤが何かを知っていた。
それはミノタウロス襲撃時にベラルタの街でも発生していたとある存在。この世ならざる者として生者が恐れるであろう代表的な異端。
「"亡霊"だ!!」
アルム達の前に現れたのはこの地下遺跡に彷徨う死者の記録。
一般的に、幽霊と呼ばれる異質の存在。
地下遺跡に侵入してきた生者の気配を感じ取り、亡霊達はその命を憎むべく――黒い手を彼らに伸ばす。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ダンジョン探索書くの初めてなので楽しいのですが、明日は更新お休みです……。




