466.こんばんは。そしてさようなら
「はっ……! はっ……!」
トランス城のある山から逃げ出したリィツィーレは強化の補助魔法によってあらかじめ決めていた逃走経路を走り続ける。
山の裏手には部下がここに来るまでに乗ってきた馬を数頭潜ませてある。
リィツィーレが支配している十数体の人形達と乗るための馬以外の馬を囮に使えば追い付く事は出来ないだろう。
自分を逃がすために犠牲になってくれたジグジーに後ろ髪を引かれる思いはあるが、だからといって立ち止まってはその犠牲まで無意味になる。
魔法使いとしての任務を優先したジグジーの意志に応えるべく、リィツィーレは山を駆けた。
「許さない許さない許さない……! 待っていてお兄様……! いつか絶対あの二人を八つ裂きにしてあげる! いや、先にドロちゃんの死体を捧げるわ! 元はといえばドロちゃんの情報が足りなかったから起きたトラブルだもの! 私達は悪くない! そうでしょお兄様!」
黒い輝きの奥に憎悪を燻らせながらリィツィーレは走る。
鬼胎属性の力の根源は呪詛に繋がる憎悪や呪い。そして人心に齎す恐怖。
アルムとクエンティへの憎悪がリィツィーレの魔法使いとしての力を底上げしていく。
「生きたまま細切れにしてあげる! 上がる悲鳴を笑ってあげる! それとも、お友達を人形にして戦わせたほうが辛いかしら!? 故郷を焼いてあげてもいいわね! 許さない許さない許さない! あの男の顔が歪む千の方法を考えて実行してあげるわ! 徹底的に調べ上げて、苦しめてやる! いいわ! とても楽しみねお兄様!」
リィツィーレは怒りに声を震わせながら邪悪な笑みを浮かべた。
殺気立った様子と、走って靡いている赤黒い髪は血を好む殺人鬼を思わせる。
流石にここまで来ると血統魔法の射程外。トランス城を包んだ悪夢の世界は今頃維持する魔力が無くなって自壊していることだろう。
予想通り、干渉された様子もない。逃げる瞬間まで観測していた今回のターゲットにも動きは無かった。
リィツィーレが主人からこの事を聞いた時は信じられなかったが、どうやら主人の予想は当たっていたようだ。
しばらくして山を抜けると……リィツィーレは山の裏手にある打ち捨てられた廃屋につく。
人形達の視界を使って山の方を見るが、追手の気配は無い。ならば後はここに隠してある馬を使って逃げればいいだけ。
カンパトーレに戻った後の計画を立てながらリィツーレは廃屋の扉を開ける。
「あら、こんばんは」
「え……?」
扉を開けた先の光景を理解し切れず、リィツィーレの体は一瞬固まってしまう。
そこには隠してあった馬を撫でている、いるはずのない女性が一人いて……あろう事か友好的とも思わせるような挨拶を投げかけてきていた。
リィツィーレの記憶が正しければ、ここにいるのは見張りの命令を下した部下だけ。
だが、その部下は男であり……なにより、その部下は女性の足元に廃屋の木片と一緒に転がっていてぴくりとも動かない。
「な……? あ、あなた……何を……誰……?」
この女は一体誰なのか?
花を思わせる桃色の髪と瞳に小麦色の肌、白いワンピースにベージュにカーディガンを纏っていて平民とも貴族ともわからない。だが、この状況でも落ち着いている気品ある佇まいは貴族を思わせる。
混乱しながらもリィツィーレは疑問を口に出す。すると、リィツィーレの声を聞いたその女性は馬を撫でるのをやめた。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私ダブラマ王家直属組織ネヴァンの第四位……王家から『蒐集家』の名を頂いているマリツィア・リオネッタと申します」
「っ――!?」
丁寧に深々と頭を下げながら、恐ろしい名を口にするその女性にリィツィーレは戦慄する。
目の前にいるのはアルムと同じくカンパトーレの警戒リストに入っている魔法使い。
何故こんな所にダブラマの王家直属がいる!?
