496.氷解のミュトロギア7
「……静か、ですね」
しばらくして、東部のとある村につきました。
東部のほとんどの平民は避難の命令を受けているので、村はもぬけの殻。
人の気配のない村には野犬が入り込んでいましたが、四匹のエリュテマを前に普通の野犬が敵うはずもなく……何回か吠えるとどこかにいってしまいます。
王都やベラルタの馬車を上回る速度。魔獣エリュテマが牽引することによって、魔獣や野盗の襲撃のリスクを無くせる安全性。
ネロエラさんの部隊は試験段階とお聞きしましたが、このままいけば正式採用になるのではないでしょうか?
いや、本来なら危険な魔獣であるエリュテマに難色を示し続ける貴族もいるでしょう。
タンズーク家の血統魔法の上で成り立っているというのを面白く思わない人もいるかもしれません。
「私は、なにを……」
もっと考えるべきことはあるはずだというのに、つい思考が逸れる。
フロリアさんに見せられた敵の姿は……私自身。
それが意味するところを私は探さなければいけない。
なのに、ネロエラさんの部隊のことを心配するなんて。
私がアルム達の所に向かって、何もできなければそんな心配も海の底に沈むというのに……一体何をしているのか。
「行って、何ができるというのでしょう……?」
言葉にして、胸の中にある不安が膨れ上がる。
そもそも、私は行って何をする気だったのか?
アルム達が心配だったから? あなたに何ができるの?
国の危機にじっとしていられなかったから? あなたに何ができるの?
行かなければもう自分は何もできないような気がしたから。 そんな事してもあなたは一人のままじゃない。
「はぁ……はぁ……」
声がする。
眩暈がする。
恐ろしい声がする。
息が白くなる
家の歴史に刻み込まれたグレイシャお姉様の声が聞こえてくる。
あの日、私はアルムに救ってもらったはずなのに。
私がずっと立ち止まっていたからか……お姉様の声が追い付いてきたのだろうか。トランス城をカンパトーレの魔法使いに襲撃された日から、しきりに聞こえてくるようになってきた。
グレイシャお姉様の声はアルムが振り払ってくれたはずなのに。彼はその身を省みずに、私を救ってくれたのに。
もう、一人で歩かなくていいと知っているのに――私はそんな彼に顔向けができないくらい、その場に止まったままでいる。
「っ――!」
静かに、客車の扉が開いて私は体を震わせる。
入ってきたのはネロエラさんだった。私の反応が過剰だったせいか、向こうもびっくりしている。
「ご、ごめんなさい。驚かせてしまって……」
私がそう言うと、ネロエラさんは戸惑いながらも筆談用の本にペンを走らせました。
《こちらこそ、驚かせてしまって申し訳ありません。声をかけるべきでした》
「いえ、私が少し考え事をしていたので……その、ご用件はなんでしょうか?」 《予定通りと言いたいのですが、迂回ルートの選択に時間がかかってしまいましたのでギリギリです。明日は夜明けと共に出発するので、体を休めていてください》
「わかりました。わざわざ、ありがとうございます……」
本当に感謝しかありません。
四匹のエリュテマは休憩以外はずっと走りづめなのです。
ネロエラさんは魔力の回復のために数日走らない時もありますが、それでも疲労は相当なものなはず。
それは外に出て度々周囲を警戒しているフロリアさんも同じなはずで……何故お二人は私によくしてくださるのでしょうか。
フロリアさんは幼少の経験からでしょうが、ネロエラさんは――?
「……?」
いけません。とても失礼なことをしてしまいました。
私がネロエラさんの顔をじっと見たからか、ネロエラさんは首を傾げています。
夜に映える赤い瞳が逆に私をじっと見つめたかと思うと、
《失礼します》
本にそう書いてから、ネロエラさんは私の正面の席に座りました。
「ど、どうされました?」
《私にお聞きしたいことがあったみたいなので……勘違いでしたか?》
申し訳なさそうな表情でそう書かれたページを見せてくださいます。
そんなに表情に出ていたのでしょうか。
貴族として感情を隠すことに長けている私が……それほど余裕がないということなのでしょう。
《それに、フロリアに聞きました。ミスティ様が思い悩んでいると……何かを恐がっているようだからさりげなくお気遣いするようにって》
「さりげなくとありますが……私に言ってもよろしかったのでしょうか……?」
「……!」
ネロエラさんは言われて気付いたのか、あたふたとしながら自分の言葉を書いてあったページを急いで閉じました。見なかったことにしてくださいと言いたげに首をぶんぶんと振っている。
さりげなく、という部分は失敗していらっしゃいますが、その優しさはとても嬉しいですね。
ネロエラさんの仕草がとても可愛らしかったので、つい笑みがこぼれます。
《それ、フロリアの制服ですよね》
「あ、はい……」
ネロエラさんは話を逸らしたかったのか、話題を変えてしまいました。
私が来ているのはネロエラさんの言う通り、フロリアさんからお貸しいただいたもの。
今の私には少し、着心地が悪い服です。
勿論、言葉通りの着心地のことではありません。制服自体はサイズが少し大きめでしたが、何とか着ることはできました。
驚きなのは大きかったのは上だけで、スカートは問題なく着ることができ……小柄な私と同じくらいのウエストをお持ちのフロリアさんのスタイルは凄まじいと思います。
私の感じている着心地の悪さとは、私自身の問題。
今の私にこの制服を――ベラルタ魔法学院の制服を着る資格が本当にあるのかという……自分への疑念。
「本当に、私なんかがこれを着て……いいんでしょうか……?」
「――」
「あ……!」
今、口に出ていた?
