464.覆された優位
カンパトーレは魔法生命によって構成された組織コノエと合流し、今でこそ周辺国全てと敵対する姿勢をとっているが……元々はマナリル以外の国へ傭兵として魔法使いを派遣していた国である。
カンパトーレは地理的な問題もあって国内での産業は乏しく、周辺国で失墜した貴族や魔法使いをかき集めることで軍事力に特化させ、他国との均衡を保とうとした結果が今の傭兵国家の形である。
そしてそれは本国と関係ない他国の戦を通じて他国の戦力を確認できるということであり、カンパトーレの魔法使い達のほとんどが情報収集のための諜報員の役割を担っているといってもいい。
小国ながらカンパトーレが今日まで在り続けられたのはそんな傭兵派遣の積み重ねによる情報の賜物であり……他国の要注意人物を常に把握できていたことにある。
「まさか俺達が平民相手に待ち伏せとはな……!」
リィツィーレと離れ、隠れる場所を変えたジグジーは傷を手当てしながら歯を鳴らす。
暗闇に隠れる状況と脈打つ傷の痛みが、魔法使いとしての自信を汚物塗れにされたような屈辱を味合わせる。
しかしその感情に任せ、アルムを殺さんと飛び出すほどジグジーは愚かではない。
血統魔法は破られたが、状況はまだ悪くない。ここは身を隠す草木が生い茂る山であり、時間は視界を制限する夜。敵がこちらを倒そうと向かってくるのなら、すでに身を隠しており暗視の魔法を持つジグジーとリィツィーレのほうが圧倒的に優位な状況だ。この有利を手放す理由は無い。相手があのアルムとあれば尚更だ。
「いいなリィツィーレ。血統魔法の維持を優先し、基本的には人形での妨害に専念しろ。主人の命令は放棄できない。交戦するのは基本的に役目を終えている俺だ」
『うん、任せてお兄様』
「油断するな、相手は魔力の怪物だ」
通信用魔石を介してリィツィーレに念を押して、ただ息を殺して待つ。
カンパトーレは国の方針や時代に応じて警戒リストが更新され続け、その情報が主力魔法使い達に伝達される。
マナリルの四大貴族やガザスのハミリア家、ダブラマの『女王陛下』などの有名な家系や魔法使いは勿論、近年では二属性を操る特異体質を持つ宮廷魔法使いファニア、魔法生命に近い能力を持つガザスの女王ラーニャ……ここ数年で一新されたダブラマの二位から五位に位置する王家直属の魔法使い達などが記録されている。
そして今から交戦するのはその最新の一人。
迷宮の怪物ミノタウロスを倒したルクス、龍の遺産トヨヒメ・ハルソノを制したエルミラ、そしてグレイシャを倒し、最も多くの魔法生命をこの世界から消し去っているアルムの三人は魔法生命の組織コノエと同調しているカンパトーレにとって現役の魔法使いよりも脅威とされていた。
特に大嶽丸によって支配されていたカンパトーレは大嶽丸が倒されたという事が決め手となり……コノエとの共同歩調を諦めるべきだという声が上がるほどに混乱の最中にある。
「むしろ好機と捉えるべき……か」
ここでアルムを殺せば挙がっている反対の声も大人しくなるだろう。
自国に引きこもり、権利を主張するだけで何もしない無能共を黙らせるチャンス。
主人の命を果たし、次代のカンパトーレを盤石にするためにもとジグジーは息を大きく吐き出す。
痛みと屈辱で歪んでいた顔は平静に戻り、冷たい目付きが戻ってきた。
『お兄様! 捕捉した!』
「よし……! 『夜の声』」
待ち伏せから数分して、ジグジーは通信用魔石から聞こえてきたリィツィーレの声で息を殺した。
瞬間、トランス城の方角からがさがさと何者かが山に入った音がする。
その音の方に向かって一斉に、山に潜んでいたリィツィーレの人形が動き出した。
『お兄様が着く前に終わらせてもいいでしょう? 不思議よね、私の人形が生きてるとわかった瞬間手を出せなくなるんだから!』
「油断だけはするなよリィツィーレ。相手の人間性をあてにするな」
『わかっているわお兄様! けれどお兄様を傷つけた人だもの!』
リィツィーレの人形とは……リィツィーレの血統魔法の悪夢によって精神を汚染され、肉体の主導権を奪われた人々の事を指す。
鬼胎属性の魔力に汚染された人々は生きながらリィツィーレのために動く盾となり、剣となり……何でも言う事を聞く人形となってしまう。
魔法使いになる者はただでさえそんな無力な人々を守るためにと働く者が多く、リィツィーレの人形がただの人間だと知った瞬間に動きが鈍る魔法使いも少なくない。
「『強化』!」
無属性魔法を唱える少年の声。ジグジーが夢の中で聞いた声と同じだ。
ジグジーは声のする方向に音を立てずに向かう。
夜属性魔法には元々音を外界に発さない性質がある。たとえ山の中といえど影を操るジグジーには造作もない。
「『魔弾』!」
人形が二体、木々に叩きつけられたところで、ジグジーはようやく目視でその姿を捕捉する。
暗視の魔法を使って捉えたその姿は確かに、リィツィーレが見せた悪夢の中で見かけたアルム。
そのアルムにリィツィーレの人形たちが次々に襲い掛かる。
「アガアアアアアアアア!!」
「ウオオオオオオ!!」
「タスケテ……オネガイ……」
「カラダガカッテニ……」
リィツィーレの人形は思い思いのことを喋りながらアルムに殴りかかったり、噛みつこうとしたりと攻撃を繰り返す。
その口から出ている言葉は全てリィツィーレが言わせているただの音に過ぎない。
叫び声を上げる人形に混じって助けを懇願する声や助けを求める声は全て攻撃を躊躇わせる為の手段に過ぎない。
