484.こじつける理由
「人間の世界というのは本当に、複雑ですね……」
「……」
王城にある客人用の一室でスピンクスは呟いた。
窓から外を見ながら佇むマリツィアは無言でスピンクスの声を聞く。
外はいつの間にか雨が降っていた。灰色に広がる空は重苦しく、夏の終わりを知らせるような肌寒さを感じさせる。
謁見の時間が終わったマリツィアとスピンクスは客人として王城での歓待を受けることとなり、しばらく王都に滞在することとなった。自分達だけでなく王都での待機を命じられたミスティとルクスも王城のどこかにしばらく泊まるようだが、謁見の間を出た後もルクスと宮廷魔法使い達との間には一悶着あったようである。
「……あのボラグルという男は、もう死んでいますね」
「マリツィアさんが言うと……違う意味に聞こえますね……」
盗聴用の感知魔法が張られていないことは確認済み。
マリツィアは遠慮なく、先程……謁見の間で起こったことについてを零した。
部外者ゆえにあの場では何の発言もできず、事の成り行きを見守るしかない立場だったが、目の前で起こった事は正直見ていて気持ちのいいやり取りではなかった。
「勿論生命活動というわけではなく、"魔法使い"としてのお話です……ダブラマでは基本的にあのようなことは起きませんから……」
ダブラマの魔法使い社会は徹底した実力主義。弱者を切り捨て、強者を至上とする。
たとえ三十年間国に尽くした普通の魔法使いがいたとしても、マリツィアのような魔法使いが現れれば関係がない。マリツィアが第四位の座に着いた時がまさにそうだった。
しかし、それを恨むような者もダブラマにはいない。
より強い魔法使いが現れるというのは国にとってこれ以上ないほどの吉報。
祖国を守る強者の誕生を祝福できない者などダブラマにはいない。そんなものは魔法使いではない。自分のための国ではない。国のために自分がいるのだと理解している。
ゆえに、ダブラマの魔法使いは常に魔法使いたらんとする。
切り捨てられた弱者のためにも、上に立つ者としての誇りを忘れない。
自分の後ろに、守るべき祖国があることを忘れない。
「それもまた、人間の生き方です……彼はそういう生き方を選択したのでしょう……人間がただ美しい生き物ではないなんて、大昔からわかっていることでしょう……? その醜さが私からすれば愉快なものです……」
「あなたからすればそうでしょうが……これが魔法大国マナリルか、とがっかりはします」
「誇り高い魂はそうはいないものです……」
「誇りは最初から魂に根付いているものではなく、自分で積み上げていくものです。誇り高いとはそういうことでしょう」
「真面目な御方ですね……そういう所もまた人間の素敵なところです……」
そう言って微笑むスピンクスをマリツィアは横目に見る。
「あの件を何故言わなかったのでしょうか?」
マリツィアが問うと、スピンクスはわざとらしく首を傾げた。
「はて……あの件とは……?」
「とぼけないでください。スピンクス様はマナリルに来る前……スノラの童謡を歌っておりました。ですが、情報提供の際にそのことに全く触れませんでした……あの童謡はきっと何か関係しているのでしょう?」
「あぁ……そうでしたね……」
くすっ、と笑うスピンクス。
元々、マリツィアが謁見に訪れる前にスノラに行ったのもスピンクスがスノラの童謡を歌っていたからだった。
しかし、いざ謁見の場になるとスピンクスがその事について話す気配がないことがマリツィアにはずっと気がかりだったのである。
「マリツィアさん……。私は、人間の選択を見たいのです……」
「選択……というと?」
「その場に留まる者、近道をしようとする者、遠回りをして辿り着く者、そして……恐怖に立ち向かう者……。結果に辿り着くことに価値があるのではなく、いかにして辿り着こうとしたかに価値があるのです。私が見たいのは答えに辿り着く前に人間が選ぶ選択の数々……。答えに辿り着くことなど、私にとっては簡単すぎますから……」
答えだけならば、スピンクスはとっくに持っている。
必要なのは誰なのか。選ぶべきは誰なのか。分岐点に立っているのは誰なのか。
しかし、それを教えたところで人間に価値は生まれない。
スピンクスが見たい人間とは、ただ導かれるだけの人形ではない。
先の見えない謎や選ばなければいけない選択に苦悩し、足掻き続ける姿こそ人間の美だと信じている。
「それにほら……マリツィアさんもご覧になったでしょう? 恐怖を指摘されるのは、どうやら人にとっては恥ずかしいことみたいですから……」
先程、謁見の間で顔を真っ赤にさせていたボラグルのことを言っているのだろう。
アルムに図星を突かれたボラグルの醜態は正直マリツィアにとってはため息ものだった。
傷つくプライドがあるのなら、自分で貶めていることに気づかないのだろうかと。
「ですから、人の恐怖に繋がるようなことは言わなくて正解だったのですよ……。 あのように怒鳴られては私も恐くて泣きだしてしまいそうですから……」
どの口が言うのだろうか、と呆れるマリツィア。
楽しそうに笑いながら言うものだから質が悪い。
マリツィアはそんな戯言を無視して聞きたい部分だけを聞く。
「スノラの童謡が誰かの恐怖と関わりがあると?」
「ええ……私がするのは人間を分岐点に連れていくことのみ……。私に恐怖する者ならともかく、私とは無関係の恐怖を暴くなど、不公平ですから……恐怖とはあのサルガタナスの子が言っていた通り、恥ずべきことではありませんが……人によっては秘め事にもなるのです……」
スピンクスはそう言って、機嫌がよさそうに鼻歌を歌い始める。
わざとだろうか、その鼻歌はマナリルに来る前にも歌っていたスノラの童謡だった。
「さあ、どうなさるのでしょう……どんな選択をするのか、楽しみで仕方ありませんね……」
「……」
マリツィアは再び窓の外を見る。
強まっていく雨の響き。窓で弾ける雫と渦巻く雨雲。
まるで予兆のような空を見ながら考える。
自分はダブラマの魔法使い。マナリルのごたごたに首を突っ込む理由はない。
情報提供はカルセシスとの取引だ。マナリルの危機に関する情報を与える代わりに、自分達の計画への協力を要請している。
すでにその取引も終わっており、自分達はその気になれば帰国しても問題ない。マナリルからの歓待は自分達から情報を引き出すために滞在を長引かせとうとしているのもわかっている。わざわざ滞在してその思惑に乗る理由も無い。
だというのに……何故か、この足が動いてはくれない。
理由はわかっている。あの五人が理不尽な決定に翻弄されていることを見てしまったからだろう。
「私ともあろう者が……普段、年下の方と接する機会が無いせいでしょうか……お節介を焼きたくなってしまいますね……」
私のほうがほんの少しお姉さんですからね、とマリツィアはやれやれと肩をすくめるのだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
第七部は今月中には終わらせたいところ……!