咄嗟に私は口を押さえる。
ネロエラさんのほうを見ると、やはり声が口から出ていたようで……ネロエラさんはびっくりしたように目を見開いていた。
「ご、ごめんなさい! 変なことを言ってしまって……」
混乱させるような発言をした事を謝罪すると、ネロエラさんはキョロキョロと辺りを見始めました。
外には見張りのフロリアさんとフロリアさんに寄り添っている一匹のエリュテマ。残り三匹のエリュテマは眠っているようだ。
それ以外に人影はない。
「わたしも……とても、こわかった、ことがあります」
「え――?」
それは、聞き慣れない声でした。
申し訳ないことに、誰が喋ったのか一瞬わからなかったのです。
まさか、ネロエラさんが私の前で喋ってくださるとは思っていなかったから。
「ま、魔法のために、体を、いじられて……肌は色白で、目はこういう色だっていえばいいですけど……こ、こ、この牙だけは、やっぱり普通じゃなく、て……見せたら、恐がられるものだから……自分でも嫌いで、なんでこんなんなんだろうって恐くて……見せたくなくて……ずっと、筆談で……今も、なんですけど……」
暗がりとはいえ、客車の中には照明用の明かりがあります。
たどたどしく話すネロエラさんは意を決したように、私に自分の牙を見せてくれました。
私はネロエラさんが自分の牙がコンプレックスなのをすでに知っていたので特に驚きませんでしたが、知っていなければやはり驚いたでしょう。
可愛らしい外見からは想像もつかない、鋭い牙が並んでいることに。
「でも、アルムが……そんな私を変えてくれたんです」
花が咲いたとはまさにこの事でしょうか。
頬を薄っすらと赤らめて、幸せそうに笑うその笑顔に私は見覚えがありました。
アルムの事を思っている時になる私の笑顔と、とても似ていたのです。
私はその時、気付きました。
ネロエラさんは私と同じように、私と同じ人に、私と同じ想いを抱いているのだと。
「そ、それは、アルムからすると……なんでもない言葉だったかもしれないですけど……でも、私は救われました。わ、私の気にしていたことは、人によっては大したことない、ものなんだって……恐がる必要のないもので、ちょっとずつ……こうして話せるように、なってきています……」
ネロエラさんはそう言いながら、恐る恐る私のほうに手を伸ばしてくださいました。
私はそんなネロエラさんに自分から手を伸ばします。
私の手を握ってくれたネロエラさんの手は、フロリアさんと同じように温かかった。
「私は、変われましたミスティ様……。ずっと恐いと思っていたものが、きっかけ一つで……変わったんです。アルムの言葉で、変わって……魔法使いをちゃんと目指せるようになって……今は、大事なお友達もいます……!」
握られた手を通じて、温もりが伝わってくる。
私を心の底から気遣っている温もりが。
昼にはフロリアさんの、今はネロエラさんの温もりを通して……二人の優しさの欠片が伝わってくる。
「む、無責任なこと言っちゃうかもですけど……大丈夫ですミスティ様……。私が変われたんですからきっと、ミスティ様も大丈夫……」
そう言って笑うネロエラさんは、どこからどう見ても可愛らしくて強い女の子。
きっと、ネロエラさんもかつては自分の道などわからなかったのでしょう。
魔法の証が、自分を苦しめる呪いそのものだったから。
けれど、ネロエラさんはそのきっかけ一つで恐怖を振り払って、自分の道を歩き出した方なのです。
大丈夫、と言ってくださるその声がそれを示しています。
私にはあの言葉がある。変わったから出来た友達もいる。
だから、もう大丈夫なのだと。
「大丈夫、です。その制服を自分で着れたのならきっと……ミスティ様は大丈夫……。み、ミスティ様はベラルタ魔法学院の生徒で、アルムの大切なお友達なんですから……きっと、大丈夫です」
私を慰めるように、ネロエラさんはずっと大丈夫と言い続けてくれた。
聞こえてきていた過去の声が薄れていく。優しく届く今の声がかき消してくれる。
それはまるで恐がっている弱い私に謳う……子守歌のようだった。




