463.悪夢の行進4
「おかえりアルム」
「ただいまシスター」
瞬きをして目の前に広がったのは故郷であるカレッラだった。
芳醇な森の香り、肌に感じる涼やかな風……緩やかな時間の流れ。
人の文明を拒絶するかのような深い森の中に建つ場違いにも見える教会、そして手を振ってアルムを迎えてくれるシスターの姿をアルムが見間違えるはずがない。
自然とただいまという言葉が出てきた。
「やっぱり帰って来たね、全く……」
「やっぱり?」
「そりゃやっぱりさ。私は最初から無理だと思ってたんだ。平民が魔法使いになるなんておかしな話だろう?」
「……そうだな、シスターもそう思うのか」
「当たり前じゃないか。無駄なことだとは思ったけどね、現実を見ればすぐに帰ってくるだろうって送り出したんだ。そんでアルムはこうして戻ってきた。だからやっぱり、であってるだろ?」
修道服には似つかわしくない巨大な斧を肩で担ぎながら、シスターは豪快な笑顔を見せる。
その笑顔はアルムが帰ってきた喜びに対してか、それとも別か。
シスターの笑顔を見て、アルムは悲しそうな笑顔を浮かべた。
「長旅で疲れてるだろ? 少しくつろいでくるといいさ」
「ああ、ありがとう」
シスターと一緒にアルムが教会の中に入ろうとすると、入り口の近くで焚火のようなものが焚かれていた。
外で料理をする気だろうかと、アルムがじっとその焚火を見つめているとシスターはそんなアルムに気付いて引き返す。
「ああ、それが気になるのかい?」
「何をしてるんだ?」
「大したことじゃないさ。ほら、あんたが読んでた魔法関連の本を燃やしてるんだ。凄い量だったから少しずつね」
「――え?」
「だって、もう必要ないだろう? 部屋が埋まるほどあったからいつか床に穴が開いちまうかもって心配でね。アルムもこうして諦めて帰ってきたんだからもういらないだろ?」
シスターの声を聞きながら、アルムはその火を呆然と見つめる。
よく見れば、その火の中に自分が読んでいた本の表紙があることに気付いた。
魔法使いになりたいとずっと読み続けていたものが燃えて、灰になっていく。
今までの時間の全てが無駄だったと言うかのように、その焚火はパチパチと小気味いい音を立てていた。
「シスター、少し出てくる」
「帰ってきて早々どこ行くんだい?」
「秘密の場所に行くんだ」
「ん? 秘密? そんなとこあったのかい?」
シスターが止める間も無く、アルムは森の中へと入っていった。
日の光も少ししか差し込まないほど薄暗く、魔獣の唸り声も聞こえてくる深い森の中……立ち並ぶ木々を抜けてアルムは歩き続ける。
自分しか知らない場所をしばらく歩いて、森を抜けた先には白く輝く花園があった。
それは鬱蒼とした森を抜けた先にある正真正銘の異界。
白い花の一つ一つが光を灯しながら揺らめき、いつの日からか咲き誇り続けている。
星の灯りを花々が宿したような、幻想的な光景がアルムを出迎えた。
アルムは黙って花園の中に足を踏み入れたかと思うと、そのまま花園の中心を目指す。
光り輝く花の間をゆっくりと歩き、足にかきわけられて揺れる花々は純粋な魔力だけの輝きでその道筋を照らしている。
そんな幻想的な花園の真ん中には……白いローブがかかった杖が立っていた。
アルムはその前に立つと、祈りを捧げるように天を仰ぐ。
そして――
「どうした? 最後の一人は出せないか?」
それは一体誰に向けられての言葉だったのか。
あまりに唐突なアルムの声に、アルムを見ている誰かの視線が揺れる音が聞こえた。
夢を破るアルムの声が白い花園に響き渡る。
「前から予想はしていたんだ。魔法生命と戦っている時、魔力を流されると奴等の生前の殺戮の記憶も流れてきて、その記憶がさらにこちらの恐怖を駆り立てる……だから、鬼胎属性には記憶や記録に干渉できる特性があるんじゃないかってな。これはそういう魔法なんだろう? 俺は記憶を覗き見られて、精神に負荷がかかる映像を見させられてる。感知か世界改変ってところだろう。俺が見させられていたのは普通ならそうなってしまう結末か? それともただ俺が大切に思ってる人達が俺を否定する世界か? まぁ、どちらでもいいか」
いつからこいつにばれていたのか、アルムを観測していた者は生唾を飲む。
アルムは未だ見えぬ誰かに語りかけながら、目の前にある白いローブのかかった杖を見下ろした。
「どちらにせよ、幸福だけが無くなっている中途半端な夢だった」
アルムの呟きを聞きながら、観測者は戦慄する。
リィツィーレの血統魔法【死しても醒めぬ夢】は確かに対象の記憶を元に悪夢を見せる世界だ。
しかし、ただの悪夢ではない。
本人の記憶を使ったがゆえのリアリティ。現実と夢の境界を曖昧にし、夢と認識させない現実の誤認。
それこそがこの世界に取り込まれた人間が精神を汚染されるまでに至ってしまう恐ろしさ。
それをこの男は……いとも簡単に破ったというのか――!?
