488.逃亡劇のお膳立て
「陛下! ラモーナ様がご乱心を!!」
緊急を理由に、王都に常駐する魔法使いの一人がノックすらせずに国王カルセシスの執務室へと飛び込んだ。
側近であり、未来の正妃でもあるラモーナの暴走。国王に急ぎ伝えねばという気持ちがはやったのだろう。平時なら処罰を受けて然るべき無礼な振る舞いだが、気持ちはわからなくもない。
「む? なんだ?」
「……私が何です?」
「え? ど、どういう……?」
その報告に来た魔法使いが豪奢な執務室に入り、飛び込んできた光景はこれ以上無いほどにその頭を混乱させた。
なにせ……部屋の中には机に座るカルセシスといつものように傍らで仕事を手伝うラモーナがいたからだった。
報告に来た魔法使いは自分の目を疑っているのか、廊下の外と部屋にいるラモーナを交互に見始める。
「私に関しての報告が何かはわかりませんが……陛下の部屋にノックも無しに入ってきたその無礼な振る舞い……。覚悟はできているのでしょうね?」
ラモーナに殺気を込めて睨まれて、入ってきた魔法使いの背筋が伸びた。
とはいえ、混乱は収まらない。
渦中の人物であるはずのラモーナが何故ここにいるのか? 誘拐したはずのミスティの姿もここにはない。
「え? い? し、失礼致しました! そ、その……失礼を重ねてお聞きするのですが……ラモーナ様はずっとここにいらっしゃったのですか……?」
何故そんな事を聞くのかと言いたげに、カルセシスとラモーナは顔を見合わせる。
入ってきた魔法使いの問いにはカルセシスが答えた。
「ああ、いたが……その様子、何かあったのか?」
「それが、現在王城に滞在されているミスティ・トランス・カエシウス様がラモーナ様に……さらわれた……のですが……?」
報告をする魔法使いの目が泳ぎ、途中からどんどんと言い淀んでいく。
それも仕方ないだろう。
なにせ、ここにいるはずのない犯人を目の前にして報告をしているのだから。
「私が……? どういうことです?」
「い、いえ! 報告を誤りました! 正確には、ラモーナ様の姿をした何者かがミスティ様を部屋から連れ出しまして……!」
魔法使いからすればこう言うしかない。
ラモーナはこの執務室にいて、国王であるカルセシスがその証人。
目の前の光景を見て、犯人はラモーナだと言い続けるほうがおかしいだろう。
「つまりは侵入者か」
「はい! 相手がラモーナ様の姿をしているということもあって対応に迷いが生まれておりまして……現在、追跡中です!」
「ふむ……」
「陛下。もしや……行方をくらましたカンパトーレの魔法使いクエンティ・アコプリスでは?」
ラモーナがそう言うと、扉の前に立っている魔法使いも納得したような表情を浮かべた。頭の中をかき回していた混乱が答えを得てようやく落ち着き始める。
王城に常駐している魔法使いでその名を知らぬ者は少ない。数年前、王城に侵入してきた記録も残っているカンパトーレの魔法使い。『見知らぬ恋人』クエンティ・アコプリス。
あまりの魔法の完成度から、多くの感知魔法を容易にすり抜ける変身のスペシャリスト。
確かに、あの魔法使いの犯行であれば納得がいく。
「なるほど、カンパトーレの魔法使いならばミスティを誘拐する目的もわかる……次期当主のミスティがマナリルからいなくなれば北部の侵攻が容易になるからな。暗殺ではなく誘拐を選んだのはこちらとの交渉材料とこちらからの侵攻の牽制が目的か」
「それか、血統魔法による防衛を恐れたのでは……カエシウス家となれば被害が想像つきません」
魔法使いは二人の会話を聞いて、ほっとため息をついた。
敵の正体がラモーナではなかったことへの確信、そして正体不明だった敵の正体まで暴かれる進展。
迷いなく任務を遂行していいのだという心底からの安堵だった。
「クエンティは信仰属性だったはずだ。ラモーナに化けるのはかなり合理的だな」
「信仰属性の宮廷魔法使いは私だけですからね……魔法を唱えても簡単にはばれないでしょう」
「さ、流石は陛下にラモーナ様……! なるほど、クエンティは王城への侵入経験もありますしね!」
「犯人は確かに私の姿をしていたのですね?」