あまりの驚愕に声も出ず、混乱はさらに加速する。
「只今とある情報筋からスノラを調査していまして……見掛けぬ集団がいらっしゃったのでお話を聞こうと伺いに来た次第です。ですが、この転がっている方は聞く耳を持たず……仕方なく戦闘になり、殺してしまった次第です」
マリツィアは足下に転がっているリィツィーレの部下の死体を見ながら経緯を説明する。
リィツィーレは説明してほしかったわけではないが、その説明を聞いたからか混乱していた頭の中が少し収まってきた。
「……それで? そのダブラマの偉い人がここに留まって何の御用なの?」
「大した事ではありません。何をしているのかだけ教えて頂ければそれでいいのです。私達に関わりがあるのか、そうではないのか……それさえ教えて頂ければ、何事も無く去る予定でございます」
すでに死体を一つ作ってる女の物言いとは思えないが、それは正当防衛という事だろう。
リィツィーレは転がっている部下の死体とマリツィアの顔を交互に見て、事務的な返答をする。
「作戦行動中で他国の人間には教えられない……お兄様にもそう言われてるもの」
カンパトーレとダブラマの関係は悪くないが、魔法生命の一件ですでに同盟関係は決裂している。
それに、他国の魔法使いに何をしているのかと聞かれて任務内容を漏らすなど魔法使いとしては有り得ない。
教えられないというリィツィーレの返答はこれ以上無いほどに真っ当だ。
「そうですか……それは残念です」
マリツィアは仕方ないとため息をついて、
「マナリルは私の管轄ではないのですが、マナリルとダブラマは現在休戦中であり、共同歩調をとっています。丁度カルセシス様に恩を売っておきたかったのもありますし、あなた方がマナリルに何らかの害を及ぼそうとしているのは明白なので……申し訳ありませんが、死んで頂いてもよろしいですか?」
丁寧な口調のまま、マリツィアはリィツィーレに明確な敵対を宣言する。
そのふざけた物言いにリィツィーレの感情が沸騰した。
「舐めないでよ!」
廃屋の脆い壁を蹴破って、山を駆けてきたリィツィーレの人形達がなだれ込んでくる。
狙いは当然マリツィア。
人形達による奇襲に近い襲撃をマリツィアは表情を変える事無く、しげしげと襲ってくる人形と呼ばれた人達を見つめていた。
「まぁ、珍しい……私と同じ鬼胎属性ですね」
少し目を見張りながら、マリツィアは襲ってくる人形達の襲撃を躱しながらそとにでる。
廃屋は見る見るうちに崩れていく、繋がれていた数頭の馬はその騒ぎに嘶きながら暗い平野を駆け出した。
「生きたまま"精神汚染"されて……? 幻覚による精神の自滅による支配でしょうか? 私と変わらない年齢に見えますが、卓越した技術をお持ちのようですね。素晴らしいと思います」
微笑しながら、マリツィアはスカートを少したくし上げて足に巻かれたホルダーから細身のナイフを抜く。
「『黒犬の牙』」
マリツィアは次に魔法を唱え、ナイフを持ってないほうの手が黒い剣を握る。
鬼胎属性の下位魔法で迎え撃とうとしているのを見て、リィツィーレは勝利を確信した。
「そんなちっぽけなナイフと下位魔法で私の人形が止められると思っているの!?」
「……人形?」
一瞬、マリツィアの雰囲気が変わった気がしたがそんなものは関係ない。
いつトランス城のほうから追手が来るかもわからない状況。偶然出くわしてしまった女に時間を取られている暇はない。
リィツィーレの人形はその数と鬼胎属性の魔力で強化された身体能力でマリツィアに襲い掛かった。
「それ以上魔法を使わせる余裕も与えない!」
「アガアアアア!!」
「オオオオオ!!」
息もつかせない十数体の人形達の襲撃。それは人間というよりも獣に近い。
細身であるマリツィアより小さい相手はおらず、相手が女性であるという事に躊躇いも無く人形達は拳を繰り出し、蹴りを放つ。
そんな力任せの人形の暴力をマリツィアはその体捌きで躱し続けていた。
ふわっと舞い上がる白いスカートが夜に映え、最小限の動きと他の人形の動きを利用して攻撃をいなし続けるその姿は月の下で踊る踊り子のよう。
傷など気にせずに荒れ狂う人形達の血がマリツィアの白いワンピースを徐々に赤で染めていく。
「何が第四位! 為す術ないじゃない! お兄様は言っていたわ、お前は天才だって! そう! やっぱりお兄様は正しい! 間違ってない! さようならマリちゃん! 最後にあだ名で呼んであげる! それとも私の人形にしてあげようかしら!?」
マリツィアに止めを刺そうとリィツィーレは人形達にさらに魔力を注ぎ込む。
人間の肉体の限界を無視した強化。この場で人形達の命を使い潰すのも厭わないと、鬼胎属性の魔力がリィツィーレの人形達に流れ込むが――
「"肉体汚染"完了」
