476.戴冠祭4 -予兆-
「ご、ごめんなさいアルム……」
「いや、ある意味いい経験になったよ……」
川岸で謝るミスティ。
びしょびしょのアルム。
そして投げ込まれたタオルの山。
アルムの身に何が起こったのかは言うまでもない。
二人は露店のミニピザを食べた後、舟を借りて川へと繰り出したのだが……操縦していたミスティがアルムにいい所を見せようと張り切った結果、舟はあらぬ動きをしてバランスを崩してそのまま転覆。
ミスティだけが華麗に川岸へと離脱し、アルムは思ったより揺れるもんだなぁ、などとのんきな事を考えている間に入水した。
幸い、アルムは故郷カレッラの川で泳ぐこともあって溺れるようなことは無かったが、見事に戴冠祭の洗礼を受けたというわけである。
「ははは! 盛大にいったな坊主!」
「綺麗な彼女が濡れなくてよかったなおい!」
「懲りずにまた乗んなよー!」
「はい、タオルありがとうございました!」
周囲の人々の豪快な笑い混じりの声をかけられながらアルムは手を振ってお礼を言う。どうやら川に落ちるというハプニングはこの祭り中はちょっとしたイベントらしい。
ミスティは掛けられた声の中にあったワードにただただ赤面する。
ちらっとアルムを見ると、特に変わった様子も無くタオルで髪を拭いている。アルムをよく知っているからこそ意味がわかっていないんだろうな、と察することができてしまうのが少し悲しいところだった。
「ミスティは大丈夫か?」
「は、はい!?」
「濡れてないか?」
「だ、大丈夫です!」
アルムはタオルを差し出そうとするが、ミスティは照れ隠しも兼ねて顔を横にぶんぶんと振る。
改めてアルムを見ると、上から下までびちょびちょだ。
「本当にごめんなさい……子供の頃から舟の操縦が苦手だったのを忘れていました……」
「へぇ、ミスティにも苦手なことってあるんだな」
何気なく言われた言葉にミスティは一瞬、固まった。
まるで夏の空気が冷えたかのような。
「それは、どういう……?」
ミスティが聞くと、アルムはタオルで顔を拭いながら答える。
「いや、苦手なこと初めて聞いた気がしたから。そういう話した事あったか?」
「あ……そ、そういうことでしたか……」
「……?」
アルムの目にはミスティの様子が妙に見えたが、すぐに元のミスティに戻っているようだった。
どうしたのかとアルムが聞こうとする前に、ミスティが思い出したように小さく手を叩いた。
「そういえばアルム、明日の最終日はどんなお願いごとをされますか?」
「ん? 願い事?」
「はい。あ、そういえば説明していなかったでしょうか……?」
「ああ、もしかして何かあるのか?」
「はい、あちらをご覧ください」
ミスティが一つの露店のほうに視線を向ける。
その露店は丸い玉が入った小さな瓶だけを売っている店だった。
「何だ?」
「最終日に行われる"氷解祈願"という目玉イベントのためのものなんです。最終日の夜に川岸に集まって、あの瓶の中にある氷を模した飴玉を次々に川に流すんですよ。無数の光る玉が川を流れていく様子はとても綺麗で是非見て頂きたいです」
「光る? 飴が?」
「はい、人工魔石の研究が紆余曲折あってお菓子業界に技術が流入した結果出来たものだとか……スノラは霊脈で川には微量ながら魔力が含まれていますからその魔力に反応して飴玉が光るんです。昔は氷でやっていたようなのですが、当時は貴族くらいしか夏に氷を持つことが出来なかったので誰でも出来るように氷を模した飴玉になったそうです」
「紆余曲折の内容がかなり気になるがそこは置いておくとして……何で氷を模した飴を流すんだ?」
そのような珍しい飴が出来た経緯も気になるが、今気になるのは何故そんな事をするかのほうだった。
アルムには想像つかなかったが、目玉イベントというからにはそれなりの意味があるのだろう。
「氷の中に自分の願いを閉じ込めて、叶いますようにと流すんです。"氷解祈願"の際に流したその氷が溶けた時、その人の込めた願いが星に届いて願いが叶うと言い伝えられています」
「ああ、だから願い事を聞いたのか……なるほど……」
「アルム?」
アルムはタオルを一枚首にかけたまま立ち上がり、その露店に向かっていった。
