460.悪夢の行進2
「どうだリィツィーレ」
「うまくいったわお兄様……けど、やっぱりノルド・トランス・カエシウスは無理みたい。血統魔法に干渉を拒まれてるわ」
「腐ってもカエシウスか……。まぁ、いい。その為の部下だ。セルレア・トランス・カエシウスの部屋を狙うよう指示はしてある。時間稼ぎにはなるはずだ」
依然として森に潜んでいるジグジーとリィツィーレ。
同じように潜んでいた複数人の部下達は既にいない。今頃はドローレスが開けた正門からトランス城に侵入している頃だろう。感知魔法を掻い潜りながらの襲撃のため、攻撃が始まるのはもう少し後だろうが……部下の攻撃は囮に過ぎない。
極端に言えば、二人にとって部下達の襲撃は成功しようがしなかろうがどちらでもいい。二人が受けた主人からの命令はカエシウスを攻め落とすことではないし、第一そんな事が出来るとも思っていなかった。
「うん、その前に……平民達の"精神汚染"くらいは終わると思うわお兄様。"肉体汚染"まではちょっと難しいかも? 人形を作るのは難しいかも?」
リィツィーレ・シュピラーレは家名を別にするジグジーの妹であり、十年に一人の逸材と評される鬼胎属性の魔法使い。
シュピラーレ家の血統魔法を十三歳の頃に継ぎ、感知魔法の一種でしかなかった血統魔法を世界改変魔法に変革させたカンパトーレの才女。
今トランス城はリィツィーレの【死しても醒めぬ夢】によって包まれている。
記憶へと干渉され、寝ていても起きていても悪夢を見せられるリィツィーレの世界に。
だが、この血統魔法の真に恐ろしいのは改変された悪夢の世界そのものではない。
この世界がもたらす悪夢によって対象の精神を汚染し、その汚染が肉体までを蝕んだ時……リィツィーレの支配下に入り、人形の如く操られてしまう点にある。
「充分だ。ついでに……あのアルムという平民を人形に出来ればさらにいい。いい手土産になる」
「素敵だわお兄様! そうしたらカンパトーレに持ち帰って色々と実験しましょ! 普通の人と違うのかしら? 刃物で刺しても平然としてるのかしら? 腕を焼いても耐えるのかしら? 目をくりぬいても諦めないのかしら? 内臓をいじられても、自分の出自を呪わないのかしら?」
くすくす、とリィツィーレが小さく笑う。
幽鬼のように恐ろしく、少女のように無邪気な笑い声。
その赤黒い瞳は鬼胎属性の魔力で染まっている。
「ああ、楽しみだな。だが……ご主人様の命令が優先だ。今回の狙いはあの平民じゃないだろう?」
「あ……そうだったわお兄様……ごめんなさい……」
「いいんだ。どちらにせよ……あれを見張る者は必要だ。予定通りリィツィーレはターゲットを。俺はその平民を見張る。動きがあればすぐに知らせろ」
「ええ、わかっているわ。さあ、ようこそたった一人のお客様……きっと、素敵な悪夢を旅できるわ」
「ルクス」
アルムは名前を呼んで、返ってきたのは眉をひそめたルクスの表情だった。
整った顔立ちに金髪に金色の瞳。間違いなくルクス本人だった。
「いつからそんな気安い呼び方をするようになった? 友人じゃあるまいし、それとも……同じ学院に通っているから身分の差など些末なことだとでも言いたいのか?」
「え? いや……」
「少しは弁えろ。平民で魔法学院に入ったからどれだけ凄いかと思えば……君は底辺もいいところだ。そんな人間が僕達を気安く呼ぶなんておこがましい」
ルクスの表情は冗談を言っているようには見えないほど険しい。
およそ友人と呼べる相手に向けるような表情では無く、穏やかさの欠片も無い。
常識を語るその声には怒りすら含まれているようだった。
いつの間にか、周囲にいた人間がくすくすと嘲笑する。
「また何かやったの?」「平民だから礼儀もないんだろ」「あの優しいルクスさんを怒らせるって相当だなおい」「なんであんなのがここにいるのかしら?」「どっかの貴族のお遊びなんじゃない?」「ふふ、悪趣味な家もいたものね」
全てが、アルムに向けられた言葉。
嘲笑と嫌悪が入り混じった声は石のようにアルムの精神に飛来する。
誰も悪く思わない。
誰も躊躇わない。
その悪意は肯定された正しい行為のように続けられ、心無い言葉を咎める誰かなど存在しない。
貴族と平民。最も明確な上下。
貴族の領域を侵しに来た、分不相応な異物。
そんな異物を見下す視線をひたすらに、アルムは浴び続けた。
「……すまない。以後気を付ける」
「まったく、君の育ての親は最低限の礼儀も教えてくれなかったのか?」
「……すまない」
「まぁ、いい……僕達も平民にあれもこれもと求めるのが愚かだった。全く、何で魔法が使えない平民なんかがいまだにこの学院にいるんだか……」
苛立ちを表すように、髪を少し乱暴にかくルクス。
「どうやってこの学院に入れたか知らないが……君は何でここにいるんだい?」
「魔法使いになりたいから」
「はっ……いい夢だな。見るだけだったらもっと楽な人生を送れただろうに」
呆れたようにため息をついて、ルクスはその場を去っていった。
一度もアルムを振り返ることなく、アルムが顔を見かけたことのあるだけの、名前も知らない生徒と一緒に食堂へと歩いていく。
その知らない生徒に向ける表情は、普段アルムが向けられていた表情と一緒だった。
「本当、いい加減どっか行けばいいのに」
「普通に生きてりゃいいのにな」
「ああ、ほんと。普通にしてればいいのにな」
「馬鹿なんだろ」
「意味無いことを何でするかね、普通に暮らせば何事も無いだろうに」
ルクスが去ったことで周りの生徒達も解散する。
アルムに聞こえるように、傷つくような言葉を選びながら。
心を軋ませる音。脳髄に釘を打つような声。
口々にアルムに対する悪意を吐いてから、もう興味も無いと言わんばかりに昼食を何にするか、と話題は日常のものへと変わっていく。
「魔法使いになるのが夢って……そんなの夢のままに決まってるじゃない」
どうやら見世物の時間は終わりらしい、と。
アルムの夢を踏みつける言葉を最後に聞いて、廊下から人が次々と移動していく。
「!!」
「っと……」
そんな移動する人の中の一人とぶつかった。
ふんわりとした白い髪に真っ白な肌、そして睨む赤い瞳が特徴的で、今は着ていないはずの男子用の制服を着た……アルムの友人。
「ネロエラ……」
「……」
ネロエラは名前を呼ばれて不快そうに顔を顰める。
ネロエラはアルムとぶつかった場所を手で軽く払って、アルムに何を言う事も無くその場を去っていった。
ぽつん、と残されたアルムの隣には誰もいない。
廊下にあるのはアルムと、アルムの影だけ。
「……?」
そしてもう一匹。
足下に何かがいた。
ちょろちょろとアルムの足元を小さな虫が這いまわっている。
「こんなところに……百足……?」
何故こんな所に百足がいるのだろうか。
疑問を持ちながらアルムは足をあげる。
アルムがそうやって踏み潰そうとしても、その百足は離れようとしない。
ただアルムの周りを這っていて、何処を目指すわけでもなく。
小さな百足はただそこにいた。
「……久しぶりに見たな」
アルムは上げた足を百足に下ろすことはなく、静かに足を元に戻す。
普通なら、こんな所にいるはずのない虫をその場に残して……アルムは廊下を後にした。
再生される悪夢の檻をアルムは一人で歩き続ける。