どの人形も実際には意識は無く、言葉など発することもできなければ痛みも感じない。生かされているだけの駒である。
「ぐっ……!」
アルムは顔を歪ませながら木の枝に跳び、襲い掛かってくるリィツィーレの人形を躱す。
だが、そんな事で人形達は止まらない。
人形達は五人がかりでその木に向かって躊躇い無く拳を振るう。
その瞬間、ただの人間であるはずの人形から黒い魔力が迸り、五人の拳はその木を叩き割った。
「ちっ――!」
木の上でバランスを一瞬崩し、アルムは仕方なく地上に降りる。
この人形達はリィツィーレと繋がっており、操っているのも魔力によるもの。リィツィーレの魔力が人形達へと伝わり、強化魔法を使った魔法使いのような身体能力を得させていた。
強化を使ってるアルムと互角の速度で十数人の人形達はアルムを追っている。
アルムは木々を跳ね、走り回りながら撹乱しようとするが、操っているのはリィツィーレ一人でありアルムの場所は感知魔法で捕捉されている。混乱が起きることは有り得ない。
「いいぞリィツィーレ」
『ええ! ええ! なんだ大したことない! こんなにも私達に有利な環境! 私達カンパトーレがこんなちっぽけなやつに負けるなんてあり得ない!』
ジグジーの持つ魔石からリィツィーレのくすくすという笑い声が聞こえてくる。
状況は確かに一方的。
アルムはやはり人形への攻撃を躊躇っているのか、攻撃魔法を撃つ頻度も少なかった。
それに夜のせいか動きも鈍い。ジグジーもつい口角を上げる。
こいつが夜闇に目を慣らす前に畳み掛ければ討ち取れるのでは――?
「『防護壁』!」
逃げられないことを悟ったのか、アルムが防御魔法を展開する。
だが、所詮は無属性魔法による防御魔法。アルムの周囲に張られた魔力の壁は鬼胎属性の魔力によって強化された人形達の拳で簡単に破壊されていく。
防御魔法が破壊される度に後ろに押されていくアルム。
「ダズゲデ! ダズゲデ! ジネ! ジネ!」
「アアアアアアアアアアアアア!!」
「ぐっ……お……!」
人形達が声を上げて殴る。殴り続ける。
山に響き渡る硝子が割れるような破壊音。
無属性魔法とはいえ、魔法も使っていない人間が防御魔法を砕く姿は悪夢のような光景だ。
巨木に追い詰められ、後数回の攻撃で砕けるであろう防御魔法を健気にも維持する姿にジグジーは勝機を見る。
「『光消す影穿』」
草木の影から指先で狙いを定め、ジグジーは静かに魔法を唱える。
指先から放たれる黒い魔力。
放たれる道筋にあった微かな月光を消しながらアルムへと突き進む。
夜闇に紛れて放たれたその攻撃魔法は残っていたアルムの防御魔法を簡単に砕き、アルムの腹部に突き刺さった――!
『やった――!』
「いや……? 何だ……これは……?」
通信用魔石の向こうでリィツィーレは喜ぶが、ジグジーはその手応えに違和感を感じる。
防御魔法を破壊したところまではいいが、人の体に突き刺さったにしては妙だった。
いくらアルムが強化の補助魔法を使っているとはいえ、この魔法は中位の攻撃魔法。人間の肉体を貫くくらい簡単なはず――
「あら、気付かれちゃったかしら」
ジグジーの視線の先で……腹部に魔法が突き刺さったアルムが笑う。
すると先程まで苦戦していた十数体の人形達をあしらうように木々に跳び、演舞のように体を空中で翻す。
そしてジグジーは……その体の輪郭が一瞬、溶けたように歪んだのを見た。
「こんばんは仲良し兄妹。相変わらず陰湿な魔法ね」
「クエンティ……アコプリス――!?」
アルムだったはずの姿が一瞬で別の女性の姿へと変わる。
空中で翻るその美しい体とアッシュブラウンの髪が月光に一瞬照らされ、その顔は笑みを浮かべていた。
その女性の姿が誰かはわからないが、その完璧すぎる変身とこちらを知っているような口ぶりから、ジグジーの口からはすぐにその名前が出た。
この変身速度とここまで完璧な変身が出来るのは世界広しと言えど一人しかいない。
『見知らぬ恋人』と呼ばれたカンパトーレの魔法使いであり、南部で起きたトヨヒメの事件の際に戦死したとされていた……クエンティ・アコプリス――!
『クエンティお姉様!? 何で――!?』
「殺されたはず――!」
いや、そんな事を言っている場合ではない。
あれがアルムでないのだとしたら本物のアルムは何処に――
「……待たせたな」
「!!」
疑問はもう、遅かった。
背後から聞こえてきた恐怖の声にジグジーの体が一瞬硬直する。
「あ……ああ……!」
「昔から狩猟は得意でね。負傷した獲物を見つけるなんて俺にとっては簡単なんだ」
奇しくもリィツィーレの夢の中と真逆の立ち位置で、ジグジーは追い詰められていた。
背後に立つ自分の敵。命を握られている感覚が脈打つ鼓動を速くする。
首元に何も当てられていないというのに、ひやりと……刃物を当てられているような錯覚に陥った。
「さあ、始めようか。今度は夢の中というわけにはいかないぞ」
夜という時間。戦力を潜ませた山。鬼胎属性と夜属性。
思い付くだけでもこれだけの優位に立てる要素が揃い、有利だったはずの状況は一時の夢のように消え去っていく。
ジグジーは振り返ることすら躊躇っている自分がいた事に気付き、恐怖を押し殺すように生唾を飲み込んだ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
お久しぶりの登場です。




