487.城を抜け出して
「最初は仕方あるまい……ゆっくりと上位貴族として誰と繋がるべきなのかを教えてやろう」
宮廷魔法使い筆頭ボラグル・トラウマンは王城に与えられた自室にてワインの香りを堪能していた。
宮廷魔法使いは王都への侵入者、王城への攻撃を察知する感知魔法のスペシャリストであり、研究色の強い魔法使いが多い。
ボラグルもまた感知魔法の分野において、防御魔法の特性を織り交ぜた結界型の感知魔法の一つを開発したことによってこの地位についた元研究者であり、この自室も研究の名目で貸し出されている。
しかし……研究などここ十数年ボラグルはしていない。
地位に笠を着て、権力を振るい、貴族の利権を優先するようになった古い魔法使いの一人となってしまっている。
ミスティとルクスを王都に残すのも自分の権力を広げるための一手。
婚約者のいない四大貴族の次期当主――ミスティとルクスを狙わないほうがどうかしている。
「ふふふ……オルリック家のほうはともかく、カエシウス家は去年の事件の負い目がある……二十日もあれば籠絡させるなど容易いものよ」
四大貴族カエシウス家とはいえ、ボラグルからすれば小娘。
それでいてミスティは貴族社会を理解しており、家の繋がりの重要性を理解している。
去年、大部分の権利を剥奪されて今、カエシウス家は違う方法で権力を手に入れようと考えるはずとボラグルは考えていた。
一度手に入れたものを手放すことを、普通の人間は惜しむ。それが金や権力であればなおさら。
息子と婚姻を結ばせ、宮廷魔法使いを輩出しているトラウマン家の力とカエシウス家の力を合わせれば北部でも王都でも逆らえる者はいなくなることだろう。トラウマン家本来の権力に加え、カエシウス家というバックが加わるのだから。
ボラグルの狙いはそのカエシウス家を裏からコントロールすること。コントロールできないまでも、カエシウス家の持つ情報を手に入れることができれば息子一人分などお釣りがくる。
「この状況を作るきっかけとなったあのダブラマの情報には感謝せんとな」
あの魔法生命とやらがマナリルに危機がくる、洪水で大陸を埋め尽くすなどと言っていたが――
「はん、できるわけなかろう」
いくら魔法使いといえど、そんな事は無理に決まっている。
常識で考えろ馬鹿が、とボラグルはワインを飲み干した。一杯で平民が暮らす一週間分くらいの生活費ほどの値段はあるだろうか。
小癪な真似をしてくれると一時期はダブラマに憤慨しかけたが、都合はよかった。
何故か、分不相応にもミスティとルクスの二人から信頼を置かれているあの平民を含めた三人を切り離せる、とびきりの口実ができた。
【原初の巨神】を破壊したと言っていたが……創始者の魔法とやらもあんな平民に破壊できるくらい劣化していたということだろう。ならば、あの魔法生命とやらの情報が本当であってもマナリルへの被害は大したことないに違いない。
本当だとして……せいぜい、最東端のマットラト領に被害が及ぶくらいか。
「この私にあんな口をきいたのだ……いいエサにさせてもらおう」
あの三人が被害に合うとして、救出をエサにするのもいいなとボラグルは笑う。
手はいくらでもあるな、とにやにやと嫌な笑みを浮かべながら……グラスにワインを注いだ。
ダブラマからの情報の真偽はどうであれ、それを口実にしたミスティとルクスの滞在期間は最低でも二十日間ある。
十分すぎる時間だと高笑いをしかけた時、ノックの音が聞こえてきた。
心なしか、いつもよりも音が荒っぽいように聞こえる。入れ、とボラグルが言うと焦った顔をした兵士が部屋の中に飛び込んできた。
「し、失礼致します!」
「騒がしいぞ! ここをどこだと思っている!」
「申し訳ありません! ですが、緊急でして!」
「なんだ? ダブラマの使者を歓待するために依頼した劇団が来れなくなったか? それとも南部から料理の材料が届かなくなったか? どうせあのダブラマの魔法使い……マリツィアといったか。奴は歓迎したところで情報を吐かんだろうよ。不備があってもてきとうに――」
「違います! 要人用客室にいらっしゃったミスティ・トランス・カエシウス様が誘拐されました!」
ボラグルは思わず、口を大きく開けていた。
兵士の言葉が理解できないのではなく、その状況にどうなりうるのかが理解できない。
「誘拐だと!? この王城から!? カエシウス家を!?」
「おっしゃりたいことはわかります……ですが、犯人が、その……」
「なんだ! 早く言え愚図が!!」
ボラグルの暴言に兵士は背筋を伸ばし、躊躇っていた続きをそのまま告げる。
「ら、ラモーナ様のようなのです!……宮廷魔法使い兼王家専属治癒魔導士であり、カルセシス様の正妃候補でもあらせられるラモーナ様が犯人のようでして……!」
「ああん!? 馬鹿言うな! あの女がそんなことするわけなかろうが! あの女は十三年前から正妃の地位につくためだけに貴族社会を荒らしまわった腹黒女だぞ! その正妃の地位をドブに捨てるようなことするはずあるまい!!」
「で、ですが現に……! 今対応している兵士や魔法使いの方々が見ておられるのです! 相手がラモーナ様……未来の正妃であらせられるのもあって迷いが生じており……! 凄まじい勢いで突破されていきます!」
兵士の顔に嘘はない。
ボラグルと同じく、何が起こっているかわからないと言いたげな表情でうろたえている。
「そ、そんな馬鹿なことが起きてたまるかあああああああああ!!」
