465.夜を裂く鏡
何を、間違えた?
何が、悪かった?
ジグジーは自分に向かって問いかける。
環境と戦力を考えても待ち伏せするのは最善だったはず。
「何故……クエンティ・アコプリスが……!」
「ああ、私裏切ったのよ。南部の事件をきっかけにね」
突如動かなくなったリィツィーレの人形をつんつんと指でつつきながら、クエンティはけろっと裏切りを告白した。
言いながらジグジーとアルムのほうに歩いてくるクエンティは悪びれる様子もない。
「カンパトーレがどれだけやばい奴等と関わっていたかってのを身を以て実感してね……命を助けられたのもあってアルム様専属の護衛になってるの。カルセシス様からお声を頂いてね、今回初めて護衛としてスノラに来ていたけれど……まさかあなた達と会うとは思っていなかったわ。せっかくの豪華なホテルでゆっくりしてたのに」
そう……アルムがスノラに来る前に王都に行っていたのはクエンティを引き入れた一件についての話で呼び出されたからであり、スノラのホテルをアルムの名で宿泊していたのは変身したクエンティ本人。
カンパトーレではトヨヒメが起こした南部の一件の際、クエンティは戦死したという扱いになっており、ジグジーとリィツィーレが彼女の参戦を予想できるはずがない。
「国を裏切ったのか……! 魔法使いだというのに!」
「元々カンパトーレは国を捨てた奴等の集まりじゃない? それに……私はカンパトーレが生まれた国だったからただ魔法使いになってただけ。忠誠なんて誓ってない」
口汚く罵るジグジーをクエンティの金色の瞳が薄ら笑う。
少し、ほんの少しでも報いるに値する国だと思えれば裏切るまではしなかった。
しかし、クエンティの記憶の中にアコプリス家を讃えるカンパトーレの貴族達の声は無い。いつだって聞こえてきたのは馬鹿にするようなせせら笑い。
クエンティがカルセシスの提案に乗るのは必然だった。なにより、自分を助けてくれたアルムの護衛とあらば文句などあるはずない。
「それなら、仕えがいのある人のために働きたいわ。たとえば、敵の私でさえ受け止めてくれるような人にね」
「っ……!」
クエンティがこちらにつけば戦況を逆転できると一抹の希望を抱いたが、洗脳や脅迫でもなく自分の意志でクエンティがマナリルについたのを知ってジグジーの額に冷や汗が浮かぶ。
クエンティはカンパトーレの中でもトップクラスの魔法使い。そしてリィツィーレの血統魔法に耐性があり、攻撃力の低い夜属性にとっても天敵の信仰属性。
アルムに加え、クエンティとまで戦わなければならないとあらば勝ち目は無い。
南部で一体何があった? 同郷の魔法使いでありながらクエンティのことが何もわからないジグジーはつい舌打ちをする。
(……たとえ敗北しても、主人の命令だけは――!!)
背後をアルムにとられ、前方からクエンティが歩いてくる絶望的な状況の中……
ジグジーの魔法使いとしての誇りが自分の行く末を決定する。
「逃げろリィツィーレぇ!!」
『――!!』
ジグジーはリィツィーレと繋がっている通信用魔石に向かって叫ぶと、背後にいるアルムのほうへと振り返る。
通信用魔石から届く息を呑む音を聞きながら、ジグジーは最後の魔法を仕掛けた。
「【影戯の幻傷痕】!!」
重なり続ける声が闇夜に包まれた山に響く。
ジグジーが唱えるは夜属性の世界改変魔法。
影そのものを一つの世界と見なし、空間内の影に意識を投影したり掌握することのできるラージバッグ家の切り札。
ここは木々に囲まれた山。木々や葉の数だけ影が落ちているジグジーにとって絶好の空間。
木々の影に、葉の影に、そしてアルム自身の影にジグジーの意識が宿り、水のように形を変える。
「アルム様!!」
手を伸ばそうとするクエンティの声も虚しく、周囲の影全てがアルムを捕まえる網となってジグジーごと包み込む。
血統魔法を使った苦肉の策。任務の要であるリィツィーレを逃がすべく、ジグジーは自分ごとアルムを影の中に閉じ込めた。
アルムが周囲を見渡すと、周りにあった木々や地形はそのままに、しかしその全てが黒だけで塗りつぶされたような空間へと変わっていた。
葉の間から差し込む月と星の光は無く、ただただ黒い風景が広がっている。
アルムはふと自分の姿に目をやれば、アルムの手や足も全てが黒く塗りつぶされていた。
「……どっちも世界改変だったのか。さっきの悪夢の魔法がリィツィーレってやつのか」
「俺の世界へようこそ平民! 影の中は初めてかな? 互いに干渉できぬ影の中で……魔力切れまで付き合ってもらうぞ!」
二人を包んだのはイヴェットを襲撃した時とは違い、使い手だけでなく相手も影の世界に閉じ込める事で互いを影と見なし、攻撃も防御も意味を無くす……本来なら敗北を先延ばしにするだけの世界改変。
だが、こと時間稼ぎにおいてこれ以上有効な手はない。ジグジーの魔力が尽きるまでこの空間は存在し続ける。
アルムとクエンティ……二人から逃げられないと悟ったジグジーはリィツィーレを逃がすために、魔法使いとしての最後の仕事を果たすために自分を犠牲にする決断をした。
「平民にこのような手を使わなければいけないとはなんという屈辱……なんと情けない結末! だが俺はカンパトーレの魔法使い! 任務だけは果たさせてもらう!」
いくらアルムが魔法生命を倒すほどの魔力を有していようが、世界改変魔法は威力ではなく概念の領域。無属性魔法でどれだけ威力の高い魔法を作ろうとも、対処すべき"現実への影響力"の方向性が違う。
