474.戴冠祭2 -ラフマトレーネ-
「じゃがチー?」
「じゃがチーとは……?」
「なんだ嬢ちゃん達北部は初めてかい? 最近北部でブームの料理さ」
一つの露店の前でアルムとミスティは立ち止まっていた。
店主の男は自慢げに顔をにやつかせながら手を動かしている。
「蒸した芋にチーズをかけるだけの料理だが……それがたまらんのよ。溶かしたあつあつとろとろのチーズがほくほくの芋に絡んで、見知ったはずの素材の単純な組み合わせにも関わらず新しい扉を開く……そんであったまった口に冷えたラガーをぐいっと流し込めば……くー! たまらん! どうだい嬢ちゃん達? ラガーとセットで、おじさんが割り引いてやってもいいぜ」
「申し訳ございません、まだお酒は飲める歳ではないので、そのじゃがチー? だけ頂きます」
「あらら、そらしょうがねえ。将来の楽しみにとっときな! じゃがチー二つ!!」
店主の言う通り、手順は簡単だった。
四つに切った蒸した芋に溶かしたチーズをかけるだけなのだが……目の前でチーズを溶かし、芋にかけるその工程は見ているだけで食欲をそそる。
「簡単だろう? だが、そこらのチーズと芋じゃこうはいかねえのさ。北部自慢のトラスメギアチーズにうちで作った小ぶりな芋の自慢の組み合わせだからこそなのさ。ほら、お待たせ。皿は返してくれな」
「いただきます」
「どうも、いただきます」
店主から渡された皿には小ぶりな芋にたっぷりのチーズが載せられており、芋には短めの木串が刺さっている。
アルムとミスティは受け取ると、さっそくチーズの絡まった芋を口の中へと運んだ。
「あっふ……! っまいな……!」
「まぁ……本当に美味しいですのね……!」
アルムとミスティは口に入れた瞬間、その熱さと美味しさに目を見開いた。
蒸した芋はほろほろと柔らかく、そこに絡む塩気の効いたチーズが素朴な味を引き立てる。
予想できた味のようでいて、口の中でそれを越えてくる美味しさがたまらない。
「また来なよー!」
アルムとミスティは綺麗になった皿を返却してご馳走様でしたと伝えると、店主は他の客の対応もしながら笑顔で二人を見送ってくれた。
この後、時期を同じくして流行り始めたじゃがバターの露店と売り上げ対決をするのはまた別のお話である。
「結局あの人ミスティって気付かなかったな……」
「皆さんお祭りの空気に夢中ですからね、領主の娘がいたとしても今は楽しむのが優先ですよ」
「そんなもんか……次はどこに行こうか」
「そうですね……先程のピザなどいかがでしょう?」
「じゃあ向こう側だな」
先程見掛けたピザは巨大な川の向こう岸の道にあったため、アルムとミスティは橋を渡る。
歴史を感じさせる装飾の施された、しばしば芸術家たちの題材として扱われる立派な橋も、今では祭りの一舞台に過ぎない。
橋から川を見下ろせば、川の上でも舟の露店が並んでいて、岸側からの客と舟に乗ってくる川側の客どちらの対応もしていて忙しない。それでもほとんどの人間が笑顔でその忙しさすら楽しんでいるようだった。
「舟も乗ってみたいな……俺初めてかもしれない」
「まぁ、それでは今日が記念ですね」
「ああ、でもちょっと不安なんだよな……船酔いっていう謎の病気があるんだろ……?」
「そ、それは病気といいますか……ゆっくり進みますので多分大丈――」
まるで遮るように、ばしゃーん、と川の方から人が飛び込んだ音が聞こえてくる。
「ははは! 本日一隻目の転覆だー!」
「タオル用意しろタオル!」
川の方を見れば客が乗っていた船が一隻転覆しており、その舟に乗っていたであろう岸に泳ぐ二人の客がいた。
岸に上がったその二人には周りから何枚ものタオルが投げ込まれる。川岸だけでなく、メインストリートの客からも丸めたタオルが投げ込まれていた。
その二人はびしょ濡れになったにも関わらず、参った参った、と笑いながら周りから投げ込まれるタオルを受け止めている。
「……楽しそうだな」
