501.顛末と予兆
マナリル北部トランス城。
帰郷期間が終わり、ミスティとアルムが去ったトランス城はいつもの様子へと戻っていた。
トランス城の上級使用人であるイヴェットは自身の治癒魔法の影響もあって、カンパトーレの魔法使いに負わされた怪我もすっかりよくなり……自身の好きな仕事を日々こなしている。
「失礼致します。おくさ――」
ノックをして、昏睡しているカエシウス夫人セルレアの部屋を静かに開ける。
いつも通り昏睡しているセルレアの体を拭くためにお湯を張ったボウルとタオルを持ったイヴェットが扉を開けると、
「――え」
いつもとは違う光景があった。
イヴェットは思わず、手に持ったボウルを手から滑らせてしまった。
長い間静けさしかなかった部屋に、がしゃん、とボウルが割れる音とお湯がカーペットを濡らす水音が響く。
ベッドには、起き上がっている女性がいた。
イヴェットはその光景を信じられず目をぱちくりとさせている。
その女性は紛れもなく、イヴェットが何年もお世話していた女性であり、七年昏睡していたセルレア・トランス・カエシウス。
白銀の髪が揺れ、青い瞳がゆっくりと窓のほうを見た。
「ミス……ティ……?」
その声は、時間が動き出したことを示すには十分だった。
「の、のの、の、ノルド様! ノルド様っ! 奥様が! 奥様がお、お、おめ!!」
イヴェットは慌てた様子で走り出す。
普段なら最優先で片付けるであろう割れたボウルも、びしょ濡れになったカーペットにも目もくれず、誰かにノルドを呼んできてもらうという考えにすら及ばず。
ただ喜びのまま、目尻に涙をためながらイヴェットは走った。
時は全ての決着がついたのと同時刻。
七年、謎の昏睡状態だったカエシウス夫人の快復が、北部中のニュースとなったことは言うまでもない。
ネレイア・スティクラツの凶行を止めたアルム達は休息をとった後、すぐに王都へ帰還する。
王都に戻るという連絡をカルセシスにした際、ミスティだけは別行動させろという命令を受けて王都に着く少し前に別れたのだが……その意図は王都に帰還してから知ることになる。
「ミスティ! 無事でよかった!」
「ら、ラモーナさん……大丈夫でしたか?」
「当たり前でしょう? かっこいい大人は最後までスマートなのさ」
命令通り別々に王都に到着してしばらくすると、今回ミスティを王城から連れ出したラモーナがこっそりミスティに会いに来た。
そのラモーナから王都での状況が様変わりしたことを聞かされる。
簡単に言えば、ミスティ誘拐事件によって描かれたカルセシス達のシナリオ通りになったのだ。
アルム達がまず驚いたのは、宮廷魔法使い筆頭ボラグル・トラウマンがその地位を剥奪されたことである。
目撃証言などから今回の事件でミスティを誘拐したのはラモーナの姿に扮したカンパトーレの魔法使いクエンティ・アコプリスと断定され、カンパトーレのマナリル侵攻のきっかけとすべく起こされた事件であったと結論付けられていた。
その為、今回ミスティとルクスの王都滞在を決定付け、警備の責任者であったボラグル・トラウマンは宮廷魔法使いでありながら王城に滞在していたミスティをいとも簡単に攫われてしまった責任を追及されたのである。
それだけならボラグルも権力を使って免れることも可能だったが……アルム達とマットラト家の証言によって、ダブラマからのマナリルの危機についての情報が真実であったことが周知となり、未曾有の危機に対して関係者であるとはいえ学生三人しか向かわせなかったボラグルの判断についてを批難する家がいくつか出てきたため、ボラグルはその権力を使うことすらできなかった。
その家とは四大貴族。
今回真っ先に被害者になったであろうマットラト家と交流をし始めていた西部のパルセトマ家を筆頭に……避難要請に協力した東部のオルリック家も息子に対する不適切な拘束と、脅威に対する対処が不十分だったことについての抗議文。表向きにミスティを誘拐されている北部のカエシウス家は勿論、さらには普段南部以外の出来事には干渉しないダンロード家までもが東部に向かわされた三人の名前を聞いた途端に抗議の通信をカルセシスに送ったことにより……ボラグルを擁護する貴族は皆無となった。
