510.抗えぬ先手
「マナリル使者ルクス・オルリック様、ベネッタ・ニードロス様、アルム様の入室です」
王都を走り、セルダール城に到着したアルム達はすぐに城内に案内された。
待合室でマリツィアと共に三十分ほど待つだけで謁見の間へと通される。
謁見の間はマナリルのもののイメージしか無かっただけに、入った瞬間に飛び込んできた光景に圧倒される。
中央に敷かれるのはカーペットではなく雪のように白い塗装の石の道、部屋に立つ圧倒されるような彫刻の彫られた列柱、そして天井を埋め尽くすように描き込まれた天井画。
そんな途方もない歴史的価値、美術的価値を持つであろう部屋の中……少し視線を上げると威光が如き輝きを放つ黄金の玉座があった。
アルム達が歩く道の先には階段があり、その上に玉座がある。マナリルとは違い王を見上げるような構造は支配階級としての主張が特に強い印象を受ける。
王は何処か。ここにあるべし。
あそこに座る者こそが砂塵防国とされるダブラマの王と一目でわかるような構造だった。
「!!」
その黄金の玉座の脇に美女が二人。
花嫁のような白いヴェールを被るミステリアスな女性とこちらを観察する獣のような瞳をした女性。
顔を知らなければただの側近だと思ったかもしれない。
だが、片方の女性をアルム達は知っていたゆえにそんな生温い思考にはならなかった。
(スピンクス……!)
ひらひらとスピンクスはこちらに手を振ってくる。王の前で手を振り返すわけにはいかないが、確かに自分達が知っている相手という確信は持てた。
ということは、対になって立っている獣のような瞳を持つ女性も魔法生命と見ていいだろう。
ここはすでに死地といってもいい。
魔法生命二体を統べる王の前にアルム達はこれから赴かなければいけない。
「よくぞ参られた。歓迎しようマナリルの使者よ」
所定の位置まで歩くと、頭上から声が降る。
重厚感のある声。人の一生では得られないであろう圧力。
人間という視線のまま君臨するカルセシスとは違う形の王の声がする。
「遠いところをご苦労だった」
アルム達は見上げて、黄金の輝きの中に座る王の姿を目視した。
その人物は金色の玉座に映えていた。
出で立ちの高貴さは周りの者より一線を画し、彫りが深いはっきりとした顔立ちに闇のように深い黒い髪が玉座の輝きを受け止めている。年齢は普通に見れば三十代前半といったところだろうか。少なくとも百年近く生きている老齢のようには思えない。
思わず、ルクスとベネッタは目を見張っていた。
本当にこの国王が元凶なのか? そんな疑問が自然と湧いてくるほどに、この国王は人間にしか思えないのだ。
大百足のような存在そのものの恐怖や、大嶽丸のような圧倒的な暴力も見上げる国王からは感じない。魔法生命の力を全く感じない。
むしろ両脇に立つ二人の女性……二体の魔法生命のほうが目に入る。
スピンクスの悪い意味で人間的離れした神秘性、もう一人の人間とは思えない威圧感はびりびりと肌に痛い。
「マナリル国王カルセシス陛下の命により――」
我に返り、代表であるルクスが書状を出すと、国王はそれを制止した。
「ああ、よい。ダブラマの忠臣たるマリツィアが連れてきたのだ。信頼性は約束されているようなものだ」
「恐れ入ります陛下」
三人の後方に控えるマリツィアは深々と頭を下げる。
「我はダブラマ国王"アブデラ・セルダール・タンティラ"。楽にしてよいぞ。此度使者を迎え入れたのは実は言うと我の個人的事情が大きい」
国王アブデラとアルムの目が合った。
共に黒い瞳を持っている。
夜空のような瞳と、闇のような瞳。
「そなたがアルムか」
「はい、お目にかかり光栄です陛下」
「平民とは思えぬ礼節だ。周囲に恵まれたのがわかるな」
「はい、勿体ない縁に恵まれてここにおります」
アルムは度重なる謁見の機会とミスティやルクスからの指導もあって基本的な振る舞いはできるようになっている。
基本的には平民とは無縁の知識ゆえに学ぶ必要もないのだが、アルムの場合はそうもいかない。アルムは自分から貴族の庭に踏み込んだ平民なのだから。
