475.戴冠祭3 -一方その頃-
「あ~~……おいっしい……」
一方その頃、引き続きスノラに滞在していたアルムの護衛クエンティ・アコプリスもまた戴冠祭を満喫していた。
右手には酒が並々入った木製のジョッキを、左手には串に刺さった魚の塩焼きを手に持っており、一目見ただけで祭りを満喫しているのがわかる状態だった。
手に持つ酒は果たして何杯目なのか、クエンティの顔はほんのりと赤い。
そしてその後ろにはクエンティを見て腰を抜かしている男性と、壁によりかかって倒れる小太りの男がいた。
「あ……ああ……」
「ナンパするならもっとか弱い女の子を狙わないとこうなるよ」
この二人組は今しがたクエンティをナンパしようとしてたのだが、今は意識の無い小太りの男が無理矢理に肩を組んだ瞬間、そのナンパは終わった。
躊躇無く撃ち込んだ左ストレートは肩を組んだ男の顔面を捉え、そのまま壁に叩きつけられてノックアウト。持っていた魚の塩焼きすら落とさずに事はすんだ。
祭りの中、一人で酒を飲んでいる女性など本来なら悪漢の格好の獲物なのだが、血統魔法によって肉体を改造されているクエンティの身体能力は普通の成人男性程度では太刀打ちできない。文字通り、男達のナンパは相手が悪すぎたのだった。
腰を抜かしている男は、アッシュブラウンの髪を揺らしてその場から去るクエンティを黙って見送るしか無い。
「こうして人が集まると、スノラみたいな町でも馬鹿はでるんだねぇ……」
歩きながら魚の塩焼きをたいらげ、ぐいっと酒を飲むクエンティ。
串をゴミ箱に見事投げ入れると、きょろきょろと次の獲物を探し始めた。
魚の塩焼きには大層満足したもののまだ足りない。血統魔法によって肉体を改造されているのもあってクエンティは見た目に似合わず大食漢なのである。
「どこ見ても美味しそうな匂いがして迷う……いやいや、これはアルム様の護衛として怪しい人がいないかパトロールしているついでだから……おじさん、この串焼き一つください」
「まいどお!」
自分に言い訳をしながら、クエンティは幸せそうに西部から輸入された有名らしい肉の串焼きを頬張る。
流石のクエンティもマナリルのブランドは把握していないが、噛り付いた肉のやわらかさから上等なものであることはすぐにわかる。スパイスの効いた肉の味にクエンティは恍惚の表情を浮かべながら、右手にある酒でぐいっと流し込んだ。
「あー……たまりませんね……」
「おお、お嬢ちゃん若いのにいい飲みっぷりだな?」
「ふふ、やだおじさんったらお上手ですね」
クエンティは笑みを浮かべながら、ぺろっと口の端を舐めとるとその場を後にする。
次は何を食べようか、ときょろきょろと露店を見ながら歩いていると、
「あえ!?」
人込みの中で見つけた一人の女性の顔に、クエンティの酔いが一気に醒めた。
急いで肉を平らげ、その女性を確認するために接近する。
人込みの影に隠れながら、得意の変身で姿を変えながら尾行を始めた。
祭りに夢中の周りの一般人では瞬きの間に終わるクエンティの変身には気付けない。
「はわ……」
あともう少し近付こうという所で、わたあめを持った一人の女の子が変身したクエンティを凝視していた。
その子供は偶然にもクエンティの変身を見たようだが、クエンティはその驚いている子供に向けて悪戯っぽく笑い掛けた。
「しっー、ね?」
「し、しっー!」
「ふふ、いい子」
ポケットから飴玉の入った小さなビンを女の子に渡して頭を撫でると、クエンティは尾行を続行すべくその場を立ち去る。
女の子はただその後姿を見送りながら、そのビンを大切そうにぎゅっと握り締めていた。
「やっぱり……!」
尾行を続けたクエンティは追っていた女性の顔を改めて確認して驚愕を露にする。
「マリツィア・リオネッタ……! ダブラマの大物がここで何を……?」
