462.悪夢の行進3
本棟を出て……アルムの足がふらりと寄らせたのは図書館だった。
ベラルタ魔法学院にある図書館の貯蔵量は王都のものにも劣らず、アルムは事あるごとに利用している。
歴史を感じさせる古い紙の匂い、隔絶された本と本を読むためだけの静かな空間は通っている内に自然と好ましく思うようになるものだ。
昼時は生徒のほとんどが食堂に行っているため、特に利用時でもある。
そんな図書館に……アルムの見知った先客がいた。
「エルミラ」
「…………は?」
机の上に本を積み上げたエルミラは不機嫌そうにアルムの声に応えた。
応えるというには些か乱暴な声で、赤い眼は現れた邪魔者を睨んでいる。
「なにあんた? どういうつもり?」
「……?」
「話しかけてくんじゃねえわよ。あんたみたいな雑魚と話して底辺同士が慰め合ってるって胸糞悪い噂流されたらどうするわけ? あんたがどうなろうと知らないけど、私にまで迷惑かけないでほしいわ。没落貴族がどれだけ大変か足りない頭じゃ考えられないかしら?」
エルミラは舌打ちをして、視線を本のほうへと戻す。
本のタイトルは"リアメリーの変換"というアルムも読んだことのある本だが、その本について話題を膨らませられるような雰囲気ではない。
「すまない、そういうつもりはなかったんだ」
「そういうつもりは無くても、そうなっちゃうのよ。あんたみたいな底辺の行動を他人がそのまま受け取ってくれると思うの?」
「いや……そうだな。その通りだ」
「わかったら目の前から消えてくれる? 私に迷惑かけないで。私が家を復興させた時にケチつけられたらたまんないわ」
「わかった、勉強頑張ってくれ」
「うざいこと言ってんじゃないわよ」
エルミラに言われてアルムが踵を返すと、
「ああ、でも……一つだけ感謝してあげるわ。平民で魔法使いになりたいなんていう馬鹿みたいな理由で入ってきたあんたのおかげで、私は大して何も言われないもの。人間って単純よね、一番差別していい人間がいると矛先が綺麗にそっちに向くんだから」
「……」
「無駄足ご苦労様。満足したら故郷に戻って普通に暮らしなさいな」
その言葉だけを背中越しに聞いて、アルムは図書館を出ようとする。
「ん……?」
出ようとした時、生徒ではない誰かとすれ違う。
ベラルタ魔法学院の制服ではない……マナリルでは見かけない異国の民族衣装を着た誰か。
紅葉柄の着物を着た、何者かがアルムの横を通り抜ける。
すれ違ってすぐに振り返っても、図書館にはエルミラしかいなかった。
「エルミラ……誰か来なかったか?」
「誰も来てないから助かってんのよ……なに? あんた私を怒らたいの?」
「……そうか、ありがとう。じゃあな」
エルミラからの返答は無く、アルムはそのまま図書館から出て行く。
図書館から出て周りをきょろきょろと見渡すが、すれ違った誰からしき影は無い。
その代わりに、図書館に向かって歩いてくる三人組の生徒達がいた。
「……ベネッタ」
「へ?」
「なんですの?」
図書館に向かおうとしているのはベネッタとサンベリーナ、フラフィネの三人。
ベネッタは自分が何故呼ばれたのかわからないと言いたげに、困惑した表情でサンベリーナとフラフィネに目で訴えている。
サンベリーナはアルムを足元から頭まで見たかと思うと、扇を広げて鼻で笑った。
「……ベネッタさん? 呼ばれていてよ? お知り合い?」
「いえ……初めてお話しますけどー……」
「何かあなたに用があるようですし、お話があるようでしたらどうぞ。先に図書館に行っていますわね」
「ベネっち……案外趣味悪いし」
「あ……いや……」
言い残してサンベリーナとフラフィネは先に図書館のほうへと向かう。