ミスティはタオルを回収してからその後ろを追いかける。ミスティが露店まで行くと、アルムはすでに小瓶を二つ手に取っていた。
「二つください」
「はい、畏まりました」
話を聞いた途端、早速二つも買っているアルムを見てミスティはつい微笑ましくなる。
飴一つにつき一つの願い事ならば、いっぱい流せばいっぱい叶うはずだと子供の時には誰しもが考えることなのだ。
ミスティもまた同じで、つい自分の子供の頃を思い出す。
本当に小さな子供の頃、母親に五個買ってほしいとねだった記憶があった。その次の年には六個買ってとねだっていた。歳の数までならセーフと勝手に考えていたのを覚えている。
物語のお姫様と魔法使いどちらにも憧れたり、願い事がいくつもあったりと……子供の頃から、自分は我が儘な人間だったなと実感する。
「ふふ、アルムったら……二つも流すんですの?」
「いや、俺とミスティの分だよ」
「え……?」
当然のようにアルムから小瓶を差し出されて、ミスティはすぐに反応できなかった。
ミスティは予想外の出来事にアルムと小瓶を交互に見る事しかできない。
「明日も一緒に来るだろ?」
アルムにそう言われて、胸の奥がきゅっと締まるような感覚があった。
ミスティは差し出された小瓶を両手で受け取る。
「は、はい……ありがとうございます……」
手渡された小瓶を見て、ミスティの頬がふにゃっと緩んだ。
だらしない表情を見せないようにと、渡された小瓶をぎゅっと握りながら頬を引き締める。
からから、と小瓶の中で飴玉が鳴る音は妖精からの祝福のよう。
予想外のプレゼントという不意打ちに気を抜けばめまいがしてしまいそうだった。
今もしている小指の指輪といい、この小瓶といい、アルムからのプレゼントはいつも心臓に悪い。
だって、こんなにも胸が跳ねてしまう。
「アル――」
「おい、どうなってんだこれ!?」
どこからか、怒号が飛んできた。
包まれていた幸福を吹き飛ばすかのような、祭りの雰囲気すら一閃してしまう声。
「なんだ……?」
「どうしたのでしょう……?」
周りを見れば様子がおかしい。
賑わっていたはずの声は収まっていき、橋の上は変わらず人が多いのだが、その全員が心配そうな面持ちで川のほうを見下ろしている。
もしかして子供が落ちたのかも、とミスティは川岸に待機している救助班を探すが……その救助班の人達も川を見て唖然としているだけだった。
その理由にようやく、アルムとミスティも気付いた。
さっきまで、祭りの舞台でもあった巨大な川が――
「川が……?」
「な、なんで……?」
川が、落ちていっていた。
水底に全てを飲み干す怪物でもいるかのように。
ゆっくりとその水位が下がっていく。
スノラの美しさと豊かさを象徴する巨大な川が、人々の想像の及ばない未知に簒奪されていく。
「ミスティ……これは、よくある事じゃないよな……?」
「は、はい……」
ゆっくり、ゆっくりと下がっていく川の水位。
どこかで混乱の火蓋を切る悲鳴が聞こえてくる。
原因も理由もわからない突然の現象に、川の近くにいた人々がパニックになるのに時間はかからない。
川の水が引いたところで死ぬわけではないだろう。だが、予兆も無く起こり始めた未知は人々の恐怖を煽るには十分すぎた。
川岸に控えていた救助班や衛兵達の迅速な誘導ですぐに騒ぎは収まったものの……目の前の光景は止まらない。
川の水位が下がると同時に、露店として出ていた舟もまた水位に合わせて下がっていく。
スノラの町を映し出していた美しい川の水はどんどんと消えて行き、普段の半分以下にまで水位が下がり、その美しさを損なっていく。
「なんだよ……これ……」
先程までの賑わいと楽し気な空気は一体何処へ消えたのか。
祭りを楽しむべく集まった人々の表情からいつの間にか笑顔は消え、目の前で起きた現象をただただ眺める事しかできない。
未知の異常事態を前に死傷者はおらず、怪我人も少数。
だというのに……どこからか、絶望にも似た呟きが零れていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。
明日の更新は一区切り恒例の閑話となっています。




