467.メイドは自分のために動いていた
突然、貴族じゃなくなった。そうなった私は没落貴族って言うらしい。
今まで煌びやかだった世界は無くなって、使用人とかいう知らない世界に放り投げられる。
淑女としての教育は受けていたから仕事は余裕だったけど、何か苛立つ。
平民と一緒に働いて、貴族に傅いて。
私も最近までそっち側だったのに。
贅沢な生活をして、平民を見下して、そんな生活に笑って泣いて喜んで。
そんな生活が血統魔法を継げなかったから終わりって何?
運じゃない。仕方ないじゃない。いや、そもそも……生まれから運じゃない。
糞みたいな転落をした私。
生まれは貴族で、今は平民と同じ生活をしている没落貴族。
ああ、わかんない。いらいらする。
わかんないわかんない。気持ち悪い気持ち悪い。私って、一体今何なの?
「どうなってんのよ……!」
スノラの町のとある路地裏で、ドローレスは憤っていた。
待ち合わせの場所に迎えの人間が来ない。
もうトランス城での用件は終わっている頃だ。カエシウス家がトランス城の異常を調べ回っている内にこの町を出て、使用人という人生を捨てて晴れてカンパトーレの貴族となれる。
そのはずが……一向に来ない。
まさか、騙された?
いや、それならこの場所を指定する意味も無いかとドローレスは自分を納得させる。騙していたのなら、あの時イヴェットと一緒に殺せばいいのだから。
「何してんのよ……夜が明けるまでにはそりゃ時間あるかもだけど……疲れたんですけど……」
足を小刻みに揺らしながら、ドローレスは舌打ちする。
すると、そこに向かってくる足音が聞こえてきた。ようやくかとドローレスは安堵のため息を零した。
「おそ――」
「迎えは、来ない」
「!!」
笑い掛けたドローレスの表情が一気に固まる。
暗がりから見た路地の入り口には、誰よりも顔を合わせたくない……カエシウス家の客人アルムがいた。
「あんた……」
「あんたの迎えはもう、俺の仲間が捕まえている。ジグジーとかいう魔法使いもだ。大人しくしてほしいドローレスさん」
路地の入り口に立っているアルムの表情は、あの日の夜と違い無表情で少し固かった。
ドローレスはそんなアルムを見て、ぎりっと歯を鳴らす。
敵の内通者を前にしての緊張か。それとも他人ゆえの無関心か。
どちらにしてもその表情に嫌悪感が無いことが気持ち悪くて、心底から気持ち悪くて、自然と声を荒げていた。
「なんなのよあんた……なんなのよ!!」
「……?」
アルムには当然、その意味は解らない。
「急に現れて、関係ないような顔しながら私の邪魔して……なんなの? 魔法使いを目指してるから、感情まで正義の味方にならなきゃみたいな? 平民が魔法使いを目指すとそこまでなりきらなきゃいけないんだ? ほんとご苦労様だこと」
「何の話だ?」
「私がどんな態度とってもイラつかない。嫌味言ってもむかつかない。そんで悪人だってわかった今でさえそう……平気な顔して投降しろって話しかけてる。はぁ? 何様のつもり? とーっても運がいいと平民でもそんな寛大な人間みたいに振舞えるの? ねぇ教えてよ成り上がりの平民ちゃん? 上から没落貴族を見下ろす気持ちはどう? あの夜私と会った時も私を見下してたから嫌味に気付かない振りしてあんな態度とれてたの?」
ドローレスの口から濁った言葉が次々とアルムに向けられる。
アルムは何の話か分からないまま、ただドローレスの言葉を聞いていた。
その中に、魔法を唱える声が無い。
これは本当にドローレスがアルムに対して言いたかっただけの声なのだと知って、ただ耳を傾ける。
「それはもう気持ちよかったでしょうね? 平民からマナリル最高の貴族に招待される成り上がりの視点で没落貴族を見る目は? わかるわかるわかるわよ! 自分が幸運に恵まれて絶好調で愛されてるような存在だと……下で蠢いてる奴等を自分を比べて鼻で笑いたくなるものね! 何であいつらあんなとこにいるんだろうって思っちゃうわよね! 私もそうだったもの。生まれなんて運だから! 生まれたのが貴族でラッキーって思ったもの! でもあなたはもっと運がよかったのね! 平民で貴族みたいな扱いを受けてるんだもの!」
「……」
「何か言えよ成り上がりのラッキーボーイ! それともまたあの夜みたいに私を主人思いだなんて的外れの感想で褒めてくれるのかしら!? 何考えてんだかわかんなくて気持ち悪いんだよ!」
ようやく、終わったのだろうか。
滅茶苦茶に喋り終えたドローレスは肩で呼吸し、その息は荒かった。
そんなドローレスをアルムはじっと見つめたまま。
無表情のままだと思われたその顔に、どこか寂し気な翳りが落ちる。
アルムの表情を見てドローレスは自嘲する。自分という人間に対する哀れみか、それとも知りもしない境遇への同情か。
何にせよ上から目線の言葉が出てくるだろうとアルムを笑う準備をした。
「……あんたは、怒られたかったのか」
「――は?」
だが、アルムの声はそのどちらでも無かった。
交わる視線の中で、ドローレスの表情から笑みが消える。