そう……祭りの喧騒の中見つけたのはダブラマの魔法使いマリツィア・リオネッタ。
去年までダブラマとカンパトーレを繋ぐ連絡役で、クエンティとも顔を合わせたことのある魔法使いである。
(まさか祭り中に騒ぎを起こす気……? 一対一ならともかく周りの一般人を庇いながらあれを相手にできるかな……)
よく見れば隣に同行者がいるようで、何やらその同行者と話をしながら人込みの中を歩いている。
だが、マリツィアは祭りを楽しんでいるようには見えない真剣な表情だった。恐らくは、盗聴防止にこの賑わいに紛れて会話しているのだろう。
宮廷魔法使いクラスの感知魔法でも、町全体が祭りで賑わっている今の状況で狙った声を拾うのは難しい。
カンパトーレで見た時にも思っていたが、改めて隙の無い人だなとクエンティはつい感心してしまう。
「もう一人は……」
マリツィアの隣のほうに目を向ける。
白いヴェールを頭から被った、いかにも貴族という風貌の印象の女性なのだが――
「うっ……!」
その女性を凝視した瞬間、クエンティは口を押さえながら路地へと逃げ込んだ。
「うぶっ……! うおえええええ……!」
さっきまで飲み食いしていたものが一気に喉元までせり上がり、クエンティはそのまま路上に吐き出す。
胃の中のものが逆流する勢いに咳き込み、息を荒くさせながらおさまるのを待った。
(あ、あの雰囲気……魔法生命……! マリツィアだけならともかくあれは……)
魔法生命にトラウマのあるクエンティにとってマリツィアの隣にいる人物……スピンクスの存在はあまりにも毒だった。
正直、もう直視すらしたくない。しかし、アルムの護衛として滞在している今、あの二人を見過ごすわけにもいかなかった。
呼吸を落ち着かせて路地を出ると、改めて二人を探し始める。
「いた……」
見つけるのは想像以上に簡単だった。
五分ほどマリツィア達が歩いていったであろう方向に歩いていると、メインストリートから川岸に下りている二人を見つけたからである。
スノラに流れる巨大な川では船が何百隻と浮かんでいて、メインストリートと遜色ない賑わいだ。整備され、模様の施された石畳の川岸にマリツィアも下りて二人を観察する。
クエンティはこみ上げる吐き気に耐えながら、露店で買い物をする風を装いながら見張り続ける。
万が一、騒ぎを起こされてもいいように。
だが、マリツィアもその隣の魔法生命も騒ぎを起こす様子はない。
祭りを楽しんでいるわけではないが、どうやら祭りを壊そうとしているようでもないようだった。
しばらく観察していると、マリツィアはおもむろに川に近寄って、川の中に手をつける。
「何をしているの……」
途端に、マリツィアの表情が一変した。
川の先をじっと見つめると、強張った表情でメインストリートのほうへと早足で戻っていった。
その後ろを、笑いながらスピンクスが付いていく。
「川に何かあったの……? それとも……?」
クエンティが見ても川に異変は見られない。
楽し気な人々と素人が舟に乗っても何とかなる程度の緩やかな流れ。
同じように川に手をつけても、クエンティにはマリツィアの表情が一変した理由はわからなかった。
「おいおいお嬢ちゃん、流石に危ないぞ」
横から声をかけられて、クエンティの体がびくっとなる。
声をかけてきたのは近くの露店の店主だった。マリツィアでは無かったことにとりあえずほっとする。
「ご、ごめんなさい……」
「そらどうだい? この戴冠祭限定のタオルでその綺麗な手を拭くっていうのは?」
「あはは……お嬢ちゃんって歳じゃないですけど、商売上手ですねおじさん」
張り詰めていた所を祭りの空気に引き戻されて、クエンティは安堵のため息をつく。
受け取ったタオルにはこの祭りを象徴する冠の模様が編みこまれていた。




