483.弱いことは悪じゃない
「信じ難い話という気持ちもあるが……信じて動くべき情報だ」
スピンクスが語り終えて、しばらくの沈黙の後、カルセシスは冷静な声色で場の空気を切り替える。
動揺も困惑も当然だが、ここでただ黙っているのは時間の無駄。
カルセシスも半信半疑ではあるものの、玉座に座っている所以たるその双眸がスピンクスの声に嘘が無いと告げていた。
加えて、カルセシスの下には気になる情報も届いている。
「先日から各地の川の水位が下がっているという情報も届いている。敵が本当にネレイア・スティクラツだというのなら……その洪水神話とやらの前兆にも見える」
カルセシスの下には戴冠祭を開催していたスノラだけではなく、マナリルの国中の川の水位が下がっているという報告が届いていた。
加えて、アルムの護衛をしていたクエンティから川を確認していたマリツィアとスピンクスを見たという報告もあり、無関係と捨て置こうとは思えなかった。
「常世ノ国から洪水を起こすということは間違いなくネレイア海から来るはずだな……この名前も今となっては胸糞悪い……。ネレイア・スティクラツがその計画を実行するまで何日だ?」
「すでに計画は実行に移っていますが……マナリルが水に飲まれる時でしたら、後二十日ほどでしょうか……」
「最東端のマットラト領まで充分届く日数だな……」
いや、そうなるように情報を出して来たのか、とカルセシスは口には出さず、内心でスピンクスを呪う。
情報の出し方が国際的な関係性でダブラマを優位に立たせたいわけでもなく、情報の価値を上げるためでもない。
この女は自分の願望のためだけにこの情報をマナリルに売りに来たのだと知る。
魔法生命は自分の望みを最優先で行動する自我の怪物。
白いヴェールと美麗な顏の下に、人間が生存しようと滅びようとも歓喜するであろう異質な生命体がいる。
これが魔法生命か、とカルセシスは王という仮面の下で舌打ちしたい衝動に駆られた。
「ラモーナ。マットラト領だけでなく東部の領主達に注意喚起の通信を。住人達の避難と……大雑把な命令になるが海を警戒しろと伝えろ。加えて、オルリック領の領主であるクオルカに避難する各領の住民の受け入れ態勢を整えるように伝えろ。補償金は国から出す。次いでガザスにも緊急通信という旨で連絡を。情報が本当だとすれば、マナリルだけを沈めるとは思えん。ガザスにも危険が及ぶ可能性は高い。情報を共有しろ」
「かしこまりました。時に……ガザスには無償で提供するのですか?」
「元々ダブラマからの情報だ。向こうが勝手に貸しだと思い込んでくれればそれでよい。ラーニャ殿は若いながらも頭が回る。あっちで判断するだろう」
「ではすぐに」
カルセシスが側近のラモーナに命令を下すと、ラモーナは即座に通信用魔石を使って連絡をとり始めた。
各地への連絡を完全にラモーナに任せると、後は当然……そんな蛮行を止めるための人員だ。
国に洪水を起こして沈めようなどという創始者の血統魔法を止められるかどうかはともかく、ただ避難するだけでは何も解決にならない。
現在、各地に配置されている魔法使いの戦力で出来得る限りの対策をカルセシスは頭に浮かべるが――
「陛下、ここからは我らの仕事でしょう」
「っ……!」
宮廷魔法使いボラグルの声でカルセシスは口をつぐむ。
カルセシスはボラグルを忌々しそうに睨みつけるが……ボラグルが怯むことはない。
何故なら、ボラグルの言う通りここからは王の仕事ではなかったからだった。
「平民。アルムといったな」
「はい」
突然、指を指されながら名前を呼ばれたアルム。
アルムがいくら鈍くとも、前回の謁見から毛嫌いされているのはわかっていた。そんなアルムからすれば名前を呼ばれたことすら意外に思える。
「去年の【原初の巨神】襲来時……君が【原初の巨神】を破壊したとオウグス殿とヴァン殿の報告を受けている……事実かな?」