「なに……言ってんの……?」
「あの夜もカエシウス家の心配をしているんじゃなくて……ただ俺に苛立ってほしかったんだな」
「も、妄想もいい加減にしたら?」
「あんたが俺に苛立っているように、俺も同じようにあんたに苛立ったら……何か理解できると思ったんだろ。じゃなきゃ、俺がどんな気持ちかなんて聞きたがるはずがない」
「は、はは……ここまで来るとやばいわね……」
「内通者になった理由まではよくわからないが……多分ドローレスさんにとっては優先すべき事だったんだろ。じゃなきゃ、トランス城をこれから襲おうっていう計画が控えてる前に、ジュリアに針で俺を刺しにこさせるなんてことするはずがない。ジュリアは隠してたが、指示したのはあんただろう? それだけ、俺を怒らせたかった。何かを、確かめたかったんだ」
ドローレスは引き攣った笑いを見せて、誤魔化そうとする。
全部見透かしているかのような黒い瞳と、断言するその声に苛立ちながらも何も言い返せない。
自分は不運だった。煌びやかな世界にいた貴族から没落して、使用人っていう平民の世界に来た自分。
この男は幸運だ。地べたで必死に生きる世界にいた平民から成り上がって、魔法使いという貴族の世界に来た男。
それで? 自分達は一体何? 平民? 貴族? どっち?
私ってどこに立ってるの?
わかんない。わかんないはいらいらする。自分が今どこに立っているのかわからないのは我慢ならない。
貴族を見上げたらいいのか平民を見下したらいいのか。
だから、貴族に戻ろうと思って内通者になった。貴族だった時は貴族って場所に立っていて苛立ちなんてなかったから。
ああ、もうすぐだ。もうすぐ苛立ちから解放されるってなった時に……自分とは真逆の奴が現れた。没落貴族とは真逆の境遇で、真逆だからこそ同じ場所に立っているかもしれない奴がきた。
世話なんて焼いたら自分から下になってしまうから丁度いいジュリアに押し付けた。それでいて話はしたかったから偶然を装って部屋の前をうろうろした。内通者だってことはこの時だけ忘れていた。
でも、もっといらいらするだけだった。
自分が見てきた人間とは違う特別感。自分が言われて苛立つ言葉を知らない表情で返す変な奴。
確かめたら結局わからなかった。わかんないはいらいらする。いらいらするものが一つ増えただけだった。
もし私と同じように何かに怒っていてくれたなら、たとえ私が不運でこの男が幸運でも、同じ視線だと思えたかもしれないのに。
没落して初めて、対等に話せる人だったかもしれないと――
「でもすまない、誤解させたかもしれない。俺があの夜あんたに対して怒らなかったのは見下しているわけでもなければ、俺が寛大な人間だからでもない。ただ、あなたを怒る理由がなかったからなんだ」
アルムは申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
ドローレスの表情は引き攣ったままで、逃げる素振りも見せない。
「俺が故郷を出て最初に貰った優しさは……迷っている俺に話しかけてくれた声だったから」
悲しそうに笑うアルムに、ドローレスの呼吸が一瞬止まる。
そう、アルムにとって迷う自分を案内してくれる誰かは……紛れもない優しい人。
ベラルタに着いて初めてミスティから貰ったほんの少しの優しさを、アルムはずっと忘れていない。
「迷いそうな城の中で声を掛けてくれたあんたは、俺の中で本当に優しい人だったんだよ」
敵国との内通者である自分が今……何故、問答無用で捕らえられていないのかをドローレスは理解した。
あれだけのことを言って、ジュリアに指示して針を刺そうとして、それでもこの男にとって自分はまだ優しい人……いや、今は優しかった人だろうか。
そんな風に思われていたから今こうして、話す猶予を与えられているのだと。
「でも、トランス城を……ミスティ達を狙ったのならあんたは敵だ。俺の大切な友人が住む場所を、あんたは脅かした」
今まで何も感じなかったアルムから、尋常じゃない重圧を感じてドローレスはその場に崩れ落ちる。
別人になったのかと思う程の感情の切り替え。いや、切り替わったのではなく、全てを曝け出しているだけだろう。
自分は初めて会ったあの夜の事を感謝しているが、友人を危険に晒したことは許せないのだと。
ああ、ようやく怒ったのに……全然対等なんかじゃない。この男は自分が立つべき場所をしっかりとわかっている。
「あ、悪魔……」
感じる重圧に任せて、ドローレスは誹謗の意味で言葉を投げつける。
動かない足と震える瞳でドローレスはアルムを……見上げた。
「すまない。それも俺にとっては褒め言葉だ」
「最悪……ほんとうに、あんたはイラつく悪夢だったわ……」
こうして、トランス城を襲った事件は幕を閉じる。
内通者はこれ以上無いほどに呆気なく捕まって、悪夢も霧散し現実へと戻っていった。
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