「は、はい! それはもう!」
「陛下。ご命令をどうぞ」
「犯人は私ラモーナ・フレローナに変身したクエンティ・アコプリスと断定する。追跡している者達に遠慮せず戦えと伝えるがいい。ミスティ・トランス・カエシウスの安全だけ考慮せよ。カエシウス家からの抗議は恐かろう」
「了解致しました! そのように!」
カルセシスからの命令を受け取って、魔法使いは嬉々として部屋を出る。
「先程の無礼への処罰は全てが終わった後に知らせますからね」
「も、申し訳ありませんでした!」
冷や水をかけてくるようなラモーナの声に謝罪で応えながらも、扉を閉めた魔法使いの心境は晴れやかだった。
宮廷魔法使いが起こした訳の分からない誘拐よりも、敵国の魔法使いの侵入のほうがわかりやすい。
なにより、常識で理解できる範疇の出来事だ。
誉れ高き王城でそのような事件が起きたことこそ心を痛めるべきことだが……理解できぬ出来事よりはよっぽど気楽に対応できる。
報告に来た魔法使いは、この事件が終わった後の自分の処罰に肩を落としながらも……同じように混乱しているであろう同僚達にこの命令を伝えるべく走り出した。
「……見事だな」
「お褒めに預かり恐縮です。へ・い・か」
静かになったカルセシスの執務室でラモーナ――否。ラモーナの姿になっていたクエンティが悪戯っぽく笑った。
ラモーナに変身しているのがクエンティという点は真実だが……どちらが本物かどうかは別の話。
本物のラモーナが誘拐などするはずがないという思い込みと、国王であるカルセシスの近くに偽物のラモーナを近寄らせるはずがないという思考が他者に疑わせない。
クエンティの変身が何故一流なのか。
それは姿を見せる相手の心理を手玉にとり、本物だと思い込ませる説得力。そして疑念を持たせないシチュエーションの構築力。
アコプリス家はクエンティの代で発展した血筋。
クエンティがこの血統魔法を使うからこそ、その真価は発揮される。
「でもよかったんですか? 陛下のラモーナ様……これで思いっきり攻撃されてしまいますよ?」
「ラモーナなら問題ない。俺の側近だけあって強い女だ」
「まぁ、そうですよねぇ…………あれ? もしかして今、惚気られました?」
「さあな」
見られる心配がなくなったからか、ラモーナの姿をしたクエンティは壁に寄り掛かる。
カルセシスからすればその様子に違和感を覚えるのか、ちらっと見た後すぐに目を逸らした。
「お前こそよかったのか? これでクエンティ・アコプリスが寝返り、マナリルの魔法使いとして表舞台に出れる未来は無くなったが?」
「いいですよ。ラモーナさんが報われないですし、今の私はアルム様のお役に立てればそれでいいので……それに、承知で私を飼ってくれるんでしょう?」
クエンティはラモーナの姿をしたまま、手で輪を作って自分の首にはめるジェスチャーをする。
ラモーナの姿でそのジェスチャーをされたことに倒錯的なものを感じたのか、カルセシスは一瞬不快な表情を浮かべるも……次の瞬間、
「いや、そういった趣向もありか……」
と意味深な呟きを零した。
「なにがです?」
「忘れろ。こちらの話だ。お前の言う通り、アルムがマナリルにいる限りは裏でマナリルの者として扱ってやるとも」
「あ、アルム様のためにならないことはしないので、そこはよろしくお願いします」
「そんな都合のいい飼われ方をされてたまるか……と言いたいところだが、今回の件でお前には借りができたからな……」
「陛下は話がわかる方なので、末永くお付き合いしたいものです」
「まぁ、それも……マナリルが滅びなかったらの話だろうがな」
カルセシスは窓の外へと視線を向ける。
灰色の空に窓を叩く雨音。
スピンクスの情報が本当だとすれば、こんな雨よりも遥かに多い水量がマナリルを埋め尽くす。
そんな悪夢のような光景を想像しながらも、希望を捨ててはいない。
だからこそ、このような事態を無理矢理に起こしたのだ。
「さて……待機させていたあの二人にも動いてもらわねばならんな。やはり準備はしておくものだ」
通信用魔石に手を伸ばす。
森に待機させていた二人への待機命令を解除するために。