いくらボラグルが王城での発言権を持っているからといって、四大貴族全てを敵に回すような馬鹿な家は流石に存在しない。普段同じ派閥になることのないパルセトマ家やダンロード家までもが口を揃えたとあれば当然だろう。
ボラグルは繋がっていた貴族達からも見捨てられ、呆気なくその地位を剥奪された。
勿論、今回のボラグルの判断に賛成していた他の宮廷魔法使いにも罰が下ったことは言うまでもない。
「本当に何とお礼を言ったらいいか……」
「何言っているの。あなた達がマナリルを守ってくれたからこそでしょう? それに、前からボラグルには黒い噂があったから追い出せる口実ができて助かったわ」
ちなみに、空席となった宮廷魔法使い筆頭には今回の決定に反対していたファニアかラモーナをという話になり、ファニアが辞退したことによってラモーナが就任。
ボラグルは今回カルセシスも撤回できない自身の決定に優越感を感じていたようだが、最終的には王族派の人間にさらなる地位を与える結果となった。
「私、肩書が増えすぎて訳がわからなくなっているわよね。カルセシス様ったら私に頼りすぎなんだから」
と、呆れたような口調ながらも……ラモーナが嬉しそうにしており、惚気だったことをミスティ達は見逃さない。
気付いていなかったのはアルムだけだった。
「無事で何よりだ。ミスティ。流石はカエシウスといったところか」
「とんでもございません陛下。向こうも殺す気は無かったようでしたから」
「ミスティ、ベネッタ、エルミラには後日勲章を。アルムにはさらに褒章を与えることにする」
その後、謁見の間でカルセシスのその言葉を聞いたアルム達四人は少し複雑な表情を浮かべることとなる。
ここからはアルムが納得しなかった話になるが……今回ネレイア・スティクラツを倒したのは全てアルムの功績となった。
というのも、カルセシスとラモーナが描いたシナリオ通りであればミスティはクエンティに攫われていなければいけないため、ネレイアを倒せるはずがないのである。
なので、【原初の巨神】を破壊した経験のあるアルムにネレイア討伐の功績を全て押し付け、エルミラとベネッタはその補佐をしたということで褒章が与えられることとなった。
ミスティはカンパトーレでも有力な魔法使いであるクエンティから自力で逃げ出した(という設定)ことで、カンパトーレとの衝突を回避したことが功績と認められ、三人よりも功績の低い勲章を授与されることとなる。
これは授与式の後にルクスが語る話なのだが……一番功績を小さくされたミスティが晴れやかで、功績が大きいことにされたアルム達三人が揃って不満気だったことがおかしかったそうだ。
「私とネロエラはこの件、関わってないことになっているのでよろしくお願いします」
《お礼は正式部隊になる際の推薦状とかがいいです》
「何ちゃっかり要求してんのネロエラ!?」
ネロエラとフロリアはというと、実は王都に到着する前にアルム達と別れていた。
タンズーク領にずっといたという口裏をタンズーク家の人達と合わせにいっており、学院で再会した時にはそういう事になっているという念押しをミスティにしにきていた。
ミスティは二人と再会した際、感謝を伝えながら抱きしめるのだが、フロリアはあまりの喜びでガチガチになっており次の授業どころではなくなっていたらしい。
余談だが、実技であんな低い点数とったの初めて、とこっそりアルムとグレースに愚痴っていた。
今回の一件は一般には魔法使いによる攻撃ではなく、自然災害と発表されているものの……貴族界隈ではアルム達の名前がまたしても広まる形となった。
ベラルタ魔法学院に戻ったアルム達はしばらく、またなんかやったの? というような質問を同期の生徒達から聞かれるようになる。