アルムとベネッタがそのまま残されて、ベネッタは慣れてないながらも翡翠色の眼でアルムを睨みつけ、そのまま詰め寄った。
「もうー……どういうつもりー!? せっかくラヴァーフル家なんて上級貴族とお知り合いになれたのに……あなたみたいな人と知り合いだって勘違いされて距離を置かれたら今までの苦労がぱぁでしょ!」
「あ、いや……」
「サンベリーナ様はそんな人じゃないと思いますけど万が一があったらって思うとー……あなたみたいな平民にはわからないでしょうけど、下級貴族は生き残るのに必死なのー! 無謀な夢を掲げるのは勝手だけど、ボクに迷惑かけないでー!」
「……すまない、軽率だったみたいだな。つい覚えている名前だから呼んでしまったんだ」
「まったくー……普通に考えたら不快だってわかるでしょー? じゃあさよなら」
「ああ、そうだ。図書館にはエルミラもいたぞ」
もう話すことはないと早足で図書館に向かっていこうとするベネッタの背中に、アルムは最後に声をかける。
ベネッタはその声に立ち止まると、不思議そうに振り返った。
「……だからなんなのー? ボクと関係ないじゃん」
「……そうか、すまない」
アルムの表情を見たからか、ベネッタは気持ち悪がりながら図書館へと駆けていく。
その背中を見送って、アルムは学院の正門向けて歩き出した。
入学当初こそ迷ったベラルタ魔法学院だが、図書館から正門までの道も今や歩き慣れた道だ。
「ん……?」
その道の途中に、見慣れない武器が道に刺さっているのが見えた。
道のど真ん中に堂々と剣のような白い武器が刺さっている。同じように近くに刺さっているのは鞘だろうか。
剣とは違って刀身が少し曲がっている異国の武器。日の光を浴びて、白く輝いている。
刀という知っているはずのない武器を見て、アルムの胸が刺すように痛んだ。その光の奥に死の気配を見た気がして。
先に見える生徒達はまるで見えていないかのように、道の真ん中に刺さっているその刀に疑問を持たない。
普通では有り得ないはずの光景をただただ通りすぎていく。
「……」
アルムは黙ってその刀と鞘を抜くと、刀を鞘に納めて腰に差した。
やはりその刀は誰にも見えていないようで、アルムの動きを疑問に思う者はいない。刀を腰に差したアルムはそのまま正門へと向かう。
正門付近にいる生徒達の嘲笑を受けながら、アルムは歩く。
「あら? どうされたのですか?」
その中に一つ、忘れることのない声がアルムの耳に届いて立ち止まった。
馬鹿にする嘲笑やアルムを揶揄する言葉などかき消すほどに、綺麗で氷のように透き通った声。
その声で他の生徒達の視線はアルムからミスティへと向けられていった。
「……ミスティ」
「ふふ、私をご存知ですのね。お話するのは初めてですが、暗いお顔をされていたので、少し心配になってしまいまして……大丈夫ですか?」
「ミスティ様……近寄らないほうが……」
「あら、どうしてですか?」
「いえ、その……」
ミスティの隣にはフロリアもいた。ひそひそとミスティに忠告するも、ミスティは首を傾げてフロリアを引っ込ませる。
腰まで伸び、美しく揺れる水色がかった銀髪。万人を虜にしてしまいそうな柔らかい微笑み。耳に届く声の心地よさは言うに及ばず。
歩く姿も優雅で、周りの生徒達に見つめられながらミスティはアルムに歩み寄ってくる。
「アルムさん、貴族ばかりの環境で慣れないこともあるでしょうが……どうか頑張ってくださいね?」
「……ありがとう」
「私達は共に魔法使いを目指す学友です。一緒に頑張りましょうね」
ミスティはそう言うと、アルムに向けて手を差し伸べる。
学院で初めてかけられた、違和感すらある優しい言葉。
その言葉を受け取ってアルムはお礼を言いながらその手をとった。その白魚のように美しい指には何もはまっていない。