トランス城の様子を見る限り、ジグジーの予想ではすでに任務は完了している。
ならば後はリィツィーレを逃がし、報告させるだけでいい。
魔法使いとしての勝負には負けたが、試合には勝つ。ジグジーは心の底に残った一欠片のプライドを持って口角を上げるが――
「"放出領域固定"」
アルムはただ呟き、
「【一振りの鏡】」
ジグジーが作る影の世界に、自分の世界を顕現させた。
「――え」
全てが真っ黒に塗りつぶされた世界の空から、真っ白な何かが落ちてくるのをジグジーは見た。
月の雫のような、白い光そのもののような。
影の世界の中ではあり得るはずのない……黒に塗りつぶされていない武器の形をした鏡。
降ってきたそれをアルムはつかみ取る。
「なんだ……それは……?」
ジグジーが現れた魔法に疑問を抱ききる前に、アルムは空中を切り裂くように鏡を振った。
黒で塗りつぶされた空間が裂け……ピシピシと音を立てて崩れ始める。
「ば、馬鹿な!!」
「悪いな、魔力切れまで付き合うような時間は無い」
「か、書き……換えられて……? いや、これは――!」
【一振りの鏡】は自分という世界を魔法に変え、世界改変魔法によって起こる現象を無理矢理に突破するカウンター。
ジグジーが影を世界とみなしたように、自分自身を世界の一つと見なし、他の世界に向けてアルム自身の存在が決して揺るがないことを示す"現実への影響力"。いわば命の"存在証明"をカタチにしたような魔法。
驚愕している暇も無く、割れるような音と共にジグジーが作り出した影の世界は砕け散った。
アルムとジグジーは黒で塗りつぶされていた世界から彩りのある現実へと戻り、葉の間から差し込む月光がアルムだけを照らす。
「アルム様! 無事!?」
「ああ、問題無い」
クエンティがこの場にいるのを見て、ジグジーは自分の魔法が破られたという現実を嫌でも受け入れさせられる。
全ての魔力を注ぎ込んだ血統魔法を破られ、もう戦う術もない。
自分の最後の抵抗すらアルムにあっさり破られて、ジグジーは完全に戦意を失う。
膝から崩れ落ちるその姿は、わかりやすい白旗の証だった。
「世界改変で書き換えられるわけでもなく……ただの力業とはな……全く、最悪だ……」
自嘲するような笑い声とともに、ジグジーはその場で動かなくなる。
何を間違えたか? 間違えてなどいない。
何が悪かったか? そんなもの決まっている。
魔法使いという世界を荒らしに来た蛮族。
俺達は間違えていなかった。少なくとも、任務は果たせていたのだから。
ただ、こいつと同じ場所に居合わせた……そんな、少し間が悪かっただけなのだ。
「あら魔力切れしたみたい……どうするアルム様? 殺す?」
「いや、ここはカエシウス領だからな。拘束してカエシウス家に引き渡す。敵意が無いなら俺の敵でも無いしな」
「じゃあ縛るだけにしておくわね」
「ああ、よろしく」
クエンティはジグジーの手足と口を縛りながらアルムのほうをじっと見る。
「なんだクエンティ?」
「いや……常世ノ国の武器を模した魔法なんて、"変換"の解釈も柔軟なんだなって思って」
「ん? 常世ノ国の?」
「それ、刀でしょう?」
クエンティに言われて、アルムは今更自分の手に持つ鏡の武器に目を向ける。
見れば細長く鋭利な形をしただけだった魔力の結晶は、より武器の形状に近付いていた。
鏡の破片のような不格好だった見てくれは、洗練されたデザインへと生まれ変わり……そう、丁度夢の中で持っていた白い刀のような形状へと変化している。
それでいて鏡の刀身は周囲の世界をしっかりと映していて、アルムの世界を映し出す魔法のカタチは変わっていない。
「クエンティ……」
「はい?」
「なんだこれ……?」
「え!? あなたの魔法じゃないの!?」
「ああ、いや、すまん……そうなんだが……」
自分でもわからない変化に混乱しているのか、アルムは髪をかきながら首を傾げる。
こんな形状に"変換"をした覚えはない。もしかすれば直前に見ていた悪夢の影響だろうか。
「まぁ、問題は無いからいい……のか……?」
むしろ武器としては扱いやすくなっている。
魔法としては何事も無く"現実への影響力"を発揮しているのでいいだろうとアルムは魔法を解除し、その鏡の刀を手の中から消した。違和感こそあるが、それは今考えることでもない。
これ以上維持すると体中を駆け巡る魔力で腕の血管が裂けてしまう。
「リィツィーレは追う? アルム様?」
「いや、逃げに徹されたら無理だろう。こっちと違って血の匂いがするわけでもないからな……魔法で操られた人達を囮にされて徒労に終わるのが目に見えてる」
周囲を見れば、アルムに変身したクエンティを襲っていた人形はもういなくなっている。
リィツィーレと同じタイミングで逃げたのだろう。逃げた痕跡を追うにしても、それがリィツィーレの痕跡なのか操られた人のものなのかわからないまま追うのは無謀すぎる。
「じゃあもう一人は?」
「ん? もう一人? まだカンパトーレの魔法使いがいるのか?」
「いや、カンパトーレの魔法使いではなかったと思うけど……トランス城に来る時に見かけたの。トランス城から逃げてく妙な女」
「……詳しく教えてくれ」
「勿論。アルム様のためなら案内だってしてあげちゃうわ」
いつも読んでくださってありがとうございます。
相性が悪かったみたいです。