「はい、本当ですが……?」
「これはこれは……何と頼もしい! 創始者の魔法を破壊した人物が偶然にもこんなとこにいるではないか……提供された情報は何とも衝撃的な内容だったが、我々の運は尽きていないと思わないかね?」
にやつきながらそう言うボラグルの意図に気付いたのは数名だった。
ボラグルはアルムの返答を待つ前に、肥えて太くなった指を鳴らす。
魔力が扉の方に走ると、「失礼致します」という声と共に城の衛兵達と使用人達合わせて二十名ほどが入ってきた。
「な、なにー!?」
「ど、どういうこと?」
「なんだ……?」
「これは……?」
「……?」
アルム達には何故兵士が入ってきたのかがわからない。
アルムがカルセシスのほうを見ると、ボラグルの行いを止めようとはしておらず沈黙したまま。次に唯一宮廷魔法使いの中で知り合いでもあるファニアのほうを見ると、ファニアは悔しそうに唇を噛み血を滲ませていた。
「まぁまぁ、落ち着きたまえ……。我々は宮廷魔法使い。マナリルの危機についての情報ともあれば……事前にある程度の方針を決めておくものだ。特にダブラマとの関係は取引において魔法生命関連についての情報に限るやり取りしかない。ダブラマからの情報の内容は想定よりも大きいものだったが……事前に決めていた決定を変える必要は無さそうで安心した」
「つまり?」
「君達が来る前から、君達をどう動かすかは王城内で行われた会議ですでに決まっているということだ……そうでしょう? 陛下?」
ボラグルはにやついたような顔のまま、カルセシスに確認をとる。
釣られて、アルム達もカルセシスのほうに視線を向けた。
「……政であれば王の領域だが、国防の話となれば宮廷魔法使いの領域だ。王都の守護に関しては宮廷魔法使いの権限が先に来る」
淡々と言うカルセシスの様子を見て、アルム達はスピンクスが語りだす前に宮廷魔法使いであるボラグルと交わしていた会話を思い出した。
宮廷魔法使いの領域だのという確認はこの為だったのかと。
「宮廷魔法使い筆頭ボラグル・トラウマンの命により……今回の一件にはアルム、エルミラ、ベネッタの三名が対処することとする」
「なんだって――!?」
「私達は……!?」
ミスティとルクスが問うと、ボラグルは狼狽える二人を見てにこっと貴族特有の張り付いた笑顔を見せた。
「相手が魔法生命であれば、お二人にも行って貰い万全を期したいところですが……相手が本当に創始者だとすれば話も変わるでしょう。今挙げた三名は【原初の巨神】破壊に関わっているとベラルタ魔法学院学院長であるオウグス殿からの報告でも聞かされております。相手が創始者ならば適任というもの。
お二人には……万が一に備えて王都の守護を務めて貰いたい。今日まで国や民を守ってきて頂いた経験を活かし、彼らが失敗した場合に備えて四大貴族としての力を存分に奮って頂きたいですな。王都への滞在中は今入ってきた兵士達や使用人達に何なりとお申し付けください」
「馬鹿なことを――! 一番被害が想定される東部にはオルリック領もある! 少なくとも僕は現地に行くべきだ! 魔法生命を解き放った元凶なら魔法生命が護衛にいる可能性だってある!」
「ルクス殿がどう言おうと……これは宮廷魔法使い及びこの王城の者達の総意です。四大貴族といえど、国防においては宮廷魔法使いの命令に従ってもらわねば困りますな?」
「っ――!」
どの口が、とルクスは怒りに任せて拳を握る。
しかし、反論できる材料はない。これは決定だ。
たとえ……このボラグルがどんな意図で自分達を王都に縛り付ける気だったとしても。
「総意、ですか……!」
ルクスは他の宮廷魔法使いを見るが……命令された通りカーペットの脇で佇むのみだった。
唯一、ファニアが申し訳なさそうにしているのがほんの少しだけ救われる。
(あろうことか四大貴族である僕達を危険から遠ざけようなどと――!!)
