500.氷解のミュトロギア11
「ミス……ティ……?」
「綺麗……」
白い息を吐きながら、感嘆の声が零れる。
屋根の上に立つ友人の姿は、まるで幻想に生きる王。
風ではためくドレスと肩から被るマントは降雪のような純白。余計な装飾などどこにもなく、ミスティの青みがかった白銀の髪を映えさせる。
そして頂点に戴くは白い冠。
古代の王国ラフマーヌの象徴――花の装飾があしらわれた王の証が輝きを見せている。
「雪と……氷……」
アルムは空を見上げて、変化を見つめた。
空に雪が咲く。
止まる刹那に氷が舞う。
混じり合って、大気に溶けていく。
今ここに世界は変わった。
ただ一人の主の帰還に、冬の季節が時を超えて現れる。
「何で、今――!」
ミスティの姿を見て、津波の中で青き王冠を戴くネレイアは怒り狂う。
荒立つ声は波をうねらせ、津波の勢いをさらに増させた。
「後一年! いや一月! いや一週! いや一日! いや……! 後数時間!! なんで恐怖に震えていなかった!? 内に残された鬼胎の魔力に侵されていればよかったものをっ!!」
津波が向かう先にある、穢れなき光景。
そこにはミスティの心に巣食っていた黒い魔力などどこにも無く――彼女の領域が出来上がっている。
魔法の中で最も難易度が高いとされる世界改変その頂点。
その世界の中心に立つ少女の存在証明がネレイアの憎悪に火を付ける。
他に回す余裕はない。
ただ一点。白い王冠を戴くミスティにだけ向けられる。
「『私の出した答えはこれだった』」
「!? 声だと……!?」
声が届く距離ではないのに、ミスティの声がネレイアに届く。
「いや、もう一人いる――!?」
重なってもう一つの声があった。
ここにいる誰でもない声が届いている。
「『血統魔法とは語り継がれるもの。人が繋ぐ記録の結晶。味方も敵も語り継ぐ魔法のカタチ。私達が当然のように使っているこの魔法には、そんな思いが込められている。過去から今へ、今から未来へ。人のあるべき姿……いや、血統魔法を最初に作った人のそうあってほしいという思いがここにある』」
「私達の……? ふ……ふふ……! あははははははははははははは!!!」
津波の中で青い魔力光が輝く。
水と水を反射して、その魔力が感情とともに行き渡る。
津波は一つの生き物のように、魔力を運び"現実へに影響力"を上げていく。
「的外れな答えを出したものね! そんなものは無い! 血統魔法はここに来た神々を倒すために私達創始者が作り上げたもの! 人のあるべき姿!? 思い!? わけのわからないことを口にする!」
「『そう、あなたはわかっていなかったんです。だから、一人で辿り着こうとした』」
「お前が私を語るか? カエシウス!」
「『あなたのことはわかりません。けれど、ここにあなたが生き続けていることこそが、あなたと私の答えが遠く違うものだと示している』」
そう告げて、ミスティは繋いでいたアルムの手を離す。
「ミスティ」
「行ってきますアルム」
アルムを安心させるように微笑んで、ミスティの体は当然のように浮かび上がる。
眼下にいるアルム達は驚いていたが、驚くことではない。
それはただ、この場をミスティが支配しているだけに過ぎない。
「『人は一人では生きられない。知識や技術、そして思いを誰かに繋げて前へと進んでいく。誰かの為に、誰かと共に。そんな自分以外を信じる在り方が、人を貴き場所へ辿り着かせるのだと信じていた。助けた誰かがまた誰かを、その誰かがまた知らない誰かを……そうやって人間は歩んでいくんです。だから、その歩みを先導する者を……思いの象徴である血統魔法を扱える者を貴族と呼んだ。それが、魔法使い』」
「あははははは! 妄想をべらべらと喋るじゃない!」