それよりも一瞬先に、マリツィアの声が終わりを告げた。
舞うようなマリツィアの動きが止まると同時に、リィツィーレが操る人形達の動きも止まる。
「え? あ、あれ……? う、ごか……! 動、いて! 動きなさいよ!」
リィツィーレが命令を送っても人形達は動かない。
いくら命令しても動かない人形達にリィツィーレの焦燥感に駆られて何度も何度も魔力を送っていた。
マリツィアはそんなリィツィーレの様子を見てくすりと笑う。
「天才だと言った割には……乗っ取られた事にも気付かないほど鈍いのですね。先程の褒め言葉は撤回したほうがよろしいでしょうか」
「何を――」
マリツィアの持っているナイフと魔法で作った黒い剣が血塗れであることにリィツィーレは気付く。
まさか、と人形達を見ると十数体の人形全員が首から血を流していた。
「あ、あなた何を……私の人形は生きてるのよ?」
「……ええ、ですから生きながら支配するのは素晴らしいと言ったはずですが?」
「わ、わかってて躊躇いも無く殺したの……?」
「はい、勿論。そうしなければ私が死んでしまいますから」
当たり前のように言ってのけるマリツィア。
その躊躇の無さも恐ろしいが、本当に恐ろしいのはこの短時間で全ての人形を殺したと言えてしまうその技術。
使っていたのは下位の攻撃魔法とナイフだけ。そんなちっぽけな武器二つに自分の人形達が負けたのかと、リィツィーレの背筋に寒気がした。
「さて、では反撃させてもらいましょう」
「な――!?」
リィツィーレの人形だった十数体の死体が動き出す。
命令を出していないのに動き始める人形達にリィツィーレは後ずさった。
「な、なんで……! 私何もしてな――!!」
「私の【禁忌の精読】は常時放出型の血統魔法……死者の記録を読み取り、死者を操ることのできる魔法です。鬼胎属性による"肉体汚染"が出来ないと操れないのですが、あなたの魔法で"精神汚染"が終わっていたので、それも非常に簡単でした」
「ま、まさか……私の血統魔法を、上書きしたの……?」
「はい」
「全……員……? 私でも、一時間は……かかるのに……?」
「はい、死体になれば条件はあなたと一緒ですから。時間に関しては……そうですね、魔法使いとしての差では?」
リィツィーレの顔から血の気が引き、死者であるかのように青褪める。
……リィツィーレは確かにカンパトーレでも上位の魔法使い。悪夢の世界を作り上げる世界改変魔法と人間を生きたまま"精神汚染"してコントロールできる技術とその才能は疑うべくもない。
だが、彼女が十年に一人の才女ならばマリツィアは百年に一人の天才。
十四歳で魔法使いになり、リオネッタ家の血統魔法を十六歳で完成させてダブラマの第四位まで昇りつめた天才であり、日々信念に沿って研究を続ける努力家。
才能だけに頼る魔法使いとは訳が違う。
「それでは、この方々の手で死んでもらいましょう。この方々の記録によると……どうやら好き勝手していたあなたに復讐したくて仕方ないようですよ」
「ひっ……!」
マリツィアが指を少し動かすと、じりじりとさっきまで人形と呼ばれていた十数体の死体がリィツィーレのほうににじり寄ってくる。
リィツィーレは自分の魔法が完全に上書きされ、乗っ取られたことに戦意を失いその場から逃げ出そうとした。
「あ!? な、なに――!?」
その足が、何者かに掴まれる。
リィツィーレの足を掴んでいたのは先程マリツィアの足元に転がっていた自分の部下の死体。
マリツィアの血統魔法は死体を操れる。ならば、最初に見た部下の死体がマリツィアの支配下にあるのは当然のことだった。
「こっそり近寄らせておきました。あなたのような血統魔法だけに頼っている二流の魔法使いでも……鬼胎属性はそれなりに厄介ですから」
リィツィーレは向かってくる十数体の死体の間から、変わらぬ微笑みを浮かべるマリツィアを見た。
人形達の支配を一瞬で乗っ取る血統魔法の"現実への影響力"。十数体の人形を捌く戦闘技術。そして自分を逃がさぬよう死体を配置していた用意周到さ。
魔法使いとしての格が違うことを悟り、リィツィーレは初めて心底からの恐怖を抱いてかちかちと歯を震わせる。
「来世があればどうぞご参考に。これが"本物"の魔法使いです」
どれだけ血塗れであろうとも、死体を操るその魔法を蔑まれようとも、彼女の在り方と美しさは損なわれない。
十数体の死体相手にリィツィーレは少しの間抵抗したが、心が折れた魔法使いが普段の力を発揮できるはずもなく……死体の振るう無慈悲な暴力に蹂躙されて、その人生に幕を閉じた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
あと一人ですね。