「幸福な記憶だけを変えられたところで……俺が揺らぐとでも思ったか? あいつらと対峙した記憶もまた俺にとって大切な記憶だ」
アルムの脳裏を巡るのは今まで立ちはだかった者達。
善悪も常識も関係なく自分の野望を、願いを、理想を体現した敵達の姿。
幾度とも無く現れたその記憶は欠片となってアルムの前に現れてくれていた。
どれも決して楽ではなく、引き裂かれるような痛みの中に刻まれた戦いの記憶。だが、その全てを忘却したいなどと一度も思ったことは無い。
「幸福な記憶を変えたところで……俺が膝をつくとでも思ったか? 記憶に居続けてくれる姿を……師匠にすら消させなかった大切な記憶を、俺が忘れるとでも思ったのか……?」
アルムの脳裏に巡るのは一緒にいてくれた者達。
たとえ違う姿を見せられても、その姿が無くても、瞼の裏にはっきりと浮かぶ優しい姿。
隣に居続けてくれた大切な人達を想えば、今まで見せられてきた映像など大根役者しかいない駄作。
記憶に在り続ける人達の姿を忘却するなど有り得ない。
「舐めるなよ、糞野郎共……土足で俺の記憶を踏み荒らしやがって……! 覚悟は出来てるんだろうな!!」
アルムは声を荒げ、魔法の使い手に憤怒で応える。
自身を貶められても気にしない、泰然自若としたアルムの最も触れてはいけない領域。
自分を支え、認めてくれた人達の記憶を侮辱したこの悪夢はアルムの逆鱗に触れた。
割れるような音とともに空に亀裂が入る。悪夢が崩壊する音が聞こえ始めたその瞬間、アルムを観測していた男が動いた。
(こいつはここで殺さなければ――!)
血統魔法によって影と化していたカンパトーレの魔法使いジグジー・ラージバッグは即座に動いた。
彼はイヴェット襲撃後、要注意人物のアルムがリィツィーレの悪夢によってどうなるかを観測するべく、その血統魔法を使いアルムの影となってずっと夢の中に潜んでいた。
事態の変化がジグジーを動かさせる。
アルムの精神は何ら揺らぐことはなく、夢の崩壊も始まっている。この悪夢の住人ではないジグジーが姿を見せれば一瞬で夢と認識されなくなってしまうために彼は今まで静観していたが……こうなってしまえばリィツィーレの魔法でアルムをどうこうするのはまず不可能。
ならばここで不意を打ち、その命を奪うのが当然とジグジーは影の刃を振るう。イヴェットにした時のようにその体を串刺しにするために。
「糞野郎共って言っただろう。気付いていないとでも思ったか?」
だがアルムはその影の刃が届く前に、ベラルタ魔法学院にいた時に見つけた白い刀を腰から抜き、そのまま振り返って背後を切り裂く。
白い一閃が空間ごと影を……ジグジーの魔法のカタチを完全に捉えた。
『え……!? い……ぎゃあああああああああ!!』
「どうだ大嶽丸の記憶の痛みは? 死にそうなくらいの痛みだろ?」
その刀はかつてアルムの胸を貫き、死に追い詰めた大嶽丸の武器の一つ小通連。
ここはアルムの記憶を元に作られた悪夢。いわばアルム自身の仮想世界。
ならば、そこに入り込んだ第三者をアルムが自分の記憶を使って迎撃するなど造作も無い。たとえ他者に見させられた夢だとしても、ここを作り出した基点であり支配者はアルム。
世界には世界ごとに定められている理がある。異界で生き物だったはずの命がこの世界で魔法生命になるように……その世界だからこその現実が存在する。