「初めて会う感じはしないな。魔石に映るグレイシャ・トランス・カエシウスとそなたとの戦いを幾度見たことか。あれで無属性魔法というのだから驚きだ」
「お褒めいただき光栄です」
「ガザスでの活躍も耳にしているぞ。身を挺して首都シャファクを魔法生命の魔の手から守ったとな。血筋が血筋なら今すぐ魔法使いとして認められよう。我が国に欲しいくらいの人材だ」
「身に余るお言葉です。自分一人の力ではありませんので過大評価ではありますが」
「自然な謙遜は人格によるものか。詰め込まれた受け答えでないのが気に入った」
受け答えしているアルムがどうかはわからないが、ルクスとベネッタは緊張を貴族の仮面の下に隠すので精一杯だった。
探られているのか。それとも見定めているのか。
はたまたどちらもか。
国王としての仮面を被っているのか、言葉の節々から魔法生命のような主張を全く感じられないのが逆に不気味だった。
マリツィアからの情報が本当かすら疑うほどに、違和感が全くない。
今の光景も平民の功績を身分など関係なく認める良き王にしか思えない
警戒が弛緩する。黄金によって創られただけのはずの輝きを威光と錯覚する。
両脇に立つ魔法生命を見ればその異常性はわかるはずなのに。
「平民でありながら魔法使いの信念を持つ者……素晴らしい人格だ。そしてそれを貫ける力を備えている。無属性魔法の曖昧さをメリットに変える魔法式。固有の技術によって培われた唯一性は真似できまい。ある意味、創始者に近しい者を感じざるを得んよ」
「持ち上げすぎかと思われます陛下。縁に恵まれ、人に恵まれた幸運があったに過ぎません」
「確かに最初はただ幸運だっただけなのだろう。しかし積み重なるとなれば話は別だ。幸運は最初の一つ或いは二つ程度しか人に用意しない。幸運を待つのではなく、自らで取りに行く心を幸運で片付ける暗愚ではないつもりだ」
アブデラは間を置くと……短く、アルムに命じた。
「我の名を申してみよ」
「!!」
「っ!」
ルクスとベネッタに緊張が走る。
アブデラの意図はこれ以上無いほどにわかりやすい。
魔法生命の名は口にするだけで発動する呪法。アブデラが魔法生命の力を持っているとすれば、呪法が発動するのではと二人は危惧した。
いや、呪法が発動しなくとも躊躇えばそれだけで疑いが――
「アブデラ・セルダール・タンティラ様でございます」
しかし、そんな危惧する二人を他所に、アルムは間を置かずアブデラの名をすらっと答えた。
その表情に一切の躊躇いも恐怖は無い。
アブデラはそんなアルムを見て微笑む。
「そなたのような者に名を呼ばれる幸運に我も感謝せねばならぬな」
「恐れ入ります」
「このような場でも堂々とした立ち振る舞い、平民とは思えぬ救国の功績、たとえ身分が平民であり、歴史ある血筋が無かろうとも、そなたは敵国の王である我にとっても認めざるを得ない人物といえよう」
「勿体ないお言葉です」
「だからこそ、我は先手をとることにしたのだ」
その声が合図だったのか。
アルム達が傅いていた石の床が突如――姿を変えた。
「!?」
「なに!?」
「きゃあ!」
傅いていた三人が急に沈む。
石造りだったはずの床はさらさらとした砂へと変わっていた。
傅いていた三人の手足をあっという間に砂に埋もれ、呑み込んだその砂の床は三人の動きを封じている。
「ま、まさか……!」
三人の後方に控えていたマリツィアの驚愕が三人の耳に届く。
次の言葉がこの場に紡がれる前に……その声は謁見の間に響いた。
「これで……よろしいでしょうか……?」
砂が集まる。意思を持って。
砂が集まる。声とともに。
砂が集まる。この場に顕現するために。
しなやかな長い足から魅力的な腰部、健康的なくびれからふくよかな胸、そして絶世を誇りながらも影の落ちる尊顔。灰色の髪は何故か金色の輝きを連想させる
万人が見惚れるであろう美しい女性の形が、砂によってこの場で創造されていく。
まるで芸術品が完成する工程を目の当たりにしているかのように、息をのむことしかできない。
足の先から毛先に至るまで、砂が集まって完成したその女性こそ――
(こ、これが第一位か――!)
