485.ほんの少しだけでもいい
「何で怒ったんだろう……?」
「……」
「……」
馬蹄が地を蹴る音と車輪の音、そしてその二つの音にかき消されながらも存在感を出し続ける雨音を聞きながら……客車の中でアルムは疑問を零した。
正面の席で呆れたような視線を向けるエルミラとベネッタ。
二人は互いに顔を見合わせて、
「はぁ……」
「はぁ……」
とため息を零す。
呆れからくるため息だったが、二人とも苦笑いとは違う笑みを浮かべていた。
「ま、正直あんたの言葉ですっきりしたとこあるから今回は何も言わないでおいてあげるわ」
「うんうんー」
「いや、何で怒ったのかが知りたいからむしろ言ってほしいんだが……」
「価値観の違いよ。偉くなると恐いとか簡単に言えなくなっちゃうの」
「なんだそれ……? 偉いって不便だな……?」
眉をひそめて難しい顔をするアルム。
本当に、アルムには意味がわからないのだろう。
自分を大きく見せるための見栄や尊大なプライドはアルムの生き方とは無縁のもの。
目の前の友人の芯の強さは、自分が弱い存在であると自覚しているからこその強さだ。
恐怖を恥じず、受け入れているからこそ折れない。弱いからこそ、強くあろうと努力を続ける。
ボラグルを無意識に弁舌で圧したアルムの姿を思い出して、エルミラはつい、くくく、と思い出し笑いをする。
「恐いなら恐いって言えるようになれたらいいのに」
「ふふ、アルムくんのそういうとこ好きー」
「ありがとう……?」
ベネッタの賛辞をよくわからず受け取りながら、アルムは話を変えた。
「そんなことより……洪水を止めるってどうすればいいんだろうな」
「んなもん、わかるわけないでしょ……王城でも私言ったじゃない」
「そもそも……どうやって洪水を起こすんだ……? 海の水位がちょっとずつ上がっていくとか……? だったら止めようがないぞ」
「使い手を倒すー?」
「それが一番現実的でしょうね」
エルミラはちらっと横に座るベネッタを見た。
こちらにはベネッタの血統魔法がある。その効果範囲内に創始者ネレイア・スティクラツがいてくれれば、少なくとも何もできないという事態は避けられる。
洪水を防ぐのと、魔法使いを一人倒すのであれば後者のほうが圧倒的にわかりやすく、現実的だ。
問題は……創始者相手に自分達が通用するかどうか。
魔法の技術は当時に比べれば発展していることは間違いない。だが、相手は八人の創始者の一人。
恐らく、ただ魔法を既存の技術として学んでいる自分達とは現実の幅が違う。
ふと、去年のことを思い出す。
ベラルタを破壊しようとしていた【原初の巨神】……創始者は、あれほど規格外のものを現実にするほどのイメージができるということ。
「エルミラー? 震えてるよー……?」
「そりゃあね……アルムのあれじゃないけど、やっぱ去年のことを思い出すと恐いわよ……【原初の巨神】みたいなのが飛び出してくるんじゃないかって……」
「エルミラ……」
「けどね、ちょっと頑張りたいって思ってる自分もいるわけ」
自分はどこまで通用するのか?
以前の自分であれば、こんなことを考えもしなかっただろう。
だが、自分が成長しているのはわかっている。
創始者の千五百年に比べればちっぽけな十七年かもしれないが、ただ恐がっているだけの自分でないことが少しだけ嬉しかった。
「ま、どうにかなるかはわかんないけどさ……ネレイアに会えずに終わりってパターンもあるわけだし……てか、そっちの可能性のが高いわよね。慎重だって言ってたし……」
「確かに……選択肢は考えておいたほうがいい。最悪の場合はカレッラに逃げ込もう。いくらなんでも、マナリル・ガザス間の山々をすぐに水で満たすなんてことはできないはずだ」
「そっか、マットラト領だもんね」
「ああ……一応……」
そう言うと、アルムは通信用魔石で連絡をとる。
アルムが普通の顔をして通信用魔石を取り出したことにエルミラとベネッタは揃って驚いていた。
「アルムだ。ベラルタのドレンさんという御者に言伝を頼みたい……カレッラのシスターに……頼めるか? ああ、それだけでいい。いや、そっちは最悪の事態に備えて……」
「なんでこいつ魔石持ってんのよ?」
「さ、さあ……?」
ひそひそと、アルムの通信の邪魔にならないように話す二人。
短い通信を終えると、アルムは何事も無かったように通信用魔石をしまった。
「ん? なんだ?」
「いや、終わったら聞くわ……」
一瞬、問いただそうとしたが、そんな事は今は問題じゃない。
全部解決した後に聞こうとエルミラは一旦頭の隅に置いておくことにした。
「それにしてもー……あんな事聞かされておとなしくマットラト領に向かってるボク達ってなんか外から見たらかわいそうに見えるかもしれないねー……」
「何よ今更……一年の時からこうだったじゃない」
「それは自分から頑張ったやつだもん……大人もどうなるかわからないからボク達が頑張ったけど……今回は大人だって何が起こるか知ってるのにボク達だけが行くんだよ……? 王城でもそんな話になったけど、大人の事情って嫌だなーって……」
ベネッタは寂し気に俯きながら、手をもじもじさせながら言う。
貴族らしからぬ発言ということを自覚しているのだろう。
エルミラはそんなベネッタの心情を察して頭を抱き寄せる。
翡翠色の髪にエルミラの手櫛が通り、ベネッタは甘えるようにエルミラの胸に顔をうずめた。
「……また明日を続けていったら、ボク達もあんな風になったりするのかな」
そのつぶやきはきっと、死地に向かう前に零れた弱音。
恐怖に脅かされる前に言えたちょっとした不満。
アルムもエルミラも、その呟きを笑うことはない。
「なりたくなかったらならなければいいんだ。あのボラグルって宮廷魔法使いの人は俺もよくわからなかったが……ああいう人もいるんだろう」
「んー……」
「自分の望みを忘れなければ、きっとベネッタが嫌な自分になることはないさ」
アルムはそれだけ言って、決戦の前に肩の力を抜くように……客車のソファに背中を預けた。
「なんにしても……仕方ない。大人じゃない俺達ができることは、前に進むことだけなんだから」
大切なのは恐くても弱くても、自分の足をほんの少しでも動かそうと思うこと。
五歳の時、初めて抱いた夢を捨てかけた……停滞の記憶が、アルムにそんな教訓を抱かせていた。
そんな苦い記憶の次に訪れる、歩き方を教えてくれる最も憧れた人との記憶とともに。
いつも読んでくださってありがとうございます。
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