それゆえにボラグルへの決定への不満も高まる。
この決定は未知の敵に対して、四大貴族である自分達を行かせないようにする決定だ。
(王都を守るのが仕事だから、と魔法使いが引きこもるのか!? それだけでなく、僕達に引きこもっていろと!?)
それだけなら、まだ腸が煮えくり返るだけですんだだろうが……アルム達三人に任せようという中途半端かつ自分達が動こうとしない決定に憤りを隠せない。
力ある者が誰かの陰に隠れる……これほど醜い構図がどこにあるのか。
「へ、陛下……!」
ミスティは縋るようにカルセシスに視線を向ける。
少なからず、カルセシスは自分達の味方だと信じて。
だが――カルセシスは首を横に振った。
「ボラグルの言う通りだ。国防は魔法使いの仕事であり……王都の守護を担っている宮廷魔法使いは王都と王城の守護が優先。こやつらは今、ダブラマからの情報を聞いて王都と王城を守るのにルクス、ミスティの両名の力が必要だと判断している。ならば俺もそれに同意するまでだ」
「そう、ですか……!」
王とは、国の頂点に位置する者であるが……だからといって国の全てを独断で動かせる絶対的な権限を持っているわけではない。
王には王の、魔法使いには魔法使いの役割が存在する。
魔法使いは国や民を守る超越者。そして宮廷魔法使いは王都と王城の防衛を任されている存在であり地位。
国防に関しては王の判断よりも宮廷魔法使いの判断が尊重される。
謁見の数日前にはすでに対魔法生命を想定した会議が行われており、そこにはカルセシスや宮廷魔法使いを含めた他の貴族なども参加したが……反対したのはカルセシスと側近のラモーナ、そしてファニアの三人だけ。
他の宮廷魔法使いや貴族達は全て四大貴族であり魔法生命の一件に関して知識のあるミスティとルクスを王都の守護に就かせるべきという意見だった。
政治ならばともかく、国防に関してはたとえ王の意見といえどただの一意見に過ぎない。
王という地位は絶対的であるように見えて……鶴の一声で全てを決定できるような自由はないのである。カルセシスが暴君ではないからこそ、この決定は覆らない。
「わかりました。ではすぐに出発したほうがいいでしょう。手配はして頂けるのでしょう?」
「アルム!?」
「アルムくん!?」
他の四人が納得していない中、アルムだけは変わらぬ様子だった。
ボラグルはアルムの様子に怯みかけるが、わざとらしい咳払いをする余裕を取り戻す。
「と、当然だとも。すぐにマットラト領への馬車を手配させよう」
「わかりました。相手の戦力や魔法の規模が不明なので後続の魔法使いの方もいらっしゃると思いますが……自分達が先に到着している旨もお伝えください」
「ふん、それくらい言われずともやってやるわい!」
「わかりました。では――っ!?」
アルムが段取りの確認を取っていると、袖を引っ張られる。
袖を引っ張ったのはエルミラとベネッタだった。
「何でそんな素直に従おうとしてんのよ!?」
「そうだよ! おかしいじゃんこんなのー! 現役の魔法使いを差し置いてボク達だけ向かうって……【原初の巨神】の一件があるからって洪水なんてどう止めろっていうのー!?」
「だから、それを後二十日かけて考えるんだろ。俺達もボラグルさんとか陛下も一緒になって。俺達は【原初の巨神】の一件もあって、この中で唯一経験がある三人だから先に現地にいてくれって話だろう?」
「君はたまに物分かりがよすぎる!」
「アルム……! 何故こんな命令を受け入れるんですか……!」
エルミラとベネッタだけでなく、ルクスからも詰め寄られるアルム。
詰め寄ることこそしなかったが……ミスティもアルムが何故そんなに素直に受け入れるかがわからない。
こんな決定はただの現実逃避だ。
情報がもし本当だったとして宮廷魔法使いが全滅してしまうのはいけない。だから死んでもよさそうなやつを向かわせよう。情報が嘘であったらそれはそれ。
アルムの実績を理由に、情報の真偽を確認する為だけの生贄といってもいい。