かくして……千五百年の時を超えた神話の創生はミスティの手によって失敗に終わる。
水属性創始者ネレイア・スティクラツが今回の事件を引き起こしたという事実を知っているのは一部だけ。
今回の事件を目論んだ創始者の名前は、今でも水属性を扱う魔法使いにとっての原点になり続けている。
「あれ?」
「どうしましたベネッタ?」
「そういえば……マリツィアさんはどうしたんだろー?」
ベネッタの疑問に、学院の廊下を歩いていたアルム達は首を傾げる。
そう、王都に帰っても彼女の姿だけは見かけなかった。
ミスティの脱出の際、偽装の一環として一役買ってくれたダブラマの魔法使い。
ダブラマのトップの一人だから彼女も忙しいのだろう、と結論付けて……感謝の言葉は次の機会にということとなった。
その次の機会が……想像よりも早く訪れるとも知らずに。
「終わったのか」
「はい、ルトゥーラさん」
ダブラマ東部リオネッタ領。
マナリルから帰還したマリツィアは険しい表情を浮かべながら、自身のコレクションを保管している地下室でくすんだ赤髪の男……同じ王家直属部隊の第三位に位置付けられている同僚ルトゥーラを出迎えた。
二人はこの地下室に入る時用の黒い礼服を身に纏っている。それがこの地下室に入る際のリオネッタ家の決まりだ。
「蓋を開ければスノラの童謡の通りになったと言っていいでしょう。カエシウス家は恐らく……そういった役目をずっと背負って存続していた。年月とともに、子孫にその役目は伝わらなくなってしまっていたようですね」
「そりゃ千年ある血筋だろ……伝わってるほうが引くわ」
「なにはともあれ……改めてスピンクス様の力が本物であるということを確認できました。もう一体とともに、厄介であることに変わりありません」
「まぁ、わかっていたことだな」
「ええ、そうですね……」
「だからって、やめねえだろ?」
「当然です」
この地下室にいるのは二人と棺に納められた遺体だけだ。使用人もいない。
二人が話すのにここを選んでいる理由は当然、聞かれてはまずい会話をするため。何年も前から下準備してきたとある計画についてだった。
真実を知ってから今日までずっと各地を巡り、情報を集めてきた。
「『夜翼』……シャーリーが死んじまったのは予定外だったな」
「仕方がありません。彼女もまた心から祖国を憂いる魔法使い。彼女の足止めが無ければダブラマはメドゥーサに半壊させられて計画どころではありませんでしたから……ですが、彼女の意思は私達の中に生きています」
「情報の差は無くなった。マナリルのおかげで未曾有の事態も無くなった。マナリルにも恩を売ったし、ガザスとも密約を交わした。そんで、お前のお気に入りともなんだかんだ関係を築いてる。俺らができる最大限にまで手札は増やした……やるんだな?」
「ええ、やります。カルセシス陛下にもすでに話は通してありますから」
マリツィアの桃色の瞳の奥には火がある。
それは何かを成し遂げるために、自分を燃やして突き進む覚悟の火。
「犠牲が大勢出る。お前のお気に入りのやつらもそうだ……ただですむとはおもえねえ」
「それでも、野放しにはできません。怖気づいたのですか?」
「なわけあるか。お前がいまさらまきこめませーん、とか言うかどうかの確認だよ」
「相変わらず失礼な方ですね……そんな心配はいりません。むしろ、ようやくここまで来たのかと私の体も歓喜に震えています」
マリツィアは右手でぎゅっと空を握りしめる。
貴族として、魔法使いとして、鎮魂を捧げる機がようやく訪れる。
「偽りの忠誠を火にくべる時です。魔法使いとして、ここからは真の忠誠を我らの祖国に捧げましょう。
私の命に代えても必ず……ダブラマ国王の首を獲る――!!」
地下室で行われるは謀反の宣言。
マリツィアが狙うは偽りの王家の失墜。
幼少からの誓いを今ここに。ダブラマを守る砂漠に一輪の花を咲かせるために。
いつも読んでくださってありがとうございます。
第七部の本編も後二話となります。