それは世界改変魔法によって改変されても同じこと。アルムはリィツィーレが改変した世界の理をすでに理解していた。
「安心しろ、すぐにお前らのところに行ってやる」
ひび割れ、崩壊していく夢の天蓋はアルムの覚醒を物語る。
ジグジーはその世界から退去する中で……そんな恐ろしい声を耳にした。
「……戻ったか」
瞬きをすると、アルムはいつの間にかトランス城に用意された自分の部屋の前に戻ってきた。夢を見ていたのだから目が覚めたというべきか。
トランス城を包む重苦しい魔力とどこからか立ち込める冷気を感じながら、把握した事態を解決すべくアルムは自分の部屋に戻った。
窓のほうに歩くと、トランス城が建っている山が見える。世界改変魔法の射程を考えても潜んでいるのはこの山の中だろう。
アルムは確信を持ちながら今度は自分の荷物のほうへと。バッグを少し漁るとバッグの中から一つの魔石を取り出した。
「トラブルだ。トランス城まで来てくれ」
どうやらその魔石は通信用魔石のようで、アルムは魔石に魔力を通すと魔石の先にいる通信相手に短く伝える。
たったそれだけの通信は終わらせると、アルムは寝間着の上下黒の格好のまま部屋を飛び出した。
「あぎ……があああああああ!!」
「お兄様!?」
山に潜むジグジー本人の体から鮮血が飛び散った。
叫び声が山に轟き、木に止まっていた鳥がざわめく。
隣にいたリィツィーレも突如叫び声を上げ、血を噴き出したジグジーに動揺を隠せない。
ジグジーは呼吸を荒くしながら、周囲を確認する。
意識がリィツィーレの世界ではなく、現実に戻ってきた。周りにリィツィーレしかいない事を確認して安堵するが、そんな事をしている場合ではない。
「ぐ……! くそ……! まずい……! リィツィーレ! 人形は用意してあるな!?」
「え? へ? な、なに!? なにがあったのお兄様!?」
「人形は用意してあるんだな!?」
「う、うん! ちゃんと山に何体も潜ませてるよ! どうしたの!? 大丈夫なのお兄様!?」
リィツィーレの心配の声を聞きながら、ジグジーは自分の傷を確認する
体中に走った激痛の割に傷は浅い。夢の世界での出来事だったからだろう。
しかし、ジグジーが今いるのは紛れも無い現実。次やられればこんな傷だけですむはずがない。
「わかっていた……! わかっていたはずなんだ! 魔法生命を倒すような人間が普通であるはずがないと! わかっていたというのに……!」
「お、お兄様落ち着いて!」
「ああ、わかってる……! リィツィーレ、同じところにいてはまずい! 二手に分かれて迎撃する!」
呼吸を荒くし、割れんばかりの強さで歯噛みするジグジーを見てリィツィーレは尋常ではない危機が迫っていることを悟る。
けれど、一体何が?
カエシウス家が自分の世界の中から動いていないことをリィツィーレはわかっている。ミスティとアスタの魔力は捕捉済み、悪夢こそ見せられていないがノルドの位置を魔法の使用によって把握できた。
であれば……ジグジーをこれだけ取り乱させる者とは――!?
「来る……! 奴が、奴が来る!!」
そんなもの一人しかいるはずがない。
内通者だったドローレスも把握していなかった予定外の客人。
鬼胎を抱かせる夜闇の中、その一切を跳ねのけ蹂躙する……ただの人間が動き出す。
いつも読んでくださってありがとうございます。
戻ってこれたー。