「何故って……? 何かおかしいのか?」
「おかしいだろう! 僕達をここに待機させるなんて!」
ルクスがアルムの肩を掴んでそう言うと、アルムは首を傾げる。
その光景を見ていたボラグルは、所詮は平民、と大人しく従っているように見えるアルムを馬鹿にした様子で笑っていたが、
「いや、おかしくはないだろう。ここにいる人達はみんな……恐いんだから」
その言葉で、気分のよさそうな笑いはひくついた。
突然の侮辱ともとれるその声に、ボラグルの額に青筋が浮かぶ。
カルセシスもそう言い切ったアルムに驚愕したのか、目を丸くしていた。
「な、な、何を言う貴様!? 我々が恐がっているだと!? 誇り高き宮廷魔法使いを侮辱する気か!」
血が昇り、顔を赤くして怒鳴るボラグル。
怒鳴りつけられたアルムはボラグルが何故否定するのかがわかっていないようだった。
ボラグルが持っている貴族としての宮廷魔法使いとしてのプライドなど、アルムにはわからない。ましてやそれを傷つける気など全く無かった。
「ん……? 恐いから、ミスティとルクスをここに残すんでしょう? 二人ならたとえ創始者が魔法生命を引き連れても恐怖に負けずに戦ってくれる。あなた達が敵わなくとも、何とかしてくれると信じてるから」
「我々は念のためにお二人に残っても頂くだけに過ぎん! 恐がっている!? 馬鹿を言うな! 平民如きが倒せる魔法生命とやらなど恐れるに足らんわ!! 王都のため! 王都に住む民のために念を押しているにすぎん!! 訂正しろ! 少し実績を積んだからと調子に乗りおって!! どの口で我々を侮辱している!!」
息を荒げ、早口でまくしたてるボラグル。口の端に出来た泡も気にしなくなるほど、怒りに任せて叫んでいる。
平民のアルムに恐がっていると指摘されたのが、よほどそのプライドを傷つけたのだろう。
アルムにはボラグルが怒っていることはわかったが、何故怒っているのかがわからない。
「調子に乗ってもいませんし、侮辱などしていません。そもそも……恐いのは恥ずべきことではないし、弱いことは悪でもない」
だからこそ、アルムはただ自分の思っていることを伝えた。
それはアルムにとっての当然。過ごしてきた環境によって培われた価値観の違い。
しかし、それは他の者にとっては胸を貫かれるような衝撃にも似ていた。
「――――」
横でその声を聞いていたミスティはその美しい瞳を見開いた。
宝石のような鮮やかな青い瞳にアルムだけが映っている。
息を、呑んだ。一瞬、呼吸を忘れたのかと思うほどに。
「人間なら恐いのも弱いのも当たり前です。恐怖に従ったあなた方の選択を侮辱などするはずがない。ミスティとルクスが王都を守るなら……俺達が失敗しても安心ですから」
「貴様――!」
「ボラグル、貴様のプライドと国の危機……どちらが大切だ」
ボラグルが再び何かを言おうとすると、カルセシスが口を挟む。
声色こそ変わらないが、カルセシスは側近であるラモーナしか気付かないほどに薄っすらと笑みを浮べていた。
「っ……! 早く行け!!」
「はい、では失礼致します」
アルムはカルセシスとボラグルに頭を下げて、謁見の間を出るべく扉へ向かう。
「ったく……腹くくるしかないわね……」
「アルムくんがここまで言うんだもんねー……」
仕方ない、と不満は残りつつもエルミラとベネッタはその背中に着いていく。
アルム達五人は別れに充分な時間もとれず、「いってくる」「気を付けて」と月並みな言葉しか交わせない。
五人が別れをすますと、アルム達は兵士や使用人が並んでいる扉のほうへと歩いていく。
呆然と三人を見送る中、アルムの声だけがミスティの耳に残り続ける。
「恐いことは、恥ずかしくない……弱いことは……」
アルム達が去った後、行く場の無い怒りを叫ぶボラグルや、それを宥めるファニアの声など、一転して騒がしくなった謁見の間で……ミスティの耳にはその声だけがずっとずっと、清らかな鐘のように響いていた。




