幕間 -年長者として-
「え!? お酒飲まないの!?」
エルミラの未成年らしからぬリアクションがカフェのティールームに響く。
丁度彼女の前に用意されたスイーツの名前の由来のような声だった。口あたりのなめらかなカスタードが有名なこの店自慢のエクレアである。
「飲まないというと大袈裟な言い方になってしまいますが……ダブラマはアルコールの類よりもミントティーを好んで飲む方が多いですね。ミントティーはダブラマでは貴族から平民まで非常にポピュラーな飲み物で常飲していると言っても過言ではありません」
驚くエルミラに丁寧に説明し、優雅な所作でマリツィアはカップに口を付ける。
アルム達がダブラマに入国する少し前の事。
ミスティとエルミラ、そしてベネッタの三人はダブラマ入国に備えてマリツィアからダブラマの文化を教えて貰っていた。
というのは建前で……マリツィアを交えてのただの王都観光である。
ベネッタが「最近有名になってきたカフェがあるんだってー」と切り出したところから始まり、あれやこれやと五分も経たずに話が纏まると王都の図書室に行っていたアルムとルクスを置いて四人で王城を飛び出したのである。
女子四人という何とも姦しさを思わせるグループなのだが、気品ある二人の振る舞いがそんな雰囲気を感じさせない。どの二人かは名誉のために伏せておくしかあるまいが。
「アルコールであればワインよりウィスキーのほうが好まれますね」
「マナリルはワインのほうが有名だもんねー、葡萄畑いっぱいあるしー」
「初めてマナリルに密偵……こほん。もとい視察員として派遣された時は驚きました。なだらかな丘陵地帯に空のように広がる葡萄畑には不覚ながら目を奪われたものです」
冗談っぽく少し口を滑らせるマリツィア。
敵国の勢力であることすらジョークの材料にし始める辺り、本格的に打ち解け始めたのかもしれない。
「ぇへへー……」
そんなマリツィアの様子につい笑いを零してしまうベネッタ。
何故笑いが零れるほど嬉しくなってしまったかはよくわかっていなかった。
「何その笑い……気持ち悪……」
「エルミラひどい!」
「ふふ」
「ミスティまでー! もうー!」
しかし端から見ると急に変な声で笑い出したようにしか見えず、ベネッタの右隣に座るエルミラから辛辣な言葉が飛んでくる。
悪気のないミスティの笑いが止めとなって、ベネッタは拗ねるように目の前のエクレアを大口で頬張った。カスタードクリームの甘さとなめらかさが感情を少し和らげる。甘味の力はかくも絶大なのだ。
「ちなみにお茶菓子のほうはどうなっているんですか?」
そんなベネッタにとって大切であろうスイーツに関してミスティが聞く。
マリツィアはマナリルとの差異を考えるように右上に視線を送っていた。
「言われてみると、お茶菓子のほうはあまり変わりませんでしょうか……勿論、ダブラマ特有のスパイスを使ったものなどもありますが、パンケーキやアーモンドクッキー……ケーキもナッツを使ったものもあればピスタチオ、バナナ、イチゴなど色々ありますし……。ああ、ミルフィーユはどの店にもある印象があるくらいでしょうか?」
「マナリルと同じで様々なものがあるのですね」
「はい、何故お茶がミントティー一本になってしまったのか不思議なほどに……マナリルのように紅茶文化がもっと発展していたらミスティ様もダブラマに住めたでしょうに」
「うふふ、ミントティーを楽しみにしておきますね? マナリルにもあるにはありますが、メジャーな飲み物ではありませんし……ダブラマに住む方々を長年虜にする飲み物だとすれば是非ご馳走になりたいですわ」
ミスティとマリツィアは互いに顔を見合わせて微笑む。
互いに自国の文化が一番だと思っていることをわかった上で、相手の文化に興味を持つ姿勢とさりげなく立てることを忘れない。
ここは外交の場でも何でもないが、二人とも他国と関わる上での最低限の礼節は欠かさない。
「マリツィアさんって色々な国に行ってるんですよねー?」
「はい」
「びっくりしたこととかありますかー?」
そんな礼節とは関係なく、興味津々なベネッタにマリツィアは思わず口角が上がる。
きらきらとした翡翠の瞳は日の光に照らされて生き生きとする新緑のよう。