そんな光景に……その場にいた生徒達全員が当然のように沸き上がる。
「流石ミスティ様だわ……」「なんというお優しさ……身の程知らずにも変わらぬ接するとは」「流石はマナリル一の貴族」「器が違うんだよなぁ」「なんて素敵な御方……!」
周りの生徒達から次々あがるミスティを賞賛する声。
生徒達から憧れと尊敬の視線がミスティに集まり、アルムのことなどもう関心が無いかのように褒め称えている。
平民を励まし、握手して激励する大貴族。
物語のように美しい光景に感銘を受けた貴族達の拍手と賞賛は止まらない。
そんな勢いのまま、先程までアルムを嘲笑していた生徒達が、今度はアルムに応援の声を掛け始める。
「頑張れよ平民!」「ミスティ様が応援してくださっているんだから!」「そうだそうだ!」「応援してるぞ!」「無理でも気にするな!」「やろうと思ったことが大事なんだ!」「ミスティ様に恥をかかせるなよ!」
なんて、気持ちの悪い。
なんて、醜悪で。
なんて、移り気な。
なんて――人間らしい。
全ての声援がアルムが魔法使いになれると思っての声援では無く、今目の前で起こった美しい光景を肯定するためだけの口先だけの言葉の羅列。
思考を停止した傍観者達が送る無責任の喝采だった。
「いい夢は見れましたか?」
「ん?」
沸き上がる貴族の声に紛れて、小声でミスティが話しかけてくる。
微笑みと握手している手はそのまま……美しい光景を維持した状態を続けていた。
絶やさないその微笑みの表情が、貴族なら誰でもする仮面だとアルムはそこでようやく気付く。
「どうせ無理なのですから、早く辞めてしまったほうがいいですよ? 応援されても、あなたに才能があるのは変わりませんから」
「……さっきのは嘘か」
「ええ、完璧な貴族たる私があなたのような平民を応援する……素晴らしいシチュエーションでしょう? こうした理想があるのだと、夢見る気持ちは誰にでもあるのです」
「ああ、そうだな。本当に……そうだ」
「四大貴族として、そのような美しい光景を見せるのも私の役目……あなたの存在はどうでもよいのですが、ただ無駄にするのも勿体ないですから、どうせなら私のイメージアップと皆様の意識の向上に繋がればと利用させて頂きました。握りたくもない手を握る価値があるかはわかりませんが」
「どうかな。少なくともイメージのほうはこんな事しなくても大丈夫そうだが」
「気まぐれに夢を見せてあげたのです。一瞬だけでも、あなたのような場違いな人間が私のような相応しい人間に認められる……そんな、有り得ない夢を」
にこっと可愛らしく笑ってミスティは手を離した。
この見世物に見切りをつけたということだろう。これ以上のアピールは必要無い。
「普通に考えればわかりますでしょう? あなたみたいな人間を私のような完璧な貴族が本気で応援するわけないじゃないですか。平民なら平民らしく……相応の生活を送っていればいいのです。それが当たり前なのですから」
そんな言葉を、ミスティはその美声で言い捨てた。
言われずともわかっている残酷な現実。
普通。当然。当たり前。
そんな常識を掲げながら放たれる言葉の刃がアルムの心を削ぐように突き立てられる。
アルムはそんなミスティの言葉を黙って聞きながら、ミスティの背後にさっきまで無かった物を見た。
「……氷…………?」
「はい?」
ミスティの背後に現れたのは氷像だった。
まるで星を掴むように空に向かって手を伸ばしている氷の像。
そんなものが現れたというのに、やはり周囲の生徒達やミスティは気付かない。
「ショックでおかしくなったのですか?」
「いや……なんでもないよ。ありがとうミスティ」
「いいえ、お構いなく。呪うなら自分の出自を呪うのですね」




