幕間 -遠い場所-
「ごめんなさいね、急にお呼びしちゃって」
「いえ、特に何かやっていたわけではありませんから」
スノラを発つ前日の夜。
アルムはミスティの母親――セルレアの部屋に呼ばれた。
セルレアはまだベッドの上にいる。
七年間昏睡していたにも関わらず、筋力の衰えなどは無かったのだが大事をとってまだ安静状態だ。
夫であるノルドとセルレア付きの使用人であるイヴェットの過保護さもあるが、セルレアの送った空白の長さを考えれば妥当だろう。
部屋にはアルムとセルレアの二人。そしてセルレアを任されているイヴェットと改めてアルムの世話係として滞在をサポートしているジュリアが扉の両脇に控えていた。
「ジュリアちゃん、少し外してくれるかしら? イヴェットもお願い」
「しかし……」
「何か体調に変化あったらちゃんと呼びますから、心配しないで」
「……あまり長話はオススメしません」
「ええ、わかったわ」
イヴェットとジュリアはセルレアの言う通り部屋を出た。
部屋にはアルムとセルレアの二人だけ。
アルムがベッドの近くまで行くと、セルレアと目が合う。
改めて、ミスティは母親に似ているなと思った。
「うふふ。若い人にじっと見られると恥ずかしいわ」
「あ、すみません……何も言わずじっと見るのは失礼だとミスティには言われているのですが……似ているなと思ってつい……」
「そう……ミスティは母親の私から見ても美人さんだから……間接的に私も褒められているようで嬉しいわ」
そう言いながらセルレアはアルムに笑いかける。
そして――
「それじゃあ……私はグレイシャとも似ているかしら?」
セルレアはアルムを呼び出した本題を切り出した。
さっきまで優しさを詰め込んだようなセルレアの瞳から、温もりが消える。
歴戦の魔法使いとしての瞳ではない。人を蹂躙する怪物の瞳でもない。
ただの人間の母親の瞳が、冷気のようにアルムに突き刺さる。
セルレアが起きて落ち着いた後、娘の話題は避けられない。セルレアは目覚めて数日で去年の事件のことを知った。
ミスティの姉であるグレイシャがカンパトーレの魔法使いを率いて起こしたクーデター。
事情は当然分かっている。
アルムがカエシウス家を救ったことも聞いているし、ミスティを助けた大恩人だということも理解している。
だが、事情を理解したから仕方ない、とはならない。
国を転覆させようとした敵。ミスティを殺そうとした者。
それでも、セルレアにとっては娘の一人だった。
「似ています」
「……そう」
しかし、アルムはそんな冷たい瞳を向けられても動じない。
そんなアルムの様子に、セルレアは一つ問いを投げかけた。
「グレイシャについて、あなたは私に何も言うことはないかしら?」
「ありません」
そんな問いに、アルムは即答する。
セルレアは間髪入れずに返ってきたその力強い返答に呆気にとられた。
「あの日の出来事は俺とミスティ、そしてグレイシャだけのもの。ここであなたに何か言おうものなら……グレイシャを侮辱することになります。俺はグレイシャのことを許せませんが、自分同士をぶつけあった相手として敬意はある。あの時間は俺達だけのもの。後悔は無いですし、誰かに共有できるものではありません」
「――――」
突き放すようなアルムの声に、セルレアは口をぱくぱくさせた。
驚愕が表情から消えてくれない。
まさか、正解のパターンで来るとは思ってもみなかった。
グレイシャの親だからと謝罪でもしたら見損なっただろう。後悔など見せたら受け入れなかっただろう。
けれど、目の前の少年はわかっていた。
殺した相手のはずなのに、グレイシャ・トランス・カエシウスという人間のことを家族よりもわかっていた。
娘は誇り高かった。血によるものではなく、自分が自分であることに誇りを抱いていた。
自分の在り方を誰よりも誇り、執着していたグレイシャならば……そう、この少年が謝罪や後悔を語った瞬間に怒り狂い、死の淵から首を刎ねに戻ってきてもおかしくない。
それは私とお前だけのものだろう、と叫びながら。
「あなたは、とっても残酷な人ね」
それでも、親としては寂しさがこみ上げる。
ついそんな文句が零れた。
「けれど、とても優しい人」
これも皮肉ではなく本心だった。
純粋であるがゆえの残酷さと優しさがこのアルムという少年には同居している。
なるほど、ミスティが惹かれるのも道理だとセルレアは頷く。
殺した相手のことも助けた相手のことも大事にできる人間性と器。
セルレアは処理できない感情のままアルムを試そうとした自分を恥じた。
「急に呼び出してごめんなさいね、話はそれだけなの。変なことを聞いて本当にごめんなさい」
「いえ、こちらこそ何もお話しできず申し訳ないです」
「明日には帰ってしまうでしょうけど……最後までスノラを楽しんでいって」
「ありがとうございます。失礼します」
アルムが踵を返して部屋を後にしようとすると、その背中に声がかけられる。
「こちらこそありがとう……グレイシャをわかってくれて。ありがとうミスティを助けてくれて」
今の複雑な心情では面と向かって言えなかった親としての言葉。
アルムは最後にセルレアに一礼して、そのまま部屋を出た。
外に出るとジュリアがアルムに付き添い、イヴェットは戻ってくる。
「セルレア様……?」
セルレアは疲れたのか、ベッドに体を預けていた。
イヴェットはすかさず体を冷やさないようにブランケットをかける。
「ミスティだけじゃなくアスタもあの子を気に入っているんでしたっけ……見る目のある子達に育って何よりだわ……」
「……セルレア様のお子様ですから」
「あらあら……? もしかしてイヴェットも?」
「……でなければ、セルレア様と二人きりになどしません」
「うふふ、それもそうね」
セルレアは天蓋を見ながら思い出す。
昏睡する前に過ごした娘達との記憶を。
「子供の成長って本当に早いのね……親なんてとっくに追い越して、遠くに行っちゃうんだもの」
そう呟いて、セルレアは静かに目を閉じた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
その二です。