「『妄想などではありません。今の私がその答え。一人では辿り着けなかった場所に私は立っています』」
声は冬と変わった空に響き渡る。
凛としながらも透き通った声は導き出した答えを語る。
全身を走る魔力が、その答えを祝福していた。
時には才が、時には心が、時には器が……時には孤独が。人間には荷が重い長きに渡る荊棘の道こそがカエシウスの歴史。
そして、完璧であってもいけない。
迷いに苦悩し、恐れを知ってなお未来を見れる――答えを導いた者のみに歴史の声は呼応する。
人であるがゆえに恐怖し、人であるがゆえに迷い、人であるがゆえに人の未来を照らす者。
――それが王。神のような全能ではなく、誰かの存在を尊べる者。
ミスティは自分で選び、導き出した。一人では決して辿り着けない答えの先に。
「『私はミスティ・トランス・カエシウス。マナリルの北部を統べる貴族カエシウス家の次期当主。ここまで連れてきてくれた大切な人達を守るために、私は今ここに立つ。この国を呑み込みたくば、私の世界を超えていきなさい。千年……この国を守り続けた最強の前に立つ勇気があるのなら』」
それは静かでありながら、叫びよりも力強い声。
ミスティの青い瞳に明確な意思が宿る。
相手は水平線全てを呑み込む津波。人が立ち向かうことすらできぬ星の神秘。
そんな災害を前に、ミスティは真っ向から勝利を叫んだ。
「舐めるな小娘があああああああああ!!」
迫る津波に稲妻のように青い光が走った。
進む勢いは増し、波はさらに高みへと。
まだ余力があったのか、と絶望を嘆く声があった。
先程までの大きさでも東部を水底にするには十分な高さだったというのに、今は青い山のよう。
そうさせたのはネレイアを苛立たせる不遜な少女。
海から生まれた災害は圧倒的な質量を持って、マナリルごと少女を呑み込むべく迫っていく。
「私は待った! 千五百年! 千五百年この魔法を顕現させ続けた! 千年守り続けたぁ!? 血統魔法の特性はわかっているでしょう小娘! 血統魔法は記録され続け、その積み重ねが"現実への影響力"となる! 最初に唱えられたその日から文明のように、災害のように! 私の【命喰む大海の王】は常世ノ国を千五百年覆い続けた! そっちはたかが千年! 五百年の差をあなた自身の力で埋めようとでもいうの!?」
「『その魔法はただ在り続けただけ。あなたはその血統魔法で何かを救う道を選ばなかった。私の血統魔法は違う……戦った者の畏怖。立ち向かった者の勇気。国のために、民のために戦い、守り、救い続けた思い。人々の伝承となって刻まれている』」
「そんな不確かな要素で超えられるとでも!? 雪と氷を降らせるだけの世界で私の夢を阻めるとでも!?」
「『不確かでも、ここにあるんです。優しい人達が繋いでくれたから私という今があるんです! そうやって、人は次に進んでいく。ゆっくりでも、不確かでも、今を生きる人達が繋いで、繋いで……いつか新しい場所に!』」
「笑わせるなカエシウス! 魔法とは選ばれた者だけが使う者! その才を磨き、力を蓄え、己が目的のための手段! 貴様が吐くのはただの理想だ! 人間は汚いものだと何でわからない! お前だってわかっているだろう!? 実の姉に憎しみを向けられてなお……家族に殺意を向けられて人の繋がりとやらを信じるかぁ!?」
憤怒をぶつけるような問い。
それでも、ミスティの表情は変わらない。
毅然としたその表情と、瞳に浮かぶ強い意志は崩れない。
「『はい、その理想を見せてくれた人が……私を助けてくれたんです。信じない理由がありません』」
「甘い! 甘すぎるカエシウス――! 世界はそんな理想で変わらない!! 私が一から変える! 私が導く! 人が届かぬ圧倒的な存在に……嫉むことも縋ることもできない高次の存在になってこそ人は正しく先を行く! 私の夢の先に、人間の未来がある!」