「恒例行事ですから。このお祭りはみんなタオルを用意していて、川に落ちたらお互い様です。川岸には救護班もいらっしゃいますからね」
「そうだ、しまった……! タオル持ってきてない……!」
「うふふ、乗る前に買わないといけませんね。戴冠祭記念の冠の模様が入ったタオルが売っていますよ。お土産にどうですか?」
「おお……何かタオル持参してても記念と言われるとちょっと欲しくなるな……」
「お祭りの空気は色々買いたくなってしまいますよね」
そんな川の様子を眺めながら橋を渡っていると……橋の上で行われていた合奏団のコンサートはさらにヒートアップしており、いかにもかっちりとしていた燕尾服やドレスで着飾った奏者達は汗だくになって楽器を演奏し続けている。
「川に落ちるのもそうだが……あれも大丈夫なのかか?」
「大丈夫ですよ。演奏後はいつも通り動けなくなって病院に運ばれるだけですから」
「本当に大丈夫なのかそれ!?」
「毎年最初の一時間に全てを懸けていることで有名ですから……止めようとしても大抵は全力になってしまうんです」
普段のミスティであればそんな暴挙止めそうなものだが、普通に解説している所を見るとミスティにとっては当たり前の光景なのだろう。
にこっと笑うミスティにアルムは珍しく苦笑いを浮かべた。
自然と合奏団の近くで二人の足が止まる。周りでは合奏団の演奏に合わせて何かを歌いながら騒いでいる人々が大勢いた。
「あれ? 何か聞いたことが……」
「はい、スノラの童謡ですよ。合奏団の方々がアレンジを加えて演奏していらっしゃるんです」
「ミスティのを聞いた時は静かな感じだったのに随分楽し気な音楽に変わるんだな……」
「このお祭りの元になったお話で作られた童謡ですし、貴族の方も平民の方もすぐに知ることの出来る歌ですからね」
言われて周りで歌っている人々をよく見てみると、その服装には貧富の差があることにアルムは気付いた。
戴冠祭はこの町に住む人々だけでなく、この祭りのためにと訪れた観光客の貴族達も大勢参加している。当然貴族が優先されるなどということはないが、その事に異議を唱えるものなど誰もいない。平民は勿論、貴族の人間でさえ今この時間だけはそんな事を気にしない。
家族と、友人と、見知らぬ他人と、今知り合ったばかりの誰かと、あるいは恋人と。
ここにいる人達はどういう立場、間柄であれ祭りという時間に浸るという共通の目的のために来ているのだ。
貴族や平民の垣根すらも越えて、ただこのお祭りを楽しむために。
「……すごいな」
「そうでしょう?」
アルムの目が少しだけ、変わった気がした。
その目に映っているのは祭りを楽しむ人々の表情か。それとも、ここにいる人々の在り方か。
どちらにせよ、祭りの熱気に浮かされているアルムの楽しそうな表情はミスティに誘ってよかったと思わせるものだった。
「誘ってくれてありがとう、ミスティ。こんな大きな祭りは初めてだけど、何かこういう空気好きかもしれない」
「――!」
心を読まれたのかと思う程タイムリーで唐突なお礼にミスティは一瞬硬直した。
アルムは目の前に広がる貴族も平民も一緒くたになって祭りを楽しむ姿に……ミスティやいつも一緒にいる友人達の姿を見た。
魔法学院で共に過ごす、平民と貴族の垣根を越えて付き合っている大事な人たちの姿を。
「楽しんで頂けて何よりです。けれど……まだまだお祭りは始まったばかりですのよ?」
「ああ、行こうかミスティ」
「はい! あ……」
橋の上がメインストリート以上の人混みだったからだろうか。
アルムは自然とミスティの手をとった。
ミスティは予想外の行動に目をぱちくりとさせて、理解の追い付いた思考がミスティの頬を紅潮させる。
アルムの手の感触でようやく実感が湧いたと思うと、
「はい――アルム」
ミスティは嬉しそうな笑顔を見せて、自分を引っ張ってくれるアルムに駆け寄りながらその手をぎゅっと握り返した。