妹がいたらこんな感じでしょうか、とマリツィアはつい口にするのは憚られることを考えていた。
「そうですね……。ああ、びっくりとは少し違いますが、ガザスにはミントティーが無くて少し困りましたね……」
「へー!」
「流石の私も落胆を隠せず……あの時のカフェの店員さんには失礼なことをしてしまいました……」
当時の事を思い出したのかマリツィアの眉が少し下がり、ばつが悪そうに笑う。
「飲みたいもの無かったらしょんぼりしますよー」
「まぁ、ちょっと気分落ちるわよね」
「ええ、お気持ちはわかります」
「そう言って頂けると、楽になります」
嘘は言っていないのだが、つい当時の後悔を零し、あまつさえフォローまでされてしまったことに情けなさを感じてしまうマリツィア。
しっかりしなければと気を引き締めなおす。
意図せずこの場の三人の人の良さに甘える形になってしまったのはマリツィアにとっては反省ものだ。後で自主的にトレーニングを追加しようと心に決める。
「それこそお酒飲んで誤魔化すとかできなかったの?」
「お恥ずかしながら、私はお酒飲めないんですよ」
「え? あんた十九でしょ? ダブラマってそんな年齢厳しいの?」
「あ……ええと……」
エルミラが聞くと、マリツィアは困ったように言葉を選ぶ。
「飲酒はマナリルより早い十五からですね。ダブラマは成人が十四と早いのですが、成人後も一年飲酒を制限することで子から大人への成長の証明、つまりは欲望のコントロールができる成熟した人格になったことを周囲に示す風習から来たとされています」
「へー……じゃあ飲めるんじゃないの?」
「マリツィアさんお酒つよそー……美人だし、しゃきっとしてるし!」
「ダブラマではウィスキーを好むと先程仰っていましたよね? マリツィアさんもウィスキーを嗜まれるのですか?」
「そ、その……」
話題を逸らそうとしたことにすら気付かれず、マリツィアは目を逸らす。
右に逸らした先にはベネッタがじーっと見ていて、反対に視線をやればミスティがマリツィアの言葉を待っていた。正面はエルミラなので、視線の逃げ場が後ろと上下くらいしかない。
マリツィアは諦めて、先程伝わらなかった飲めないの意味を包み隠さず話すと決めた。
「ですから、そのままの意味で私はお酒飲めないんですよ……飲まないのではなく、飲めないんです……」
「え? 意外ね」
「ええー!?」
「まぁ……珍しいですね……」
マナリルでは酒が飲めない人というのは珍しい。恐らくはダブラマでもそうだろう。
当然個人によって強い弱いはあるものの、成人後であればある程度は全員飲めるというのが共通認識である。
「お恥ずかしいお話なのですが……」
「何で苦手なんですかー?」
「お酒に弱い体質の方がいらっしゃると聞いたことがあります。マリツィアさんもそのような体質なのでしょう」
ミスティがそう言うと、マリツィアは小さく首を振る。
マリツィアは恥ずかしそうに俯きながら、
「……お酒って、に、苦いじゃありませんか…………だから、苦手でして……」
普段からは考えられないほどの小声でぼそぼそと理由を口にした。
まさかの理由にミスティ達は少しの間無言になったかと思うと、ミスティが空になっていたマリツィアのカップに紅茶のおかわりを注ぎ始める。
「マリツィアさん、紅茶のおかわりをどうぞ。砂糖は一つ、いえ、二つお入れしましょうか」
「え? み、ミスティ様? 砂糖は一つで構いませんが……」
「マリツィア、ここは私がご馳走するわね……」
「エルミラ様何を仰って……ここは当然私が……」
「あの……エクレアもう一本頼みますかー?」
「や、やめてくださいませ! 皆様に子供扱いされるのだけは耐えられません!」
暖かな視線に耐えきれず、心の底から叫ぶマリツィア。
……余談ではあるが。
この店を出る際、我先にと財布を出そうとしたミスティ達よりもさらに早く、マリツィアはここの代金を全て払い年長者としての意地を見せていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
一区切り恒例の幕間となります。
何の話かは彼女の名誉のために伏せますが、普段は三つ入れてます。