「『そう、確かに理想かもしれません。けれど……たとえ辿り着かなくても、その理想を目指す在り方に、きっと意味がある』」
「笑わせる。まるで不可能を知らない子供みたいね」
「『私にも問わせてください……ネレイア・スティクラツ』」
ミスティは少し目を伏せる。
その表情に悲哀を浮かばせて、かつて耳にした問いを自分の敵に投げかけた。
「『理想とは――不可能を指す言葉ですか?』」
「ああ……もう終わりにしましょう。私達は絶対に交わらない」
その問いをきっかけに、二人の距離は断絶した。
もう会話すら必要ない。
不可視の回線が閉じる。魔法と魔法で繋がっていた糸が消える。
夢のために、理想のために。
互いに幻のような現実を求めているというのに、互いの道は決して交わることはない。
「消えろ魔法使い! 私達を縛り続けた呪い! 私の夢を邪魔する簒奪者共っ!!」
津波が迫る。
命と文明を無に帰す魔法の頂点の一つが襲い掛かる。
うねる波は全てを擦りつぶす怪物の口のようだった。
魔法が海を巻き込んで、さらにその威力をあげていく。
港に泊まっていた船は荒れ狂う海の勢いで全てが遠く流されていった。
「ひいっ……!」
「っ……!」
そんな災害を前にしてエルミラとベネッタが互いに抱き合う。
だが、恐怖に駆られても決して津波からは目を逸らさない。
「ミスティ……」
アルムもまた同じように。
一瞬を遠く感じるような災害を前に、ミスティを信じ続けた。
"ほんと、むかつく妹だこと"
亡霊の最後の声が、ミスティの耳に届く。
伝わる温もりで影に追いやられていたその声は遠くなり……足音ともに消えていった。
「さようなら……グレイシャお姉様」
最後の声だけ、自分の知っている声だったような気がしてミスティは微笑んだ。
一陣の風が吹く。
空に咲く雪と氷が舞い上がって、一つとなる。
全ての呪縛を振り切って、ミスティの瞳は青い魔力光で輝いた。
「――――――ぁ」
瞬間、世界が書き換わる。
荒れ狂う海。マナリルを呑み込むべく迫りくる津波。
そのどちらもが停止する。
港でその災害を見ていた者たちの瞬きの間に、ここにある脅威の全てがミスティの手によって凍り付いた。
恐怖も脅威も、その全てが刹那に消える。
「う……そ……」
海を見ると、そこに広がるは氷の世界。
迫り来ていたはずの津波はよくできたオブジェクトのように固まっていて。
夢か現実かもわからず、エルミラとベネッタは目をぱちぱちとさせていた。
吐く息の白さだけが、身近な現実感だった。
「……………………」
断末魔すら上げることなく、津波の中にいたネレイアの人生が終わりを告げた。
青い冠の輝きは消え、使い手を失った魔法は音を立てて崩れていく。
彼女の目論んだ神が為の神話は人の為の伝承に敗北する。
自分のために全てを犠牲にしてきた悪い魔法使いの最後にして、神に堕ちようとした人間の末路。
ここにいるは千年を継いだ魔法使い。子供のような理想を夢見た、人々を守る王の末裔。
水属性創始者ネレイア・スティクラツの千五百年は、少女の信じる理想に塗り潰された。
『おかえり――私の王様』
目の前を、雪がゆっくりと落ちていく。
それはまるで自由を知った羽根のよう。
風も止んだ静けさの中で、雪と一緒に涙が落ちた音がする。
その声は誰にも届くことはなく、ただその涙の温かさだけが……人と国の恐怖を溶かすようだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ネレイア戦決着となります。
今までを見てきてくださった皆様からすると意外だったでしょうか?
第七部も後少しとなりました。最後まで見届けて頂けると嬉しいです。




