472.会う前の高鳴り
戴冠祭二日目明朝。
一日目を過ごせなかった事に落胆する余裕も無く、ミスティ・トランス・カエシウスは鏡の前で悩んでいた。
ラナが不在のため、ラナに指示された二人の使用人による入念な朝の手入れを終えて、真珠のような白い肌はいつにもまして美しく、水色がかかった銀色の髪は空に現れるオーロラが如き輝きに磨き上げられている。
騒ぎを起こさないようにシンプルなワンピースに小物を添えたコーディネートだが、それがまたミスティの美しさを引き立てる。
「本当に……貴族というよりは姫様とお呼びしたほうがしっくり来るお美しさですミスティ様……!」
「……!」
ミスティを褒め称えるメイドの隣にいるジュリアは言葉も出ないのか、こくこくとしきりに頷いている。
ミスティの世話を指名されてただでさえ舞い上がっていたのが、ここに来てミスティの美貌によってさらに加速してしまったようだ。
主従だからという理由ではない素直な羨望の眼差しが、鏡越しのミスティにも見える。
「お上手ですね、お二人とも」
「何を仰いますか! 見てくださいませジュリアのこの顔! 感動で目がキラキラしていますのが見えますでしょう!」
「お綺麗ですミスティ様……」
「ジュリアはミスティ様としっかり顔を合わせることが少ないのもあってこの様です!」
「そ、そう……ありがとう、ジュリアさん」
ミスティに笑い掛けられだけで、それこそ恋に落ちてしまいそうなほどジュリアはふわふわとしている。
トランス城という平民からすれば別世界の中でも格段に別世界の住人。
絵画の中、物語の中、伝承や妄想、夢の類にしかいない本物のお姫様を見たかのようにジュリアは自然と童心に帰っていく。
気に入られるためや主人を思ってのお世辞ではなく、綺麗だと伝えるしかないかのような……損なわれるべきでない絶対の美がここにあるとジュリアは本気で思っていた。
「お二人が言うのなら、間違いないのでしょうか」
「はい、それはもう! 一段と輝いています!」
対して、当のミスティの表情にはほんの少しの陰りがあった。
自分を褒めてくれる二人のメイドの言葉にきっと嘘はない。
鏡越しでもきらきらと向けてくる瞳の中にそんな邪気は無い。幼少の頃から腹の黒い貴族達に言い寄られていたミスティにとってはすぐにわかることだった。
憧れたのなら、自信を持ってもいいはず。
羨まれたのなら、誇りに思ってもいいはず。
貴族の娘として、蝶よ花よと育てられた自覚はある。
自分の美醜のほどは正直、周りが言う程かはわからないが、恐らくいいほうなのだろう。
(なのに……どうしても不安に思ってしまうのは何故でしょうか……)
これからアルムに会うと思うと、いつまでたっても不安が抜けなかった。
髪は本当に大丈夫だろうか。
肌はどこも荒れていないだろうか。
化粧はどうだろう? 薄いだけでは物足りない?
香水は? この香りは嫌いじゃないだろうか?
服の色は? 帽子は日差しで暗く見える? 日傘のほうがいいのかも?
どれだけ確認しても、早まる鼓動と次々と出てくる不安がミスティを落ち着かせない。
「……」
不意に、ミスティは視線を自分のコンプレックスの場所へと落とす。
ミスティはじっと自分の胸を見たかと思うと、それが自然であるかのように服越しに自分の胸に触れた。
豊満というには手応えが多少頼りない。下着の時にすでに寄せて上げて貰っている上でなので、ここから伸ばすには道具の力を借りる他無いだろう。
ミスティはくるっと振り向いて、後ろのメイドのほうを見た。
「お、男の方はやはり……大きいのを好むのでしょうか……?」
ミスティが恥ずかしそうにそう言うのを見て、二人のメイドに電流が走った。
庇護欲をくすぐられるような少女らしい表情と親近感溢れる悩みが貴族と平民の垣根をあらよっと軽く乗り越える。
「何を仰いますか! 全女性が羨むような美貌と黄金比のようなスタイルをお持ちでいながら! 釣り合う相手などいないくらいです!」
「そうですそうです! ミスティ様ほど整っていればむしろいりませんよ! 男性の好みに合わせる必要なんて!」
ミスティの不安にジュリアともう一人のメイドは詰め寄る勢いだった。
それでもやはりミスティの不安は抜けず、手をもじもじさせている。
「で、ですが……よく男性の方は胸を好むと……」
情報源はエルミラの買う雑誌の特集記事である。
ちなみにエルミラはその記事をスルーしている。
「確かに殿方にとって魅力的な部位なのは否めないでしょうが、必ずしも大きいほうが好きな方ばかりではありません。スレンダーな女性を好む方もいらっしゃいますし、私調べでは足を好む方もいるとか……」
「あ、足……!」
「足……!?」
ごくり、とジュリアが生唾を飲む。
自分達がわからない世界に足を踏み込みかけた事を察して話題を逸らす。
「そ、それはともかく……女性の魅力は総合力だと思うのです。ミスティ様ほど揃っているのなら向かう所敵無しだと私は、その、思います!」
「そ、そうなのですか……?」
「勿論ですよ! こんな綺麗な御方に、その……私初めて会いましたから!」
ジュリアはそう言ってもじもじとさせているミスティの手をぎゅっと掴む。
「頑張ってくださいミスティ様! 私応援しています!!」
「ジュリアさん……」
「それと、頑張らなくても楽しんではきてください! せっかくのお祭りではないですか!」
握られた手はジュリアの気持ちが伝わってくるように温かかった。
ジュリアの真っ直ぐな応援にミスティはつい顔を綻ばせる。
「そうですね、せっかくのお祭りですから……楽しまないといけませんよね」
「あ……」
ジュリアは自分が勢いでしてしまったことに気付いて顔が青褪める。
「も、申し訳ございません! 私なんかが勝手に手を握ってしまって!」
「何を仰るんですか……とても、勇気づけられました。ありがとうございます、ジュリアさん」
「は、はい……私なんかの言葉でよろしければ……!」
ミスティに笑い掛けられて照れるジュリア。
こんな風に言ってくれる人達が周りにいる自分は幸せ者だと、ミスティは改めて思いながらもう一度鏡のほうを向く。
メイドの二人に勇気づけられて心は温かい、これから会う人の事を考えると逸る鼓動が心地いい。
それでも……鏡の中の自分に不安が残り続けているのがミスティにはわかってしまう。
アルムと会う前に感じてしまう一抹の不安。
(人を好きになると……こんなにも不安になってしまうのでしょうか……?)
一体この不安はどこから来るのだろう。
いつも読んでくださってありがとうございます。
次の更新からお祭りになります。




