番外 -年老いた王様と白い姫様-
「結局……君を本当の意味で継げる者は現れなかったな……」
一人の老人が、天蓋のついた豪奢な寝所で呟く。
部屋は豪奢で、部屋に置いてあるありとあらゆる物が高価だとわかるが、その華やかさが部屋に一人いる男の寂しさを強調しているよう。
呟きは静かな部屋によく響くも、水すら揺らせないほどに弱弱しい。
老人はラフマーヌという国で生まれた。
その国で最も高い地位に就いていた。
王様と慕われていた。
若き日の強さはまさに一騎当千。侵略しようとする隣国を迎え撃ち、寒い土地でありながら産業を発展させ、瞬く間に国を繁栄させた。
しかし、繁栄は長くは続かない。
魔法において右に出る者はいないと言われた彼も、時間には勝てなかった。
全盛期を過ぎ、体力が落ちてもしばらくはその類稀なる技術と血統魔法で敵国を圧倒したが……気付けば、遠征に耐えられる体ではなくなっていた。
出来ることは守ることだけだった。
次第に、それすらもできなくなった。
継いだ子は、老人のような強さを持っていなかった。孫も持っていなかった。
誰も、彼女を継ぐことができなかった。
『仕方ないであろう。私は君に望まれて生まれたもの……君は私を精巧に創りすぎた』
部屋に老人は一人ではなかった。
今では老人を世話する者しか近付かない部屋だったが、決して一人になることはなかった。
老人の傍らにはいつも白い装束の女がいた。
老人ではない時からいた。
ずっと、一緒にいた。
彼女が創られた時からずっといた。
『君は馬鹿だからな……全く、継ぐ者の身にもなりたまえ。"無との共生"の理があるからといって私のような者を創り出すからこうなるのだ』
「は、はは……耳が痛い、な……我は頑張ったんだがなぁ……」
『そもそも君には威厳が無い。威厳がありそうなのはその一人称くらいなものだ。だから、このような最期になるのだよ。戦えなくなったら孤独になるとはな。髭の一つでも生やしてみればよかったものを』
「君が……似合ってない、と言ったのに……」
『ふふふ……そうだったか? 忘れたよ、あまりにもくだらない事だったからのう』
嘘だった。
彼女が老人との時間を忘れたことはない。
思わず出てしまう笑いがその証拠だった。
「それに、威厳なら……君も無い」
『なっ……なんだと? 私に威厳が無いと? このラフマーヌの象徴。姫たる私に?』
「我とは逆で……自分の呼び方が、可愛いままだ……昔から、ずっと……」
『む……ならば、これからは自分のことを我と呼ぶことにしよう。これで我の威厳は完璧たるものになったわけだな』
「は、は……そう……だね……。流石は、我の姫様、だ……」
老人はせき込んだ。
白い装束の女性は黙って老人の汗を拭ってやった。
「我は……死ぬんだな……」
『ああ、そうだね』
慰めも憐憫も無かった。
二人とも、ただ迫る別れを受け入れていた。
「結局、世界は変わらないままだったな……」
『ましにはなったさ』
「そうかな?」
『ああ……君の意思は継がれているよ……。ここは優しい国になった。雪の中に咲く花のような、強く優しい国に……ただ、君が変えるには時間が足りなかった。何百年。何千年の時間が足りなかった。けれど、きっと繋がっていく。人とはそういう生き物だから』
白い装束の女は自分の腹をさすった。
老人は天才だった。
独立した思考を持ち、人と違わぬ人格を持つ血統魔法を創り上げた。
あまりにも完璧な姿で。寸分の違いも無く……生命を模した。
精巧に創り過ぎたその魔法は、魔法でありながら生命の側面を持っていた。
高次の存在ゆえに、老人以外はその気配すら感じることができなかった。
子供も孫も、その存在を理解することはなかった。誰も観測できなかった。
受け継げたのは、氷の世界という女性の力の一端だけだった。
「我は……こんな、姿になっても……間違っていないと思う……。君を天上の座につかせないと決めた選択を……」
『ああ、我もそう思う』
「君は、後悔していないか……?」
『勿論だとも。二人で出した結論だろう? 私は人として生まれた』
「そう……だった……。あと……一族の役目は、君に背負わせてしまうな……」
『大馬鹿者。そんなもの、その時が来たらその時代のやつに背負わせればいい。それくらいの我が儘は許されるであろうよ。何百年後の話になるかもわからないんだ……君が心配することではない』
「はは……。そうだ、な……」
老人の視界はぼやけ始めた。
霞む視界の中で、白い装束の女性だけが鮮明だった。
微笑みかけるその笑顔に、老人は微笑み返す。
「なぁ、歌を……歌ってくれないか……?」
『またそれか。好きだな君は』
「ああ、君の歌が……一番好きなんだ。よく眠れる……」
『全く……仕方ないな……』
白い装束の女性が仕方ないと言いつつも、その表情は綻んでいた。
老人のリクエストに応えて、女性は歌を歌い始めた。
透き通る歌声が部屋中に、城中に、いや……町中に響き渡る。
どこからか聞こえてくるその歌は、町中が虜になっていた。
忙しない職人は仕事の手を止め、いがみ合う者達は歌の間だけ休戦し、泣きじゃくる赤ん坊が泣き止んだ。
たまに聞こえてくる誰も知らない、見ることのできない歌手の歌にいつも酔いしれて……歌が終わると安らかな気持ちになって日常に戻っていく。
誰も知らない遠い未来に、スノラの童謡となる歌だった。
彼女のことを誰も忘れないようにと作った旋律に、一族の役目が歌詞になって童謡に変わることは当然二人は知る由もないことだった。
「ああ……本当に、君の歌はいつも綺麗だ……」
そうだろう、と女性は誇らしげだった。
「君の心が綺麗だから……なんだろう、な……」
彼女は歌い続けた。
いつもより長い子守歌を、特等席にいる自分の愛した人に捧げている。
魔法でありながら、人間の心を持って生まれたからこそだった。
「本当に……穏やかな……」
歌声を聞いていた人達は、いつもとは違うことに気付いて少し悲しくなった。
何故か涙を流す人までいた。
聞こえてくる歌声に、堪えきれない感情が乗っていた。
「ありがとう……君が、いてくれて……」
そのまま、老人は眠りについた。
白い装束の女性は少しの間歌い続けて、やがて子守歌を歌い終える。
老人の表情は安らかだった。老人を見つめる女性の青い瞳は悲しみを湛えている。
眠る老人の髪を女性は優しく撫でた。
静かに、静かに。
いつまでも、いつまでも。
何十年と付き添った……老人の最後をいつまでも見送っている。
『いってらっしゃい……私の王様……。私を継げる子……君の意思を継げる子を、私はいつまでも待っているよ』
かくして理想のために生きた老人は希望を抱えて旅立った。
女性は眠る老人に語り掛けながら、静かに涙を流す。
頬を伝う感情は止まることなく、老人に落ちる涙は命のように温かかった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
番外とある通り、本編からは遠いお話でした。