何のための行動なのかボラグルには理解できない。予想もできない。
常識で考えれば、そんなことは有り得ない。
だが常識とは社会で覆すことこそ難しくも、個人で破ることは簡単な薄氷であることを失念している。
「お止まりください! お止まりください!!」
ミスティを背負ったラモーナが制止しようとする兵士の兜を蹴り砕く。
兵士の体には傷はない。紫の髪だけが流れるように目に焼き付いていた。
走るラモーナを遮ろうとする兵士達の装備をことごとく破壊し、相手が見知った宮廷魔法使いということに戸惑う兵士達の戦意を一瞬で折っていく。
ただの兵士達で止められるわけもなく、王城に常駐している魔法使い達が魔法を放つが、
「『信竜の加護』」
ラモーナに向かって放たれた火と雷の中位魔法はラモーナの体に巻き付いたような防御魔法を突破できず、いとも簡単に弾かれる。
周囲の防御魔法が生きているうちに、ラモーナは魔法使い達の杖や剣といった補助具を蹴り飛ばし、目もくれずに白を基調とした廊下を駆け抜ける。
「くそ! 中位魔法でも通らない! 上位魔法の規模じゃ王城やミスティ様にまで被害が!」
「ちゅ、中位魔法で止めるなんて無理だ! 相手は信仰属性の宮廷魔法使いだぞ!」
ラモーナは治癒魔導士。つまりは信仰属性の宮廷魔法使い。
研究に没頭するタイプの魔法使いならばともかく、ラモーナはその防御魔法の腕前から、国王を最後まで守る側近として立つことを許された魔法使い。
凡百の魔法使いが躊躇いがちに撃つ魔法など、百人いても突破できるはずがない。ましてや、相手が見知った宮廷魔法使いであるラモーナという事実を前に平然と魔法を撃つなどできるはずがない。
魔法の"現実への影響力"は使い手の精神に色濃く影響を受ける。それこそ、ここにいる魔法使い全員が知っている基本中の基本であった。
「ら、ラモ……」
「顔出さないの!」
「は、はい!」
背負っているミスティの姿は頭から足まで隠すようにフード付きのローブで隠してある。
周りの様子を見るべく、ミスティがフードの隙間から顔を覗かせようとするもラモーナはそれを許さない。
「今はいいけど次第に対応される! その時まであなたの姿を見られると破綻してしまうから!」
「も、申し訳……」
「いいのさ! 自分のために誰かが動くのって気になるものだって!」
ラモーナの行く手を邪魔できず、壁に張り付いた兵士の剣をすれ違いざまにラモーナは奪う。
風のように駆けるラモーナのほうに迷いはない。
ミスティと話しながらも当初の予定通りであるかのように、廊下の突き当りにある窓に向けて乱暴にぶん投げた。
がしゃーん、と鍵ごと割れる窓に向かってラモーナはスピードを緩めない。
「ちょっとふわっとするよ!」
「わ、わ!」
窓枠を蹴り破り、ラモーナとミスティは雨の降る宙に舞う。
追いかけてきた兵士達は当然飛び降りれるわけもなく、
「下だ! 下に向かえ!」「急げ!」「下だ下だ!」
ラモーナに追いつくまでにはまだ時間がかかる声が下まで届いていた。
ラモーナはそんな声に目もくれず、この場所に落ちた理由の場所まで走る。ブーツは雨水を弾きながらも迷いはない。
野性的な匂いが届くそこは王城で飼育されている馬を管理する馬小屋だった。
馬小屋といっても、そこらの平民の家よりははるかに巨大で、清潔感すらある。
ラモーナは扉を乱暴に開けて、息を切らしながらも馬小屋の中に入った。
「用意はできてる!?」
「お待ちしておりました! 準備はできています!」
ラモーナが来ることが予定通りであったかのように、馬小屋の中の使用人達はミスティを背負ったラモーナを案内する。
案内された所にいた白馬には鞍が装備されており、いつでも乗れるようになっていた。
その白馬は輝かんばかりの白い毛並みで眼はラモーナと同じ紫色をしている。
「乗って!」
「は、はい!」
白馬の上にラモーナとミスティが乗ると、馬小屋にいた使用人達は道を空ける。
短いやり取りながらも迅速な手際で馬小屋の扉までもが先に開けられており、ミスティはただただラモーナの後ろで驚く事しかできなかった。
この騒ぎの中心が自分達であることなど気付いているはず。
だがラモーナの人望なのか、馬小屋にいる使用人達は迷いなく……表向きにはミスティ・トランス・カエシウスを誘拐しているラモーナの手助けをしていた。
「行け! カルーナ!」
ラモーナが白馬の名を呼ぶと、白馬は嘶き、馬小屋の中をゆっくりと駆け始める。
そのまま馬小屋を出ると、徐々にその速度を上げていった。雨の中だというのにその走りにブレはない。
「ラモーナ様! ご武運を!」
「二人ともがんばんな!!」
「こっちは気にすんな!」
「後ろのミ……あ、名前言っちゃいけねえんだった……見知らぬ人も気をつけな!」
全てを理解した上で協力してくれている名も知らぬ使用人達は、そのままスピードを上げ始める白馬の後ろで手を振っている。
数分にも満たない滞在時間。
たった数瞬の中、受けた恩と温かい言葉に自分が助けられていることをミスティは実感する。
雨の靄の中、遠くなる馬小屋とその人達にミスティは振り返った。
「ありがとう! ありがとう!!」
その声は果たして届いたのか。
もう向こうからの声は届いてこない。
雨音と追ってくる魔法使いの怒号、そしてようやく駆け付けた兵士の声だけが聞こえてきた。
戸惑いと躊躇いを存分に利用した迅速な逃亡劇。
閉じこもっていたお姫様は今、王城を抜け出した。
いつも読んでくださってありがとうございます。
頑張ります。