三人の立つ場所に砂漠を顕現させるは星の神秘を宿す魔法使い。
祖国を外敵から守り続けるダブラマの魔法使いの頂点。
第一位『女王陛下』――その二つ名に相応しく、ラティファ・セルダール・パルミュラは創始者が如き力をここに示す。
「不意を打って……ごめんなさいね……。けれど……私の役目だから許してね……?」
何事も無かったかのように、人として振る舞うラティファ。
今目の前で行われたのはかつてアルムが行った人間から魔法生命へと変貌したような存在の変質。
人間という絶対の自己を捨て、それでも人格を保てる精神が目の前の女性にはある。
不意を突かれて拘束され、こんな事を考えている場合ではないというのに……その在り方に戦慄した。
魔法生命と同等の怪物が、目の前にいる。
「よくやってくれたぞマリツィア。我が望む真に強きダブラマの完成の邪魔だったアルム、そしてルクス・オルリックをここまで誘導してくれたことをな」
「――!」
「…………うそ……」
アブデラの声にルクスは驚愕を、ベネッタは絶望をそれぞれ表情に浮かべる。
だというのに砂に拘束され、二人はマリツィアのほうを振り向けない。
「……私にはそのような深い考えこそございませんでしたが、結果的に王のお考えに協力できたことを嬉しく思います。私はダブラマの忠臣。常に祖国のためにと動くことを努めておりますから」
「――」
マリツィアの声にベネッタの瞳に涙が浮かんだ。
裏切られた? 最初から、差し出すつもりだった?
滲んだ視界の中で、記憶にあるマリツィアの姿がベネッタの頭の中で駆け巡る。
最初こそただの敵だった。けれど徐々に関わって、その在り方に尊敬を覚えて。最近見せてくれるようになった微笑みに喜びすら感じていたのに。
「それでこそ第四位に立つ女傑というもの。他の者にも見習わせたい在り方よ。さて……ラティファ、殺せ」
アルムを称賛していたのと同じ声色で、端的かつ絶対的な命令をアブデラは下す。
手足を拘束する砂をラティファは自在に操れる。この状況で逃れる術は無い。
「それは……契約違反……。この子達には敵意も害意も無い……。この子達はダブラマの敵じゃない……。ダブラマの敵じゃない子を私は殺さない……。この場で首を落すべき子達じゃない……」
だが、ラティファはその命令を拒否した。
命令を拒否する契約とやらはアルム達にはわからなかったが、確かに手足を拘束する砂からは殺意は感じない。
「そうか。君との契約は何よりも大切なものだ。であれば君にやらせるわけにはいかないな……。ならば遺跡に落とせラティファ。この三人は敵でなくともこの国の発展を阻む者。罪人に等しき者共だ。罪人に相応しき場所に落とさねばな?」
束の間の中、ラティファがそう言ってくることすら想定内だったのかアブデラは慌てる様子も無く即座に命令を変えた。
そして――
「それなら……契約違反じゃないわ……」
ラティファはその命令を遂行し始める。
拘束するだけだった手足が徐々に沈んでいく。
アルム達を呑み込み始める流砂の渦。
即座の処刑こそ免れたものの、これでは状況は変わらない。
圧倒的な力の差と、謁見の間に集まる戦力差に抗う機会すら訪れない。
「きゃああああああああああ!!」
「くっ……そおおお――!!」
たとえ戦力差があったとしても……万が一にも攻撃できない。マナリルに矛先を向けられる可能性が頭によぎる。
マリツィアに助けも求められない。真意のわからぬ相手への命乞いに意味は無い。
何もできない。いや、何もできない状況がこの場に用意されていた。
……先手をとった気でいた。使者として入国したからには最低限丁重に扱われるだろうと何の根拠もない安心が心の隅にあった。自分達なら切り抜けられるであろうとどこかで思っていた。
甘すぎる自分をルクスは唾棄し、ベネッタは裏切られた悲しみに落ちながら砂に呑まれていく。
すでに先手はとられていたのだ。第一位が、ラティファがこの場にいることこそがその証明。
最初からこうするつもりでなければマナリルとダブラマの間の砂漠で国を守っているはずのラティファがこの場に居合わせるはずもない。
「まともに相対するチャンスを貰えると思ったか"神殺し"よ? 遠いところをご苦労だった。哀れな亡者と変わり、我が国ダブラマの礎となるがよい」
「――」
三人の身体を呑み込み、閉じていく砂の渦。
穴の奥から届かぬ声にアブデラは愉悦する。最後まで声すらあげず泰然としていた態度くらいは褒めてやる。
だが、戦闘の機会など与えない。奇襲など以ての外。欲望のぶつけ合いなど許さない。
あれには可能性を生ませる前に、理不尽を突きつけることこそが最良なのだ。
落とすは呪われた地下遺跡。ありもしない出口を探して飢えて死ぬしかない事実上の死刑執行。処刑人に会えたのなら長く苦しまずに死ぬことができるだろう。
訪れた理不尽に絶望し、生命の限界をもって敗北しろ。
才能の無い只人の末路など、得てしてそのような救いの無い結末なのだから。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。




